九話「そして……」
マリウス達は視察から帰って来た。
領主としての自覚を持つ大切さを実感したものの、魔王を放置しておくわけにもいかない。
大陸全体の危険になるからだ。
当面は定期的に送られてくる報告書をマメに目を通し、領地運営を学びつつ、味方戦力の底上げや魔人と魔王に備える事になりそうだ。
(こなせるか……?)
マリウスは己の能力に対して懐疑的である。
その点に関して自惚れた事は一度もない。
少なくともマジックアイテムの開発までする余裕はなさそうだ。
セイル達は指示さえ出せばきちんとやってくれるのが幸いだし、味方の強化に関してもバーラという頼りになる少女がいる。
恵まれていると思わなければ罰が当たりそうだ。
バーラ達は練兵場だと聞いたマリウスはロヴィーサ達に別れを告げ、練兵場へと歩き出した。
マリウスが練兵場の中に足を踏み入れると、大量の魔力がビームとなって空へ放れた。
「何事だ……?」
一瞬怪奇現象かと思ったが、すぐにそれはないと打ち消す。
きっとバーラの仕業だろうと勘に近い予想をし、それが間違いではなかったとすぐに分かった。
皆にレーザーを教え込み、会得させる事に成功して満足していたバーラは目ざとくマリウスの姿を発見し、小走りに駆け寄ってきたのだった。
「マリウス様、お帰りなさい!」
明るく溌剌とした声と表情に反射的にただいまと返しかけ、ギリギリのところで踏み止まり、そして別にただいまでもよかったと気づいて苦笑した。
「ただいま。何か新しい魔法の指導中ですか?」
「あら、マリウス様もご存知ではなかったのですね。“レーザー”という魔力を使うスキルです」
「なるほど」
元の世界と共通する単語が多いのはこういった場合助かる。
先程の光景とあわせて大体のイメージを持てた。
「マリウス様も如何です。上達すれば少ない魔力でも敵を倒せる、なかなか優秀なスキルですよ」
「それではせっかくですから」
マリウスはバーラに教わった通りに、魔力を圧縮して放ってみる。
圧縮したはずなのに直径数センチはありそうな太いビームが上空へと放たれ、光って消えた。
目撃者達はバーラを除いて絶句している。
彼らは苦労して会得した分、マリウスがとてつもないレベルでやった事を理解したのだ。
「圧縮が甘かったのかな……?」
マリウスは首をひねった。
彼の感覚だとせめて一センチ程度にくらいでないと圧縮したとは言いがたい
のだった。
「それは違いますわ」
思い違いを訂正したのはバーラである。
マリウスほどの魔力量だとある程度の幅になってしまうのは仕方ない、と彼女は言った。
「魔力の圧縮可能な量にも上限はありますから」
「そういうものですか」
つまりマリウスはいきなり成功出来たようである。
さすがだと皆は称えたが、マリウスとしては素直に喜べなかった。
「レーザー」というもののイメージを予め持っている。
未知のものであるこの世界の人達と会得速度が違うのはむしろ当たり前と言えるだろう。
しかしどうすればこの点を上手く説明出来るのか、マリウスは思いつく事が出来ず、笑ってごまかす事にした。
「ところでマリウス様、ご相談が」
バーラが持ちかけてくるなんて一体何事だろうと警戒したマリウスだったが、それがキャサリンの事だと知ると目を丸くした。
「そ、そんなにおかしいですか?」
キャサリンはおどおどと上目遣いで尋ねてくる。
その愛らしさは特定の嗜好を持つ人間を昏倒させそうだ、とマリウスが思わされたくらいだ。
だが今取り沙汰されているのは愛らしさではなく肉体の頑健さである。
廃人となる者がいてもおかしくはない、とバーラは言う。
マリウスが出した結論から言えば別に変ではない。
「いや、職次第ではおかしくないですよ。バーサーカーとかベルセルクとか、所謂狂戦士系ならばありえる話です」
狂戦士系の職は魔法を覚えられないし理性を失うと敵味方が区別出来なくなるという欠点があるが、魔法に対する抵抗力が非常に高いという長所がある。
魔法使い系にとって同レベルの狂戦士系は相性最悪の天敵と言っても過言ではないくらいである。
「た、確かにわたくしはベルセルクですが……」
