十二話「祭の余韻(前)」
「私と結婚すればホルディア一国が手に入るぞ?」
別れ際、マリウスに対して言葉という無形の爆発物を投げつけたのはアステリアだった。
「だが、断る」
マリウスは即答した。
一国の臣という立場にある者が他国の女王と結婚して、一国を手に入れる。
アステリア個人への好き嫌いを抜きにしても論外だと、いくら何でも理解出来る事だ。
そもそも魔演祭前夜で己を利用すると明言した相手との婚姻など、冗談でもごめんであった。
「ホルディアを併呑すればフィラートにとって色々と有益だが?」
「前向きに検討しよう」
二度目の提案を受けたのはベルンハルト三世であった。
アステリアなど身中の害虫にしかなりえない、と判断した上での事だ。
「え? あれ?」
マリウスは表面上は冷静だったが、内心ではオロオロした。
アステリアは体内に入って大人しくするはずがない事くらい、分からないはずがないと思うのだ。
他国の者達も驚愕していた。
(な、何を考えているのだ? ベルンハルト王は?)
アステリアを改心させる事など出来るはずがないし、そもそも国力ではホルディアの方が上である。
乗っ取りという危険な言葉が現実化する恐れはある。
何にせよ各国に波紋が投げかけられたのは確かだった。
マリウスが問いただそうとしたら、それよりも先にロヴィーサが父王をつるし上げた。
「何をお考えなのです父上? あの女とマリウス様の婚姻など。まさか本気でホルディアを取り込めるとでも?」
珍しく語気が荒い娘に対し、ベルンハルト三世はどこか達観した表情で答えた。
「あの女の事だ。どういう展開になろうが、どうせよからぬ事を企てるに決まっておる。ならば目の届く位置、マリウス殿の手が届く位置に置いておいた方がまだマシというものだ」
アステリアが何かを企む可能性については誰も否定出来なかった。
ならばいっその事、とベルンハルト三世が考えたのも一理あるのかもしれない。
マリウスがすぐ側で目を光らせていれば迂闊な真似は出来まいと思うのだ。
本人を意思を無視しているし、「リードシンク」を前提にした考えではあるのだが。
「しかしそんな単純にいきますか? 臣下が独断でやったと言い逃れするかもしれませんよ。あの女、平気で人を死なせる人間です」
マリウスの指摘に頷く者がほとんどだった。
アステリアの性格の悪さはきっと誰も把握しきれていない。
ベルンハルト三世の案に弱点があるとするならばそこだ。
「懐に飛び込んでくるのなら、始末する手はいくらでもある。もっともそれを知らぬ愚か者とも思えぬから、恐らくは化かし合いとなるだろうな」
国王の自信タップリな意見に一同は引き下がる事にした。
「それに、どの国もマリウス様を懐柔しようとしてくるはずです」
ロヴィーサの指摘に皆は頷く。
「なればこそ、ホルディアさえも受け入れる用意はあると示すのは悪くない手なのだ」
もちろん今後の展開や対応次第で違ってくるのだが。
「私、余計な事をしましたか?」
気を回すマリウスにベルンハルト三世は、安心させるように笑顔を作った。
「マリウス殿のおかげで他国の方針は限られたし、予想も対策もやりやすくなった。礼を言おう」
そもそも他国がフィラートに対して謀をめぐらせるのは国として自然な事で
あって、阻止するには滅ぼすしかない。
膨大な選択肢を減らせただけでも収穫と言える。
魔人を滅ぼす実力を持つ人間がいる国と、まともに戦う国などないと断言してもよい。
不安要素と言えばホルディアの狂王だが、媚びる様子を見せたのだ。
「魔人をも滅ぼすとは恐れ入りましたぞ、マリウス殿」
「いやまあ、本人曰く雑魚でしたけどね」
ルーカスの追従めいた世辞をマリウスはまともに受け取らなかった。
ザムエルという魔人が取った行動はいくら何でも間抜けすぎたからだ。
数万の分体を作り出す能力があるのならば、分体だけでマリウスと戦って力を探ればよかった。
それをせず、馬鹿正直に本体で目の前にいたからこその瞬殺劇だったのだ。
だからこそかませだと判断したわけだが、誰にも言わなかったせいで「数万の分体全てを同時に攻撃されるなんて、普通は予測しない」という指摘がされる事はなかった。
(問題は魔王ザガンだよな。アステリアの言う事が正しければ、奈落の湖あたりに封印されてるはずだけど……)
行った事がある場所なので、確認する手間はさほどかからない。
帰国したら確認するだけしてみてもいいだろう。
「フィラート王は何を考えておるのだ……?」
ランレオ王、ヘンリー四世は首をかしげた。
