五話「その頃」
「マリウスはフィラートを出るつもりはないようですね」
間者からの報告を読み上げる秘書官に対して、ヴェスター王ジョンソンは軽く鼻を鳴らす事で答えた。
「まあよいわ。あんなお人よしでは魔人には対抗しきれまい」
マリウスの事を見限る決断であった。
「奴隷兵を助けるのは美談でありますが、非情さを持ち合わせていないのは致命的でしょうなぁ」
ヴェスター王国大将軍、ランドルが感想を述べる。
己よりも強い者をあげつらうのは暗い快感である。
一国の大将軍となる者でも逃れるのは難しい。
「軍備は整っているのか、ランドル?」
「はい。十万の兵を数年は食わせられます。敵地で略奪なんて野蛮で愚劣な真似は出来ませんからなぁ」
今度はホルディア軍のやり口を揶揄する。
どうやらいちいち誰かを貶すような男であった。
ジョンソンとしてもこのような種類の人間は嫌いだ。
能力が備わっていなければ、打ち首にしてやりたいくらいである。
「ホルディアは狂王が独裁政治を行うようになり、国内の制度は大きく変わっているそうだ。正規軍も全く影響を受けないというわけにはいくまい」
「弱くなってくれたらありがたいのですがなあ」
再編成が終わると厄介な事になるので、出来れば終わる前に攻撃開始といきたいところだ。
「ミスラとバルシャークもいるとは言え、敵はホルディア軍だ。慎重に事を運ばねばならん」
「ごもっともですな。危ない橋は他国に渡ってもらいましょう」
作戦としてはごく当たり前の部類の事を言っているのに、ランドルが言うと陰険極まりなく聞こえる。
ホルディアはヴェスター一国で勝てる相手ではない。
ミスラ、バルシャークと連合を組んで六割くらいだろうか。
今のホルディアの状態ならば七割程度、というのがヴェスターの見解だった。
万全を期すならばフィラートも誘いたいところであったが、先のホルディア軍侵攻で受けた被害からの再建が先だと断られた。
正規軍数万が死に、国境周辺も荒らされたとあっては無理強いは出来ない。
マリウスが出撃してくれると最高だったが、魔人や魔王への対策に追われているという。
「確かに魔人は目障りだからな」
そういう意味でもマリウスとは仲よくしておきたいところだ。
断られるだけの勧誘など、続けても逆効果だろうから、次は贈り物攻勢でもしてみようか、と思う。
もちろんフィラートを刺激しない程度で。
などと考えつつ、ホルディア攻めの方にも意識を移す。
「うむ。しかし翼竜兵団は出すぞ」
「ははあ。彼奴らをですか」
ランドルのいちいち相手をおちょくるような態度に対し、ジョンソンは血管を引くつかせながらも平静を保とうと努める。
翼竜兵団はヴェスター王国最強の軍であり、翼竜とはワイバーンの別名である。
召喚士やレアスキル「モンスターテイム」を持つ者達を中心に構成されている。
翼竜兵団を出せばホルディア侵攻に本気だと示す事が出来るのだ。
ランドルに異存はなかった。
相手を騙すにはそれなりに手間をかけねばならないだろうし、翼竜兵団ならば決戦戦力として歓迎されるであろう。
「それにだ、ホルディアにはドラゴンが生息しているそうだ」
「ほう? それは初耳ですなぁ」
首をひねるランドルに舌打ちをしながら、ジョンソンは教えてやった。
「アマデーミ山のツインドラゴンを知らんのか? 黒い鱗を持ち、炎を吐く雄と白い鱗を持ち、氷を吐く雌だ。一説によると兄妹ではなくつがいだから、カップルドラゴンと呼ぶべき、とも言われておる」
フィラートがバルデラ砦を築きバリスタを配しているのは、そもそもがこのツインドラゴンを警戒しての事だと言われている。
ホルディア軍がたまにちょっかいを出すので、対軍にも使われているのだが。
「うっかり縄張りに入れば五万の兵など役には立たぬ。くれぐれも進路には気をつけよ」
「はい。ドラゴンなど、見たくもありませんからな」
ランドルの反応は安心出来るものではなかったが、死にたくなければ気をつけるだろう。
「しかしフィラート王が襲われたというワイバーンは誰が嗾けたのであろうか」
ジョンソンはふと気になった。
その独り言に近いつぶやきに、ランドルはよせばいいのに律儀に答えた。
「召喚士もモンスターテイマーもさほど希少ではありません。まあ、ワイバーンを使役出来る者となれば希少ですが……魔人ではないのですかな?」
「魔人ではあるまい。第二撃がなかった」
ワイバーンの群れを操る実力者、となれば最初に浮かぶのが魔人である。
