小さな魔女と王宮魔法師 3
お題:僕の夕方/冬の旅行 制限時間:4時間
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レースカーテンの陽に混じる、微かな羽ばたき、葉擦れの音。薔薇を散らした香草飾りが白塗り扉を円く彩り、バスタブに浸かる鼻先にまで優しい香りを運びます。マホガニーのテーブルには翡翠の浮かぶガラス玉に孔雀の羽ペンが数本刺さり、銀盆には冷めないように魔法刺繍が施されたティーコゼーが置かれていました。それから、お日様色のシフォンケーキに、大粒の葡萄が少し。
魔女は目を閉じ、嘆息しました。こっそり持ち込んだ泥水を沐浴の際に混ぜるのが、彼女の唯一の安らぎでした。
「なあ、そろそろ降りてもいいかい? おいらもう飽きちまったよう」
魔女の左の乳房から潰れた声が上がります。
「はい。どうもありがとうございます」
「っしゃあ、飯だ、飯~」
ヒキガエルが嬉しげに、ぴょん、と胸から飛び降りました。
「ったく、辛抱足りねぇなあ」
折り曲げた膝から、もう一匹が声を上げ、
「いくら貧相で気が乗らなくとも、役得だとでも思い込み、もう少し努力をするべきです」
魔女の縮れ毛から喉元にゆるく巻き付く大蛇が、鎌首をもたげて叱咤しました。
「だあって、おいら腹ペコなんだぞ」
ぶうっと頬を膨らませたカエルに、魔女はバスタブから手を伸ばすと壺の中身を取り出しました。自ら集めた蠢くそれらを手ずから与えるこの行為が、醜い魔女と生き物との儚い楔なのでした。
「嬢ちゃん、そろそろ力は溜まったか」
濁った水での沐浴を終え身体を拭う魔女に向かって、ヒキガエルが尋ねます。
「ええ。今夜、旅立ちます」
「達者でな。案外、楽しかったぜ」
魔女はヒキガエルを持ち上げて、眉間にまじないのキスをしました。
燦燦輝く満月と音無き闇の蔓延る夜は、それぞれ魔を持つ者達の恩恵夜でもありました。
『新月夜には灯りを生むな。悪魔を呼び寄せ住み着かせる』
そんな言葉を知る親が子供達に言い伝え、早々に床就く夜なのです。
誰もが寝静まった城下街。そこを小さな醜い魔女が足早に歩いておりました。
――早く。早く。一番鶏が鳴くより先に。見えない壁をすり抜け外へ。
駆けだしたいのをぐっと堪え、黙々と歩いているうちに、魔女は街の外れまでやって来ました。松明の灯りはいつもに比べて幾分小さくなっています。遠くに見える小さな丘の、そのまた向こうに続く山まで、少し歩を進めればどこまでも自由に歩けるのだと、錯覚するほどに広い視界。ですが、魔女はこの先数歩も進めば、光を編んで作られた壁に阻まれるのだと知っていました。ですから、微々たる穢れを浴びて、少しずつ力を蓄えて、抜け出す準備をしてきたのです。
松明の影に屈み込むと、魔女は古い歌をうたい、身体を闇に染めました。そうしてするりと手を伸ばし、見えない壁の影溜まりに溶け込もうとした瞬間、誰かに腕を掴まれました。
「――何処へ行くの」
ああ、振り向かずとも分かります。輝く外套の光の粒が、澄んだ水晶の重なりが、しゃらんと音をたてました。くらりとするような華やかな香りが魔女を優しく覆います。布越しに重なる温もりが、こつこつ溜めた穢れを溶かし、胸に隠した禍々しい実をじわじわ熟そうとしていきます。
恐怖に喘ぎ、魔女は逃げようともがきました。
「させないよ」
いくら呪詛をまき散らしても、抱き締める腕は解けません。それどころか、呪いを蛇に変えたところで相手は嬉しげに指を伸ばすと、腕に巻きつく三角頭を愛おしそうに撫でたのです。
「どうし、て……っ!」
魔女は泣きそうになりました。これまでだって何度も何度も、国を出たいと申し出ました。ですがその度、この男は何かと適当な理由をつけては自分の申し出を断り続け、この地に留まらせてきたのです。
(だから、こっそり出ていこうとしたのに……!)
見えない防壁を越えるべく、古い呪いがかけられた忌み地の水をも浴びたというのに。
「君こそ、どうして僕から逃げるの? こんなにも互いに望んでいるのに」
魔女は指先を摘まれると、くるり、と回すように向き合わされました。白く滑らかな手袋が魔女の頬を包みます。揺らぐ視界は指で拭われ、瞬きをする度に光彩の変わる虹のような煌めきが、崩れた顔を覗きました。
「――綺麗な夕暮れだね」
魔女は今度こそ、高い悲鳴を上げました。
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むかしむかし、ある国に、美しい王様とお后様がおりました。
二人の間には八人もの美しい子供が授かりましたが、どの子も皆姫ばかりで王子は一人もいませんでした。
この国では代々王子が後を継ぐ決まりでしたから、たくさんの学者や医者、呪術師や占術師達がどうすればお世継ぎが生まれるのかを、こぞって王に進言しました。そうして彼らの意見を全て取り入れたその結果、五人の玉のような姫が生まれました。
お后様は自分を責め続け、とうとう病に倒れました。王様はお后様以外を愛そうとはしませんでしたから、お后様は終いにはどうか自分を殺して新しいお后を迎えてください、と王様に乞うようになりました。
王様はたいそう心を痛め、愛しい人を助けたい一心で、この世の中のことならば何でも知っているという地の果てに住む魔女の元まで会いに行く決心をしたのです。
十の山を越え、三つの海を渡り、雲より高く切り立っている崖の天辺までよじ登り、王様は地の果てに住んでいる小さな家を訪れました。
「お前の望みは知っているよ」
王様を見た瞬間、醜い老婆は言いました。
「心を病んだ后のために、息子が欲しくて来たんだね。なあに、簡単なこった。お前が十三人の子供の中から一人を此処に寄越し、儂に食わせりゃあいいのさ。そうすりゃすぐに玉のような美しい息子が生まれるだろうよ」
王様はすぐに、そんなことはできない、と断りました。十三人のどの姫も深く愛していたからです。
「いいや、聞いたからには守ってもらうよ。娘を此処に寄越さなけりゃ、あんたに呪いが降りかかり、身体を蝕んでいくだろうよ。それが世の理なのさ」
王様は、可愛い娘達を魔女に食わせるくらいなら自分がどうなってもいいと思いました。
そうしてまた、切り立つ崖をなんとか降りて三つの海を渡り十の山を越え、自分のお城に戻った後も、魔女に教わった方法は決して誰にも教えませんでした。どうしても胸の内を誰かに伝えたくなった時だけ、声を吸い込む魔法の箱をこっそり開けては吐き出したのです。
そうして迎えた、その年の冬。
十三人の娘のうち三人の姫君が、遥か北にある湖まで旅をすることになりました。
その湖のある国にお后様が住んでいたのだと、姫達は初めて教わりました。冬になると大きな湖一面に鏡のような氷が張り、それはそれは美しい光景が辺り一面に広がるのだと。そこに住んでいるお后様の両親や兄弟に、どうかこの手紙を娘のお前達が直接渡して欲しいと、王様は娘に話しました。
本当は、可愛い大切な娘達に旅などさせたくありませんでした。ですが妻の容体は重く、自身も呪いに蝕まれて長旅に耐えれそうになかったため、最も愛する娘達に最後の望みをかけたのです。




