二話「犯人は……」
マリウスは時間を見てヘルカに疑問をぶつけた。
「女性しかいないのは慣れてもらう為ですよ?」
ヘルカはいつも通りの笑み、つまり腹黒さを感じさせる笑みだった。
何に慣れるのかは考えるまでもない。
「別に女性嫌いというわけではありませんが」
「ええ。淫魔達を召喚獣になさりましたものね」
ヘルカがある程度の事を知れる立場だと知っているので驚かなかった。
「女性達に傅かれる生活に慣れたら、心境も変化するかなと。私が進言しておきました」
「やっぱり」
何だかそんな予感はしていたのだ。
マリウスが既に心変わりし始めている事は誰も知らないはずだ。
つまりフィラート側からすればハーレム状態は避けるべきである。
にも関わらずやったという事は、危険を承知で踏み込んでくるような気性の持ち主が考案しそれが採用されたという事だろう。
マリウスが知っているのは目の前にいる、無害そうな顔をして黒い事を企てる女性だけだった。
「まあそれはいいんですが」
「あら。既に心境の変化が? ならばまずエマちゃんでも押し倒していただきたいですね」
隙を見せたらすかさず先制攻撃である。
腹立たしさではなく脱力感を覚えさせるあたり、ヘルカは得な人間かもしれない。
「それはおいといて」
「えー」という抗議をマリウスは無視した。
「ミリーとファーナってどういう女性なんですか?」
知らないかもしれないと思い、マリウスはかつての出来事を説明した。
「てっきり“アシュトン派”と呼ばれる勢力に属しているのかと」
「ああー、あの二人は違いますよ」
マリウスの疑いをヘルカは否定した。
「あの娘達の家は王家派です。正確には王家に忠誠は誓っているけど、マリウス様の正妻を出したい、と考える者達です」
ロヴィーサ様を出し抜いてね、と付け加えたところで黒い波動が増した。
ロヴィーサ大好きのヘルカにしてみれば、非常に面白くない相手なのだ。
言われてみればもっともな事だった。
魑魅魍魎の巣窟と形容される事もある貴族社会が、単純な敵味方で分けられるはずもない。
王家に忠誠を誓う事と、王家を出し抜いて娘をマリウスの正妻にしたいと考えるのは矛盾しないのだ。
「まあ個々で動かれるより、目が届く場所に置けばいいかな、と」
それが王家の結論だった。
そのあたりをマリウスに説明し、ミリーとファーナを監視するのがヘルカの役目である。
アメリア達は能力的にも人格的にも及第点を与えられるが、この問題に関してはアテには出来ない。
彼女らだって一応は貴族の端くれである。
自分の妹や娘や姪やらをマリウスと引き合わせない、とは限らない。
侍従として信頼出来るのと、そういった事を行うのも矛盾しないのだ。
「成功すればまさに一発逆転ですからね」
ヘルカの解説を聞くうちにマリウスは頭が痛くなってきた。
「だから殿方にはご遠慮願ったのです。アイナやレミカとの間に噂を立てられないとは限りませんからね」
男の従者がゼロだったのはちゃんと理由はあったのだ。
「外からの侵入者はゾフィさん達が迎撃してくれますよね?」
マリウスは首肯する。
夜は淫魔の世界と言っても過言ではない。
人間相手ならば撃退可能だろう。
「あ、そうそう。アイナとレミカが妊娠しないようにも気をつけさせていただきます」
「……」
もう何を言い返せばいいのか分からなかった。
客観的に見れば専属侍女を指名するという事は、つまり手を出したい人間を選ぶようなものなのだ。
ヘルカのこの言葉でマリウスはやっとその事に気づいたのである。
ウィルスンの従妹というレミカを庇う発言もそれに拍車をかける。
だからと言って後悔したかと言うと、全くそんな事はなかった。
(全部呑んでやる!)
