一話「愚者の狂騒曲」
ミスラ共和国軍は十三万、大将はガレス。
バルシャーク王国は十二万、大将は大将軍レミール。
ヴェスター王国の十万、大将は大将軍ランドル。
合計三十五万という陣容で三カ国連合軍はホルディア攻めに挑む。
彼らは国境を越えた後、ファシャと呼ばれるどこにも属さぬ緑の少ない平原で一度合流した。
「まず、連合の総大将を決めませんか」
各軍の大将が今後の相談の為に集まった時、最初に発せられたのがこの一言だった。
ガレスは言い出したレミールに内心で舌打ちをしながら、律儀に返答した。
「意味なき事だ。所詮我らは寄合所帯。指揮系統が統一出来るはずもない」
「同感ですな」
ランドルもガレスに賛成した。
「ホルディアは国土が広く、攻め口がいくつもあるのです。三か所から同時に進撃するのがよろしいと思いますが、いかがですかな?」
二人に否定されたレミールは顔を真っ赤にしながら答える。
「しかし、せっかくの大軍が……ホルディアだって大軍を用意しているに決まっていますぞ」
ガレスは「何でこんな奴をよこしたのだ」と思い、師匠にもなったつもりで説明してやった。
「向こうは防御側ですし同国軍で指揮系統は統一出来ましょう。一方でこちらは連携を取れず数の力を発揮する事もままならず、各個撃破されて惨敗する可能性が極めて高いかと」
ランドルがそれに説明を重ねる。
「こちらが分かれたらあちらも分かれる。独力で戦わねばならない限り、足を引っ張られる危険もない」
要するに自軍が力を発揮する状況を作るのを優先すると言うのである。
レミールは口をもごもごとさせていたが、反論は思い浮かばなかったので結局何も言わなかった。
「ランドル殿はこちらが分かれたらあちらも分かれると仰ったが、私は必ずしもそうとは限らないと思う」
自説をガレスに否定された形になったランドルは、やや不愉快そうにしながらも、一応は冷静に尋ねた。
「では何をしてくると?」
「うむ。例えばだ、最小限の兵を砦に残して大軍でこちらの一つを全力で叩き潰すとか」
しばし沈黙が天幕を包んだ。
レミールは数秒をかけてガレスの言わんとする事を理解し、喘ぎながら反論する。
「そ、そんな馬鹿な事が……非常識すぎる」
「しかし、そんな非常識な相手でしたな、ホルディアの狂王は」
ランドルはため息をつきながらではあったが、ガレスの案が現実になりうる可能性を認めた。
少なくともホルディアは全兵力を動かせば、そんな乱暴な事も可能とするだけの数がいる。
「し、しかし、全兵力どころか、三十万も動かせればいいはずでは……」
レミールはなかなか認めようとはしなかった。
想定外の事が早くも連続して起こっていて、彼の脳は限界を迎えつつあったのだった。
「本国の者はそう言う。だが、現場で兵の命を預かる我らがそれに縋る訳にもいかぬ」
ガレスが言い、ランドルも首肯する。
結局大量の間者を放ち、諜報活動を活発に行う事で同意した。
解散となった後、ランドルは足早に立ち去るレミールを見ながら嫌味を言った。
「何であんな者を大将にするのか。バルシャークはやる気がないのでしょうかね」
「そう言うな」
たしなめたのはガレスである。
「あれはジェシカ王の親族でただの飾り。副官は百戦錬磨のチャンドラー将軍だとか。彼こそが真の大将だろう」
「ふむ。あの“殺戮将軍”チャンドラーが手綱を握っておるなら無様な事にはならん、そう期待するとしましょうかね」
ランドルは肩をすくめながら去っていた。
利害の一致だけのにわか連合軍は早くも足並みが乱れかけていた。
ガレスが軍のところに戻ると副官が近寄ってきて挨拶をした。
「お疲れ様です。いかがでしたか?」
「バルシャーク軍の大将は飾り。副官に期待。ヴェスター軍の大将は有能だが、信用には足らん。今のところの印象であるがな」
第一印象にこだわりすぎると足元をすくわれる事もある。
戦場では何が命取りになるか分からないのだった。