彼らは程度の差はあれ、モンスターを支配し手駒にする事が出来るのだ。
しかし、魔人が目的をもって狙ったのであれば一撃で終わる事こそがありえない。
連続して第二、第三の攻撃が、あるいは魔人自身の襲撃があっただろう。
六頭の犠牲など、魔人基準では大した損失ではないはずだ。
フィラートの見解と似たようなものだった。
「国家単位ですと、フィラート、ボルトナー、ランレオ、ホルディアが除けますな」
「個人単位だとどうか分からんがな」
ランドルの結論に対してジョンソンは慎重な姿勢を見せた。
一人一人がどのようなスキルを持っているのか、国家は把握しきれていないのだ。
宮廷に出仕したり、軍に所属している者については自己申告で分かっているのだが、それが本当かどうか確認する術はない。
ジョンソンの考えではフィラート王を狙うまではフィラート内に、襲撃後はボルトナーあたりに逃げるのが一番だ。
もっとも人間相手ならば何故あの時期にフィラート王を狙ったのか、という問題が出てくるのだが。
「まあよいわ。魔演祭から一か月が過ぎれば戦争も解禁だ。少なくともミスラとバルシャークは攻めるであろうよ」
ミスラのフレデリックとバルシャークのジェシカは、戦闘意欲がむき出しだった。
一国では勝ち目が少ないから他国を誘う、という戦略は間違ってはいないと思う。
されどヴェスターがそれに付き合ってやる必要はない。
「ホルディア軍はミスラとバルシャークに戦ってもらい、我々は占領を目指すという事でよろしいですかな」
「うむ。あまり露骨にやりすぎんようにな」
舌打ちをされるくらいならば構わないが、恨まれると後が面倒だ。
何事もほどほどにが一番である。
「この時期に戦争……正気か?」
セラエノ王デレクはミスラ、バルシャーク、ヴェスターの動きに呆れた。
「魔王ザガンの話では止まらなかったのか」
簡単に滅んだからか、とデレクはごちる。
マリウスに「もっと苦戦して下さい」など言うのは筋違いだろうし、果たしてどうすべきなのか。
間者の一人が恐る恐るとと言った風に発言をする。
「気になると言えば、ホルディア王が戦争回避する気がないという点が気になります」
「あの女は何を考えているのか分からんからな。三カ国連合に対して、何もしないのか?」
「はい。謀略をしかける素振りも見せませぬ」
それはさすがに奇妙だった。
ホルディアが強いと言っても、三カ国同時と戦うとなると勝率は高くても三割というのがデレクの見立てだ。
もちろん焦土作戦といったなりふりを構わぬ手段を用いるならば、展開は違ってくるだろう。
それとも奴隷を盾にした消耗作戦とか。
狂王と呼ばれるアステリアならば、どちらもやりかねない。
(いや、あの者ならどちらも同時に、という事もあるか……?)
あたり一面を焦土としておいて、更に使い捨てにしても構わない奴隷数十万を盾にする。
交戦禁止期間中の攻撃ほどではないが、外道呼ばわりされてもおかしくない戦法ではある。
だが今はまだ国内を改革の真っ只中で、軍が本来の実力を完全に発揮するのは難しいホルディアが、一番勝ち目がある作戦と言えるだろう。
もっとも三カ国連合とてそれくらいは承知の上だろうから、どう転ぶのか分からない。
「陛下……?」
重臣達がデレクの判断を待っている。
デレクは一人で考えてもラチが明かぬと思い、下問してみる事にした。
「ホルディア王のやり方はどこか奇妙だとは思わぬか?」
王の問いに、臣下一同はとっさに答えかねた。
今更すぎる質問だったので、王の真意を理解する必要があったのである。
フィラートでの宮廷魔術師長に当たる、魔術宰相でもあるヘムルートが奉答した。
「謹んで奉答申し上げます。臣めにはホルディア王の言動、およそ全てが奇妙だとしか思えませぬ」
ヘムルートは魔演祭で多少ではあるが、アステリアを目にする機会があった。
容姿は優れているのに人望がない理由は凄くよく分かる女性だった、というのが正直なところだ。
「そうだ。しかし、いくら女王だからと言って、真の愚か者に一国を制する事は不可能だとは思わぬか? ましてホルディアは大陸一の大国なのだぞ」
「傀儡師がいるのではありませんか? 女王を言いなりし、影で嘲笑っているような者が」
目に見えるものだけが事実とは限らない、と一人の大臣が言った。
これは複数の国で幾度となく言われてきた事だ。
