十話「ボルトナーのお姫様」
「フィラートってやっぱり大国だよね」
宛てがわれた部屋に戻ったキャサリンの第一声はそれだった。
諸費用抑制しているはずの王宮はボルトナーのものよりも大きいし、調度品も地味に見えて上等なものが揃っている。
もちろんキャサリンが賓客というのもあるだろうが、パーティーに出された料理の豊富さも比較にならない。
「費用を抑えても充分贅沢出来るのかもしれませんが、やはり民の為に税金の浪費を削減する、というのは立派ですな」
キャサリンのお目付け役であるモルト侯爵がそう感想を述べる。
これはフィラートに対する友好的な立場に基づいた見解であり、「ただの自己満足」「人気取りの為の偽装」と陰口を叩く者達もいる。
少なくともランレオはそうだ。
「本当にね」
キャサリンはしみじみとつぶやく。
別に贅沢な暮らしをしたい訳ではないが、自国が劣っている点をまざまざと実感させられてしまうと、ため息の一つも出るというものだ。
民への配慮では負けている気はしないのだが、他に誇れる点はないというのはちょっぴり切ない。
「ところでマリウス殿はいかがですかな。私はなかなかの御仁と見受けましたが」
モルトに話を振られたキャサリンは真っ赤になって俯いた。
「えと、もっとお話したいわ。もっと仲よしになりたい」
もじもじとしながら、か細く望みを言う王女を、臣下一同は妹や娘を見るような慈愛のこもった目で見ていた。
モルトがそっと合図をすると、順番に情報を話し始めた。
「マリウス殿は宮廷魔術師のレイモンド殿や魔法兵団と仲がよいようです。何でも新しい魔法戦術に関して議論を交わしたり、召喚術を教わったりと交流が続いてるようで」
「バーラ王女の講義にも積極的に参加しているようです。何でも知らない事に対して貪欲なのだとか」
「苦手な食べ物は特にないようですね。それから、肉弾戦の強さに関しては不明です。誰も肉弾戦に持ち込む事すら出来ないだろう、との事です」
キャサリンは何度もまばたきをしながら報告を聞き入っていた。
そして何か言いたげにモルトを見る。
意を汲んだモルトは胸に手を当て、微笑みながら一礼をした。
「姫様のお役に立てれば幸いです」
モルトはボルトナー人が不得手とする、情報収集やからめ手などにも頭が回る稀有な人材で、だから王が大切な娘の為に選んで送り出したのだ。
彼が国を離れたせいで政事の効率が落ち、文官達が悲鳴を上げたのは余談である。
もっとも誰も文句は言わなかったあたり、キャサリンが皆に愛されている事がうかがえた。
「次に魔王ザガンを倒したという情報が。各国に残りの魔人や魔王に関して警戒を呼びかける通達を出したようですし、恐らくは事実でしょう」
「え……?」
「は……?」
キャサリンもモルトも目が点になった。
ちょっと散歩してきました、のようなノリで倒されるような魔王ではないはずなのだが。
大体、魔王がそんな簡単に倒せるくらいならば、モンスターはとっくに滅んでいる。
「ボルトナーは平原が多いし、索敵もしやすいでしょうな」
「ええ。気をつけて探すように、わたくしもお父様にお手紙を書いておきます」
キャサリンとモルトが事態を受け入れるのに約五分かかったが、果たして長いのか短いのか。
「次に女性関係です」
侍女の一人がそう言った時、キャサリンの体が軽く硬直する。
自分はまだ十二歳なのは不利ではないか、という思いがあった。
「女性からのアプローチは多いようですが、どうも実った形跡はありませんね。一番親しいのがロヴィーサ王女、その侍女のエマ、あるいはバーラ王女だと思われます。後、未確認ながら気になる情報が」
「……何かしら?」
キャサリンの問いかけに、侍女は躊躇いがちに答える。
「はあ。実は淫魔三匹に襲われたものの返り討ちにし、召喚獣にしてしまったというものなのですが」
「マリウス殿ならば撃退は難しくないでしょうな。夢の中でなければ」
モルトが顎を撫でながら見解を述べる。
誰も夢の中で返り討ちにしたなど、想像すらしていなかった。
「召喚獣ならば、仲よくなれば見せていただけると思わない……?」
「まあ、そうでしょうな」
常識的なところで打ち切った。
他にもっと大切な事があるのだ。
「やはり敵はロヴィーサ王女とバーラ王女ではないですかな。特に長い時間を共に過ごしているであろうロヴィーサ王女は大敵でしょう」
モルトの予想にキャサリンは顔を強ばらせながらも頷いた。