「連合軍の未来は輝かしくなりそうもありませんな。ホルディアが再建中の今しか攻められない、そういう意味では政府の決断はありだったやもしれません」
副官の殊更明るい発言にもガレスの顔は晴れなかった。
「本当に再建中ならな。常識が通じぬ狂王が見せた隙、果たして信用していいものか?」
さすがに声を小さくした。
今の段階で大将であるガレスが悲観論を唱えているのが知られれば、兵の士気は一気に暴落するだろう。
ガレスという将はそれだけの影響力を持っていた。
「いくら狂王とて人の理、国家の常識は通じましょう。もしかしたらガレス様のように考えすぎる者が現れるのを期待しているのやもしれませんぞ」
「……考え出してはキリがないか」
ガレスは気が進まぬまま命令を下した。
ヴェスターが攻めるのはルチニカ砦、バルシャークが狙うのはシャーヒー砦、そしてミスラが狙うのはギヤーン砦だ。
戦前の予想ではそれぞれの砦に数万の正規軍と奴隷兵が守っているはずである。
それが兵法の常道とでも評すべき作戦ではあるが、ガレスはあまり信用していない。
相手は非常識が服を着て考える狂王アステリアなのである。
こちらが想像していない作戦ばかりを採用してもおかしくはないと踏んでいた。
しかし軍事会議でそう主張したガレスへの反応は酷く冷淡だった。
「さすがのガレス将軍もホルディアは怖いようだ」
「残念ですな。あんな卑怯な臆病者が国で一番の地位にあるとは」
彼らは面と向かって言い放つ事はなかったが、それでも聞こえるようにガレスを罵った。
ガレスは恥辱や怒りよりも純然たる衝撃の方が強かった。
(こんな奴らに任せていては、我が国はきっと大打撃を受ける)
ガレスが総大将を引き受けたのはあくまでも危機感からだ。
アステリアの言動は確かに意味不明で理解しがたい。
しかし戦場で理解しがたい事が起こる恐ろしさを他の者達は知らないようであった。
勝つに越した事はない、されど万が一の場合、一兵でも多く祖国へ生きて帰してやりたい。
それが大将の義務だとガレスは信じていた。
少なくともギヤーン砦くらいは落とさないと発言力は持てないだろう。
己が発言力を求めるのは部下の命を守る為である。
私欲を満たそうとする上層部とは違うと言い聞かせていた。
ホルディアの国境にそびえるルチニカ、シャーヒー、ギヤーンの砦はいずれも要害とは言いがたい。
国力が違うので攻め込んでも撃退されるのは目に見えているし、そもそも略奪対象になる街や田畑などとは距離がある。
蒙る被害を考えれば攻めたりせずに貿易をした方が得である。
それが覆されたのはホルディア攻めの機運が三カ国で高まり、一国の危険が減った事。
ホルディア国内が大きな変革が行われ、外国から見れば「攻め時」になった事などが挙げられる。
ホルディアの広大な領土と多くの人間を長期的に支配が出来るのであれば、充分に利益が見込めると各国首脳は判断したのだった。
「とれぬ獲物の肉を数えていた、とならねばいいがね」
ガレスはそう皮肉る。
彼が引用したのは猟師達が愚か者を笑う時に好んで用いる言葉だ。
「ギヤーン砦です」
物見からの報告があり、ガレスは表情を引き締めて馬を前に進めた。
情報と実物は大きく違うという経験を持っているガレスは、己の目で確認せずに判断する事は避けていた。
「あれがそうなのか……?」
壁はさほど高くもなく、全体的に粗末な印象である。
軍事力と言うより政治的な力で侵略されなかったと考えれば別におかしくはないのだが、ガレスは何となく不安になり間者を呼んだ。
駆けつけてきた者に厳しい表情で尋ねる。
「中の様子は? 敵の指揮官は誰か?」
「はっ。敵の兵力は約四万、大将はドーガンなる者。全体的に士気は高いようですが、隙も多いようで」
聞いた事のない名前にガレスの不安さは増した。
ここは捨てておいて他の砦に主力を回したのだろうか。
「ドーガンなる者の素性、及び敵軍の構成は?」
「はっ。ドーガン以下全員がアステリア王に奴隷に落とされた者達のようです。赤い首輪をしておりました」
「ご苦労下がれ」