アステリアのような理解しがたい狂人を味方に取り込めるなど、本気で考える間抜けではないはずだ。
すかさずバーラが意見を述べる。
「きっとマリウス様が何とかしてしまうのよ。だって魔人を完全に滅ぼせるくらいですもの」
「そう言えば魔人の死体、どこにもありませんでした……」
馬車に同乗していたフィリップがポツリとつぶやいた。
高位の魔法使い達の上級魔法が飛び交う魔演祭で怪我人が出ないよう、特別に作られた頑健な建物が跡形もなくなっているという、この世の出来事とは思えない現実に頭が動かなくなっていたようだ。
「きっと一級魔法を使ったんだわ。二級なら魔人は滅ぼせないし、禁呪だったら周囲が悲惨な事になってたはずだし。炎系を好んで使われるみたいだし、“エクスハラティオ”だったりして!」
バーラは楽しそうに笑ったが、父王とフィリップは「エクスハラティオ」の名を聞いた瞬間真っ青になった。
実の親に「魔法狂い」と評されるバーラにしてみれば、恐怖どころか崇拝と敬愛の対象でしかないのだが。
「ねえ、お父様? マリウス様との婚姻、許して下さらない?」
「し、しかしだな。怨敵フィラートにお前を差し出すなんて……」
ヘンリー四世の語気は弱かった。
「でもホルディア王が求愛してたでしょ? フィラートにも年頃の王女がいたはずだし、私でないと格負けしてしまうのではないかしら」
「ぬう……」
フィラートと講和せざるをえないとは思ってはいるし、そうなると他国に遅れは取れない。
「私なら共通の話題もあるし、マリウス様が怖くないし。それに国内で私の婿を探すのは困難になっただろうし」
「くっ」
父として最も好きな愛娘の微笑が、今は憎たらしい勝者の笑みに見える。
本気を出したのは単にマリウスに呼応しただけでない、と父親の勘で見抜いてはいたがどうしようもない。
「ランレオが生き残る為の最善の手だと思いますけど?」
魂胆は見え透いているものの、厄介な事にバーラは理論武装が苦手ではないのだった。
「そうだな、善処しよう」
ヘンリー四世はしぶしぶ認めた。
何が何でも許さない、という態度に出たらきっと出奔してフィラート入りしてしまうだろう。
娘はそれくらいの行動力を持ち合わせているのだ。
それならば許した方がまだマシというものだ。
「陛下、陛下の予言通りでしたね」
ミレーユの慰めに近い言葉にアステリアは曖昧に頷いただけだった。
マリウスとフィラートの優勝、魔人の襲撃は予想していた通りである。
バーラ王女の強さ、ヘムルートが本気になる事、そしてマリウスの規格外さ。
想像を超える事が三つも同時に起こったとあっては、到底安穏としてはいられない。
元よりアステリアが保有するスキルは完全でも絶対でもないのだ。
(発展途上のマリウス……組み合わせ次第では最悪の展開になるな)
知らなかった情報が一つ入るだけで、予想図は大きく変わってしまう。
危険を冒してまで魔王について警告を発したのは吉と出るのか。
アステリアは本国に戻るととりあえず国内基盤の強化と、戦争の準備を進めるつもりでいた。
祭の後、一ヶ月もすればミスラあたりが攻めてくるだろうから。
「何とか無事に終わったな」
ボルトナー王アウグスト三世は大過なく大会が終わってほっとした。
「魔人が現れたのに無事っていいんでしょうか?」
「無事は無事だ」
臣下をたしなめる、と言うよりは己自身に言い聞かせているかのような響きだった。
眠らされていたまだ幼い娘は怯えが残っているものの、それ以外に異常は見られなかった。
会場は跡形もなく消え去っていたが、魔人とそれを倒せる者が戦ったのならばやむをえないだろう。
よくぞ倒してくれた、とすら思う。
「礼も兼ねて娘を送ろうかと思うが、どうだろうか?」
「え? 姫様、まだ十二歳ですよ?」
臣下が驚いたのも無理はないが、激動の時代になる予感があった。
そしてその中心になるのは魔演祭を制し、魔人を倒したマリウスという男ではないだろうか。
「娘はどうせ嫁に出さねばならないのだ。ならばいっそ、頼むに足る男の方がよい。幸い、我が国とフィラートは長年の友邦だ。申し込みも他の国よりはやりやすかろう」
「分かりました。それでは手配いたします」
一礼をして去る臣下の背を眺めつつ、ボルトナー王は今後に思いを馳せた。
せめて娘が幸せを感じるくらいの時間は欲しいものだと願いながら。
マリウスが無傷で魔人を撃破した事に一番衝撃を受けたのはセラエノだった。
ゲーリックにかき回されたとは言え、かつて大惨敗を喫して国土の大半を失った経験があるからだ。
「報復がフィラートに向けられねばよいのだが……」
