潜入任務 その十五
時は冥王蠍の魔人が火吹戦車を庇って地面に転がり落ちたところまで遡る。四脚の火吹戦車は如何なる手段によってかはわからないが、閉鎖された場所でありながら外の様子を見ることが可能であった。
車内には不思議な手触りの板がいくつかあって、そこに外の前後左右と上の映像と音声が映し出されている。操縦と攻撃に必死なマルケルスに代わって、外の映像を見ながら戦況を逐一報告していた。
「やばい。あの人が落ちた」
「何だと!?クソッ!」
「でも追い付けそう。凄く足が速い」
いつも通りに抑揚のない、しかしそれでいて焦りが伝わってくる声色でリンネは報告する。マルケルスは悪態を吐きながら、どうにかして彼を回収する方法はないかと必死に頭を巡らせた。
しかし、それなりに明晰である彼の頭をもってしても、良いと思える方法を閃くことはなかった。どう考えても人手が足りないからだ。幸いにも落下しつつも追い掛けているようなので、追い付くことを願うばかりであった。
『ぐううううっ!』
そうしている間にも白機兵は彼らを追撃して来ている。その攻撃をミカはたった一人で防いでいるが、負担が大きすぎて長くは保たない。自分も援護をしたいが、こちらはこちらで追撃してくる火吹戦車に対しての牽制で精一杯だ。
状況を打開するどころか、このままでは全滅してしまうかもしれない。そんな考えがマルケルスの頭を過る。後ろ向きな思考になってはならないと思いながらも、そうならざるを得ない苦境に追い込まれていた。
『ハァ、ハァ……やるなら今でしょうね』
「ミカ?何を……!?」
映像越しにミカが何かを呟いたのをリンネは聞き逃さなかった。不穏な空気を感じた彼女は火吹戦車の上部の映像に視線を向ける。すると彼は円盾を構えた状態で車体から飛び出したのだ。
彼は白機兵に飛び付くと、絡み合いながら地面を転がっていった。それを無視するように、それどころか四つの脚をより素早く動かしてマルケルスは南を目指し続けた。
「止まって!ミカが!ミカが飛び出した!」
「止まる訳にはいかない!チャンスは今しかないんだ!」
止まれと叫ぶリンネに向かって、マルケルスは心を鬼にして怒鳴り付けた。これはミカが命を賭して作り出した好機である。なのに肝心の自分達が逃げ出したなら、彼の行為は全て無駄になってしまうのだ。
マルケルスも本心では誰にも死んで欲しくない。しかしながら、軍人としての彼がここで引き返すという選択肢を取らせてくれなかった。
「……っ!」
「おい!止めろ!」
リンネは火吹戦車の出入口を開けると、そこから出ようと身を捩る。マルケルスは慌ててその足首を掴んで押し止めた。火吹戦車を前進させるためには足元にあるペダルを踏めば良いので止まることはなかった。
身を乗り出したリンネは必死に脚を動かすものの、マルケルスも出さずとも良い犠牲を出させる訳にもいかない。彼は全力で彼女の脚を掴んでいた。
「止まって!止まってよ!二人を見捨てるの!?」
「うぐっ……そうするしかないんだ!」
リンネに顔面を蹴られながら、マルケルスは血を吐くようにそう言った。今は潜入任務の最中だ。感情ではなく任務のためにはそう言わなければならない。リンネはマルケルスの声の強さに気圧されて、冷静さを取り戻した。
それとほぼ同時に後方から思わず身震いするほどの霊力が高まっていく。すると大地が凄まじい勢いで砂と化し、四脚の火吹戦車のすぐ下まで砂漠となってしまった。
その砂はぐぐっと持ち上がり、追撃部隊の全てを飲み込むようにして巨大な球体となる。そしてそのまま押し潰してしまった。肉眼でそれを見たリンネも映像越しに見たマルケルスも、目の前で起きた現象を受け入れるまでに数秒を要した。
「ぜ、全滅させたのか……?」
「戻って!今なら……っ!」
広範囲にわたる霊術によって追撃部隊は全滅した。今すぐに戻れば二人を助けられるかもしれない。リンネのそんな希望を打ち砕くように、南西側から敵の援軍として二台の火吹戦車と五台の鉄の馬がやって来た。
マルケルスは速度を落とさず、そのまま前進し続ける。リンネは唇を強く噛み締めつつ、決意したように車体の外へと出た。マルケルスは一瞬自棄になったのかと思って何をしているのか問おうとしたが、その前にリンネは行動を起こした。
「はああっ!」
彼女が気合いと共に霊力を高めると、ユラリと景色が歪んで四脚の火吹戦車が五台も現れてそれぞれ別の方向へと直進し始めた。それと同時に彼女自身と彼女が触れている火吹戦車が闇夜に溶け込むようにして姿を消したのだ。
これはもちろん、リンネの幻術であった。カルネラ港から脱出した時は敵の数も多かった上に最初から捕捉されていたので使っても無意味である。それ故にこれまでは使っていなかった。
しかし、今のようにまだ接近されていない状況ならばその効果は絶大だ。敵の援軍は困惑したように動きを止め、リンネが作り出した幻影をそれぞれ追跡していく。同時にマルケルス達は追跡の手から逃れることが出来た。