「それならば、指示を受けねばならないはずだ。しかし、女王にはそんな素振りが一向に見られない。魔力を用いる気配がないから、マジックアイテムも魔法も使っていない。どうやって傀儡師とやりとりをする?」
もちろん間者の諜報能力は絶対というわけではないから、目をかい潜っているだけかもしれない。
でもどの国でも全く察知出来ないのはさすがに変だ。
「女王本人が魔人であるならば話は別だが」
これも出た事がある意見ではあったが、すぐに無視されるようになった。
アステリアはホルディアの建て直しを本格的に行い始めたからだ。
人類国家を本気で再建する魔人などいるはずがない。
魔王の復活を目論んでいるならば尚更である。
「話がずれてきたな。結局、女王の真意はどこにあるかという事だ」
ホルディアの再建を立案し実行に移せる人間が、再建にかかる時間を読めないとは考えにくい。
「もしかして計算違いでは? どの国もマリウスとの交渉に没頭して、ホルディア攻めはないと読んでいたとか」
「あるいは思うように他国の感情を操作出来なかったのかもしません」
「それならば、貴族に責任を押し付けさえすれば攻められない、とでも思っていた可能性もあるな」
色々な意見が飛び交い始めたが、いずれもアステリアの見通しが甘かったとするものだ。
「うん、確かに説明は出来るな」
この手の読み違えるのは決して珍しい事ではなく、過去の歴史でも悪気なく感情を逆撫でにしてしまって戦争に突入した、という例はある。
アステリアのように一人で全てを決める種類の者ほど引き起こしやすい事態と言えた。
「それならば単に余がアステリア王を買い被りすぎていただけという事になるのだが……」
もちろんその方が好ましい。
ホルディアという大国を支配する君主があまり有能だと、セラエノにとっては厄介な展開になりかねない。
無能でも困るのでほどほどに優秀であって欲しかった。
セラエノでは何度か繰り返されたやりとりである。
それだけ、ホルディア周辺の動きには注目が高いのだが、理由はある。
人類が魔人と戦うと仮定した場合、ホルディアの動員兵力は大きな魅力なのだ。
マリウスという規格外の魔法使いはいるが、さすがに大陸全土を一人で守る事は難しいだろう。
マリウスが来れない場所には人類の軍隊を配置せねばならない。
ホルディア軍がどれくらい計算出来るかで大きく変わってくるのだった。
だが、それをミスラもバルシャークも聞き入れようとはしない。
魔王の脅威を信じていないのだった。
(まさか脅威が分かりやすいように倒してくれとも言えんしな)
それだと人類への被害が大きすぎるし、何よりも他国の人間である。
言えるはずがなかった。
それにしても魔王の倒し方に注文しようという発想こそが異常だ。
普通魔王が復活したとなれば、人類国家が一丸となって立ち向かわねばならないというのに。
人類が滅ぶとすればその愚かさ故だ、とメリンダが言い放った事があるらしい。
デレクとしては否定したくても否定出来ない、というところだった。
彼の兄もまた愚かな人間で、最強セラエノを復活させようと軍備拡大、領土拡大を訴えたのだ。
領土拡大は単に将が有能で兵が強ければ出来るというものではない。
セラエノが領土拡大を図れないのは戦力ではなく、本格的な侵攻を行うには兵站能力が貧弱すぎる事にある。
だから本気で侵略するにはまず兵站能力を強化せねばならないのだが、デレクの兄はそれを理解しなかった。
兵站強化を訴えていれば支持は得られただろうが、それを軽んじる輩に従う者はいなかった。
セラエノ軍が強いのは単に兵が強いからではないのだ。
結果として王太子としての地位を剥奪され、災いの芽となる事を警戒した父王に刺客を差し向けられ、崖から転落したという。
人肉を好むモンスターが跋扈する地域だったから助かるはずがない。
胸が痛まないと言えば嘘になるが、一方で割り切れてもいた。
愚か者が王になったところで民草が迷惑するだけなのだ。
出来る事ならばフレデリックやジェシカにも消えてもらいたい。
もちろん、人類全体の事を考えれば混乱は小さい方がよいし、ない方がありがたい。
(アステリアよ。貴様も愚か者ならば、消えてもらうぞ)
今、アステリアが死ねば王位継承者が不在で、ホルディアは大いに混乱し隣接した国々に分割吸収されるだろう。
それは対魔人の事を考えるならば悪手だし、アステリアもそこまでは愚かだとは思えない。
アステリアを消すべきか、生かしておくべきかは三カ国連合との戦いを見てから決める事にした。




