七話「後始末」
魔王ザガンは何も出来ずに消滅してしまった。
むしろ瓦礫に生き埋めにされ身動きが取れなかった割によく生きていた、と褒めるべきなのかもしれない。
マリウスは魔王の心臓を回収し、待たせているルーカス達のところへと戻った。
魔法が一度しか使われなかった事で一同は事の顛末を何となくではあったが察した。
「いや、魔王はどうも封印で弱りすぎていたようで……」
マリウスの苦しすぎる言い訳に誰も何も言わなかった。
恐ろしい現実を直視したくなかった、と言っても過言ではない。
(マリウス様最高! 最強!)
バーラだけは素直に感心、いや感動していた。
拍手喝采を脳内で送り、表面上は上品に微笑んだ。
「よかったですわ。せっかくですから、ここの荒れ具合を何とかしてから帰りませんか?」
「そうですな。あまり消耗しませんでしたからな」
ルーカスが真っ先に賛成した。
何も考えたくない、というのが本当のところだったし、程度の差はあれ皆が似たような意見だった。
もちろん周囲の惨状を何とかしたいというのは偽りではない。
マリウスもこれ以上放置していては罪悪感に耐えられなくなりそうなので、異論はなかった。
「魔王が滅びたのならば戻せるはずですね」
ゾフィが淡々と賛意を示す。
彼女は別に自然やら生態系はどうでもいいが、主人のマリウスが戻したいのならば、知識を全部吐き出さねばならない。
生態系が乱れていた最大の原因は封印された魔王である。
いくらあっけなく滅び去ったとは言え、その存在の影響は計り知れないものがあるのだ。
そしてマリウスの魔法の残滓も大きい。
ルパートとセンドリックの知覚能力を惑わし、自然の自己再生機能を妨げる原因の一つとなっている。
どこかよどんだような、重めの空気だった。
「特に植物はどうすべきか……」
破壊された自然が元通りになるには数十年はかかるという。
正直、マリウスにはどこから着手すべきか分からない。
「それならば“グローズ”という魔法が適切かと」
ルーカスが提案する。
マリウスは知らなかったが、「グローズ」という大地系魔法が存在する。
倒れた木々を一掃し、魔力の乱れを中和すれば後はこの魔法で、自然の回復を後押し出来る。
魔力の中和には光系魔法「ニュートラル」が必要だ。
「あいにく、私は会得していませんが……」
ルーカスが歯切れ悪く言うと、バーラが手を挙げた。
「あ、私が使えます」
やっと自分の出番が来たと、バーラはあくまでも表面にはおくびにも出さずに歓喜する、という器用な真似をした。
マリウスはどちらも使えない。
ゲームでは存在しなかったのである。
「ニュートラル」はバーラに、「グローズ」はルーカスにという事でマリウスの役目は荒れた地を一掃する事だ。
と言っても更地に変えてはいけないという縛りつきである。
ゾフィは己の出番は終えたと判断し、マリウスに一言断ってから帰還した。
淫魔の魔人である彼女が自然を再生させる為の魔法など、覚えているはずもなかった。
「【ファイア】」
ローブ以外の装備を外し、詠唱を省略し、威力を最低限にまで落とし込んだ魔法で焼き尽くす。
細心の注意を払ったので残った自然が消し飛ぶ、という現象は避けられた。
ただ、普通に使うよりも神経が磨り減ったのは事実である。
「ふう」
三十秒足らずでマリウスは役目を完遂した。
単に焼き尽くすだけならば一瞬で事足りたのだが、度を弁えるというのはなかなかに難しかった。
マリウスと交代で魔法を使い始めたのはバーラだ。
「光よ、しるべを辿れ。かの存在をあるべき姿へと還せ【ニュートラル】」
バーラはマリウスと違ってきちんと詠唱を行った。
全身が光に包まれたかと思うと、いくつもの線が輪を描きながら広がっていく。
光が消えた後は清澄な空気になっていた。
残念ながらマリウスの魔力という事からか、一気に広範囲を中和する事は出来なかったが、それは織り込み済みだったのだろう。
バーラは息を吐くと再度魔法を使う。
一呼吸おいては魔法を使う、といった単調な作業をバーラは疲労を見せずに淡々と続けていく。
そんな彼女の姿にルーカスは驚嘆せずにはいられなかった。
マリウスはこそこそとルーカスに近づき、バーラの力量について意見を求めた。
「素晴らしい、の一言ですな。“ニュートラル”は三級に位置する高等魔法です。何度も使って全く疲労しないとなると、私如きが口惜しさを感じては身の程知らずとなりましょうな」
マリウスには及ばないものの、バーラも魔力量が高い上に消費魔力軽減スキルと魔力回復増加スキルを持っているのだ。
光が照らすバーラの横顔は神秘的で、時と場合を思い出さないと見とれてしまいかねない程に美しい。
(いい子だよな)
己へのアピール、フィラートとの友好化、という二つの役目を持っているとは言え、骨惜しみせずに働くのは大したものだとマリウスは思う。
バーラは天真爛漫で誰かの為に働ける事を喜んでいるという印象を与えていて、これが大きな武器となっていた。
使命感を感じさせるようであれば、マリウスはもちろん、フィラートの人間は誰も心を動かされなかっただろう。
しかし彼女は警戒心をほぐす無邪気さ、打ち解けてしまう明るさ、応援したくなる一生懸命さを備えていた。
ランレオに隔意を抱いていた者で、バーラを敵視する者は最早フィラート内にはいなかった。
