一話「死ぬ意味」
「魔人の一人が離れた?」
「ハイ。恐ラク、ばるシャーくへ」
魔人達の周囲につけていた召喚獣からの報告にアステリアはため息をついた。
「ルーベンスめ。意外と嫌な奴だったらしい」
彼女と違って他の者達には何の事だかさっぱり理解出来ない。
そう察したアステリアは説明する。
「バルシャーク軍は壊滅状態で、更に対魔軍戦に非協力的な態度を示したせいで国家としての信用を失い、絶体絶命と言える。今なら魔人の扇動に乗る愚か者も出るだろうな」
聞かされた者にとっては衝撃的な内容であった。
確かにバルシャーク、ミスラ、ヴェスターは今、苦境に立たされているが、だからと言ってよりにもよって魔人と手を組んだりするだろうか。
当然の如く出た疑問にアステリアは淀みなく答える。
「魔人の誘いには乗らないだろう。しかしそうとは知らず、ただ窮地を脱する力を与えると言われたらどうかな。乗らないと思うか?」
誰も声を出さず、重苦しい空気に包まれる。
窮地だからこそ、何とかしようと乗せられてしまう輩が出るは極めて高そうだ。
えてしてこういう場合は、愛国者ほどやらかしがちだったりする。
「問題は誰が向かったかだ。ルーベンスのはずはない……」
ルーベンスが魔王復活にこだわっているのは見て取れる。
現段階において他の魔人に任せるのは不安で仕方ないだろう。
万全を期す為には自らの手で、と考えていると思ってよい。
とするとゲーリックか、それともメルゲンなる者か。
扇動に適しているとすればそれはゲーリックの方だ。
スキルで近しい者に化けて吹き込めば、絶大な効果が期待出来る。
しかし本当にゲーリックだろうか。
メルゲンという魔人に関する情報がほとんどないのが気にかかった。
どうやら元セラエノ王子ガスタークを魔の道に引き込んだ張本人らしいのだが……調査する時間はない。
ゲーリックより扇動に適しているか、あるいはもっと別の力でルーベンスの計画の助けになるのか。
アステリアが最初に叩くべきだと考えているのはゲーリックである。
潜入工作の類をほぼ一手に引き受けている点から、類似した力を持つ魔人は存在しないと分かる。
「一応聞くが、離れた魔人の名は分からんよな?」
「ハイ。申シ訳アリマせん」
期待していなかったので召喚獣を責める気にはならなかった。
魔人の知覚能力は規格外に近い高さで、迂闊に接近すると簡単に気づかれ始末されてしまう。
故に彼らは大よその動向を把握する事に主眼を置いていたのだ。
責められるべき者がいるとするならば、それはアステリア本人であろう。
彼女はルーベンスがこのような手を打ってくるとは読めなかったのだから。
「誰か死ぬな」
アステリアのつぶやきを聞いた一同は身を硬くする。
「離れた者がゲーリックか、それ以外かで採るべき手段は変わる。私は知らねばならぬ。そしてその為には誰かが死ぬしかあるまい」
主君が言わんとする事を皆が理解した。
魔人の名が分かる程度に近づくという事は、魔人に気づかれる距離まで近づく必要があるという事であり、即ち殺される危険は極めて高いだろう。
そしてマリウスを待っている余裕もない。
単に誰が独立行動をとったのか知るという何でもなさそうな行為だが、極めて危険でしかも価値のある任務となる。
「私が行きましょう」
名乗り出たのはミレーユであった。
「一番成功率が高く、なおかつ生存率が高いのは私かと存じます」
ミレーユの勇気ある申し出に一同は息を呑み、同時に納得も出来た。
魔人の名を告げるという行為ですら困難だが、高位の魔法使いであるミレーユならば期待は持てる。
転移系魔法も使える彼女ならば、他の者よりも生還出来る可能性もある。
「仕方ないな」
アステリアは淡々と決定を下す。
彼女も自分の中では既に答えは出ていたのだ。
「ク、クロちゃんかシロちゃんを護衛に」
アネットが慌てて申し出たが、ミレーユは微笑んで退ける。
「ドラゴンは貴重な戦力だから失う訳にはいかない。それに私の魔力じゃドラゴンを転移させる事も出来ない。陛下、そうですよね?」
「うむ。無駄死にさせるのは嫌いだ」
「そ、そんな……」
