潜入任務 その三
地平線の彼方まで続く麦畑は、まるで黄金の海のようだった。風が吹く度に実った穂が揺れ、サワサワと優しい音が私の耳にまで届いてきた。見ているだけで不思議と癒されてしまう。とてもではないが、極悪非道な侵略軍の占領地だとは思えない光景だった。
「え?は?はあぁ!?」
そんな美しい光景を目にしたマルケルスの反応は、不可解なことに絶叫であった。私のようなヒト種でなかった魔人でさえ心が動かされる景色を前にして、どうしてそんな反応をするんだろう?
私は頭を動かさずに他の複眼でミカとリンネの顔を窺う。するとミカは眉根を寄せて怪訝な顔をしているが、リンネは私以上に感動したのか目から一筋の涙を流していた。
驚愕や困惑をする二人と感動する二人。その違いは何か。それはここが以前にどんな場所だったのかを知っているかどうかだろう。それほどまでに変貌しているのだろうか?
「大陸の穀倉地と言えば肥沃な大陸中央部……帝国ならば南部です。北方にこれほど巨大な農地があるとは聞いたことがありません」
「よく知ってるな。けど、それだけじゃない。この地方は広い土地があっても塩害で開拓が進まなかったことで有名だ。だから人工林を使った産業で儲けて、他の地方から食糧を買っていたらしい。洞窟のことを教えてくれた戦友が愚痴ってたよ。『椅子よりもパンの方が高いくらいだ』って」
つまり、侵略軍はそんな土地を短い期間でここまで大きな麦畑を作り出したことになる。そんなことが可能なのか?いや、目の前で実際に起きているのだから可能なのだろう。霊術回路の技術だけでなく、農耕技術も帝国より優れているようだ。
しばらく麦畑を眺めていたマルケルスだったが、思い出したかのように懐から透明な水晶玉が上に乗った四角い箱を取り出した。箱の底に当てている手から霊力を流し込むと、水晶玉の内側に一瞬だけ黒い靄が浮かんでいた。何のための道具なのだろうか?
「これか?こうすると……よし」
私が気になっていることに気付いたのか、マルケルスは水晶玉に手を当てながら霊力を流し込む。すると水晶玉の内側に我々の眼前にある麦畑が浮かび上がったではないか!
どうやら映像を記録する道具のようだ。これで占領地の様子を記録して持ち帰るのが、マルケルスの任務に違いない。想定外の状態だからこそ、映像に残すことは重要であった。
「そろそろ移動するぞ。麦畑の中に隠れて進む。警戒は怠るな」
私が納得したところで、我々はより占領地の深い場所を目指して進んでいく。麦畑はかなり背が高く、私達全員の姿をすっぽりと隠すほどだった。
マルケルスは「麦ってこんなに高くないだろ」とボヤきながら、短剣で根本から一束分ほど刈り取って回収している。こう言う占領地のモノを持ち帰るのもマルケルスの任務であるようだ。
「この麦畑、どこまで続くんだ?広すぎるぞ……」
麦畑は本当に広かった。かき分けながら進んでいる間に日は完全に傾き、そのまま夜になってしまったのである。歩いているとはいえ、とても広いのは間違いない。麦畑の真ん中で寝泊まりする訳にも行かず、我々は暗闇の中を愚直に進み続けた。
魔人の三人は夜目が利くのでランタンなど不要だったのだが、フル族であるマルケルスは苦労しているようだった。時折、麦の茎に足を取られて転びそうになっている。今、最も苦労しているのは彼かもしれない。
「ん?何か光が見えてきたぞ?」
そうして進んでいると、麦の隙間からポツポツとだが弱い光が射し込んできた。我々は慎重に、なるべく麦の茎を揺らさないように注意しながら前進して行った。
慎重に進み始めてから少し経って、ついに我々は麦畑の北端に到達した。そこから身体を出さずに隙間から外を窺うと、そこにあったのは大きな街の廃墟とその上に築かれた円柱形の塔であった。
砦と同じく金属で出来た塔は十本以上もあり、その根本にはやはり金属製の箱のような家が建ち並んでいる。その周囲を機鎧兵が数人の集団となって哨戒していることから、侵略軍の施設であるのは間違いなかった。
「あれは何だろうな……とりあえず、映像に収めておこう」
マルケルスは例の道具を前方に向けると、再び水晶玉の内側に靄を発生させている。ここの映像も保存したのだろう。潜入任務の目的をまた一つ果たしたところで、我々は一泊する場所を求めて侵略軍の施設から離れて東の海岸を目指した。
再び麦畑をかき分けてひたすらに進み、我々はようやく海岸に到着した。夜の海は真っ黒としか言い様がなく、黄金の麦畑と正反対の色合いだ。恐ろしげですらある夜の海が私は嫌いではなかった。
麦畑のすぐ側が砂浜になっているのを見たマルケルスは納得行かないと表情で訴えていたが、少しは慣れたからか何も発言することはない。彼は敵の気配がないことを確認してから、麦畑から砂浜の上に出た。
「マルケルス様、彼方をご覧ください」