ヤケクソになったというわけでもない、多分。
マリウスは主人の寝室と定められた、軽く二十畳はありそうな部屋に籠ると召喚獣達を呼び出した。
「さてどうするか」
主の問いかけに三匹の淫魔はお互いの顔を見合わせた。
「全ては主の御意のまま」と答えたら怒られる事くらいは分かる。
「全員いただいてしまい、ご主人様の好みの順に序列を定めては如何です?」
豪快な意見を言ったのはゾフィ。
「ご主人様が興味ない人にはお引き取り願えないんでしょうか」
無難な事を言ったのはアル。
「ご主人様のご寵愛を餌に女同士争わせる手もございますが」
えげつない提案をしたのはエル。
とりあえずエルの意見は却下した。
「そこまで人でなしになれんよ」
「ご主人様は人という規格をとっくに超越なさっていますが……」
ゾフィとアルは困惑した。
彼女らにとって人を超えているというのは賛辞である。
エルが仲間をフォローする為、そして自分への評価を高める為に答えを述べた。
「ご主人様は人でありたい、と思っていらっしゃるのよ」
マリウスは我が意を得たとばかり、何度も頷いた。
別に好き好んでこんな力を得たわけではないのだ。
力を得たおかげで今の境遇があるのだから、否定しては罰当たりだとは思うが、人間でありたいという気持ちは変わらない。
他人にどう思われようが気にしない、と開き直れたらまた違った人生を送れるのかもしれないが……。
「全員いただく、というのが一番現実的かな」
「お前一夫多妻は嫌って言っていただろう」と激怒する人がいそうな、変節宣言だった。
ここまで露骨に迫られ続けていると、気にする方が馬鹿馬鹿しいように思えてきたのだ。
狙ってやっていたとのであれば、見事としか言う他ない。
召喚獣達は皆賛成した。
やきもちの一つでも焼くかと思えばそうはならない。
気になったので尋ねてみたら
「召喚獣は召喚獣、人間は人間ですね」
「皆で幸せになればいいんです」
「ご主人様のご意思に従います」
ゾフィ、アル、エルの順である。
さりげなくエルは割り切れていない気がするが、マリウスの決定には従うのであれば、大きな問題にはならないだろう。
さていざ腹を括ったら、誰から手を出すかという問題が起こる。
「王女に婚姻前に手を出すのはまずいと思います」
エルがそう進言し、マリウスも首肯した。
それにマリウスの意識ではキャサリンに手を出せば犯罪者だ。
この世界では合法だからと言って、行為に及べるかは別である。
「王女がダメとなると、エマ、アイナ、レミカ、ミリー、ファーナあたりですね」
ゾフィの言葉にマリウスは微妙な顔をした。
「エマさんは無理な気がするな。それにミリー、ファーナに手を出すと後が面倒になりかねない」
「となるとアイナかレミカですか?」
アルの言葉に頷き、それから付け加えた。
「あくまでも狙うなら、の話だけどな」
聞きようによってはへタレとも取れる発言に三淫魔からは「えー」と抗議めいた声が上がった。
ここまで話を進めておいてそれはない、と言いたげである。
(一般人はともかく、貴族女性はどう手を出すべきなのか分からん)
元の世界では無縁な存在だったというのが引っかかって、どうしても慎重になってしまう。
ロヴィーサとのデートがいい感じに終わったのだから、デートに関しては差異はほぼないのだろうが。
よく考えれば「女は一般人しか知らない」と言って相談すればいいのではないか。
今更ながらその事に気づき、ゾフィらに言った。
「なるほど、謎は解けました」
エルが探偵みたいな事を言う。
それをゾフィとアルがきょとんとした顔で見ている。
「我々に対しては積極的なのに、人間相手には及び腰なのには疑問を持っていました。てっきり、同族だからかと思っていたのですが」
他の種族と同族とで態度が違うのは少しも珍しい事ではない、エルはそう言った。
「人間の貴族だって、貴族と平民、美しい女とそれ以外で態度が違いますからね。ご主人様の場合はずっと健全だと思います」
マリウスが反応に困る事をエルは言った。
