潜入任務 その十二
「うぐっ!?な、何が……?」
いつの間にか眠っていたミカは、背中にドサッと何かがのし掛かる衝撃で目を覚ました。両手を地面に着いて身体を起こしながら眠気を追い払うように頭を振ると、背中と頭からパラパラと砂が落ちた。どうやらのし掛かって来たのはこの砂だったようだ、と彼は理解した。
ミカはふと自分の腕を見る。利き腕は骨折していたはずなのだが、既に治癒していた。他の部分の火傷もほぼ治っており、魔人となったことで治癒力が上昇していることを実感するのだった。
「それよりも、この一面の砂は一体……ああ、そうでした。彼がやったんでしたね。命を救われましたか」
ミカは周囲を見渡してから呆れたように苦笑する。昨日までは収穫を終えた農地だったはずの場所を、たった一人で地平線の向こう側まで砂地に変えてしまう。そんな馬鹿げた力を前にしては笑うことしか出来なかったからだ。
東の方角を見れば明るくなりつつあり、もうすぐ太陽が昇って朝になるのだろう。ミカはまだ星が見えている空を見上げながら呟いた。生き残ってしまった、と。
「カレルヴォ様にオルヴォ様を殺させてしまうなど……息子達を任せるとおっしゃったカスパル様に申し訳が立ちません」
ミカにとって最も古い記憶。それは暗殺者として訓練を積んでいた頃のものである。孤児だったらしい彼は物心付く前に、今はもう存在しない組織に引き取られた。そして幼少の頃から徹底的に訓練な受け、一人前に成長すると実働部隊として様々な作戦に従事することとなる。
彼は優秀な暗殺者であった。どんな命令であっても命令通りの結果を残すのだ。事故死に見せ掛けることも、見せしめのために惨殺することも、あるいは白昼堂々と標的を仕留めてから逃げ切ったことまであった。
そんな彼に転機が訪れたのは、彼が成人する少し前のこと。何時ものように彼は困難な任務を終えて組織のアジトに帰還したのだが、そこから漂う濃密な血の臭いに気が付いた。気配を消してアジトに入ると、そこは正しく血の海と化していた。
転がっている死体には見覚えのないものが沢山あり、その多くがミカと似た武装を身に付けている。それを見た彼はきっと敵対している別の組織との抗争に破れたのだと察した。
では復讐するのかと問われれば、ミカは組織のためにそこまでする義理を感じていなかった。衣食住は保障されていたが、それ以上に危険なことをさせられている。故に組織が滅びたことで自由になったことを素直に喜んでいた。
暗殺者としての技術を活かし、ミカは一般人に紛れて生活し始める。アジトがあった街から少し遠い街に侵入し、貧民街で日雇い労働者として働く日々を送っていた。
そんなミカに二度目の転機が訪れたのは、素性を隠しての生活を一年ほど続けた時のこと。彼が暮らしていた貧民街で喧嘩などは日常茶飯事であり、ミカがなるべく避けようとしても巻き込まれてしまうことはある。元暗殺者である彼にとって、チンピラを撃退することなど容易いこと。彼は余裕を持って絡んできた者達を沈黙させた。
偶然にもその戦いぶりを見ていたのが、カレルヴォとオルヴォの父親、カスパルだった。当時の彼は一人で活動していた霊術士の傭兵だったのだが、ミカの腕前を見込んで仲間に誘ったのである。
カスパルは豪放磊落な性格であり、ミカが生まれて初めて敬意を抱いた相手だった。自然と敬称を付けて呼ぶようになり、普段は従者として、戦場では肩を並べて戦ったのだ。
それからカスパルが『第七の御柱』に勧誘され、その繋がりで出会った霊術士と結婚。ミカは使用人として付き従った。しかし、その幸せは長続きしなかった。夫婦は二人の子供に恵まれたが、流行り病によって若くして死んでしまったのである。
死の直前、夫婦はミカに子供達を託した。その想いに応え、彼は使用人でありながらも誠実に尽くしたのだが……その結末は悲惨なものになってしまった。情けない自分が許せなかった彼は死に場所を求めて、この任務に志願した。しかし、魔人としての頑強な身体のお陰で生き残ってしまったのである。
「こんな私に生きる価値などないと言うのに……ん?」
ミカが落胆していると、彼の鋭敏な聴覚が砂の中で何かが動く音を聞き取った。咄嗟に彼は腰に手を回して短剣を抜く。すると彼のいる場所から少し離れた場所の砂が持ち上がると、中から白く塗装された鎧の腕が現れたではないか。
白い鎧、となれば答えは一つしかない。それを見たミカは上空から奇襲を仕掛けるべく、背中に生える四枚の翼を広げて音もなく飛翔した。
「……?」
ミカが飛び掛かる直前、砂から出てきた白機兵の腕はダラリと力なく垂れ下がる。どうにも砂を掻き分けて腕を出した所で体力が尽きたらしい。それが演技の可能性もあったので、彼は警戒は怠らずに接近した。
聴覚に集中して白機兵の心音と呼吸音を探る。それによるとその両方が弱くなっていて、死にかけているのは間違いない。反撃の心配はないと判断したミカは、その腕を掴むと一気に引きずり出した。
