七話「反撃へ」
連合軍が攻めて来る前、ホルディアの民と奴隷の避難は迅速に行われた。
指揮を執ったのは撤退戦に関して定評があるセンベーヌ。
老年にさしかかった彼は、ホルディアの現役の将軍達の中では珍しく素直にアステリアを信奉していたので、特に不満をこぼさず与えられた役目を真面目にこなしていた。
「陛下は一体どういうおつもりなのでしょう」
もっとも彼本人はさておき、部下達まではそうはいかなかった。
部下達にしても別に主君を謗ったりするつもりはないが、真意がどこにあるのか分からなくて困惑している、というのが本当のところである。
「分からん」
センベーヌの答えは素っ気なかった。
実際のところ、アステリアの真意を知る者は果たして何人いるのだろうか。
幼友達で一番信頼されているイザベラですら、全ては知っていそうもない。
部下達はそこが不満で「もっと信用されたい」と思っているのだが、センベーヌの解釈は違っていた。
「魔人ゲーリックを警戒なさっているのだろうさ」
セラエノ弱体化の元凶となった魔人はなかなか有名である。
もっとも、一般市民達はスキル「トランスフォーム」の事までは知らない。
親友や家族も分からない変装が出来る魔人がいるなど、民が知れば混乱は避けられないからだろう。
「確かに魔人で一番やばいのはゲーリックらしいですね」
兵士達すら完全に把握しているとは言いがたく、当たり障りのない表現になってしまう。
これはアステリアが一番警戒している証拠でもあった。
「ま、陛下はきちんと民を守る事を考えて下さる方だ。貴族と違ってな」
「ああ、貴族を粛清したのにはすかっとしましたね! 税金も安くなったし、一生治めていただきたいくらいですよ!」
途端に兵士達の表情は明るくなる。
単純な彼らにとっては、税金を安くてまともな暮らしをさせてくれる王こそがいい王であって、そういう意味でアステリアは人気があった。
もちろんセンベーヌはわざと話題を逸らしたのだ。
兵士達のアステリアへの不満が高くなると、戦いが難しくなるからだ。
幸い成功し、兵士達は次々にアステリアを褒め称え始めた。
(一体、何を考えていらっしゃるのかね?)
センベーヌに分かるはずもないし、簡単に打ち明けてもらえないだろうが、何とかして王の力になりたいと思った。
国外での評判はさておき国内では人気者の女王アステリアだったが、連合軍に国内をいいようにされ放題とあっては、さすがに不安が高まってきていた。
「そろそろ反撃をしないと……」
「がっちり守りを固められては、取り返せなくなるのでは?」
という官僚達は意見してくるし、民衆も正規軍の出撃を求め始めている。
諸外国は六対四くらいで連合軍が優位としたが、国内の予想ではもっと少ない。
奴隷解放を積極的に行った結果、戦力として計算出来そうなのは十万程度に減ってしまったのだった。
正規軍と予備兵力と奴隷兵を合わせて約五十万というのが、今のホルディアの全戦力と言ってよく、連合軍八十五万に対抗するには何か策が必要であるかに思えた。
不安と不満の声が大きくならないのは、アステリアがこれまで通り自信たっぷり、人を食ったかのような笑みを浮かべているからである。
女王がいつも通りにふるまっているのを見た人々は、「きっと何かお考えがあるに違いない」と安心した。
それでも限界は近づいてきつつある。
(三カ国連合など小火にすぎぬ、と言ってもベラくらいしか信じぬだろうな)
アステリアは何も打ち明けていない。
信じてもらう努力は王女時代、散々やったのだった。
ホルディアの諜報網は東のベルガンダの悲劇についてまだ掴んではいなかったが、アステリアは東の方で魔人達の襲撃があると読んでいる。
フィラート、ホルディアに魔王封印地らしき場所があると掴んだホルディアの諜報は、東の方にも同じような場所がある事は掴んでいたのだった。
アステリアは魔人ルーベンスならばどうするかについて考えたのである。
セラエノ襲撃以外は派手な攻撃を慎んだし、セラエノ襲撃でも参加した魔人の数は少ない。
