四話「夜に」
セイルがフォローしてくれた視察は失敗には終わらずにすんだ。
父ガッソからは真面目さは引き継いでいるものの、柔軟さも持ち合わせているようだった。
マリウスはテレポートを繰り返し、各地の執務官と面会し、こっそりと魔法を使っていた。
執務官は皆、信頼出来る人物で固められていると判明し、まずは一安心といったところだ。
全員がマリウス一行の唐突な訪問に驚き、緊張していたのは無理ない、とロヴィーサは思う。
後世に伝わるような功績を積み上げている、強大な力を持った新興貴族。
機嫌を損ねたら家族ごと消されてしまいかねない。
王女として非常に残念なのだが、貴族達にそういう印象を持つ平民は少なくない。
元凶と言えるアシュトン、バーナードらの勢力は没落したのだが。
しかしだ、マリウスという人物にしばらく接していれば思い過ごしだとすぐにでも気づく、とロヴィーサは信じている。
ルーカスやヤーダベルスといった実力者のように、マリウスは自らの力をひけらかしてふんぞり返ったりはしないのだ。
誤解しかけた時もあったが、あれは単に加減を間違えていただけだと分かった。
そういった慎ましさはロヴィーサには好ましい。
気恥ずかしいので決して態度には出さないのだが、そういうところがダメだとエマには言われる。
「マリウス様にだって言葉や態度で示さないと伝わりませんよ」
魔法で心を読まれてもいいのならば話は違ってくるのだが、と続けられて唸ってしまった。
読心魔法というものは伝説の彼方に消え去った、とされていたのでよく分からない。
父王から聞いた話では無条件に全て読めるものでもないらしいが、やはり考えなどを読まれるのはあまりいい気はしない。
マリウスは信頼に足る人物だと思えるようにはなったが、それとは別である。
ロヴィーサの中ではマリウスはとても不思議な人物だ。
素顔は自分と大して年が変わらない程に若いのに、あの強さ。
大魔法使い、と称される領域の実力者は年を取る方が珍しいとの事だから、ずっと年上なのだろうか。
その割には常識に疎かったり、経験不足としか思えない反応をしたり、知らない事に強い関心を持ったりもする。
気づいたら強くなっていただけの、ごく普通の若者というのが一番しっくりきたりする。
(そんな事、あるはずないわよね)
ごく普通の若者が突然強くなるなど、「修行を頑張ったんでしょ」と子供に苦笑されてしまうレベルである。
だからロヴィーサはマリウスの評価を定められず、頭が混乱した状態が続いているのだ。
バーラ王女あたりはずっと単純に考えているようだが。
マリウスが自分の夫になる、マリウスの隣に妻として自分が座る。
ロヴィーサには全く想像が出来ない事であるが、やらねばならない。
それが現フィラート王女としての責務だ。
(こんな考え方しか出来ないから、可愛げがないのでしょうね)
それくらいの自己分析なら出来るが、どうしようもない。
今更、思想や生き方を変える事など無理だ。
だからマリウスという人物を理解しようと思った。
見知らぬ土地、馴染みのない風習だらけの国である。
理解者がいるという事はきっと喜ばしいはずだ。
打算的な発想が染み付いている己に嫌悪感を抱きながら、それでもロヴィーサはあがこうとしていた。
(誰もマリウス様の事を理解しようとしていない気がする)
漠然とロヴィーサが考えている事だ。
父王もルーカスもニルソンもレイモンドも、バーラやキャサリンも。
国益の為にあの能力を利用しようとしていたり、自分の気持ちをぶつけるだけだったり。
それはとても哀しい事だとロヴィーサは思う。
能力や功績だけを見てちやほやされて、果たして嬉しいだろうか。
もっとも己にそんな事を非難する資格などないという自覚はある。
(妾が一番酷いでしょうしね)
マリウスの強さを知った途端に結婚相手として候補に入れたのだ。
そんな人間が今更ではあるが、似たような輩しかいないマリウスは孤独ではないだろうか。
新呪文を提唱しても相手にされなかった、かつての彼女自身のように。
家族やそれなりに親しい臣下達にも苦労したのだ。
見知らぬ相手しかいない中、たった独りというのはどういう心境なのだろう。
そう想像すると胸が痛み、自分に同情心がある事に一抹の意外感があった。
ロヴィーサはある意味、己を過大評価していたと言える。
結婚相手にはどんな時でも、打算に基づいた考えしかしないと思っていたのだ。
マリウスの孤独な様を想像するだけで哀しくなるのは、打算なしの感情があるからだとは気づかなかった。
彼女はまだまだ経験が不足している少女に過ぎないのだった。
だからマリウスが意外と開き直って受け入れてしまっていると、想像する事も出来なかった。
「失礼いたします」
エマがハーブティーを淹れて入ってきたのだ。
ロヴィーサは考え事に耽っていて、命令した覚えなどない。
エマがどうせ主人は考え事にふけっているだろう、と予測しただけの事だ。
「さすがはエマ。侍女の鑑」
主人の呆れ混じりの賞賛に一礼で応えた侍女は、お茶を勧めた。
「これはカモミールかしら?」
一口含んだロヴィーサの問いにエマは頷く。
「今回の件、心を痛めていらっしゃるかと思い、持って参りました」
「マリウス様に恥をかかせてしまったものね」
「はい。全てはマリウス様がどこまでも例外だと知らしめる一歩でございます」
二人の狙いはこうだ。
上流貴族にして国賓魔術師であるマリウスと言えども、一国の王女相手では格下となり、礼を尽くしてもてなさねばならない。
さもないと大失態とされ、王家から咎めを受けるだろう。
しかしもし、王家が一切咎めなければ?