キャサリンのこの発言で答えは出たが、マリウスには驚きだった。
ベルセルクは狂戦士系の頂点の職で、それに至るには下位の職で経験を積まねばならなかった。
ゲームではなく現実なのだから先天的に高位の職を持って生まれる可能性もある、と考えればいいだけかもしれないのだが。
(まあ俺が言っていい事じゃないよな)
いずれにせよ「気づいたら現スペックでいました」な自分があれこれ言う資格は思い、これ以上は気にしない事にした。
マリウスはロヴィーサらとお勉強する必要があり練兵場から去り、それが一同が解散するきっかけとなった。
一連の流れを知る者にとっては必然なのだが、バーラ達にしてみれば寝耳に水で「してやられた感」を味わう事になった。
「そりゃマリウス様は領主になったのだから、その勉強もしなきゃいけないでしょうけど」
バーラはケーキをやけ食いしながら、祖国から連れてきた侍女相手に不満をぶちまけている。
「そんなの、優秀な文官をつけてマリウス様が命じればいいだけじゃない。あれだけの力を持った方が政治経済にも精通しているとか、普通に考えればありえないんだし」
ケーキを食べお茶をがぶ飲みし、それでいて洪水のように不満を並べ立てる王女に侍女は辟易としていたが、迂闊な事を言えばかえってまずい事は理解していた。
「大体マリウス様を囲い込みたいなら、さっさと婚姻を発表すればいいわけだし、そうしないならもっと他の国とマリウス様が交流出来るように図るべきであって、私達をないがしろにしてはいけないでしょうに」
言っている事は丸っきり的外れというわけでもないが、私怨がたっぷり込められているので相槌を打つのもよくない。
これだけまくし立てながら、ケーキとお茶を口の中に放り込んでいるのにも関わらず、食べる速さは変わらない上にむせる事もなかった。
ある意味、驚嘆すべき事である。
「ふーっ、愚痴終了」
最後の一かけらを水で流し込み、バーラは気分を切り替えた。
どこまでもへこたれない人間だった。
「むー、かくなる上は当たって砕けろ、です」
「砕けてはダメです、姫様」
キャサリンはモルトにたしなめられていた。
このままでは自分は埋もれると幼いながらも女としての危機感を持つ少女に、腹心としてつけられた壮年貴族は何とか勇み足を防ごうとしていた。
「むむ……でもでも、結婚となるとバーラ様が一番有利だし」
「名より実を取れという言葉がございますよ」
モルトは純真無垢な少女を黒く染める背徳感に近いものを覚えながら、入れ知恵をした。
「なよりじつ……?」
キャサリンは何の事か理解出来ず、きょとんとした顔になって聞き返す。
「はい。要するに正妻はバーラ王女かロヴィーサ王女、しかし実際に一番愛されているのは姫様という計画です」
「すばらしいです!」
キャサリンはたちまち喜色満面になった。
「簡単にはいきません。たっぷり案を練りませんと」
「うん、がんばります!」
小さな主人のニコニコ顔を見て幸せな気分になりつつ、モルトは「せめて後一人……」と胃のあたりを手で撫でながら考えていた。
ないものねだりだと自覚しつつ。
「え? バルシャーク、ミスラ、ヴェスターが連合でホルディアを攻める?」
お勉強が一区切りついた後、国賓魔術師として情報を正式に知らされたマリウスは目を丸くした。
魔王や魔人の影がちらつき始めている時期に何を考えているのか、と失望か困惑か自分でも分からない感情を持った。
「うむ……」
ベルンハルト三世も厳しい表情をしている。
何故よりにもよってこの時期に、という点では全面的に賛成だった。
国内にあった「ホルディアへの報復」を期待する声も、魔人や魔王の脅威が現実的になりつつある事もあり、すっかり下火になってしまった。
「彼らの言い分は狂王を何とかせぬ限りホルディアを信じる事は出来ぬし、団結して魔王や魔人と戦う事も出来ぬと言う。気持ちは分かるがなぁ」
いくら狂人でも人類存亡の危機となれば、他の国家相手によからぬ事を企む余裕などあるはずがない。
しかし三カ国は「そんな事は断言出来ない」と突っぱねた。
いい加減にしろと怒鳴りつけてやりたいのを堪えねばならなかった。
