四話「惨劇の日(前)」
ベルガンダ帝国の首都、帝都ベルガは静寂に包まれていた。
太陽が沈み、青い月が東から昇って来ている。
石や木で造られた家屋の中で人々は家族との時間をすごしていた。
そんな中、二人一組で帝都内を巡回している警備兵達は何気なく空を見上げた。
そしてぎょっとしてへたり込んだ。
「あ、あ、あ」
そして震えながら指で空をさす。
「何だ? どうした?」
隣を歩いていたもう一人が空を見上げる。
そして同じように腰を抜かした。
いつの間にか空の上には無数の影が浮いていて、その中に人の形をしたものがあった。
空に浮くモンスターと行動を共にする者……最悪の答えが警備兵の脳に浮かび、次の瞬間叫んでいた。
「あ、あ……魔人! 魔人だ!」
力の限り声を振り絞る。
叫びは遠くまで響き、詰め所や家から人が顔を出した。
その光景を見た魔人アルベルトはニヤリと凶悪に笑い、空に浮かぶモンスター達に命令を出した。
「ルーベンスさんからの指令だ……派手にやれ!」
モンスター達の唸りが地響きのように轟く。
ブラックアウル、サイレントバット、ポイズンホーク、グリフォン、ワイバーンの群れが空から襲いかかる。
人々が記憶の彼方へと押しやっていた脅威……魔軍の襲来だった。
帝都の高い城壁も飛行能力を持つモンスター達には何の意味も成さない。
警備兵が唾を飲み込み、それでも民衆を守る為に立ち向かった。
しかし彼らの勇気に結果はついてこない。
ブラックアウルの嘴が目に刺さり、サイレントバットの音波攻撃に膝をつき、ワイバーンのファイアブレスで焼かれ、あっという間に警備隊は壊滅状態に陥った。
グリフォンの体当たりで民家の石壁は砕かれ、震えながら体を寄せ合っていた家族の姿が覗けた。
ポイズンホークがグリフォンが空けた穴から飛び込み、子供を狙う。
反射的にわが子を庇った母親の背中に毒爪を突き立て、残念そうに一声鳴いた。
似たような光景がいたるところで見られるようになった。
子供の泣く声、母親の悲鳴、父親の怒声などが帝都のあちこちから起こる。
アルベルトが襲撃したのとは反対の位置にある城門の扉が木っ端微塵に吹き飛んだ。
卑下た笑みを浮かべながら堂々と入ってきたのは魔人レーベラであった。
「さあ、皆殺しの時間だぜ!」
彼が叫ぶと配下のゴブリン、オーク、トロル、アーマーベアらの軍勢が突撃した。
低く野太い雄たけびを上げ、目の前にいる警備兵士に襲い掛かった。
「くそ! 騎士団に連絡しろ!」
警備兵の一人が叫び、若い兵士が騎士団の詰め所に走っていく。
帝都騎士団は三分の一が都内に詰め、三分の一が帝城に滞在し、残り三分の一が非番という制度を用いている。
彼らが駆けつけるまで持ちこたえる事が出来れば、勝算は高くなる。
近衛騎士や宮廷魔術師などの助力があればなお心強いが。
モンスター達にしてみれば、わざわざ敵の加勢を待ってやる義理はない。
楽しそうに品のない笑みを浮かべながら人間達に襲いかかっている。
警備兵とゴブリンが剣で打ち合うと、その横からオークが棍棒で警備兵の頭を力任せに殴った。
激しい衝撃で意識が朦朧としたところをゴブリンの剣で切り殺される。
トロルにいたっては警備兵数人をまとめて棍棒で吹っ飛ばしていた。
それなりの強さがある者は正規軍や騎士に組み込まれるのが常である。
向かってくる男達を殴ったり切ったり刺したりして殺し回った後、モンスター達は女を狙った。
姉妹や妻、あるいは恋人を守ろうと男が立ちはだかるがすぐに血の海に沈む。
ケダモノ達が欲望を発散させ、若い女性達の悲鳴が夜空に響き渡る。
これを防ぐべき騎士団はまだ姿を見せずにいた。
決して民を見殺しにしようとしたわけではなく、魔人レーベラに行く手を阻まれていたのだった。
「はーっはっ! いい夜だなカスども!」
レーべラはかかってくる騎士の一人の頭を拳で吹き飛ばし、また別の一人の胸を鎧ごと抜き手で貫いた。
「女達の悲鳴を聞き放題! 最高じゃねえか!」
何人もの返り血を浴び、レーベラは幸せそうに笑う。