「生き残ったからには任務を優先しなければ。『影の神』の教義に反しますからね」
ミカが信仰するのは『影の神』というマイナーな神である。信仰しているのは表舞台に立てない立場にいる者達であり、元暗殺者の使用人というミカにとってピッタリな神だった。
その教義は影として誠実に光を支えると言うもの。これまでミカにとっての光とはオルヴォ達だった。そして現在は魔人部隊として忠実に任務を果たす。ミカはそう解釈していた。
気絶したまま動かない白機兵だったが、これをどうするべきか悩んでいた。最も短絡的で楽な方法はこのまま殺してしまうことである。敵の中でも精鋭兵である白機兵を殺すことは、十分に任務の趣旨から反してはいなかった。
「しかし、殺してしまうよりも生け捕りにした方がより役立つでしょう。さて、どうするべきか……」
ミカは悩みに悩んだ挙げ句、生け捕りにすることにした。決断した彼は白鎧兵の鎧を外していく。エンゾ大陸の国々の鎧と形状は大きく異なるが、鎧である以上は外すべき場所を予測することは可能だ。ミカはまず最初に白鎧兵の兜と仮面を外した。
その下にあった顔を見て、ミカは少しだけ目を大きくする。侵略軍の特徴である黒髪と青い肌は予想通りだったが、その顔付きが明らかに女性であることに驚いたのだ。
気を失っているから目を閉じたままであるが、整った顔付きをしているのは間違いない。ただし、ミカは美人だからと言って油断することはなかった。暗殺者であるとして教育を受けた彼からすれば、美人というのは相手を油断させる生まれながらの武器だと知っているからだ。
それにいくら美人だったとしても、相手が白鎧兵だと知って油断出来る連合軍の兵士はいないだろう。いたとすればそれはまだ戦ったことのない新兵か、後方の安全な場所にいる者達だけである。
「■■……■■■……!?」
「動くな。殺しはしない」
ミカが兜を外し両腕の籠手と鎧の胴の前面を外したところで、白機兵の女が覚醒した。女は急いで起き上がろうとするものの、身体が衰弱しているせいで立ち上がることも出来ない。ミカは言葉が通じないことを知りつつ、落ち着かせようとなるべく優しく声を掛けてやった。
しかし、あまり効果がなかったらしい。白機兵の女はふらつく身体を叱咤すると、闘気を高めて衰弱した身体を無理やり動かせるようにする。そしてまだ装甲が残っている脚でミカを蹴ろうとした。
ミカは素早く身を翻すと、翼を羽ばたかせて空中へと逃げる。それを見た白機兵はその辺りに置かれたままの鎧と籠手を拾おうとしたが、ミカが翼で強い風を起こしてそれらを弾き飛ばした。
白機兵は一度舌打ちをしてから左右の太股の辺りの装甲に触れる。すると、その部分が変形して二本の剣になった。左右に一本ずつ剣を構える白機兵を見て、ミカは殺しておけば良かったと今更ながら後悔していた。
「戦うつもりはなかったのですが……仕方がありませんね」
ミカは右手で短剣を逆手に構え左手には投げナイフを隠し持つ。睨み合う二人が同時に動き出そうとした時、白機兵の両足首が砂の中から黒い手によって掴まれた。そして白機兵が振りほどく前に砂の中へと引きずり込まれたのである。
首から下を砂の中に埋められた白機兵は必死の形相で抜け出そうとするが、彼女の周囲の砂はまるで砂鉄であるかのように重くなっていた。そしてミカと白機兵の間の砂中からゆっくりと現れたのは……彼女を引きずり込んだ黒い手の持ち主である冥王蠍の魔人だった。
「相変わらず、気配を消すのが上手ですね。生きておられて何よりです。それと助けていただいてありがとうございました」
「……」
「■■■!■■■■!」
地面に降り立ったミカが武器を収めつつ礼を述べると、冥王蠍の魔人は小さく首を横に振った。礼は不要と言いたいのだろうなとミカは理解し、それは正しかった。
そんな冥王蠍の魔人は今も砂から抜け出そうと藻掻く白機兵を見下ろしている。そんな彼は砂の中から現れた時から握っていた左腕の大剣を持ち上げて、何の躊躇もなく振り下ろそうとした。
「お待ち下さい!」
「■■……!」
「……?」
ミカは慌てて彼を制止する。怯えて顔を歪める彼女の頭を砕く直前に、ギリギリで大剣は止められた。止めた本人はどうして止めるんだ、と言いたげだ。
眼球は複眼で頬と下顎は外骨格に包まれているせいで表情が乏しいにもかかわらず、何故か感情を読み取れる。そのことがミカは少しだけ可笑しく、クスリと笑ってしまった。
「……?」
「申し訳ありません。それで彼女はなるべく生け捕りにするべきかと。私と貴方であれば、生け捕りにしたまま捕虜として連れて帰ることも可能かと思いまして」
「……」
冥王蠍の魔人は少し何かを考えてからコクリと頷くと、大剣を引きながら尻尾を巻き付けている戦斧を地面に置く。そして安心したように息を吐いた白機兵の首へと素早く毒針を打ち込むのだった。