それからふと疑問が浮かび、モルトに尋ねた。
「でもモルト、バーラ様はわたくしに対して親切だったわ。マリウス様の事を狙ってるとは限らないんじゃないかしら? それとも余裕がたっぷりだとか……」
キャサリン個人としては美人で強くて気立てもよさそうなバーラの方が、ロヴィーサよりもずっと強敵のように思えた。
おまけにランレオという大国の王女なのだ。
正直、勝てる自信は全くない。
マリウスに興味がないと思いたかった。
不安げな王女に対して、モルトが申し訳なさそうに首を横に振った。
「いえ姫様、残念ながらそれは考えにくいです。バーラ王女は何よりも魔法好きで、それが高じてあの強さになったとか。おまけに魔演祭の活躍ぶりで国内にいた数多の婚約者候補が全員手を引いたそうです。その挙句のフィラート入りですから、マリウス殿に関心がないとはとてもとても」
「そ、そう……」
キャサリンはしょんぼりとしてしまった。
あんな強大な相手に勝てるはずがない。
早くも諦めの境地に達しつつあった。
「姫様、諦めるのは早いでしょう」
そんなキャサリンに一人の侍女が自信ありげに進言する。
「な、何かいい案が?」
縋るような目を向ける幼い主人に侍女は頷いてみせた。
「この国も一夫多妻なのです。つまり、他の女性がどうあれ、姫様ご自身がマリウス殿に認められれば、それだけで万事解決なのです」
「な、なるほど……」
キャサリンは一筋の光明を見つけた気がした。
マリウスのハーレムに対する心境について知る者はこの中にはいなかった。
「マリウス殿の姫様に対する態度は、脈アリとしか思えなかったな」
モルトのこの発言が決め手となった。
「わたくし、頑張ります」
キャサリンは両手で握り拳を作った。
半分は己に忠義を尽くしてくれる臣下達に対する強がりでもあった。
「ならばそれがしめに一案がございますぞ、姫様」
「何でしょうか、モルト?」
「バーラ王女と手を組むのです」
モルトの提案は衝撃的すぎて、とっさに何を言っているのか理解し損ねた。
臣下達も意表を突かれたように立ちすくんでいる。
「な、何を言い出すの……むしろバーラ様こそ出し抜かなければならない相手でしょう?」
キャサリンの発言に他の者は一斉に頷いた。
同じ王女な上に国としては向こうの方が格上である。
ロヴィーサも大国の王女だが、同じ国の人間だ。
国際的な見方で言えば他国の王女こそ優先するのが当然だった。
つまり、現時点で言えばバーラとキャサリンの一騎打ちになる。
「失礼ながら一対一ですと、我々が微力すぎて不利なのは否めません」
モルトの心苦しそうな説明にキャサリンは頷く。
それこそが一番の問題なのだ。
今回のような事態では、大国の王女が正妻となるのが通例である。
バーラ本人の人格に何の問題がないのだからなおさらだ。
ただ、マリウスの意思を完全に無視するというのも考えにくい。
だからこそマリウスに見初められて大逆転、を狙う必要があるのだが、その点についてもキャサリンの年齢が不利となる。
少なくとも成人男性が十二歳の少女を結婚相手として気に入る、というのは外聞的に差し仕えがある。
ボルトナーとフィラートが友好関係にあるのならば、余計に選びにくいだろう。
だからこそ何らかの策を講じたいわけだが……。
「先程も申し上げたように、この国でも一夫多妻は可能なのです。ならばバーラ王女が正妻に選ばれるよう我々で後押しをする。その代わりに姫様が第二夫人となるよう尽力して頂く。そう約定を取り付けるのです」
モルトの主張に一同は困惑し、お互いの顔を見合わせた。
キャサリンが恐る恐る質問する。
「えと、話が見えないのだけど……。バーラ様が正妻になるのはほぼ決まりではないの……?」
周囲の者も同じような事を訊きたそうな顔をしている。
モルトは舌打ちするよりもため息をつきたくなった。
マリウスの意思は無視されにくいと言ったばかりではないか。
まだ幼い王女は仕方ないが、周囲の大人が気づかなくてどうする、と言いたい。
「マリウス殿の意思が不明です。マリウス殿ならば、フィラート王の思惑を実力で覆す事も可能でしょう。つまり我々が今把握していない女性も、充分正妻候補になりえるのです」
建前はどうあれ、マリウス本人に「何か文句でもあるのか」と睨まれたら、誰も文句を言えないのが現実だ。
つまりマリウス好みの女性、全てが敵になる。
「一国の思惑が通じないなんてカッコいいです……」