それが騎士達の不愉快さを煽る。
「下衆が!」
一人が吐き捨てるように言い放つ。
大通りだけに道幅は広く、楽に十人は肩を並べて戦えるのだが、レーベラは十人同時にかかっても苦にしない。
既に二十人以上が屍に変えられてしまっている。
いくら下品で粗野であっても魔人だけあって破格の強さだった。
「おらおらおら、どうするカスども。早く助けに行かねーと、女達が哀れな事になるぜ? オークやトロルがいるからなぁ!」
若い女性がオークやトロルに襲われる悲惨さは周知の事実だ。
それだけに一刻も早く駆けつけたいところだが、騎士達の焦燥をレーべラは嘲笑っているのだった。
「かくなる上は全員でかかるぞ。味方ごと討つ、それしかない」
リーダーらしき男が決断を下すと他の者も首肯した。
確かにそれくらいの覚悟がないと傷を負わせる事さえ困難そうであった。
『かかれっ!』
三十人程が一斉に突撃する。
「はっはっ、無駄な努力だカスども!」
レーベラは嘲弄する。
レーベラはゴブリンの魔人であり、保有するスキルや技もゴブリンが会得出来るものが多い。
ただし、魔人になった時に爆発的に強化されている。
「おら、“衝撃剣”!」
本来は単に衝撃で敵の腕を一時的に痺れさせるだけのスキルも、レーべラが使うと衝撃波が発生し、騎士達をまとめて吹き飛ばした。
正確には吹き飛ばされたのは一列目の者達だけだが、飛んできた甲冑を着込んだ人間と激突して無事でいられる程人間は頑丈ではなかった。
「く、くそ……こんな、こんな下衆に……」
一人が悔しそうに呻く。
悲鳴を上げる民を助けに行けない己の無力さが、下品な笑みで勝ち誇る目の前の魔人が腹立たしい。
レーベラはそんな騎士を嘲笑いながらもどこか不快そうな顔になった。
「ああ? オレが下衆なら、お前らは何だ? ゴブリンを片っ端から狩りまくるお前らは何様だ!?」
口調の激しさから怒りは本物だと察する事が出来、騎士は意外な反応に口をつぐんでしまった。
「オレらゴブリンは単に生きてるだけだろうが! それをお前らが次から次へと狩り立てやがって! オレらに生きる権利はないってか!? ざけんじゃねーぞ、ゴラッ! だからお前らはカスなんだよ!」
レーベラは沸きあがってくる怒りを抑えきれず、「衝撃剣」を固まって倒れている騎士達に目がけて放った。
着弾すると前列の騎士達の鎧は亀裂が生じ、口から血を吐いて絶命した。
「ふざけるな!」
騎士の一人が怒鳴り返す。
「お前らは人類の女をさらって陵辱して子供を産ませるだろうが。お前らが生きている限り、俺達に平穏は来ないんだ。狩られたくないなら、人類を狙ってくるな!」
種族間の根本的な問題である。
繁殖の為に人類の女が必要なゴブリンと、それを阻止したい人類との間には埋まる事のない溝が存在していた。
騎士達にはレーベラから逃げる力も対抗する力もなく、彼らはもう己の命を諦めていた。
彼らが素直に諦められたのは、遠くで聞こえていた悲鳴が消えたからだ。
恐らく他の詰め所の騎士達が駆けつけたのだろう。
彼らは魔人レーベラの足止めには成功したのだった。
それを察したレーベラは更なる怒りで体を震わせる。
「この……! 絶対に許さねえっ! 皆殺しにしてやる」
レーベラはまず目の前の雑魚どもから始末する事にした。
アルベルトとレーベラが率いる軍勢が市街地を襲っていた頃、ガスタークが率いる軍勢が既に帝城を攻撃していた。
不意をつかれはしたものの、さすがに近衛騎士達は即座に迎撃した。
「隊長! 外からもモンスターどもの声が!」
「分かっておる!」
部下の悲鳴に近い声に隊長の一人は怒鳴り返した。
駆けつけられるものならば駆けつけてやりたいのは皆同じだ。
しかし彼ら近衛の役目は城内を守る事で、外を守るのは騎士団の仕事だ。
出来るだけ早く騎士団が外へ向かえるよう、城内に侵入したモンスター達を片付けねばならなかった。
帝都民の多くは満足に戦えないものだから。
それを阻むのが目の前にわらわらと群がっているモンスター達だが、状況は人間達に傾いている。
