八話「反撃へ2」
本国からせっつかれた連合軍はため息をつきながら、全ての戦力を集結させてホルディア王都の攻略を目指す事にした。
合流場所はカッツィー平原である。
三カ国からそれぞれ援軍が到着し、八十万を超す大軍勢にまで膨れ上がったのだ。
これを一箇所に集める事が出来る場所は、近くには他になかったのである。
「さすがに壮観だな!」
無邪気に喜んでいるのは事の重大性を理解しておらず、教えてももらえないバルシャーク軍の飾りの大将、レミールであった。
副将のチャンドラー、ヴェスターの大将ランドル、ミスラの大将ガレスの顔色はあまりよくない。
ベルガンダの悲劇を知り、大恥をかかされたという気持ちがあった。
魔人が人類に攻撃を仕掛けてきたというのに、自分達は何をしているのかという想いがあった。
どうせ戦うなら人類の命運を背負って魔軍と……それが武人の本懐というものだ。
一刻も早くこの戦いを終わらせ、加勢に行きたいと思っていた。
この期に及んで侵略を続けるなど、さぞ外国からの批判が激しいだろう。
それを減らすには自分達が働いて認められるしかない。
チャンドラーやガレスは悲痛なまでの覚悟を決めていた。
「ゆくぞ! いざ決戦!」
八十五万の大兵力は雄たけびを上げ、ホルディアの王都を目指す。
ガレス、チャンドラー、ランドルは調査を進め、ホルディアの戦力が五十万程度で、王都には二十万程度しかいない事を割り出すのに成功した。
彼らもその配下も決して無能ではなかったのである。
ホルディアの防諜能力は素晴らしくて苦戦したが、それだけにその価値は大きかった。
王都ホルディアスは城壁こそ高めだが要害ではない。
建国以来、貴族の専横はあっても内乱はなかった為、要害化される事はなかったのである。
立てこもるのが二十万ならば、八十五万で勝算はある。
ヴェスターの翼竜兵団がいるのだから尚更だ。
この時、彼らは間違っていたと言えば酷になるかもしれない。
何度も間諜を放って念入りに情報を集め、慎重な行軍を続けていた。
彼らが責められる点があるとするならば、そこまで慎重になっていたのに「何故夫婦ドラゴンの噂を聞かなくなっていたのか」考えなかったという点だった。
ホルディア軍はアステリアを大将にし、十万の兵で城壁の外に討って出た。
それを知った連合軍は疑問符が脳を埋め尽くし、半ば反射的に行軍速度が緩やかになった。
「どういうつもりだろうな?」
ランドルの問いかけにチャンドラーが答えた。
「我々の勢いを削ぎに来たのではないか? 勢いを持って攻めかかるのと、勢いが死んだ状態で攻めかかるのは違うからな」
「でもたったの十万だぞ?」
八倍の兵力差で何が出来るというのだろう。
篭城戦ならば戦い方次第であるいは埋められるかもしれないが、野戦では兵力がものを言う。
全員がボルトナーの精兵でも困難な状況であろう。
「バリスタでも撃ってくるのかな?」
ガレスが言ったが、これはもちろん冗談であった。
バリスタが二、三台あっても覆せぬ兵力差なのだ、何よりバリスタはもうフィラートくらいにしか残っていないはずだ。
かつてあった魔王ザガンの猛威にはバリスタも無力だった。
連合軍がよせばいいのに行軍速度を落として迎撃準備を整えていた頃、ホルディア軍十万は約一キロほど手前で停止した。
「では始めようか、アネット!」
「は、はい」
アステリアに名を呼ばれ、おたおたと前に出たのは魔演祭でも駆り出された侍女アネットである。
「契りを交わした盟友達よ、今こそ誓いの刃と楯になり、我が敵を退けよ【サモン・サーヴァント】」
アネットが使ったのは召喚術であり、詠唱が終えると彼女の召喚獣達が姿を現した。
一頭は黒く煌く鱗に赤い瞳を持つドラゴン。
もう一頭は白く輝く鱗に緑色の瞳を持つドラゴン。
人呼んでアミダール山の夫婦ドラゴンだった。
「グオオオオオオオオオオオオオオ!」
地上の生命が命を諦める、咆哮を上げる。
想像を絶する展開に連合軍側の人間どもの時は止まり、血肉の通った生き物ではなく彫像と化したようであった。
