エピローグ
「マリウス殿も侯爵だ。そろそろ専属侍従が必要だな。それに屋敷も用意せねば」
ベルンハルト三世のこの一言が新たな火種となった。
伯爵までならば王家や公爵、侯爵に従う者としての立場を貫いてもよい。
大した領土を持たず、宮廷に出仕して俸給で生計を立てている男爵や子爵はさほど珍しくない、というのがフィラート王国での現状である。
逆に公爵と侯爵は上級貴族として王家を補佐し、下級貴族を束ねていく役目もある。
伯爵を上級とするか下級とするかは国ごとで異なるが、フィラートで言えばどちらかと言えば後者だった。
だからこそ今まで専属侍従もなく、王宮住まいでもよかった。
領地を運営する代官を置くだけでも特に問題視されなかったのである。
(どっちにしても俺には無理だなぁ)
マリウスは最初から諦めていた。
腹芸の類では「未熟者」に分類されるはずのロヴィーサにすら勝てない自信がある。
国家の中枢に飛び込む選択をした以上、ある程度は受け入れるべきだ。
(じゃないとただの自己中になる……)
それは避けたいところだった。
「マリウス殿、専属侍従を最低でも二名。それと新しい領土を任せる執務官を選んでくれぬか?」
「執務官の方々とは面識がないので、信頼出来る方を、としか言いようがありませんが……」
不正をやっているかどうかなど、魔法で一発で分かる。
そう釘を刺しておけば大丈夫な気もするのだが。
「専属侍従は? 何なら貴族令嬢を行儀見習いの名目で侍らしてもよいぞ」
もちろんこれは王なりの冗談だろう。
今、このタイミングで言うと洒落になるはずがない、と分かって言うあたりが残念な気がする。
「個人的な希望で言えば、アイナかレミカなのですが」
多少は気心が知れているし、容姿も王女達には及ばないとしても充分に美しい部類に入る。
本音を言うならばエマが一番なのだが、さすがに通らないだろうと思っていたりする。
とここまで考えて、場の空気が微妙に変わった事に気がついた。
ロヴィーサがさっぱり事情を理解していないマリウスの為に説明をした。
「アイナはともかくレミカは難しいかと。あの娘は処断されたウィルスンの一族ですから」
「え……?」
マリウスにとっては寝耳に水な情報だった。
「本人には咎めはありませんし、凄くいい娘ですから、真相を知ってもマリウス様を恨んだりしないでしょうが……」
語尾が尻すぼみになって消えた。
本人同士の気持ちもさる事ながら外聞の方にも配慮せねばならない。
体を使ってマリウスに取り入ったおかげで助かった、などといった噂が発生しかねない。
(俺が庇うとかえって悪化するか……?)
女同士の争いの場合、下手に男が口を挟むとろくな事にならない。
少なくともマリウスの経験ではそうだった。
「しかし選ばなかったら、それはそれで言われるのでは……?」
アイナが選ばれてレミカが選ばれなかったのはウィルスンのせい、可哀そうにねと表面だけは同情しているかのように。
どちらにせよ言われるのであれば、本人に選択させてはどうだろうか、とマリウスは提案した。
レミカは急な呼び出しに顔を青ざめさせながら、歯を食いしばって応じた。
次は自分の番、と勘違いしたようだ。
事情を聞かされ、何度か瞬きをした後、言葉を選びつつ口を開いた。
「この上なき名誉と存じますが、わたくしなどを選んではマリウス様の武勇と威光に傷をつけてしまいます。他にも優れた者はいますので、そちらからお選びになるのが吉かと愚考いたします」
つっかえつっかえになりながら、辞退の意を示した少女にマリウスはのほほんと答えた。
「傷がついたら回復すればいいじゃないか」
のん気と言えばのん気な反応に、レミカは答える事が出来なかった。
他の者もとっさに言葉が出てこない。
名誉というものを簡単に考えている事を注意した方がよいのか、それともマリウスならば簡単に回復出来そうだと賛成すればよいのか。
「専属侍従の傷は私の傷。そういうものではありませんか?」
マリウスは落ち着いた態度で尋ねる。