ポッと頬を染めてうっとりとするキャサリン。
それで片付けてしまうあたり、やはり幼い上に脳筋の家系だとモルトは思ったが、口にしたのは別の事だ。
「と言うわけで、バーラ王女と共同戦線といきたいのですが、よろしいでしょうか」
モルトとしてもキャサリンの同意なしに事を進めるわけにはいかないのである。
「はい、よろしくお願いします」
キャサリンは小さな頭をモルトに下げた。
「い、いけません。姫様、私どもに向かって頭を下げてはいけません」
モルトは焦る。
王族が臣下に無闇に頭を下げるのは権威の失墜につながりかねないのだ。
頭を上げたキャサリンは複雑な表情をする。
「でも、モルト……よくしてくれる者に感謝を忘れてはいけないでしょう?」
「はい。その時はねぎらいのお言葉で充分ですから。頭は下げないよう、お願い申し上げます」
「お前がそこまで言うのなら……」
キャサリンは渋々納得した。
モルトはホッとする。
キャサリンは身分の卑しい者へもきちんと感謝が出来る、立派な王女ではあったが、まだまだ未熟でもある。
王族がみだりに頭を下げると軽んじ出す、心なき者は少なくないと教える必要がありそうだった。
この時、一人の護衛が手を挙げて意見を述べた。
「バーラ王女は信用出来るでしょうか? ランレオの人間ですよね」
何が言いたいかは皆よく分かった。
ボルトナー人はあまりランレオ人にいい印象がないが、それ以上にランレオ人はボルトナー人をよく思っていない。
というのが一般的な見解である。
「バーラ王女個人は信用出来ると思う。もちろん、ランレオの人間としての立場を優先するだろうから、疑わないのも危険だが」
「バーラ様ご本人は信用していいと思う。ランレオは別だけれど」
モルト、キャサリンの順での回答である。
他の者の間でも「ランレオはさておき、バーラ姫は信用してもよさそう」という声が多かった。
「少なくとも今回の提案でバーラ王女の立場や姿勢は分かるだろう。展開次第でまた策を練り直すという事でどうだ?」
護衛もそういう事ならば、と納得して引き下がった。
「では姫様、今宵はこれにて」
「ご苦労様です」
モルトは一礼し、護衛達を連れて引き下がった。
さしあたっての課題はキャサリン王女の護衛だ。
フィラート側だって警戒を怠っているはずもないが、魔人やホルディアのせいで現時点では力が低下しているという。
もっとも「平地での肉弾戦では大陸最強」という評判のボルトナー兵士達から選りすぐられた者達だから、そんな簡単に倒されるとも思えない。
ましてや今はマリウスがいるのだ。
彼が異変に気づいて駆けつけるまで持ちこたえればよい、となれば勝算は充分すぎる程だ。
魔人が攻めてきた場合は別にして。
しかしだからと言って気を抜いていいわけではない。
モルトは護衛達に様々な事を言い含め、バーラ王女の部屋へと向かった。
未婚の女性の部屋を訪れても問題にならない時間である事を確認した上でだ。
何としてでも「バーラ姫とキャサリン姫共存案」を承知してもらう必要がある。
他の者にはあえて指摘しなかったが、必ずしも約束が守られるとは考えていない。
むしろバーラが正妻を勝ち取った後で反故にするのが常道であろう。
バーラ個人が立派な人格だとしても、女心はまた別というのは充分にありえるのだ。
下手にその事について言及すると血の気の多い脳筋どもは強硬手段、すなわち武力行為に訴えかねなかった。
勝ち目があるのならばそれもアリだとボルトナー人の端くれであるモルトは思うが、残念ながらバーラ王女は腕力に訴える対象にしては強すぎた。
王女で魔法使いでランレオ人となると、肉弾戦ならば勝ち目はある。
しかし距離を詰めても「テレポート」や「ワープ」でかわされるだけ、とモルトは踏んでいた。
強力な魔法使いという存在は、肉弾戦に持ち込まれない為の手段が豊富で、敵に回すと極めて厄介なのだった。
それでも手を組もうとするのは、フィラート人女性を排除したいからだ。
もちろん容易な事ではなく、それ故に同盟が成立する可能性はあるとモルトは考えている。
バーラだって自分が正妻になる為にはまずフィラート勢力を排除せねばならないと知っているはずだからだ。
モルトもやはりボルトナー人であるせいか、「バーラが正妻にこだわらない性格の場合」や「マリウスが一夫多妻を嫌がる場合」を想定していなかった。
「バーラにボルトナー人と組む気がない場合」ならば予想していたのだが。