セラエノ王デレクが示した懸念にヘムルートとアガシュは頷く。
二人とも魔軍との戦いで当時軍の高官だった父や叔父らを亡くしている。
「マリウスが如何に優れていようとも、魔軍数十万や魔人達から一国を守りきるのは困難のはずです」
「ザムエルは恐らくシャドウグラブの魔人……特殊能力はさておき、純然たる戦闘力はそこまでではありますまい」
ヘムルートの指摘に他の二人も首肯した。
これらはあくまでもセラエノ基準での話なのだが。
「ドラゴンやグリフォンといった完全なる武闘派の魔人だとどうか分からないのだな」
「意外とあっさり勝てるやもしれませんが」
マリウスの完全装備状態を見ていないので、評価が上がらないのも無理はなかった。
「ランレオ、フィラート、ホルディアらと連携して事に当たりたいな」
フィラートが魔人達に攻め込まれたのならば、すぐに援軍を送りたいのだ。
「ホルディアはどうでしょうか。あの狂人、とても話が通じるとは思いませぬが」
アガシュの疑問にデレクが反論した。
「どうかな。やり口は悪逆だが、効率という点ではなかなかのものだぞ」
「奴隷兵十五万を捨てるのが効率的でしょうか」
「それに魔演祭でマリウスの力は読み取れましたが」
相次いで疑問を投げかけてきたヘムルートとアガシュに苦笑した。
「代替がきく戦力でマリウスの力と人となりを知った。我らよりもずっと速くな。二週間前後の差だが、我が国ならば二週間あれば何が出来る?」
王の下問に二人は顔を見合わせ、ヘムルートが奉答した。
「十万規模の軍を興せます。それだけあれば兵站も整えられますし、指揮官と攻撃対象ではある程度、城砦を落とすのも期待出来ますな」
セラエノ軍はそれだけの錬度を誇っているのだ。
ただ、現状では攻め落とした城砦や街を維持するのが困難なので実行に移さないだけである。
「つまりそれほどの時を得たというわけだ。時は黄金に勝る、という言葉は知っていよう」
「は、はい。しかし買い被りすぎでは……?」
アガシュも食い下がる。
アステリアという女はどう見ても無闇に流血を強いる狂人でしかなかった。
「あの女が歪んでおる事は予も認めよう。外道だという点もだ。しかし、民なくして国は成り立たぬ事、適度の減税が経済に活力を与える事を知っておる。この時点で無能とは言えぬぞ」
「それはそうですが……」
何代も地位や特権を世襲してきた王侯貴族の中には、民は自分達の財産であるとか、自分達の許可なくして生きていけない存在だと勘違いした思想を持つ者は少なくないのだ。
そのような特権選民意識と無縁という時点で、比較的まともだと言える。
「しかしながら、暗黙の了解を踏みにじった上での残虐な振る舞い。頼みとするには危険が大きいと愚考いたしますが」
「買い被っておる可能性は認める。しかし、ただの狂人と侮ってはきっと大火傷をするぞ」
「かしこまりました」
侮っては危険だという点に関しては納得したアガシュが引き下がって、今度はヘムルートが疑問を呈した。
「陛下のお考えではかの狂王はいかなる存在なのでしょうか?」
「ふむ。最悪なのは魔人ゲーリックがすり替わり、魔人どもの手先となっている場合だな」
ヘムルートとアガシュは顔を真っ青にして視線を交し合った。
「冗談だ。ザムエルの変装を初見で看破したマリウスが普通に接していたのだから、ありえぬだろうよ」
心臓に悪すぎる冗談だった。
それにしてもつくづくマリウス様々だ。
「天才と愚者は紙一重と言う。英雄と狂人もまた紙一重だ。アステリア女王は後者を装う前者ではないか、と予は見ておるが果たしてどうかな。案外、黒幕がいるのやもしれん」
判断するには情報が足りない。
前者のつもりで対応した方が、きっと被害は少ないだろう。
そうしめくくった王の言葉にヘムルートとアガシュは頷きあった。
セラエノ、ランレオ、フィラート、ホルディアの四国が連合すれば魔軍とも充分に戦える、というのが彼らの計算である。
その計算が狂う要素がないか、精査する必要があるのだ。
魔王の復活を阻止する為にも。
デレクに言わせればフィラートの事は所詮人事であり、同情している余裕などない。
建前上はホルディアを非難するが、本音を言えば「魔王復活を狙って魔人が動いているのに、そんな事やってる場合か」となる。
「諜報に長けた者の中で選りすぐりを送って観察せよ。女王の言動を事実のみ報告する者がよい。情報操作を見事にやった相手だ、魔人を調べる気で当たらせよ」
「はっ」
人類国家ではセラエノこそが最強であるという自負があるが、ミレーユというそこそこの実力者が無名だった国なので油断は禁物である。