周囲は風格すら漂う様に威圧されたが、本人にしてみれば「俺の認識、間違ってないよね」といった心境だった。
まさかそう質問するわけにもいかないから、何でもない風に装っているのである。
「マリウス殿の言うとおりだ」
ベルンハルト三世が肯定するとマリウスは不敵に笑った。
「私に傷を負わせたい者がいるならかかってくるといい。報いを与えてやろう」
そう言って意図的に凄んでみせる。
これはある種の宣戦布告で、その場に居合わせた者は空腹で殺気立つドラゴンに遭遇してしまった、無力で哀れな小動物のような心地だった。
レミカだけはとても頼もしく見える。
頬を紅潮させた侍女にマリウスは優しく微笑んだ。
「安心して私について来い」
「は、はいっ!」
レミカは目を潤ませながら何度も頷いた。
感動すらし、「一生マリウス様についていこう」と心に固く誓った。
後にマリウスはこの時を振り返り、「本人に落ち度がないのに冷遇されるのは気の毒だったから」だと述懐している。
屋敷の方はアシュトン派に仕えていた者達から選ぶ事にする。
失業者の増加は国内の景気に影響が出る。
彼らはアシュトン派に雇用されていたと言っても、その主義主張に賛同していた者は少数で、生活の為という者が大半だ。
そして人間的に信用出来るかどうかはマリウスには分かる。
能力があって経験が豊富で、人間として信用出来るならば問題はない。
この事がマリウスの評価を更に高め、アシュトンらは「あんないい人を貶めていた」と更に評判が悪くなった。
「魔王の封印地らしき場所は見つからず、か」
「はっ」
ガリウス王ヴェヌート二世は臣下の報告にため息をついた。
魔王の封印地、と呼ばれる場所は独特な空気があり、生態系などに異常が生じているという。
ガリウス内でそのような場所が見つけられないのは幸か不幸か。
「フィラートに協力したいのはやまやまだが……」
これ以上出来る事は特になさそうだった。
ぼんやりと二人の娘の事を考える。
上は十六歳、下は十四歳。
親の欲目なしでもなかなか出来た子らで、そろそろ嫁ぎ先を決める時期にきている。
ヴェヌート二世としてはマリウスの事がなくてもどちらかはフィラートにやりたい、と考えている。
そしてもう片方は国内の有力貴族へ、王位は末の息子へ。
ガリウスが安泰である為には一番いいと信じている。
周辺国との兼ね合いを無視するならば、マリウスを娘の婿にもらえるのが一番であるが……。
マリウスに娘を嫁がせたいという申し出を断られたのは、それほど意外というわけではない。
友好国と優先すべき政策は必ずしも一致しないのだ。
それにしてもマリウスという男は、どうにも欲や野心というものとは無縁な種類の人間であるようだった。
能力とはおよそ不釣合いな、侯爵だか伯爵だかといった地位に文句一つ言わずにのんびりとした生活をしているとか。
もっとも大貴族並みの待遇を与えれば、それはそれで火種となる。
だからこそセラエノやホルディアあたりは獲得に不熱心なのだろう、と推測していた。
(マリウス以上に気になるのは魔人勢力だが……)
魔人や魔王が倒されたというのに、不気味なまでに大人しい。
想定外の事態の連続に混乱しているのだろうか。
更にフィラート王襲撃事件も気になる。
犯人の最有力候補は魔人だが、単発だったところを見ると人類の誰かなのかもしれない。
魔人ならばワイバーンの十匹や二十匹くらいは動かせるはずで、二撃目を繰り出さない理由がなかった。
そうなると可能性が高いのは人類だ。
人類がモンスターを使役するには召喚士になるか、あるいは特殊スキル「モンスターテイム」が必要だが、後者は使い手が珍しく認知度も高くない。
召喚士や召喚術の普及と共に廃れたスキルと言える。
それ故に見落とされがちで、フィラート人、ランレオ人、ボルトナー人にだって使い手がいる可能性は否定出来ないのだ。
(一言警告しておくか)
妹姫の方は魔法使いとしての素養がある。
是非マリウスかバーラ王女の教えを請いたいと手紙に書き、追伸で「モンスターテイム」の事を記しておく。
「誰か。これをフィラート王まで届けよ」