統制が取れた動きでブラックアウルやポイズンホークが襲ってくるが、この程度ならばベルガンダが誇る精鋭の相手ではない。
「陛下は? 皇后は? 帝族の皆様は?」
近衛騎士の一人の問いかけに返事をしたのは同僚ではなかった。
「君達の団長達が向かっている!」
答えると同時に「アイスブリット」を放ち、ブラックアウル達の頭を正確に撃ち抜いた。
「おお、トム殿!」
近衛騎士達から歓声に近い声が上がった。
トムの後ろには魔法兵達の姿もある。
「遅れて申し訳ない。各地に救援を求める使者を送っていたのだ。微力ながら助勢する!」
「ありがたい、押し返すぞ!」
魔法使い達の援護射撃を受け、近衛騎士達はモンスターを屠っていく。
一気に形勢は逆転した。
モンスターにしてみれば近衛騎士だけでも手こずっていたのに、魔法攻撃が加わったのだからたまったものではなかった。
「一息ついたな」
全てのモンスターが絶命して床に転がったのを見届けた後、隊長が大きく息を吐き出すと、部下の一人が疑問を投げかけた。
「隊長、思ったより数が少なくありませんか?」
「うむ……もしかしたら外にいるのかもな」
モンスター達が群れになって大きな街や城砦を襲う時、必ず魔人が後ろにいた。
今回も恐らくはそうだろうと皆が思っていた。
それにしては数が少ない、とも感じている。
魔人がその気になれば数の多い種族ならば万単位で使えるであろう。
城内を攻撃したものはそれより一桁少ないのは明らかだし、魔人の姿も見えない。
外が襲われていると考えるのが普通だった。
「くそっ!」
近衛騎士の一人が悔しそうに唇を噛む。
騎士団の奮闘を祈るしかなかった。
魔法使い達の援護で撃退したものの、死傷した騎士は決して少なくはない。
それに第二撃があるとも考えられるのだ。
近衛である彼らが城内を離れるわけにはいかない。
各地に放たれたという使者が出来るだけ早く到着してくれれば何とかなる。
今の帝都にいるのは近衛騎士団約五千と帝都騎士団約二万だけで、二十万の正規軍は各地に散っている。
各地に最低限の抑えを残す必要はあるが、それでも十万以上の大軍がやってくれれば魔人が相手と言えども希望の光が射してくる。
その報告を受けた帝族らも救われたような表情になる。
「敵の規模は三万前後かと。今のままならば撃退は可能です。問題は魔人ですが……」
魔人という単語に皆の表情が翳る。
希望があるからこそ防衛戦は頑張れるのだった。
魔人相手だとどうなるか予測は不可能である。
この時、彼らは二つの大きな過ちを犯していた。
一つはアルベルトのように上級魔人が参戦している事に気づくのが遅れた事で、もう一つは使者達を送り出しただけで救援が期待出来ると思ってしまった事だ。
使者達はそれぞれ十騎の護衛達に守られながら、モンスターや魔人と遭遇しないルートから東西の城門を駆け抜けた。
そして駆け抜けた直後に短く苦悶の声を上げて馬から落ちて死んだ。
護衛達が慌てて馬を止め、死体を確認すると喉に黒い鳥の羽のようなものが刺さっていた。
犯人はルーベンスに情報伝達の類を潰すように指示されていた魔人パルであり、配下の飛行モンスターも後ろにいた。
「ま、まさか外にも……?」
攻撃されたタイミングを考えれば、自分達が待ち伏せされていたのは明らかであった。
護衛達は魔人達の本気度を知ったが、それを誰かに伝える暇もなく絶命していった。
反対側から飛び出した者達はフランクリン配下のトロル達に待ち伏せされていた。
「こ、ここにもトロル?」
彼らは魔人の軍勢が全て都内に攻めて来ていなかった事に気づいたが、手遅れだった。
トロルの逞しい腕が振り下ろされると棍棒が唸りを上げて護衛の頭を砕く。
反撃すら出来ず、急使と護衛達は全滅した。
それを見ていたフランクリンは何度も頷く。
彼とその仲間は異変を察して逃げ出してきた者達を全滅させ、今はまた急使を皆殺しにした。
これで救援が間に合う見込みはなくなってしまった。