あちこちの視察に王女を同伴者として連れ回す事を当然と受け止めていれば?
「本当にマリウス様が特別だという既成事実が出来上がる……?」
少なくともロヴィーサと対等な相手として扱える、ただならぬ関係だという宣伝にはなりそうだが上手くいくだろうか。
マリウスには事後承諾という形で納得してもらえたのだが、これはマリウスが悪かった。
貴族が視察を行うのであれば、本来は馬車を用いて堂々とするべきである。
それが転移魔法を使われてしまった為、事前に説明する暇がなくなってしまったのだった。
もっとも、マリウスがそういう人間であると王家側もそろそろ学習するべきであり、その点について全く落ち度がないとするのも難しい。
マリウス本人は全く気にせず、「物を知らないので」と苦笑で片付けてしまったから、うやむやになってしまった。
「確信は持てませぬ。しかしながら、なりふり構っている余裕はないかと存じます」
バーラ、キャサリンらもそうだし、ミリーやファーナらもだ。
さすがに一国の王女や貴族令嬢を、マリウスと結ばれた後に側室や愛人に追いやるのは問題がある。
マリウスはフィラート王家に好意的だし従ってはいるが、この国の風習を曲げて他者を貶める行為に寛容だという自信はなかった。
そもそも貴族の規範たる王家がやっていい事ではなく、もし実際にやってしまうとバーナード、アシュトンといった手合いと同類となる。
だから誰よりも先んじる必要があった。
エマにしてみればそれだけではない。
「それに迫られるのが嫌であればそう仰ればいいではありませんか」
今回の事態の責任はマリウスにこそある、と考えているのだ。
力関係からして、マリウスに無理強いする事は誰にも出来ないのだから、一言断れば全て壊す事が出来る。
もちろん王家への配慮だとは分かってはいるが、もう少しやりようはあると思う。
厳しい見方をするのであれば、複数の女性からモーションをかけられる展開を楽しんでいるのではないだろうか。
「後、淫魔達の例もございます」
三匹とも召喚獣にしたのはさておき、全員と関係を持っているのだ。
一夫多妻に消極的なのは何だったのか、とエマでなくても思う事だ。
召喚獣はよくて妻はダメ、とは理解不能である。
マリウスが別大陸の人間である事は考慮せねばならないのだが。
「そうね」
ロヴィーサは一度頷いてから「ただし」と付け加えた。
「だからこそマリウス様の事を理解しないといけない気がするのよ」
言葉では上手く説明出来ないけど、と言われてエマは考え込んだ。
ロヴィーサが時折鋭い感覚を発揮する事を知っているからだ。
いい例がロヴィーサ式呪文で、あれも最初は「何となく改良出来るような」と曖昧な発言だったのだ。
「だってマリウス様の事、どれくらい知っているというの?」
好きな食べ物だとか、意外と気遣い出来る性格だとかいった事は分かった。
でも何年何月にどこで生まれたとか、どれほどの魔法を使えるのかとか、まだまだ知らない事は多い。
むしろ話題になるのを避けている素振りさえある。
何かとんでもない秘密を抱えているのかもしれない。
「だとしたら本音を漏らした事もないはず。妾にはあなたやヘルカがいるけれど、マリウス様には誰もいないのよ」
「それは……」
エマはとっさに言葉が出てこなかった。
マリウスがそんな繊細な人間だとは思えなかったのだが、「気遣いが出来る性格」なのだから、そう見えないように装っていたというのはありえる。
決して荒唐無稽とは言えない。
どうして今までそういった発想が出来なかったのだろう、とエマは恥ずかしくなった。
きっとマリウスの絶大なる強さに目が眩み、知らないうちに正常な思考が出来なくなっていたのだ。
「簡単ではないでしょうけれど、いつの日かあの方の孤独を癒して差し上げるような女になりたいわ」
頬を染めながらそんな事をつぶやく主人を、エマはどこか置いてきぼりになったような感覚に陥りながら眺めていた。
二人の美女から孤独な人間と認定されたマリウスは寝室でゾフィといた。
彼女は腕力ではなく、主人の気まぐれで座を勝ち取ったのだった。
強い相手と経験すればする程に強くなるのが淫魔という種族の特性だった。
魔人になっても変わらないどころか、むしろ成長力が強化されたくらいだ。
最愛の主に尽くし、喜んでもらえる事が全てになっている今のゾフィにとってはおまけみたいなものなのだが。
「ご主人様、また私パワーアップしたようです」
ゾフィの報告にマリウスは「淫魔って卑怯だな」と思ったり、「俺が言ったら世話ないか」と反省したりした。
こうして可愛がれば可愛がる程、戦力強化につながるのは喜ばしい限りである。
そのうち新しい魔人が誕生するかもしれなかった。
マリウスは決して孤独感に苛まれたりはしていない。
生来の楽天的な性格と、賢者補正のせいで今の状況を完全に受け入れていたのだった。
置いてきてしまった友達や女の子達に申し訳ない、という気持ちは強かったものの日常生活ではなりを潜めていた。
「視察が終わったら、一度奈落の湖に行くか」
「捨て駒程度でしたら、わざわざご主人様が行かれずとも私の方で始末いたしますが」
ゾフィの進言をマリウスは却下した。
もしかしたらルーベンスが自らの目で確かめよう、などと考えるかもしれないと思ったからだ。
そうなればゾフィが危うい。