「おっ、運が良いな。小屋があるぞ」
砂浜を見渡しているとミカがある一点を指差した。そこにはポツンと小屋が建っていて、その近くには砂浜に引き揚げられた幾つもの小舟が転がっている。我々は敵の罠を警戒しつつ、小屋の方へと向かって歩いて行った。
小屋の中からは生物の気配はほとんどない。あるのは全て小動物の反応ばかりである。ミカは更に用心深く壁や入り口の周囲を観察していたが、罠の類いはないと判断して我々を手招きした。
「ゴホッ、ゴホッ!凄い埃だな……ここは、漁師小屋か?」
立て付けの悪い扉を開けて入ると、埃っぽい空気を吸い込んだマルケルスは咳き込んだ。小屋の中には机や椅子のような生活感のある家具はなく、代わりに大きな網や籠ばかりが乱雑に置かれている。
どうやら漁業に使う道具を保管する小屋だったらしい。頑丈な網は見るからに固そうだが、地面に横たわるよりはマシだ。砂の上は蠍の時から好きなのだが、どうにも海岸の砂は肌に合わない。故にこの小屋で過ごすことに異論はなかった。
「見張りの順番は昨日と同じで良いな?今日は携帯食糧を食べたら休む。明日からは何時休めるかわからないから、しっかりと疲れを抜いておけ」
「マルケルス様、一つよろしいでしょうか?この小屋にある籠を使って明日以降に使える食糧を確保しておきたく思うのですか」
「それが可能なら任せる。私には使い方がわからんからな」
ミカはかしこまりましたと言ってから籠を幾つか持って小屋の外へと出て行った。三人になったところでマルケルスはよっこいしょと言いながら積み重なった網の上に腰を下ろした。
それから私とリンネにも座るように手で促す。私達はそれぞれ別の網の山の上に座った。網は思った通りに固かったが、思っていたよりも不快ではない。ずっと縛り付けられていた拘束椅子に比べれば天と地ほども差があった。
私達が座ったのを確認すると、マルケルスは交互にこちらを見てから尋ねた。ミカは何者なのか、と。
「彼とサソリ君は贖罪兵ではないと言っていただろう?じゃあその前が何だったのか、二人は知っているのか?」
「……」
おいおい、その話を蒸し返すのか?しかも本人がいない所で?いや、本人がいないからこそ聞き出せる好機だと思ったのだろうか。言いにくいことも言えるだろう、と。
私は知っているものの、黙ったままその場で腕を組む。答えても良いことはないからだ。やはり、ここは話すことが出来ないという体で乗り切ろうか。そんな私とは逆に、リンネは何かを深く考えてから口を開いた。
「初めて見た時のあの人は、霊術士の従者だった」
「従者だったのか」
「私達にも優しくて、美味しいご飯を作ってくれた。とっても、うれしかった……ヒト扱いされたの、初めてだったから」
リンネは何かを思い出すように目蓋を閉じて顔を上げる。その時の彼女の顔は、とても幸せそうであった。私と同じく生まれながらに尊厳を奪われ続けた贖罪兵にとって、丁寧な対応をしてもらえただけでも嬉しいことだったのだろう。その気持ちは痛いほどに理解出来た。
その顔を見たマルケルスはとても悲しそうに顔を歪めながら拳を握っている。贖罪兵の境遇に同情しているのだろうか?いや、それだけではない気がする。マルケルスからは怒りのような感情が感じられたからだ。何に対して怒っているのか、私にはわからなかった。
「その後で魔人にされて、私達は反攻作戦に行った。戦場から霊術士の屋敷に戻ったら、急に別の奴が私達の主人になって……あの人も魔人にされてた。私が知っているのはそれだけ」
「教えてくれてありがとう。参考になった」
「うん」
リンネが知っていることを聞き終わったマルケルスは、何かを深く考えているのか右手を顎に当てながら黙り込んだ。彼が考えごとをしている間に、ミカは籠を設置し終わって戻ってきた。
物思いに耽るのを中断したマルケルスは私達に食糧を配ると、自分も同じものを食べてから就寝した。見張りの順番は昨日と同じと言うことだったので、私は小屋の外へ出て砂に潜って周囲を警戒し始めた。
(うーん、砂の中の居心地もあまり良くないな。海辺の砂浜はしっくり来ないらしい……それにしても、マルケルスはどうしてこうも詮索してくるんだ?)
私は砂の中でマルケルスが我々の事情を聞きたがる理由は何なのかが気になっていた。本人は好奇心がどうのと言っていたが、その言葉を真に受けるほど私は純粋ではない。他に理由があると思った方が良さそうだ。
しかし、そこから先を推測するにはあまりにも情報が足りない。マルケルスが何を考えているのかはわからないが、それに巻き込まれて死ぬのはゴメンだ。そんなことを考えながら頭上を通り過ぎようとする小さな蟹を捕まえ、砂の中に引きずり込んでから口に放り込む。ゴリゴリと砂ごと噛み砕きながら、そうして占領地での最初の夜は過ぎていった。




