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魔女の末路〈ヒセラ〉

 深く沈み込んだ意識の中で、私は思い出す。


 レティシア妃って、結局いつも愛されていたのよね。


 そうだ、様々な手段を講じて王妃になった私は、レティシア妃がやらかした悪事の尻拭いをしてやることにした。

 そうすれば貴族も平民も、私に対する好感度が際限なく上がるだろう。そう思ってのことだったんだけど……。




「ヒセラ妃も結構な浪費家らしいな。まったく、この国はどうなっているんだか」


「この間はキリア国王に失礼をしでかしたらしいじゃないか。その点、レティシア妃はご立派だったぞ」


「比べてしまうとマナーが少しばかり、なあ」


「今思えば、レティシア妃は佇まいも美しかったな。不思議と気高さがあった」


「お人柄だって悪くなかったぞ。行き過ぎた暴走さえなければ……」




 王城の廊下を歩いて聞こえてくるのは、私への陰口と「レティシア妃の方が良かった」ということについて。


 何よ。

 何なのよ……!


 あの女だって、侍女を流刑にしたりしてたじゃない。だから可哀想だと思ってその子を呼び戻してあげたのに!


 私は舌打ちでもしたいのを必死に堪えて自室に戻った。そこには件の侍女、ルナ・パスクアルがいて、私の帰還を礼で迎えた。

 小花柄の地味なドレスが似合う、ふわりとした赤毛の子。能天気そうな顔付きをしているけど、私の前で笑ったのは見たことがない。


「ルナ、今から着替えるわ。代わりのドレスを出してちょうだい」


「はい、王妃様」


 ルナが出してきた夕食用のドレスに袖を通し、髪型も軽く直してもらう。

 すると髪に櫛がひっかかって、床に落ちる高い音が室内に響いた。


「も、申し訳ありません!」


 ルナが慌てて櫛を拾って頭を下げる。何だか鈍臭いのよね、この子。


「失礼いたしました……! すぐに代わりの櫛をご用意します!」


「別にその櫛でいいわよ。私は先妃様と違って、小さなことで怒ったりしないもの」


 そう、私は些細なことで怒ったりしない。自分の振る舞いがもたらす評判くらいちゃんと心得ている。


 ほら、優しい主人で良かったわね?


 しかしにっこりと微笑みかけてやると、鏡に映ったルナは一瞬だけ瞠目した後、すぐに口元を引き締めて信じられないことを言い出した。


「先妃様は……お優しい方でしたよ」


「え」


 私は無様にも裏返った声を上げてしまった。

 何よこれ。口答えされてるの、私?


「あれは本当に私が悪かったんです。先妃様はいつも優しくしてくださっていて……それなのに、私が酷いミスをしたから、あの時だけ取り乱してしまわれて。

 侍女が流刑になった事実だけが独り歩きして、悪い噂になっていることも知らず、私は、流刑先で能天気に過ごしていました」


 ルナは唇に力を入れたようだった。ぎゅっと手の中の櫛を握り締めたのは、感情が溢れ出すのを堪えようとしたのかもしれない。


「私が、先妃様の評判を下げる原因になってしまったんです。こんなことになる前に、力になって差し上げたかった……!」


 ねえ、だから。


 何なのよこれ。


 何で結局、あの女の評判を崩しきれないの?

 これも私が王妃に相応しくないってことなの?


 こんなのってないわ。レティシア妃だってめちゃくちゃなことをしたんだから、王妃に相応しいわけないでしょうが。


 私の方がよっぽど上手くやれるはずだったのに。

 どうしてこんな話、聞かされなくちゃいけないのよ……!



 *



 怒りが頂点に達したところで目を覚ました。

 勢いで上半身を起こしたところで、私はベッドの周りを囲む大人達の存在に気付く。


「お目覚めのようね」


 妖艶な笑みを見せたのは、二十代前半と思しき菫色の髪の美女だった。

 見たことがない女だ。その隣のおじいさんも知らないけど、反対側の二人には見覚えがある。


「ほう、丁度いいところだったな」


 オクタビオ・バスコ・オルギン国王陛下じゃない!


 このアグスティン様がそのままお歳を召したような見た目、間違いないわ。

 嘘でしょ、どうしてこんなところに? いいえ、そもそも……ここはどこなの?


「動くな、魔女。くびり殺すぞ」


 何か言おうと身を乗り出すと、もう一人見覚えのあった人物、ウーゴ・セルバンテス竜騎士団長が虎でも射殺せそうな目で凄んだ。


 こ、怖……! 何が怖いって、この人も怖いけど、息子を思い出して怖い!


