十三話「祭の余韻(後)」
ベルガンダ帝国のカリウス六世は養女候補を脳内で挙げていた。
もちろんマリウスの好みを知るのが大事だが、他国に遅れをとってはならない。
フィラートよりランレオとの方が仲がいいのは事実だが、別にフィラートとの仲が険悪というわけではない。
だからこちらの申し出も邪険にはされないだろうと思う。
現フィラート王ベルンハルト三世はどちらかと言えば穏和で内政充実型といべき君主で、好戦的でないというのもある。
友好国が増える分には構わないはずだった。
(ホルディアと戦うのならば味方は多い方がよいだろうからな)
マリウスがいる以上、ホルディア軍と言えどそれほど恐れる必要はないだろうが、国家同士の戦争とは単に敵を倒せば終わりというものでもない。
マリウスがいくら圧倒的に強いと言っても、戦費を稼ぎ出したり、武器と食料を調達したり、戦後処理を巧みに行えるかはまた別の問題なのだ。
「それにしても魔人は何故マリウスを狙ったのだ?」
何かよからぬ事でも企んでいるのだろうか。
ベルガンダは決して強国ではない。
魔人達と戦う力などあるはずなかった。
そんなベルガンダがセラエノと隣接しながらも攻め込まれないのは、セラエノがランレオという大国とも隣接しているからだ。
セラエノ軍がどれほど強くとも兵力は有限だし、戦費も有限である。
だからベルガンダは外交努力でランレオと友好関係を保ち続けてきたのだ。
セラエノとランレオが手を組んで自分達を狙う、という展開を避ける為に。
カリウス六世に娘はいないが、姪ならばいた。
三人いた姪達はいずれもランレオの有力貴族達に嫁いでしまった。
(こうなると分かっていれば一人くらい残しておいたものを……)
悔やんでも詮なき事であると分かっていても悔やまずにはいられなかった。
魔人と戦う力などないが、セラエノ、ランレオと連携出来れば勝算は大きくなる。
そしてマリウスは一人で魔人を倒す力がある。
是が非でも仲を深めたいところだ。
髪は何色がいいのか、性格は活発な娘と淑やかで大人しい娘とどちらが好ましいのか。
料理や裁縫は出来る方がいいのか、魔法などに明るい方が望ましいのか。
(一人で考えてもラチが明かぬな)
帰国したら重臣達を集めて協議しようと思った。
ミスラ共和国大統領、フレデリックはすぐには帰国しなかった。
バルシャークの密使が持ってきた手紙には相談したい事があると、王の署名と捺印があった。
でなければ無視したところだ。
帰ったら娘にマリウスとの仲に関して言い含める必要があったからだ。
待ち合わせに指定された場所に二人の護衛を伴って赴くと、既にバルシャークの女王ジェシカが護衛と共に来ていた。
「お待たせして申し訳ない」
フレデリックが謝罪すると、ジェシカは鷹揚に笑って受け入れた。
「さほど待っていたわけではありません。それにもう一方がまだです」
フレデリックが浮かべた疑問はすぐに解消された。
やはり護衛を伴ってヴェスター王ジョンソンが現れたからである。
「待たせてしまったかな」
「いえいえ」
簡単に挨拶を交わすとジェシカが口火を切った。
「ご足労いただき感謝します。私が提案したいのは今後の事についてです」
「今後と言うと魔人か? それともホルディアか?」
フレデリックが早速訊き返す。
この三カ国で協議するとすれば他に思いつかなかった。
「ホルディアについてです。掟破りの侵略行為、このまま捨てておくわけにもいかぬでしょう」
ジェシカの発言にフレデリックとジョンソンは眉を寄せた。
到底、額面通りに受け取っていい言葉ではない。
実質はどうあれ、建前上ホルディアは充分な償いをした事になっている。
フィラートならばまだしも、他の国がしゃしゃり出ていい事ではない。
「狂王の国と隣接していてはゆっくり眠れないのは確かだ」
ジョンソンがそう言うとフレデリックも頷いた。
その点に関しては全く同感だった。
世間的には貴族達のせいにされていて、アステリアに同情が集まっているが真相は違う。
国家同士の暗黙の了解を平気で無視する人間など信用出来ないし、そんな人間がホルディアという大国の王というのは安心出来ない。
「だから我々で手を組みませんか? 正直、一国で挑むには悔しい事にホルディアは強大すぎます」
ジェシカの言い分はもっともだった。
ホルディアは国土と人口、最大動員兵力で大陸一を誇る大国である。
先日の「事変」の混乱から完全に立ち直ったとは言えないが、正規軍は無傷で残っているのだ。
ミスラ、ヴェスター、バルシャークが単独で挑んだところでひと捻りで潰さされるのは目に見えていた。
「ホルディアは確か正規軍が二十万、奴隷兵が八十万だったか? 我々三カ国の合計兵力よりも上だな」
「ただの奴隷も含めれば更に数倍集められるはずです。もちろん、兵糧の問題がありますから、実際はもっと少ないでしょうが」
数の暴力は決して無視出来ない。
セラエノ程に兵士一人一人が強いのならば、ある程度は覆せるのかもしれないが。
「フィラートも誘った方がいいのでは? マリウスなしでも、フィラート軍は充分強いぞ」