一礼して下がると主だった将や参謀達を集めた。
「アステリア王は噂に違わぬ性格の悪さのようだ」
ガレスがまず発言し、それに参謀が賛意を示した。
「確かに。まずは奴隷をぶつけて我々を消耗させる作戦のようですな」
「疲弊したところに正規軍が来るか……それは避けたいな」
「何、大した要害ではないし、敵は正規軍でもない。慎重になるのは結構だが、臆病までいくと手柄が逃げるぞ」
「誰が臆病者だ?」
言い争いが始まりそうになったのでガレスは軽く威圧して黙らせる。
「投石器は持って来たか?」
「はい。ホルディアス城攻撃を想定していますから。破城槌もあります」
「いや、投石器だけでよい」
ガレスの命令の意図を把握出来ず、一同は互いの顔を見合わせた。
「敵は奴隷兵のみだと言ったな」
「はい」
「ならは兵を近づける訳にはいかぬ。バルデラ砦を忘れたか?」
「あっ……」
一同はすっかり失念していたのだった。
「恐れながら」
血気にはやる若い将が異論を唱えた。
「今回も同じだとは限らぬと思いますが……」
ガレスの反応は冷ややかだった。
「ではお前に尋ねるが、区別がつくか? 巻き添え攻撃がある者とない者と」
「そ、それは……出来ません」
若い将は肩を落とす。
味方の損害を抑える為には自爆攻撃が届かない位置から攻撃するしかない。
次に異見したのは参謀の一人だった。
「しかしガレス様、魔法式の発動にも射程距離があるはずですが」
「ではホルディアの射程距離を説明しろ。近くに起動させる者がいないと断定出来る理由もな」
これもまたあっさりと潰されてしまう。
参謀長が控えめに質問するが
「近くで起動させては本人が巻き込みますが……ホルディア王に本当の事を教えられていない可能性がありますな」
自分で答えを出してしまった。
普通はまずやらないが、狂王と呼ばれる女ならばそれくらい平然とやりかねなかった。
「一番安全なのは水攻めか兵糧攻めなのだが……」
ここで隅に控えていた間者が発言する。
「たっぷり一年は篭城可能な量が備蓄されていました」
「当然だな」
参謀長が頷く。
少しでも長くギヤーンで敵軍を足止めしようとするならば備えていない方が不自然だ。
魔人や魔王の影がちらつく今の情勢だと出来る限り長期戦は避けたい。
もっと言えば本国はここで長期戦になる事を想定すらしていないかもしれないのだ。
ガレスが今回の戦いに乗り気でなかった理由を、他の者達も遅まきながら気づき始めていた。
少なくとも本国の者達が言っていた「混乱中のホルディアを三カ国共同で蹂躙する」のは実現するのが難しそうである。
「だが希望がないわけでもない。ここで狂王の計算を狂わせてやればよい」
ガレスはあえて力強く宣言した。
味方の士気を下げるのは彼としても本意ではないのである。
「人間である限り、大小様々な計算違いを起こすものだ。そしてそれを起こすのが我々の力なのだ」
ガレスがそう説くと、暗くなりかけてた空気は一変し、一同の表情にも明るさが戻ってきた。
「我々がどれほど本気で準備をしてくるかまでは読めるはずもない。間者が調べていたとしても、備える時間は足りなかったはずだ」
戦争で勝敗を左右する大きな要因となるのは兵の士気だ。
マリウス並みに実力者やバリスタのような兵器があるならばともかく、そうでないならば兵の士気は無視出来ない。
「教えてやろう。ミスラ軍の力を」
『おお!』
さっきまでのは一体何だったのか、という声が聞こえてきそうな展開だ。
将が戦意に満ちていれば兵の士気も高くなるのがミスラ軍の特徴である。
これでもガレスとしては不本意なのは変わりない。
ただ、最善を尽くさなければならないし、それには僚友達の戦意を高揚させる必要があった。
でなければ今回の戦争は厳しいものとなるだろう。
敵軍全員が奴隷だという事は即ち、投降も認められない事を意味する。
投降後自軍ごと殺そうとする危険は高いからだ。
ホルディア王アステリアはそういう性格だと、先のバルデラ砦の戦いで証明済みだ。