アネットは泣き出しそうな顔になり、他の者も黙って唇をかむ。
彼らにとって非常に不本意な展開だし、イグナートも姉を死地に行かせるのは反対ではあるが、誰かがやらねばならない。
「私の命だけですむよう、全力を尽くします」
イザベラからアイテム袋を受け取った後、ミレーユは綺麗な笑顔で皆に別れを告げる。
彼女の実力だと一回のテレポートで稼げる距離は百メートルが限界で、これは魔法使いとしては相当なものだ。
数十キロもの距離を数万人転移させても平然としているマリウスが規格外なのである。
ポーションを定期的に飲みながら、テレポートを繰り返す。
何度ポーションを飲んだか分からなくなった頃、頭痛と眩暈に襲われた。
魔法を使いすぎている疲労によるものだと、ミレーユは知識によって気づく。
これは莫大な魔力の持ち主くらいしか体験出来ない事であり、普通は魔力が切れて虚脱状態になるのが先だ。
(何とか持ちこたえるのよ)
ミレーユは自分を叱咤しながら、魔法を使い続ける。
彼女の任務にホルディア、ひいては大陸の命運がかかっているのだ。
どう変わってくるのかは全く理解出来ないが。
アステリアとは十年近い付き合いになるものの、その考えは分からないところがほとんどだ。
知っている、あるいは気づいているのはイザベラくらいであろう。
それでも構わないとミレーユは思っている。
親族をモンスターに殺され居場所を失くした彼女と弟を拾ってくれたのは、狂人王女と呼ばれていたアステリアだ。
体を売らずに弟を養えたのも、寒空で震える事がなかったのも、弟が軍人としての道を歩めたのも全て主君のおかげなのだ。
ならば命で返すべきではないか。
その思いがミレーユを駆り立てる。
「うっ……」
遂に嘔吐感も覚えた頃、ミレーユはバルシャーク国境に到達する。
正確に言うとホルディア側とバルシャーク側の城砦の中間地点だ。
この地にいるはずの召喚獣からの反応はない……つまり魔人が遠くない位置にいるのだろう。
彼女と違って諜報担当の召喚獣が発見されるのはまずい。
もし魔人が気づかなかった場合、どうやって探そうかと思っていたら目の前の空間が揺れ一人の男が現れ、杞憂だった事を示す。
「こそこそ雑魚どもが見張っていると思いきや……あれは貴様の手下か?」
魔人メルゲンは傲慢な口調で問いかける。
ミレーユとしては何とかして名を言わせるべく知恵を絞らねばならない。
「どうして分かったの?」
直接的に質問で返すと、メルゲンは口を大きく開けて笑った。
「愚か者め。あれだけ流れるように様々なモンスターが、私の周囲を一定の距離を保ってかぎ回り続ける時点で不自然だわ」
つまり諜報としての連携の見事さこそがメルゲンにバレる要因となったのである。
魔人は意外と馬鹿ではないみたいだが、これは人間出身だからだろうか。
とミレーユは懸命に頭を働かせる。
人間出身という事は、この男の名はメルゲンというだろうし、性格や思考についてはある程度こちらの常識に当てはまるはずだ。
「魔人って馬鹿じゃないのね」
「私を侮りすぎたのがお前の愚かさであり、死因だ」
メルゲンは露骨に侮蔑を受かべているが、声に苛立ちが含まれている事をミレーユは感じ取る。
さっさと殺せばいいのにも関わらずこうして問答に応じるところを見ると、ただ単に自信家であるばかりでなく、己の優越性を誇示せずにはいられない性分なのだろう。
とするとやはりメルゲンなのかもしれない。
セラエノ王族だったガスタークと接点があり、実力のある魔法使いであったという事を考えるならば、身分も高かったのだろうし、こんな性格なのもあり得る話だ。
少なくとも全くの的外れという事はないはずだ。
もっともゲーリックがこちらを攪乱する為にそう装っている可能性がないとは言えないのだが……。
「で、あのモンスターどもは貴様の手下か? どこの所属だ?」
再び尋ねられ、ミレーユは純粋に疑問を持った。
「どうしてそんな事を知りたいの? マリウス様の配下だとは思わないの?」
いい加減魔人に脅威として認知されていそうな、怪物的魔法使いの名を出して揺さぶりを試みる。
メルゲンは嫌悪感をはっきりと出したものの、動揺は見せなかった。