そう提案したのはフレデリックである。
つい先日バルデラ砦が落とされたものの、それまでは全て撃退に成功しているのだ。
いくらバルデラ砦が要害で守備側が有利だったと言っても、ホルディアの正規軍の攻撃をも何度も跳ね返してきた事実は一考に価するはずだった。
「フィラートを誘わぬのにはいくつか理由がございます」
ジェシカの言い分はこうだ。
真実がどうであれ、フィラートとホルディアの決着は一応ついているし、フィラート王は好戦的ではない。
ホルディアに大きな打撃を与えたとは言っても、フィラートも精鋭を失ったのは事実だ。
ならば国内に目を向けて国力回復を図る可能性が高いし、出兵を誘っても応じるとは考えにくい。
だとすればマリウスだけを貸してくれとも言いにくい。
「そしてそのマリウスの事でございます」
マリウスと仲よくしたいのは皆同じのはずだが、その為にはフィラートとも仲を深める必要がある。
その為にもまず自分達だけで一撃を入れるべきだと言うのだ。
その方がフィラートの心証はよくなるだろう、と。
フレデリックもジョンソンも一理あると思って前向きに考える事にした。
フィラートも単独で三カ国のいずれより格上の大国である。
そこに人類最強のマリウスが加わったのだから、絶対に敵には回したくない。
(魔人に狙われるような者と仲よくしていいのか疑問だがな)
ジョンソンはそう思っていたが、口には出さなかった。
マリウスは一人で魔人を倒す力を持っているのだから、もしかしたら自分の想像よりも更に強いのかもしれない。
その可能性を考慮すれば、下手な態度は慎むべきだ。
一国の王たる者は他人に隙を見せてはならない。
ジョンソンは固くそう信じていた。
「流通封鎖などはどうする?」
だからホルディア包囲網に乗り気だと思われるような提案もする。
「ホルディアは人口に対して食糧生産能力は低めだ。一年も封鎖してやれば干上がるのも期待出来るぞ」
「ホルディアが一年もじっとしてるか?」
「それにマリウスがどう思うかも謎ですね。使い捨てにされた奴隷兵を全員助けるようなお人よしだと聞いています。女王はともかく、民を苦しめる策にはいい顔をしないのでは?」
ただしあっさり却下されてしまった。
確かにマリウスに媚を売るのが目的なのに、怒らせては意味がなくなる。
だからミスラやバルシャークにやって欲しかったのだが、ジョンソンはその事はおくびにも出さず前言を撤回した。
「もっともだな。この案は放棄しよう」
話し合った結果、軍事行動でのみ協同する事になった。
軍を興すのは今日から一ヵ月後、暗黙の了解による交戦禁止期間がすぎてからだ。
これを守らないとホルディアと同列と認識され、今度は自分達が各国の非難を受ける事になる。
逆にこれを守れば問題はないわけだ。
詳細は帰国後に詰める事を約束し、三カ国の王は別れた。
(上手くいったな)
ジェシカは首尾よく終わった事に満足していた。
マリウスやフィラートと仲よくしたいし、アステリアを王として戴くホルディアを放置しておけない、というのは本音ではあるが全てではない。
勝てばホルディア人奴隷を安く手に入れる事が出来るというのがあった。
国家間の条約の一つとして、捕虜になった兵士を奴隷として売るのは禁止という項目がある。
もっとも、滅んだ国の者や奴隷兵士である場合は例外とされる。
バルシャークの軍事力では、ミスラ、ヴェスターと組んだところでホルディアを滅ぼすのはほぼ不可能である。
かと言って奴隷兵士の生け捕りを狙ってやるのも難しい。
ならばどうするのかと言うと、街で略奪をして一般市民をさらうのだ。
金品も手に入るし、兵士達の欲望のはけ口になるし、奴隷にして大量に売れば国も潤う。
マリウスが知れば不快さと奇妙さで眉をひそめるような事だが、戦争も略奪も立派な産業なのであった。
もちろん勝って町村を襲えたならば、の話だが娼館が主な収入であるバルシャークは定期的に奴隷を仕入れる必要があった。
いちいち口に出さなかっただけで他の二国の本音も似たようなものだろう。
王制が廃止されて久しいミスラですら奴隷制は存続しているのだから。
(三カ国合同でホルディア攻撃、か)
フレデリックから見ても、三国で当たれば勝機はあると思う。
ホルディアは急激な改革のしわ寄せが出始めている時期だし、兵の強さで言えば他の大国ほど優れているわけでもない。
あくまでも物量が主なのであって、こちらも頭数を増やせれば対抗は出来るはずだ。
フレデリックは魔人の事は失念してしまった。
アステリア女王がどれくらい国内を掌握しているかにもよるが、民衆はともかく軍の上層部まではごまかせていないはずだとジョンソンは読んでいた。
一番注意せねばならないのはバルデラ砦攻撃の際でやった、奴隷兵の使い捨て作戦だろう。
ほどほどにせねば国力が傾くので多用は出来ないはずだが、その「ほどほど」が自分達にとっては脅威となるのだ。
ホルディアとの差はそれほどまでにある。
三カ国連合ならば勝てるという保障は全くない。
危ない橋は他国に渡らせておいて、自国はフィラートとの関係強化に励もうとジョンソンは思った。