最初に反応したのはヴェスターの翼竜兵団、正確には人間が騎乗しているワイバーン、そして騎兵の馬達だった。
絶対上位種の咆哮を聞いた下級種は大恐慌状態になり、逃げ出し始めたのだ。
人間は慌てて制止しようとするが受け付けない。
馬は臆病な生き物でドラゴンに立ち向かうなど不可能だったし、ワイバーンにしても知能があっても恐怖を抑え、強敵に挑む勇気はない。
百万超の大軍で挑めば、ドラゴンと言えどもたった二頭ならば勝ち目はあると人は思えても、人ならぬ者には分からない。
収拾がつかぬ愚か者どもの群れに夫婦ドラゴンは挨拶代わりにブレスを放つ。
ドラゴンの代名詞の一つが、一発で圧倒的多数を蹴散らすブレスである。
黒いドラゴンが放った灼熱のブレスで前方の軍兵数万が蒸発し、数万が大火傷で致命傷を負い、数万が重症を負った。
白いドラゴンが放った氷のブレスで後方の軍兵数万が氷像と化し、数万が命に関わる凍傷を負い、数万が戦闘不能に陥った。
一発ずつだけで三十万強を戦闘不能に追いやったのが、ドラゴンのブレスの恐ろしさだった。
人類で討伐は困難だとバリスタが開発されたのは無理からぬ、と味方されているはずのホルディア軍ですら思った。
彼らはアステリアの命令された時、死を覚悟して戦場に赴いたのだ。
ところが蓋を開けてみれば、戦う必要すらなさそうだった。
ドラゴンは個体によっては魔人にも匹敵する強さを持つ、というのも決して誇張ではなさそうである。
女王の侍女が召喚した黒と白のドラゴンが大暴れで、連合軍を一方的に殺しまくっている。
連合軍は逃げ惑っているのだが、如何せんドラゴン相手では逃げる事すら絶望的に困難のようであった。
黒と白のドラゴンが三発ずつブレスを放ち終わった時、連合軍側で動く者は既にいなくなっていた。
チャンドラー、ガレスは戦う事なく屍となった。
ホルディアに攻め込んだミスラ、バルシャーク、ヴェスターの連合軍は総兵力の大半と、それらを数ヶ月食わせるだけの兵糧を失った。
ホルディアの者にしてみれば「何だったのか一体」となる。
アステリアが「策ではない」と言った理由はよく分かった。
策も戦術も何もあったものではない。
単に召喚獣を召喚し、敵を蹴散らしただけの話である。
しかしドラゴンを擁しているのならば、何故もっと早く出撃させなかったのか。
民に被害は出ていないが、難民となり長い距離の移動をさせたのは何故なのか。
そう思っているとアステリアはアネットに何事か命じ、アネットがドラゴン達に呼びかける。
黒いドラゴンが地上に降り立ち、炎を吐く。
すると凍結していた兵糧が溶けはじめた。
「回収しろ」
アステリアは率いていた十万の兵に命令する。
疑問に答えたのはアステリア本人だった。
最初から十万の兵には兵糧を回収させるつもりでいたのだ。
「意外と多く残ったな」
アステリアは計算違いをしていた。
兵糧をドラゴンのブレスで解凍する際、ある程度損失すると見ていたのだが、実際はほとんどが無事であった。
これならば後五、六万は連れて出るべきだっただろう。
使者を王都に出し、兵糧の回収を手伝うように命じた。
やがて仕事を終えて帰還したアステリアは、唖然して出迎えた臣下や民衆に説明する。
「魔人が攻めて来ているというのに、侵略を止めぬ奴らを信用出来るはずもないからな。後顧の憂いを断つ為、一挙に潰す必要があったのだ」
要するに国家として信用が出来ないヴェスター、ミスラ、バルシャークがしばらくの間、ホルディアを攻められないようにする必要があったというわけだ。
そうでなければ魔人達と戦う事もままならないというのがアステリアの言い分である。
完全な責任転嫁だったが、三カ国の愚かさはもう皆が知っていて、アステリアはよく見抜いていたという雰囲気が出来た。
圧倒的な戦果に加え、自分達に被害らしい被害が出なかった事もあり、民兵は素直にアステリアの主張を信じた。
「そう言えばあいつら、確かにすぐに引き上げなかったしな」
