十話「攻防戦2」
バーラはボルトナーのウプサラ城で待ち受けていたボルトナー軍と合流した。
「おおバーラ殿ようこそ」
全身を甲冑で固めたボルトナー王アウグスト三世が破顔して出迎えた。
「陛下御自らのお出迎え、恐縮ですわ」
「何のこちらこそ娘が大変お世話になりまして……」
といった会話が続きそうになったのをバーラは慌てて修正した。
「それで敵はどうでしょう?」
ボルトナー王の表情は一転して引き締まる。
「うむ、悠々とこちらに向かってきております。恐らくこちらをじわじわと恐怖で押し潰すつもりなのでしょう」
人間の苦痛を好む魔人ならばやりかねない。
人を嬲り辱め悦に浸る、残忍な性癖を持つ者は多いと知られている。
魔と人が相容れぬ、大きな要因の一つであった。
「ところでバーラ殿、どういった作戦なのですかな? こちらでは突撃するか、慎重に突撃するか、全力で突撃するか議論が起こっておりましてな」
バーラは立ち眩みに襲われたが、それどころではないと己に言い聞かせ質問する事にした。
マリウスが上級魔人を撃破して駆けつけるという、ボルトナー人の気質に反した作戦を受け入れてもらわなければならなかった。
「どの案が一番優勢なのですか?」
一番有力な案の提唱者を説き伏せようという魂胆からである。
ボルトナー人集団を説得するには、一番発言力ある者から狙っていくのが定番だった。
「余の案ですな。魔人相手だから、臨機応変に突撃しようと」
「まず突撃から離れて下さい」
早くも疲労を覚えつつ、バーラはきちんと突っ込みを入れた。
ボルトナー軍の突撃力は大陸の中でも屈指だが、アンデッドを中心に構成された魔軍に通じるか不安なところがある。
好きにさせていてはマリウスが来る前に全滅しかねない。
「指揮はどなたが執るのですか?」
バーラが問いかけるとボルトナー王が手を挙げた。
いつの間にか側に来ていたモルト侯爵が縋るような目でバーラを見る。
「私は反対したのです。お止め頂けませんか?」
「……無理でしょうね」
モルトの気持ちは痛い程分かるバーラだったが、この場合は難しかった。
バーラの問いかけは確認する意味合いが強かったのだ。
一国の王に臣下でしかない者が命令を出すという事は出来ない。
ましてバーラもいるので、指揮を執るのであれば王族が適任だろうが、この場にいる王族はアウグスト三世とバーラのみである。
そして大激戦が予想される今回の戦いで、人類最強クラスである二人を抜きでという訳にはいかない。
つまりどちらかがやるしかないのだが、バーラは盗賊やモンスター相手の小規模な戦いは豊富でも今回のような大きな戦争は初めてである。
全軍の指揮権を預けるには不安が大きすぎるし、バーラも自覚しているので求めたりしなかった。
要は消去法でアウグスト三世となるわけだが、これはこれで問題がある。
魔人レーベラが出てきた際、迎え撃つのはアウグスト三世とバーラという事になり、統率者が不在となりかねない。
問題だらけの編成と言えるのだが、そもそも国王や王女が人類最強クラスという時点で既に問題である。
強敵は全部マリウスに丸投げという点も問題なのだが、言っても詮なき事なのでバーラは別の事を口にした。
「陛下が指揮をお執りになれない時はどうするか、決めておいた方がよいと思いますけど」
ゾフィが言うにはレーベラは短気で好戦的だから、間違いなく前線に出てくるだろう。
魔人と戦いながら味方を指揮する余裕があるのは、それこそマリウスくらいのものだとバーラは思う。
バーラの発言を聞き入れ、有事の際は将軍級の者達がそれぞれの傘下を指揮する事になった。
「来ました! 敵です!」