「よい、ウーゴ。話が進まぬからあまり怯えさせるな」


「兄上は甘すぎる。こいつは子供と言えど魔女で、アグスティン殿下を洗脳した政治犯だ。貴方に何かあってからでは遅い」


 ああー……なるほど。やっぱりもうバレちゃってるわけか。

 となると、この部屋には魔法封じの結界が張られていると見て間違いない。宿直室みたいなところだと思うけど、学園内のどこにあるのかピンとこないな。


「陛下。恐れながら、発言の許可を頂きたく」


 魔女の隣に立つ白髪の老人が静かに言う。正体を探るべく注意深い視線を送った私だけど、陛下の返答によってその努力は無駄に終わった。


「ベリス伯爵。許可する」


 ベリス伯爵……! アロンドラ・ベリスの祖父、魔法学の権威!


「エチェベリア男爵令嬢、だったかな。君が孫に手を出した理由は何かね?」


 優しそうな老人から放たれる怒りは、想像以上に重かった。

 私はごくりと生唾を飲み込んで、慎重に話し始める。


「アグスティン殿下と婚約するって聞いて、悲しくて、嫉妬してしまって……」


 嘘だ。別に嫉妬したわけじゃないし、利用したかっただけ。

 ついでに言えば魔女の魔法を使ってアグスティン様の口を割らせたからこそ、婚約者候補の名前を知れたんだけど、それについて白状する必要はないだろう。


「ふむ。これ以上の思惑はないと?」


「は、はい。本当に申し訳ありませんでした。どうかしていたのです」


 目を潤ませてベリス伯爵を見つめてみたけど、残念ながら表情が緩むことはなかった。

 ……そんな。私の演技が通用しなかったのって、初めてかもしれない。


「さて、エチェベリア男爵令嬢よ。私からもお前に聞かねばならないことがある」


 陛下が温度の無い目で私を見下ろしている。

 人を従わせるのに慣れた声。いつも優しい方という印象があったけど、今日は少しの温かさも感じられない。


「とある筋から報告があり、お前の調査をしていたのだ。その調査結果によれば、エチェベリア家に引き取られる前、お前はよく一人の女と会っていたそうだな。その女が何者なのか、洗いざらい話してもらいたい」


 もしかして、師匠のことを気にしているのかしら。


 師匠はすごくいい人だ。魔女の魔法は自分自身以外に使ったらダメだといつも言っていた。本性を見せずに言うことを聞くふりをしていたけれど、私が良い子だって最後まで信じていたような人だった。


 誰にも顧みられなかった人生で、唯一損得抜きに接してくれた。

 その師匠が、どうしたって言うのよ。


「ただの近所のお姉さんです。良くして下さっていただけですけど」


「会って何をしていた」


「ご飯作ったり、おしゃべりしたり……そんな、ところです」


「だそうだが。カンデラリア、どう思う」


 陛下に名を呼ばれたのは、一番最初に笑いかけてきた菫色の髪の女だった。


 知らない名前だ。この場面で意見を求められるって、一体何者?

 私の疑問を察したのか、カンデラリアはふとこちらを見てにっこりと微笑んだ。


「わたくしは魔女、カンデラリア。あなたが事件を起こしたので特別に呼ばれたの」


 藍色の瞳が細くなると、何とも言えない色香が漂う。

 ……この人、本当に二十代? いや、見た目はどう見ても若いんだけど、何だか貫禄というか、佇まいが不思議なほどに落ち着いているような。


「陛下、この娘は嘘を申しております。先程のベリス博士に対しての返答もそうですが、魔女の魔法をここまで扱うには必ず教師が必要になります。大方、恩義ある師匠を庇い立てしているのでしょう」