正直魔王を倒せる実力者が何を情けない事を、という思いがないわけではなかったが、煩わしさを感じたくないという気持ちは分からなくもない。
レミカを庇ったように、いざという時には男気を発揮するのであれば別にマイナスではない。
エルはそう考える。
人間が複雑で面倒な生き物だという事くらい、百も承知である。
ゾフィとアルはもっと単純に、マリウスの望み通りにすればいいと思っている。
「女を口説くにせよ、魔人と魔王は何とかしないとな」
仲よくなった女の子が殺されてしまう、という事態が発生しかねない。
常時マリウスが側にいれるのであれば、防ぐのは難しくないのだろうが。
「魔人達に動きはないようです。魔王ザガンの死はまだ伝わっていないようですね」
ゾフィの言葉に頷きかけ、鵜呑みにすると危険だと思い直した。
「でも復活するはずのザガンが復活しない、となると疑念を抱くんじゃないか?」
さすがにそこまで愚鈍な連中とは思えない。
「ザガンはともかく、ルパートとセンドリックが倒された、とは考えるでしょう。また誰かが封印地に来るかもしれませんから、そこを狙っては如何でしょうか?」
エルの提案にマリウスは考え込んだ。
ザガンの封印地で待ち構えていれば芋づる式に魔人が釣れる、それが理想的な展開ではある。
しかし、魔人という生き物はそこまで考えなしなのだろうか。
ザムエル、ルパート、センドリック、そしてゾフィ。
四人の魔人を見た限り、全員人類を侮っていて、情報収集などを真面目にやるようには見えない。
例外はエルくらいだろう。
エルが魔人ではなく淫魔止まりだったというのは、人類にとっては僥倖だったと言えそうだ。
「来るとしたら誰だ? ゲーリックが来てくれるなら、待ち構える価値はあると思うが……」
マリウスは絶対に倒しておきたい魔人の名前を挙げる。
恐らく己以外には識別が出来ない相手だからだ。
ゾフィは考えながら、予想を述べる。
「ゲーリックは来ないでしょう。ルーベンスはゲーリックの事を重用していて、万が一の事がありそうな任務には参加させないと思います」
「……その割にはセラエノで大暴れしたらしいが」
数十年前、セラエノが大打撃を受けた原因としてゲーリックは有名なのである。
マリウスの疑問をゾフィは一蹴した。
「所詮は人類国家最強程度ですから。ゲーリックに勝てる可能性がある者をまず不意打ちで始末したと聞いていますし、逃げ切るのも容易でしょう」
信頼出来るはずの人間に化けて実力者を不意打ちで殺し、また別人となって追撃をかわす。
そうやってゲーリックはセラエノの力を削いだのだった。
「今回はご主人様がいらっしゃいます。待ち伏せして怪しい者に無差別攻撃を加える、という手段を取ればゲーリックが危険です。そんな方法を取るルーベンスではないでしょう」
ゲーリックの価値が分かる程度の頭はあるし、マリウスならばゲーリックを倒してしまう可能性がある事も分かる。
それがルーベンスだと思っていた方がよいとゾフィは言う。
「もし来るとすれば、捨て駒の誰かでしょうね」
「ザムエルみたいな?」
捨て駒という部分にマリウスは反応したが、ゾフィは苦笑を浮かべた。
「ザムエルは確かに倒されてもそんなに困らない奴でしたけど、スキルはかなり強力だと言われていたんですよ?」
それなりの戦闘力を持った数万の分体を作り出せるのは人間相手には有用だろう、という意見は多かった。
全部まとめて瞬殺出来る人間がいるという事を想定していなかった、というのもあるが。
「ザムエルが捨て駒だと認識する、ご主人様がおかしいです」
アルも苦笑しながら言い添えた。
エルも似た表情を浮かべている。
(えー、だってどう見てもただのかませ……)
マリウスは脳内だけで反論した。
ザガンもかませみたいな存在だったと思い出したからだ。
断末魔らしき声を聴いたものの、姿形についてはさっぱり分からなかった。
残りの魔王や邪神もあれくらいならば楽が出来ると思う。
「当面、奈落の湖で警戒するか」
「御意」
結局大して進展がなかった気がするのは、きっと気のせいだとマリウスは思った。