砦の上から兵の一人が大声で叫ぶ。
折よく攻めてきたと言うより、人間を舐めきって悠々と行軍してきたのがたまたま時期が符合しただけだろう。
「さて野郎ども。生き残って祝杯を上げるぞ!」
王にしては乱雑すぎる発破に兵士は雄叫びで応えた。
バーラは「兵士が発奮するなら何でもいいや」と無視した。
大切なのは形式ではなく勝利という結果で、ここでまぜっかえしても野暮なだけであろうから。
アンデッド兵は城壁に取り付き、火矢や神聖魔法の餌食となっていた。
「迷いに囚われし魂よ、導きの光に従いあるべき姿へ還れ【イクソシズム】」
バーラの玲瓏たる声が響き、清浄な光の奔流がアンデッドに襲いかかる。
光系の象徴の一つであるアンデッド浄化の魔法である。
攻撃力がない代わりに対アンデッドに関しては、ほぼ無敵とも言える効力を持っていた。
もっとも一人で複数のアンデッドを浄化しているのはバーラのみで、他の魔法使い達は集団で打ち込んでいる。
バーラと同じ真似が出来るレベルの魔法使いは今ここにいない。
「ヘタクソすぎるな」
出番のないボルトナー王は呆れ半分、不満半分で舌打ちをした。
物量攻撃をしかけて魔法使い達の消耗を強いる作戦なのかもしれないが、いくらなんでもお粗末すぎる。
いくら数がいても単調で動きの速くないアンデッドでは、城攻めに向いているとは言えない。
不満半分なのはそれでも少なくはない被害が出始めているからで、数の暴力というものを改めて認識させられる。
とは言え、あっという間にベルガンダを滅ぼした力はないように思えた。
(短期間でベルガンダがやられたのはやっぱ魔人の戦闘力か……?)
あまりの進撃の速さに人間の戦争に精通した者が混ざっているのでは、という疑問が上がっていたのだが、杞憂だったのかもしれない。
ゾフィ曰く「魔人は人間を舐めきっている」だから、出し惜しみしている、あるいは小手調べのつもりで温存している可能性もあるのだが。
戦争の基本の一つに無駄な兵力、遊兵を作らない事がある。
しかし魔法兵が組み込まれている場合は、魔法兵を程よく休ませてやる必要がある。
誰だってマリウスやバーラのように、広範囲殲滅魔法を連発出来るわけではないのだ。
魔法兵として最低限の力の者達にあわせた運用をしなければならない。
彼らの特別扱いするだけの価値はある。
全兵種の中で最大の火力を誇るのが魔法兵なのだ。
「【イクソシズム】」
ゾンビ達は次々と浄化されて空白地帯が生まれ、すぐに埋め尽くされる。
今の状況は決して悪くはない、このままマリウスが戻ってきてくれれば。
バーラのそんな願いを嘲笑うかのように突如として轟音が起こり、一つの城門が粉々に砕け散る。
あまつさえ城壁にはいくつものヒビが生じ、城壁の上にいた兵士達は外へ転落してアンデッドの波に飲み込まれてしまった。
単に城門を破壊するだけならばトロルやオークでもあるいは可能だろう。
しかし、城壁にひびを入れる程の破壊力を生み出せる存在は一種類のみ。
「調子こくなよ、人間どもがぁ!」
魔人レーベラである。
「予とバーラ姫、アルで迎え撃つ。後は任せた」
アウグスト三世の決断は早く、城壁の上から飛び降り見事に着地を決めた。
バーラもそれに続いたが、こちらは浮遊魔法を使っている。
本当にボルトナー王は強化魔法を使っていないのか、と内心驚愕しながら。
好色そうな視線を向けてくるレーベラを睨みつける。
「へぇ、勇ましい女がいるなぁ」
その視線と声に含まれているものは、男ですら不快感を煽られた。
アウグスト三世にはさりげなく無視されたという思いもある。
「我こそはボルトナー王、アウグスト。魔人よ、お前を殺す者だ」