「思わんな。あの化け物なら自分で来るか、それともゾフィを寄越すかするはずだろう」
ミレーユはなるほどと頷く。
しかし所属先を知りたがる理由がさっぱり分からない。
「私こそあなたの名を知りたいわ。最強の魔人、ルーベンスでいいのかしら?」
わざとありえない名を持ち出す。
目の前の男の性格ならば、憤って名を明かしてくる可能性はある。
「ふん、私はメルゲン。魔人で最も偉大な者だ」
胸を張って高らかに誇示してきて、ミレーユは狙いが当たったのにげんなりとさせられた。
これだけ馬鹿だと張り合いがない……と思いかけて演技ではないとは限らないと思い直す。
そう言えばどうやって真贋を見分ければいいのだろうか、と凄く今更な事にミレーユは気づいてしまう。
(へ、陛下の事だから私の殺され方から推理するとか……)
実にありえそうな事である。
アステリアはそういう一面がある事は、誰も否定出来ないに違いない。
「まあ答えたくないならそれでも構わんさ。死体に訊くからな」
メルゲンは残虐な笑みを浮かべる。
魔人やモンスターの多くは、人類のそれも若い女性を嬲ったり弄んだりする事を好む種が多いという事をミレーユは思い起さずにはいられなかった。
「モンスターテイマー」とも呼ばれる人々の地位が低いのは、このモンスターの性質が大きい。
「モンスターテイム」では完全な管理が出来ないのは、ドラゴンと遭遇した
だけでヴェスターの翼竜兵団が崩壊した事からもうかがえるので、尚更であろう。
召喚術の方はモンスターを支配していると認識されていて、実際主人の為に己より強い存在に立ち向かう例が幾つもあるので一定の需要と地位はあるのだが。
「ただではやられないわよ」
ミレーユは決死の覚悟を露わに臨戦態勢に移る。
そんな彼女の全身を欲望丸出しの目で舐め回し、メルゲンは評する。
「ふん。やや年増っぽいが、この際贅沢は慎むべきだな」
女の敵である事が確定した言葉にミレーユは、携帯していたマジックアイテムに魔力を送り「メルゲンの可能性高し」と念じた。
ゲーリックは情報が多いが、女性を襲ったという報告はない為である。
演技ではオスの下品な欲望をむき出しにしたあの目は出来ないと判断したのだ。
彼女が使ったのはイザベラが開発した「どこでも念話」というアイテムで、魔法を使えない者同士でも「テレパス」を使用したのと同じ事が出来る代物だ。
そんなミレーユに対し、メルゲンはこの時ようやく怪訝そうな顔になる。
「魔法、か? 何の為だ? 軍でも呼ぶのか?」
無駄な事をという嘲弄が目に浮かんでいるが、ミレーユは気にしない。
力の差を考えれば当然だし、マリウスを呼んだという発想をしなかった時点で、この男の事を買い被りすぎていたのだと分かる。
「口を割らせてみればどうかしら? お馬鹿さん」
ミレーユのあけすけな挑発にメルゲンは嬉しそうに笑う。
「お前みたいな女を泣き叫ぶまで責めぬくのが私の楽しみだ。秒殺だけは勘弁してくれよ?」
「勝ってからほざけ、変態」
ミレーユは精いっぱい睨みつける。
「はっ、その意気だ。【ラーヴァフロー】」
「【ディザスター】」
溶岩と漆黒の弾丸のぶつかり合いは刹那で終わり、漆黒の弾丸が一方的に打ち消される。
そしてそのままミレーユを襲うが、予想していた彼女はワープで回避する。
「うっ……」
だが完全には回避出来ず、肩の一部に大きな火傷を負う。
魔法をぶつけて多少は威力を削いだし、おまけに掠っただけなのにこれほどの威力。
戦慄するミレーユを楽しそうにメルゲンは眺める。
気丈な女が顔を歪め、次第に絶望していく様子を想像するだけで堪らない。
「ではそろそろ殺しにかかろう。ちゃんと泣き叫べよ?」
メルゲンはわざとゆっくり杖を構えた時、空間が揺れるのを察知した。
怪訝に思いそちらに視線を走らせると黒いドラゴンと白いドラゴンが出現していて、それを見たミレーユがあんぐりと口を開けている。
「ど、どうして……」
「ドラゴン如きが私に歯向かう気か?」
メルゲンは嘲弄し、「エクスハラティオ」を唱える。
赤い炎が周囲を覆い尽くしかけた瞬間、白いドラゴンが氷のブレスで迎え撃つ