だからこそセラエノは滅びなかったわけだが、そこからルーベンスは慎重で魔王復活を第一に考えていると推測した。
強さの上限が見えぬマリウスが出現し、何人もの魔人は倒されザガンも滅び去った。
ならば次の手はどうするのか。
恐らくは同時襲撃、とアステリアは読んだ。
単に復活させてもマリウスにすぐ倒されてしまう可能性がある以上、完全復活させて対抗するしかない。
そしてそれにはマリウスがとてつもなく邪魔だ。
だとすると一番考えそうなのが「マリウスの目を引きつける陽動」を使う事だ。
例えば上級魔人と下級魔人を複数使って一国、あるいは数カ国攻撃させる。
もちろん魔王も復活させる。
マリウスが攻め込んできた魔軍を蹴散らす間に魔王の復活は完全なものとなるし、そうなる前に倒されたとしてもそれら全てを囮にすればよい。
西のデカラビアを復活させても、魔王や魔人と戦うマリウスは急に応援には来れないだろうから。
作戦成功率を上げる為に、フィラートの隣国のホルディアではなく遠く離れている東の方を選ぶのではないか。
ホルディアだとマリウスに異変が知られやすく、事が大きくなる前に鎮圧されてしまうかもしれないからだ。
一方でルーベンス自身は人間に化けられるゲーリックあたりを連れてホルディアを目指す。
フィラートを通過するタイミングは、東で仲間が事を起こして人間の注意がそちらに向いてからではないか。
そしてマリウスが来れないようなタイミングでデカラビアの封印を解く、というのがアステリアがスキル「演算」を使った読みだった。
つまり最悪の場合を想定すると、ホルディアは対魔王に備えて自国の最大戦力を温存する必要があった。
さすがにアウラニース復活までは予測していなかったし、マリウス絡みだと外す事も自覚していた。
ついでに周囲が信じるだけの証拠を用意する難しさと、己のスキルが知られれば魔人が放置しておかないであろう事も。
イザベラをゲーリックが狙ってすり替わっても同様に厳しい。
アステリアや人類にとって幸いだったのは、魔人達はアステリアの情報操作のおかげでアステリアやイザベラに価値を見出さなかった事だ。
もちろん魔人達の目を欺く事こそがアステリアの狙いであったのだが。
これまで大して重きを置かれず、信用もされず、半ば放置されていたアステリアの境遇だからこそ実現出来たのだが、果たしてこれは皮肉なのか、それとも天の配剤と言うべきなのだろうか。
(さて、小火は小火のうちに消しておくかな……)
アステリアの感覚では連合軍は大事の前の小事に過ぎなかったし、何度脳内で戦っても負ける相手ではなかった。
しかし何事も計算通りにいくとは限らない事も弁えている。
マリウスに散々思い知らされたところである。
陳情に来た者達にアステリアは言い放った。
「そろそろ小火を消しておこう」
臣下達はまず「何の事だ」と首をひねり、次に連合軍の事だと気づき呆れた。
数十万の大軍に攻め込まれ、領土を失陥し続けている現状をあろう事か「小火」と表現するとは。
もっとも、そう言うからには何か対策があったのかと期待を持つ者もいた。
「じきに連合軍は決戦を挑んで来るであろう。その時、まとめて潰す」
臣下達が聞きたいのはどう連合軍を潰すかという方策である。
イグナートが周囲からの無言の圧力に屈し、説明を求める言葉を口にした。
アステリアはどこか愉快そうに、それでいて意地悪そうに答えた。
「策ではないが……肉を切らせて骨を断つ、という言葉を知っているか?」
謎かけのような発言に一同はとっさに返答出来ず、互いの顔を見合わせる。
むろん意味も含めて知ってはいたが、この場合どういう意図から発せられたのであろうか。
「存じております。こちらも傷つく代わりに相手にも大きな打撃を与える、そのような意味でございましょう」
そう答えたのはイグナートだった。
アステリアは満足そうに頷き、続いて言葉を発する。
「では相手の息の根を止める時、どの程度こちらが傷つく必要があるのか?」