堂々とした名乗りにレーベラは初めて興味をバーラから移した。
「へえ。人間は王をぶち殺せば崩壊するんだよな? じゃあてめえをぶち殺せば終わりって事だな!」
レーベラが大剣で殴りつけた。
アウグスト三世が持っていた槍で受けるが、凄まじい衝撃で後ずさりさせられる。
両手が痺れたものの、他にダメージはなかった。
これはボルトナー人の頑強な肉体のおかげではなく、バーラが強化魔法をかけるのに間に合ったからだ。
そしてその事をレーベラはすぐ見抜いた。
「お? 強力な魔法使いちゃんじゃねえか? ちっとは楽しめるかな?」
レーベラは舌なめずりをしながら大剣を構え直す。
やっと痺れが取れたアウグスト三世は、バーラを庇うような位置に移動する。
レーベラがニヤリと笑い大剣を振りかぶった時、その影から飛び出したアルの蹴りが後頭部を直撃した。
前につんのめりながら後ろを見たレーベラは、襲撃者を見て怒気を発する。
「てめえ、アル! 裏切り者が!」
「隙だらけだよ、レーベラ」
魔人の怒気をまともに浴びながら、アルは平然と嘲笑した。
それを見てレーベラは更に怒気を強める。
「調子にのんな、下僕風情が!」
大剣を振りかぶろうとして、奇妙な快感が電流となって全身を駆け巡り、ふらついた。
淫魔の得意技、魅了系攻撃だとレーベラは勘づきする抵抗。
その隙にアウグスト三世とバーラはそれぞれ大技を準備していた。
「……全ての存在を潰滅させよ【ラーヴァフロー】」
六つの溶岩の塊が出現し、弾丸となってレーベラに直撃する。
バーラの得意の三級魔法だ。
「ぐっ、やってくれんじゃねぇか、カスどもが!」
全てをまともに食らったというのに、レーベラは怯むどころか怒りの咆哮を上げる。
皮膚や鎧にところどころダメージらしきものが見受けられるので、無傷というわけではなかったようだ。
ボルトナー方面の主力戦は始まったばかりである。
セラエノのアパラチア砦では魔軍が既に侵攻を始めていて、セラエノ軍が優勢に立っている。
他のところで他の者が指摘したように、魔軍は城攻めがヘタクソのようだ。
でなければ被害はもっと増えているだろ。
「飛行モンスターが上から、トロル達が城門を同時に攻撃してきたらやばいんだけどな」
セラエノの若き将、ガイはそうごちた。
一応対空攻撃も可能ではあると言え、複数の方向全て注意せざるをえない状況になると神経が削り取られる。
「【イクソシズム】」
セラエノ兵は驚くべき事に戦いながら浄化魔法を使っていた。
全員が鍛え抜かれた魔法戦士……それこそがセラエノ軍が大陸最強と謳われる所以だった。
魔法も肉弾戦も出来る、という者は大陸を探せば意外と多い。
しかし戦争の真っ只中で肉弾戦をしつつ、魔法も適切に使うというのは並大抵では出来ないのだ。
「ふむ、持久戦覚悟かな」
魔法兵の総大将であるヘムルートは魔軍の狙いを見抜こうとしていた。
魔法兵の火力は全兵種で随一だが、消耗の速さも一、二を争う。
魔力がいくらでも湧いてくるというのはごく僅かの超一流魔法使いくらいで、一般の魔法兵は適度に休まねばならないのである。
通常の場合なら兵を巧みに運用し、魔法兵を順番に休ませてやるのが将の腕の見せ所の一つなのだが、セラエノの場合は全員が魔法戦士だ。
魔法兵よりも長めに休ませてやらないといけない。
しかし現状ではそれでも問題ない程の余裕があった。
前進と噛みつき、ひっかきくらいしか出来ないゾンビと、鍛え上げられているセラエノ軍では勝負になっていなかった。
ただ、さすがに負傷者なしというわけにもいかなかったが、それは折を見て治癒魔法をかけてやればよい。
問題は魔人が出てきた場合だろう。