ミレーユやドラゴンを焼こうとしていた炎は、氷に相殺されてしまった。
「な、何だと」
ドラゴンは種族としては魔人の下に位置づけられるが、一部強力な個体は魔人にも匹敵する強さを持つ。
その事を思い出した時には遅かった。
黒いドラゴンの灼熱のブレスがメルゲンを目がけて放たれる。
「【ディメンションシールド】」
空間操作して築き上げられる防御結界は、軋みながらも数秒炎を防いでいたが、やがて音を立てて砕け散った。
回避が間に合わず炎にメルゲンの体は飲まれる。
されど最強の防御魔法で減殺されたせいで、さほどのダメージは受けない。
屈辱に燃えたところに白いドラゴンが追撃で氷のブレスを吐く。
「舐めるな、【ディメンションシールド】【リフレイン】」
今度は二重に結界を張り、見事に氷のブレスを防ぎきる。
ところが今度はブレスに耐えきったところに黒いドラゴンが、尻尾を叩きつけたのである。
結界が消えた瞬間を狙って繰り出された一撃をメルゲンはまともに食らってしまう。
吹き飛ばされ地面を転がる魔人に、夫婦ドラゴンは仲よくブレスを浴びせる。
彼らがカップルドラゴン、あるいは夫婦ドラゴンと呼ばれる一番の理由は、今回のように同時にブレスを撃っても打ち消しあう事がないからだ。
理由は解明されていないが、氷と炎はお互いに干渉せず仲よく狙った獲物を蹂躙する。
炎と氷が消え去った時、メルゲンの体は消滅していた。
「あ、あの、ミレーユさん」
まだ硬直しているミレーユに、一人の女が恐る恐る話しかける。
ドラゴン達と一緒に転移してきたアネットである。
「えっと、敵を騙すにはまず味方から。ミレーユさんの覚悟を見れば、魔人も騙せるって、その陛下が」
アネットの説明が次第に浸透していき、ミレーユはやがて理解と怒りを表情に浮かべる。
「やられた……」
あの女、という言葉は辛うじて飲み込む。
確かにメルゲンはミレーユの決意を見て、決死の単騎突撃だと勘違いしたのだ。
時間差でアネット達は追いかけてきたのだろう。
恐らくイザベラが開発した「アタッチ」と同じ効果を持つアイテム、「逃がさないくん」を使って。
下級魔人一体が相手ならば、夫婦ドラゴン二体でかかれば勝ち目はある。
問題はそれをするべきかという点で、アステリアは否定してみせた。
今にして思えば、魔人を仕留める確率を少しでも上げる作戦だったのだろう。
何故気づかなかったのか……ミレーユは悔しさの余り己を罵った。
もっとも理由は単純で、アステリアが放つ独特の空気のせいであろう。
(きっと陛下はしてやったりだと思っているに違いないわ)
その予想が正しかったと帰還する際に判明した。
アネットと共に帰還すると女王は出迎え、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべながら曰く。
「無駄死にさせるのは嫌いだと言っただろう?」
ミレーユは頭の中で主君にありったけの魔法を叩き込み、黙って一礼し報告をする。
「なるほど……しかし妙だな。ずいぶんあっさり倒せたものだ」
アステリアは首をかしげ、周囲の困惑を誘った。
臣下達は想定外の反応についていけない。
「クロとシロは下級魔人になら勝ててもおかしくない程度には強いはずです。それが二体同時で戦ったのですから、むしろ負ける方がおかしいのでは?」
バネッサの発言に一同は頷いたが、女王は納得しなかった。
「それでは腑に落ちぬ点がある……例えばミレーユが誰の命令で動いていたのか、魔人が気にするものか? マリウスの仲間かどうか気にするならば理解出来るが」
その言葉に皆は互いの顔を見合わせる。
「言われてみれば……」
「何故そんな些事を気にしたのでしょうか」
アステリアは舌打ちをする。
「どうやら何かを見落としているようだな……しかし、それを考えている暇はない」
ルーベンスともう一人の魔人……ゲーリックはヴァユタの森の間近まで来ている。
臣下達の表情は引き締まった。
「マリウスが間に合うか分からん以上、最悪を想定して動くぞ」
女王の命令に全員がうやうやしく首を垂れる。
西方での決戦が始まろうとしていた。