もし狙ってやったのならばランレオ恐るべし、と評するしかない。
父王の方は大反対で、血涙を流しながら渋々送り出したのだが。
(いい加減向き合わなきゃな)
少なくともバーラに大しては真剣に応えねばならない、という気持ちにさせられる。
バーラとはまだほとんど言葉を交わしていない。
好意を持たれたとすれば十中八九魔演祭で、つまり魔法使いとしての能力がきっかけだろう。
しかしマリウスとしてはアリだと思う。
一番の理由はかつての恋人に振られた、ほろ苦い思い出のせいだ。
中身に惚れたと言ってくれた同級生は、マリウスの別の一面を見て「そんな人だとは思わなかった」と失望し、去っていた。
それならば容姿だとか能力だとか、急には幻滅されにくい部分を好かれた方がずっといい。
もちろん、内面で選ぶ事を否定するつもりもない。
人の心や色恋沙汰というものは綺麗なものではないし、割り切れたり計算出来たりするものでもない。
他人に語れるような経験はしていないが、それくらいは理解したつもりでいるマリウスだった。
とことん我を殺しきっているロヴィーサがいっそ眩しく見えるくらいだ。
(だからこそ惹かれているのかも……)
ロヴィーサの自制力はマリウスにとっては驚異で、悪く見れば不気味そのものだ。
国益的にも自分と仲よくすべきで王も許可しても、急には態度を変えない。
これはマリウス基準では実に立派であるが、頑固すぎるとも言えるし、伴侶としては障害になるかもしれない。
身も心も許しあう仲になれればこの上なく頼もしいのであろうが。
そういう意味では明るくて無邪気で一生懸命で尽くすタイプなバーラの方がずっと好ましいという見方も出来る。
(ハーレムはオッケーなんだよなぁ)
バーラもベルンハルト三世も肯定的だった。
人の死が日常的にあるこの世界では、強者の遺伝子が絶大なまでの人気があるというのだ。
強者の子孫が強者である可能性は、突然変異で強者が生まれる可能性よりずっと高いそうだ。
日が経つにつれて忌避観が薄まり、自分でも戸惑いを隠せない。
切り替えの早さについては自信と自覚があったが、いくらなんでも早すぎやしないだろうか。
(もしかしてこの体になった副作用か……?)
よくも悪くも様々な効果があると判明しているが、精神的な部分も色々と及んでいるのかもしれない。
色んな事を同時に考えられなくなってしまったように。
今、マリウスにとって一番の問題はハーレムへの戸惑いではない。
それよりも「自分の子供は強者になれるのか」が重要だった。
バーラにしろルーカスにしろ、天賦の才にたゆまぬ修練の果てに強さを得たのだ。
それに比べてマリウスのはインチキ同然である。
強者が生まれる事を期待されてのハーレムなのに、強い子供が一人も生まれない、などといった事は許されるのだろうか。
バーラ相手の場合、母の遺伝が濃く出れば強者になるかもしれないが。
いずれにせよ自分の特殊性は忘れてはならないのだ。
と、マリウスが考えにふけっている間にバーラは中和を終え、今度はルーカス達が「グローズ」を使い始めた。
森をきちんと再生するには木々を植え直す必要がある。
この点、魔法は決して万能ではない。
ただ、現時点で使えば土壌を再生する効果があり、これは決して無駄にはならない。
「マリウス様」
「はい?」
バーラがやや緊張した面持ちで話しかけてきた。
「せっかくですし、“ニュートラル”と“グローズ”を練習しては如何ですか?」
マリウスはその提案に一も二もなく頷いた。
使える魔法が増えるのは悪い事ではないだろう。
バーラが握り拳を作って喜んだのはあくまでも内面で、表面上は「やや嬉しそう」の範疇で留めた。
「えっとまず“グローズ”ですが、大地系の六級魔法でして……」
一通り説明され、まず試してみる事になった。
「【グローズ】」
何も起こらなかった。
「まあいきなり上手くいくはずもありませんからね」
バーラは優しく微笑む。
マリウスは詠唱を省略したのがまずかったかと思い、今度は省略せずに使ってみた。
「大地よ、恵む力を己の糧となせ【グローズ】」
カッと光がはしり、地面から様々な草が一気に芽を出した。
「効きすぎです」
バーラはため息をつき、ルーカス達は一瞬だけ驚いた後、肩をすくめてマリウス達に合流した。
ルーカスはバーラと違ってはっきりと疲労していた。
魔力の回復が追いついていないのだ。
「マリウス殿、自然を回復させるのは緩やかでないとかえって破壊を招いてしまいますぞ」
ルーカスの忠言にマリウスはバツが悪そうに頷いた。
「いや、分かってはいますが……初めて使った魔法を微調整が出来る器用さを持ってないようで」
世の中そんなに甘くはなかった。
やらかした以上はもう一つの魔法、「ニュートラル」の練習は見送りとなった。
こちらは「効きすぎ」た場合の副作用が恐ろしいのだ。
最悪、何もかも「中和」してしまい、無へと還してしまいかねない。
普通ならば「ありえない」と笑い飛ばす現象であるのだが、「グローズ」を使った次の瞬間に雑草が生えてくるという、「ありえない現象」を目の当たりにしたばかりである。
誰も笑わなかったし、否定もしなかった。
マリウスも微調整が出来る自信がなかったので諦めた。