「個人的に一番気がかりなのは、ホルディア側が慌てていない事ですな」
そう発言したのは諜報部の新部長となったフィーゴだった。
「まあ連中にしてみれば魔演祭後の交戦禁止期間が終われば攻められると思っていたでしょうからな。準備万端かもしれませんな」
人事のような言い方をしたのは宰相のファルクである。
しかしフィーゴは納得しなかった。
「お言葉ながら連合側が動員する兵力は合わせて三十万から四十万ですぞ。ホルディアが大国と言えども、安閑とはしていられない数のはずです」
「それはそうだな」
フィーゴに賛意を示したのはヤーダベルスだった。
我が意を得たりとばかりにフィーゴは意気込み主張を続ける。
「もちろん私が就任したのは最近ですから、それ以前に準備をしていたのかもしれません。そうなると連合軍が危険ではありませんか」
「そんな一足飛びに結論を出されてもな……」
ルーカスが否定的な意見を述べる。
「ホルディアは今、国全体が再編成中だ。読んでいたのであればこの時期にする方が変ではないか?」
「それは……」
フィーゴはとっさに反論出来ず、口ごもってしまう。
ホルディアの動員可能兵力は大陸随一であるが、現時点ではそれを発揮するのは絶望的である。
「あえてやったとか……それはないですよね」
マリウスはフィーゴを援護したものの、すぐに自分で否定してしまった。
ただ連合が危険かもしれないという点に関してはマリウスも賛成だった。
「実は魔王デカラビアの封印地がホルディアにあるという話を耳に挟みましてね」
マリウスがそう切り出しても皆は驚かず続きを待った。
「その封印地に誘導して魔王と連合軍の共倒れを狙い、そこを大軍でまとめて叩く。これくらいの事は企みかねないと思うんですが」
場は重苦しい空気に包まれる。
数秒の沈黙の後、国王が呻きながら口を開いた。
「いくら何でもそんな外道な真似を……と言いたいところではあるが、ホルディア王ならばやりかねんな」
誰も否定はしなかった。
それならば窮地なのに余裕がある説明が出来るからだ。
「使者を出して連合軍に注意を促しても如何でしょう」
ファルクの提案に国王は首肯した。
「魔王が復活すれば連合軍はたちまち壊滅するであろう。……魔王でなくともドラゴンの巣に誘導するという事もありうるな。充分、警告しておいた方がよい」
もちろん本音を言えば出兵を思い止まってほしいのだ。
ホルディア攻めをやるならば、魔王の脅威が去ってからでも遅くはない。
しかしこれでも思い止まらないだろうという予感はある。
ホルディア攻めが成功した後の事に意識が向いていたからだ。
ベルンハルト三世としては連合国の勝利を期待しているが、どちらかが大敗する事だけは避けてほしいと願っていた。
「三つの馬鹿が攻めてきます」
その報告を受け取ったアステリアは角砂糖を一つ放り込み、噛み砕いてから言葉を発した。
「馬鹿と言うのは、親切丁寧に説明しても理解出来ぬものだ。フィラートも無駄な努力、ご苦労というものだ」
民相手には見せなくなった嘲りを浮かべるが、憐憫も何割かは混ざっていた。
この場にミレーユ、バネッサ、イグナートらが居合わせたとすれば、アステリアに対して「丁寧に説明してもらった事がない」と突っ込みを入れただろう。
されど今はこの場に彼らもイザベラもいなかった。
いるのはアステリア直属の配下で、イザベラ以外の者は顔と名前すらも知らない者である。
「皆の様子はどうだ?」
「は、民らには特に動揺は見られませぬ。軍もあなたの下知を待っています」
主従関係にある割には砕けた答え方だったが、アステリアは平然と受け入れていた。
「皆は私を信じているのか?」
奇妙と言えば奇妙な問いかけに配下は即答した。
「はい」
返事を聞いたアステリアは不思議な笑みを浮かべた。
喜びでも悲しみでも怒りでもなく、苦笑や嘲りでもない、不思議としか形容出来ない種類の笑みを。
「そうか」
その一言にはどんな思いが込められていたのか、配下には想像も出来ない。
雲から月が顔を覗かせ、アステリア達を照らす。
アステリアがどんな表情を浮かべていたのか、月は語らなかった。