「俺ら民衆を守って下さったし、やっぱりあいつらが悪いのさ」
ホルディアの民はそう言って頷きあい、アステリアの偉大さを称えた。
将や高官達はさすがにそんな単純ではなく、「無茶苦茶言ってやがる」と思ったのだが、結果を出したので文句は言いにくい。
「お前達も知らなかったからこそ、敵も引っかかったのだ」
そう言われてとっさに反論は出来なかった。
いや、反論自体はいくつも思いついたのだが、再反論を封じる事が出来そうなものはひねり出せなかったのだ。
アステリアは更に驚くべき事を告げた。
「東方にて魔軍数百万が確認された。我が国は東へ救援を送る」
魔軍、の名に人々は声を失い、気の弱い者は失神した。
「わ、我が国は復興があります。余力などありましょうか」
誰かが上ずった声を出した。
被害は軽微とは言え、北方面の民衆は皆住居を捨てて移動したのだ。
アステリアは淡々と答える。
「我慢してもらわねばならん。東が敗れれば、少なくともこの大陸は終わる」
その言が誇張ではないと、過去の歴史が証明している。
だから誰もこれ以上異見はしなかった。
「二十万の兵と兵糧を送ろう」
このうち兵糧は三カ国のものを使う。
要は人の兵糧で戦争をしようというのだ。
誰かが言った。
何故ドラゴンを差し向けないのか、と。
「この国にも魔人は向かっているようだ。迎撃するには戦力が必要だ」
そう言うと、援軍の大将ゼツーラにこの点を伝え忘れぬよう念押しをした。
出来ればマリウスに来てもらいたい、とも。
アステリアはデカラビア復活を阻止出来なかった場合に備え、エラバム森の周辺の人民を避難させる手配をした。
納得出来なかったのは三カ国連合である。
下心はあったにせよ、元々はホルディアが働いた不義を誅する為の出兵でもあったはずだ。
されどそれは置かれた情勢が文句を許さなかった。
ベルガンダの悲劇が知れ、人類の危機が判明したというのに救援を差し伸べなかった。
避けるべき戦いを避けず、数十万の兵と兵糧を失ってしまった。
特にチャンドラーやガレスを失ったのは計り知れない損失である。
三カ国の言い分は「今やるべきだったのか?」の一言で退けられてしまう。
民は声高に政府を批判したが、当たり前の事である。
親兄弟、友達、恋人を失った者が大量に出たし、戦費に投資した資金も回収出来る見込みはなくなってしまい、破産の危機に直面する者も多い。
おまけに東方へ救援を拒否し、信頼を壊したという問題もある。
連合首脳が見ていた甘い夢は砕け散り、奈落の底が口を開けていた。
西で決着がついた頃、東ではフィラート軍とガリウス軍をどこにどう配置するかランレオの王宮で議論されていた。
ベルガンダの悲劇が伝わり、誰もが声を失っていた。
否、ゾフィらは例外だったが、マリウスの心情を察して沈黙を守っていた。
ボルトナーとセラエノには、直接国境砦に援軍を送ると通達し、了承を得た。
普通ならば領土侵犯と見なされる違法行為だが、法にこだわっている場合ではない事は誰もが承知していた。
マリウスに関してはとにかく魔人を優先的に撃破してもらう、という事で満場一致だった。
「ネクロマンシーを使っているのは恐らくガスタークかメルゲンだろう。フランクリンも魔法は得意だが、攻撃魔法が専門のはずだ」
というのがゾフィの情報であり、人類はありがたく共有する事にした。
他にも魔人達の情報は伝えられる。
「ガスターク……?」
ランレオ王ヘンリー四世とフィリップが首をかしげた。
どこかで聞いた事がある名前だったが、急には出てこなかった。
「ガスタークを倒せばアンデッド軍は崩壊か。魔人を倒せば指揮系統が消滅する点は同じのようだが、大違いだな」
会議の為にやってきたフィラート王ベルンハルト三世の言葉に一同は頷く。
アンデッド兵の数は間諜が把握しているだけで三百万を超えるという。
さすがに一度に戦える場所などないのだが、心理的圧迫を受けるには充分すぎる。