「リンネ、よくやった!」
「はぁ……はぁ…」
操縦で精一杯のマルケルスは気付いていないが、リンネは額に大量の汗を浮かべながら真っ青になっている。幻術は霊術の一種であり、霊術は魂の力である霊力を消費して発動するもの。己の限界に近い霊力を使うと、体力を急激に消耗してしまうのだ。
リンネは今まさに霊力を使いすぎた者の症状が出ていた。それでも彼女は安全な場所にたどり着くまでは幻術を維持するべく、霊力を使い続けている。額に浮かぶ汗は増えていく一方であった。
車内に戻ってきたリンネを見て、マルケルスは流石に彼女が無理をしていることに気が付いた。彼はペダルを限界にまで踏み込んで可能な限り速度を上げる。
しかし、そんな彼の前に一つの難題が立ちはだかった。それは彼らが潜入する過程で非常に世話になった麦畑である。リンネの幻術は姿を消すことは出来ても、幽霊のように物質を透過することは出来ない。故に一面の麦畑は火吹戦車の巨体を隠すどころか周囲に教えてしまうだけなのだ。
リンネのお陰で追撃部隊の目を反らしているので、周囲に敵の姿は見えない。だが麦畑を直進すれば、その様子は遠くからでもよく見えることだろう。そこでマルケルスは少し遠回りになることを承知の上で海岸の砂浜へと向かった。
「相変わらずここは静かだな。まだ敵も来ていない……ここを一気に進むぞ。もう少しだけ頑張ってくれ」
「う……ん……」
息が荒いリンネの返事を聞きながら、マルケルスは白い砂浜を駆け抜ける。火吹戦車はかなりの重量があるはずだが、砂浜にめり込むこともなく快適に進んでいる。敵から攻撃を受けない分、こちらの方がよほど速いくらいだ。
そうして砂浜を進むことで、朝日が昇る前には川沿いの人工林にまでたどり着いた。川幅は広いので、高い跳躍力を誇る火吹戦車であってもひとっ飛びで越えるられる訳がない。そこでマルケルスは今回は自分の番だな、と気合いを入れた。
「行くぞ!」
四脚戦車は大きく跳躍すると、川の水面に着地する。その瞬間、マルケルスの額にはブワッと汗が浮かぶ。彼は自分で霊術を使って水の表面を固めて足場にしたのだ。
マルケルスは霊術もそれなりに使えるのだが、適性があるのは火である。どんな者でも適性外の霊術を使えない訳ではないが、それはとても難しい。そうであるのに火吹戦車を支えるほど水を固定化するのだ。マルケルスもリンネと同じくらいに無茶をしていた。
「ぐうぅ……!もう一丁!」
マルケルスは再び跳躍して水面に着地する。それを幾度も繰り返し、二人はようやく帝国側の人工林へとたどり着いた。二人は危険な死地から脱したのである。
陸地に到達したマルケルスは火吹戦車を人工林の中にまで入れる。その後、額の汗を拭いながら急いで火吹戦車の扉を開けて外に出た。
そして懐から一本の筒を取り出すと、その底から延びていた一本の紐を引っ張った。すると紐が延びていない方からポンと軽快な音と共に何かが上空へと飛んでいくと、人工林の上で大きな音と眩い光を放ちながら爆発した。
「何それ?」
「侵略軍の技術を応用して帝国軍が作り出した道具だよ。音と光だけは一人前だが、爆発の威力は低い。俺達は照明弾って呼んでる。これを見れば……来たか。リンネ、幻術を解け」
マルケルスの指示に従って、リンネは全ての幻術を解除する。四脚の火吹戦車の姿が人工林の中に現れ、ここからは見えないが占領地を走っていた火吹戦車の幻影も消えている。リンネは安心したように座席の背もたれに体重を預けると、そのまま眠ってしまった。
彼女が眠るのを待っていたかのように人工林の南側からやって来たのは、物々しい雰囲気の帝国兵だった。照明弾を見た彼らは見たことのない形状の火吹戦車を見て警戒を露にする。そんな帝国兵に向かって、マルケルスは腹の底から出した大きな声で自分の所属と階級を述べた。
「私は帝国軍第一師団、第八連隊所属!マルケルス・シュティウス・オーロクスだ!占領地の潜入任務から帰還したところである!」
マルケルスは自分のフルネームと階級を述べながら、帝国軍としての階級章を見せ付ける。すると武器を構えていた帝国兵は持っていた武器を下げると、その中で最も階級が高い指揮官が前に出て来た。
二人は知り合いだったらしく、互いに軍隊式の敬礼をした。それからマルケルスは彼に聞いた。自分の部下達が担当している場所を教えてほしい、と。
「お教えするのは構いませんが、どうなさるので?」
「占領地に残した者達がいる。川からそう遠くないところではぐれたんだ。可能なら救出したい」
「それは……」
難しいのではないか、と言いたいのをその兵士はグッと堪えた。もしも自分が同じ立場にあれば、それを救いに行きたい気持ちは良くわかるからだ。
悩みに悩んだ挙げ句、その兵士はマルケルスに彼の部下が指揮する部隊のいる場所を教えた。その際、味方だと知らせるため、帝国軍の軍服を旗のようにしたら良いと進言までしている。マルケルスはその兵士に礼を言うと、そこを目指して四脚戦車を走らせるのだった。