エルという淫魔娘が加勢で寄越されたのだが、どこまで戦えるのか。
ヘムルート本人に大将軍ボラエス、エルという人類最強クラスが三人いるのだが、敵の強さ次第では心許ない。
(それにしてもガスタークか……)
決して珍しい名前ではないが、セラエノ人ならば顔をしかめる者が少なくない名前でもある。
追放されて死んだ現国王デレクの兄もガスタークといったのだから。
「ヘムルート様!」
兵士に呼びかけられ、その方向を振り向く。
勇敢なセラエノ兵がやや青ざめ、指で空をさしていた。
そちらを見るとボロボロのローブをまとった影が空に浮かんでいる。
「魔人か」
お粗末な戦い方の割に状況判断は悪くないな、と思った。
それとも単にしびれを切らしただけなのか。
「お前達の狙い通りにはいかん。潔く去れい!」
大将軍にしてこの砦の総大将であるボラエスの声が響く。
兵士達が次々に唱和する。
さすがに大将軍と言うべきで、ヘムルートが真似してもこうはならない。
それを打ち砕くような、低く不気味な笑い声が沸き起こる。
「相変わらずの勇ましさよな、ボラエス」
ローブをまとった魔人はフードを取った。
その顔を見た時、全てのセラエノ兵が硬直してしまった。
致命的な隙になるはずだったが、魔軍の方も進軍を止めていたので大事には至らなかった。
「あ、あ、あ……」
セラエノの大将軍とあろう者がとっさに声を出せず、無様に喘いでいる。
ヘムルートも注意するどころか、心の底から共感出来た。
フードの下にあったのはデレク王に似た若い男の顔、死んだはずのガスターク王子の顔そのものだった。
「し、死んだはずでは……」
ヘムルートが辛うじて声を出す。
死体こそ発見されなかったが、魔法を封じられた状態で崖から落ちたのである。
おまけに下はモンスター達の巣窟だった。
死体が発見される方がおかしいと結論づけられ、皆が深くは考えなかった。
それこそが誤りだったとようやく判明したのである。
「確かに死にかけた。だが、偶然通りがかったルーベンス様に助けられ、俺は魔人となったのだ」
ざわめきが起こる。
「我は魔人ガスターク。貴様らを皆殺しにする為にやってきた」
ガスタークは憎悪をむき出しにし、高らかに宣言した。
「魔に魂を売ったのか!? セラエノ王族の誇りはないのか!?」
ボラエスの叫びに冷笑で応える。
「あるとも。これは俺の誇りを取り戻す戦い。貴様らを皆殺しにし、大陸を制覇し、ガスターク・セラエノの名を歴史に刻みこんでやるわ!」
ヘムルートは一瞬、その為に魔人を利用したのかと思ったが、すぐに打ち消した。
そうならば「ルーベンス様」などと呼んだりはしないだろう。
(ガスタークが生きていたという事は……まさかメルゲンも?)
次にヘムルートが思い至ったのはその点だった。
実の兄弟ではなく、契りを交わした義理の兄弟である。
されどガスタークに味方した事を咎められた為、自害して家に火を放った。
それがセラエノに伝わる「事実」だったのだ。
もっともセラエノ王家がメルゲンを追及したのはガスタークに加担したからではなく、ガスタークによからぬ事を吹き込み利用しようとした真の悪と見なしていたからだ。
「貴様らはゾンビどもに嬲り殺しにされるがいい!」
ガスタークが手を振ると、再び魔軍は進撃を始める。
自分で戦うつもりはないのか、本人は後ろの方へと下がっていく。
「洒落にならない事態になってきやがった」
ガイのつぶやきは誰にも響かず消えた。
ヘムルートが思い至った事に皆が気づいたのだ。
ガスタークが攻めてこないのを見て取ったエルは人類軍の援護に回る事にする。
さすがにゾンビ兵が蠢く後方に独りで突撃する気にはなれなかった。