出来ればマリウスに倒してほしいというのが皆の本心だったが、生憎とマリウスには上級魔人という敵がいる。
「アルベルトとフランクリンの力は凄まじいです。ご主人様が戦わないと、恐らく簡単に人類の軍勢は全滅させられます」
ゾフィが真摯に忠告し、アルとエルも神妙に頷く。
対外的に三人の淫魔娘達は、たまたま魔人に詳しいという事になっていた。
素直に納得したのはボルトナー王くらいのものだったが、今は彼女らの背景を探っている場合ではなかった。
情報を整理する。
五人の魔人とその配下の数百万の魔軍は三つに別れ、それぞれボルトナー、ランレオ、セラエノを目指して進撃している。
ボルトナー方面はレーベラ、ランレオ方面はパル、アルベルト、フランクリン、セラエノ方面にガスタークという振り分けのようである。
人類にとって最悪なのは、ネクロマンシーを使うガスタークが下級魔人という点だった。
上級魔人であればマリウスが撃破すればすむ問題なのだ。
必然的にマリウスがランレオの砦に向かう事になり、ゾフィはパルとの戦いを望んで受け入れられた。
アルとエルが当然といった表情をしている事から、少なくとも二人が歯が立つ相手ではなさそうだ、とマリウスは見当をつけた。
この二人で厳しいとなると、バーラやボルトナー王を筆頭とする人類最強クラスでも難しいかもしれない。
「アルとエルは皆に加勢な」
マリウスに命令を出された召喚獣達はこくりと頷いた。
本音を言えばマリウスと一緒に戦いたいのだが、やむを得ないところである。
下級魔人ならばいざ知らず、上級魔人が相手となると足手まといになってしまいかねないのだ。
大好きなご主人様の足を引っ張るなど真っ平ごめん、というのが三人の淫魔娘の相互認識である。
残りのメンバーはどうするかという点だが、出来ればボルトナー方面とセラエノ方面にも人類最強クラスを配置したいところであった。
セラエノに関してはヘムルート達がいるし、騎士達の精鋭揃いという事でバーラがボルトナー方面に回された。
魔法の類が苦手なボルトナーを支援する為には、優れた魔法使いが必要というのもあった。
「マリウス様がいらっしゃるまで持ちこたえてみせます」
大がかりな戦争は初めてのはずのバーラは気負わず冷静にそう述べ、周囲は密かに評価を上げていた。
彼女が普段通りにふるまえるのであれば、兵士達もきっと落ち着くだろう。
セラエノは強兵の国だが動員可能兵力は少ないので、回復や補助に長けた者を選抜して送る事になった。
マリウスはボルトナーとセラエノの国境砦に行った事のある者の記憶をこっそり読み取った。
そして援軍として送り込まれる者達が集う。
フィラートとガリウスから十万ずつ、ランレオからは新たに五万の兵力だ。
ランレオは今回、大きく血を流す事で利益も得る事になる、と踏んでいた。
人類の為に最も血を流した、という風評はランレオ人の自尊心を満足させるというのもある。
救援に差し向けられる全軍が集うと、マリウスが作ったアイテム袋にバーラが作った各種ポーションが配られた。
接近戦を行う兵士達に使う余裕があるとは限らないが、魔法使い達にとっては貴重な回復アイテムである。
マリウスにはバーラが輝くような笑顔で手渡してきたのでありがたく受け取っておく事にする。
「行こう【トリップ】」
マリウスは全員をまとめて転移させる魔法を使う。
一見ランレオ王都で呑気に作戦会議していたのは、マリウスのこの魔法のせいだったのだ。
一度行った事がある者がいれば問題ない、と皆には説明したのだが実際は違う。
「サイコメトリー」で記憶を読み取る必要があった。
マリウスは「サイコメトリー」と転移魔法の組み合わせで何度も使って援軍を集めて回ったのだった。
最早マリウスに対して、大きく驚く者はいなかった。
皆、驚く事に疲れてしまったのかもしれない。
目的地はランレオのカヴィール砦。
一度ランレオ軍に合流し、その後マリウスが他の二か所に魔法で飛ばす予定だった。
ターリアント大陸の命運を左右する、大きな戦いが始まろうとしていた。