 どこか楽しそうに、歌うように喋るカンデラリアに、ベリス伯爵が面倒くさそうなため息を吐いた。どうやら知り合いのようだ。


「でも、残念だったわね」


 カンデラリアはそう言って、底冷えを呼び起こすような笑みを浮かべた。


「それ、悪い魔女よ。あなたは利用されていたの」


「……は?」


「こんなにも人間的に未熟な者に、魔女の魔法を教える愚か者などいない。いたとするならばそれは、意図的に人の世が乱れるのを望む悪い魔女だけ」


 何言ってるの、こいつ。


 師匠に利用されてた? そんなはず、ない。

 だって師匠は、いつも優しかった。それに私と同じ魔女で、同じ生き辛さを抱えていて。


「その証拠に女性は行方が知れないそうよ。見捨てられちゃって、可哀想ね?」


 だから信じた。人なんて利用するだけだと思っていた私が、師匠は魔女だったから、信じたんだ。


「いるのよ、無闇に人を憎んでいる危険分子が。その魔女もあなたの野心を敏感に感じ取ったんでしょう。……さて。陛下、わたくしから一つ提案がございます」


「何か」


「彼女はこのまま行くと死刑。ですがせっかくの悪い魔女の情報源ですし、殺してしまうのは惜しいと考えます。そこで、彼女をわたくしに引き取らせて頂けないでしょうか」


 思いもよらない提案に、私は勢いよく顔を上げた。

 どうやって死刑を切り抜けようかと思っていたけど、これはまたとない助け舟だ。


 しかし黙して成り行きを見つめていたセルバンテス侯爵が、ここで怒りの声を上げた。


「随分な特例措置を求めるものだな。何の権限があってそのようなことを申すのか、カンデラリア特殊研究員」


「権限の問題ではありません。わたくしは提案をすると申し上げたのです、王弟殿下。

 王族が洗脳されるという前代未聞の事態です。正式な罪で彼女を裁くとなれば、我が国が魔女の攻撃に対して脆弱であることを、国民ばかりか諸外国にまで晒すこととなりましょう」


 カンデラリアは尚も歌うように言う。その内容があまりにも核心を突いているから、誰も否を唱えない。

 確かに今回の件が公になれば、この国はあらゆる面で信頼を失うだろう。最悪の場合、その綻びを狙って戦争が起こる可能性すらあるかもしれない。


 別にそこまでしたかったわけでは無いんだけど。


「ですからこの事件は、魔女の魔力が暴発しただけと言うことにするのです。これよりはわたくしが責任を持って彼女を預かります。そして尋問によって情報を絞り出し、真人間になるまで人格矯正の実験台になって頂きましょう」


 ——え。


 ちょっと待って、今なんて言った?


 尋問、矯正、実験って言わなかった⁉︎ ねえ!

 真っ青になる私をよそに、陛下は諦めたようなため息をついてるし!


「……情けない話だ。国の混乱を避けるためとはいえ、このような裏取引をしなければならないとはな」


「では、兄上」


「カンデラリアの提案を呑もう。私は長男に説教をしなければならぬ故、あとは任せる」


 男たち三人はそれぞれ覚悟を決めた顔をして、迷うことなく立ち上がった。まずは陛下が部屋を出て行って、その後にセルバンテス公爵が続く。

 最後に残ったベリス伯爵が、呆れたようなため息を吐いた。


「まさかこんな提案をするとはな。本当に御し切れるのかね」


「大した練度もない魔女の一人や二人、問題ありませんよ。あんなに聡明でお可愛らしいお孫さんが巻き込まれて、ベリス博士もさぞお怒りでしょう。ここはわたくしにお任せくださいませ」


 ベリス博士は迷うような素振りを見せたが、最後に一瞬だけ私に視線を飛ばした。

 その同情の視線は、いったい何……?


「さて、やっと静かになったわね」


 二人きりになった空間にて、カンデラリアがベッド脇の丸椅子にゆったりと腰掛ける。


 嘘でしょう。私、どうなるの。

 魔女の尋問って悪い予感しかしないんだけど。こんなのもしかして、死んだ方がマシなんじゃないの。


 私はぎぎぎと音がしそうな動作で顔を動かして、やっとの思いで魔女の美しい笑みを視界に収めた。多分だけど、今の私は史上最高に無様な表情をしていると思う。

 そして反比例するように、カンデラリアは極上の笑みを浮かべて見せた。


「大丈夫よ、ヒセラ。死なないようにちゃあんと気を付けてあげるから」


 嫌だ。私はこれからも強かに生きていくんだ。

 誰かに利用されるなんてまっぴら。私は私の持つもの全部を使って、上を目指すべきなのに——。


 藍色の瞳が黒く輝く。しなやかな手が伸びてくる恐怖に私は絶叫してしまったのだけど、その声は結界に阻まれて誰も聞き届けることはなかったのだろう。


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[気になる点] ラストまで読みましたがヒセラの師匠の魔女は未解決なんですよね で、この回を読んでる最中、実はカンデラリアこそ師匠の魔女本人で、まだ使い道があるヒセラの命を救ったのではないかと夢想。 拷…
[一言] おぉぉ…恐ろしい…
[一言] …死んだ方がマシだったかも知れんすね…(笑)
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