場に沈黙が支配したのは短くない時間だった。
「ま、ま、ま、まさか……?」
最初に呪縛から放たれたのは宰相だった。
顔を蒼白にし、脂汗を額に滲ませながら何度も「まさか」と繰り返す。
自分で出した結論が恐ろしくて仕方なかった。
されど間違っていないと理性は告げている。
連合軍は今、総兵力の大半と彼らを食わせる為に莫大な兵糧を投入している。
これを全滅させれば確かに連合は破滅へ転がるだろう。
古来、所謂「焦土作戦」で敵を撃退した例は幾度もあるが、敵国の基盤を粉砕しようとした者はいない。
アステリアは大陸有史以来初めての事を、それも三カ国同時にやろうとしているのだ。
その恐ろしさに気をとられ、結局具体的な方策は聞けなかったと臣下が気づいたのは、部屋を退出した後であった。
ホルディアはある意味特異な国と言える。
具体的な事は知らされていなくとも、王が命令を出せば皆が従ったのだから。
もっともアステリアの治世の間だけだったが。
ホルディア対三カ国連合軍の戦いが佳境に入ろうとしていた頃、その東では「ベルガンダの悲劇」が伝わってきていた。
ベルンハルト三世はヴェスター王からの手紙を破いた。
「何がモンスターテイムだ、今それどころではないわ!」
顔を真っ赤にし、怒気を露にする。
温厚なフィラート王にしては非常に珍しかったが、それだけ情勢は厳しい。
上級魔人二人を含む五人の魔人がモンスターを率い、帝都を襲撃して攻め落とし、余勢を駆って各地を滅ぼしている。
おまけにネクロマンサーが死人をアンデッド化させて支配し、勢力を増大させ続けていた。
ベルガンダ人は最早、国境周辺のいくつかの地に残るだけである。
救援を送るとすればそれはベルガンダではなく、ベルガンダと隣接するボルトナー、セラエノ、ランレオの方がよく思える有様だ。
「マリウス殿、申し訳ないが出撃してもらいたい」
王の要請にマリウスは躊躇いなく頷いた。
下級魔人はさておき、上級魔人がいるのであれば余人には荷が重そうである。
ゾフィの見立てであればバーラでもガスターク、パル、レーベラのうち誰にも勝てないという。
人類最強クラスの魔法使いですらこうなのだから、一般兵だとどうなのか、想像しない方が胃に優しそうだ。
もっともバーラも祖国の危機に安穏としているつもりはなく、一度帰国するつもりでいる。
キャサリンだってせめて兵を励ましたいと思っていた。
「我が国も救援を送ろうと思う」
ベルンハルト三世は重々しく宣言した。
もし三国が敗れると次はフィラートなのは火を見るよりも明らかだ。
マリウスがいる限り敗れるとは思わないが、戦力は多い方がよいだろう。
「ではボルトナーに。失礼ながらアンデッドは苦手でしょうから」
バーラが気を回したのは当然で、ボルトナー軍は魔法しか有効打にしかならない相手とは非常に相性が悪い。
ランレオやセラエノよりも苦戦するのは必至だ。
「ランレオも逆に肉弾戦は不得手でしょう」
そう懸念したのはルーカスであった。
魔法大国ランレオであればアンデッドに有効な光系や炎系の魔法を使える者はいくらでもいるが、肉弾戦はそれほどでもない。
フィラートやセラエノはその点、どちらもバランスがよかった。
ガリウスはどちらかと言うとボルトナーよりで、魔法よりも肉弾戦の方が得意としている。
ホルディア軍もバランス型なのだが、今はとても援軍は望めない。
攻め込んでいる三カ国連合軍に急を知らせ、即時撤退と魔人撃退の協力を求めたが成果は芳しくなかった。
兵力の大半を急には引き返せない場所まで攻め込ませているというのだ。
協力したいのはやまやまだが、という弁明はマリウスでも怒りを覚えた。
マリウスを怒らせるのは避けたい三カ国連合は、決着、即ち王都ホルディアスの攻略を急ぐ事にした。
アステリアが言っていた「じきに決戦を挑んで来る」理由がこれだった。
後で臣下達はこっそり集まり、「陛下は一体どこまで見通していたのか」と仲よく首をかしげる事になる。
ターリアント大陸の運命は大きく動こうとしていた。




