皇帝との契約
首を回してゴキゴキと音を鳴らしたレムルスは、ニヤニヤしながらちょいちょいと指を動かして挑発してきた。殴ってこいとでも言いたげである。譲ってもらえるのなら容赦なく行かせてもらおう。
私は外骨格で包まれた右の拳を握ると、腰を回して脇腹を殴る。私はアレクサンドルから格闘術も教わっており、その際に効く打撃の打ち方も習っていた。私の拳はよく鍛えられたレムルスの腹に深くめり込んだ。
「ぐっ!?」
レムルスが思わず苦しそうな息を吐く。私が気配を断っているからか、実力を低く見積もっていたのだろう。想定外に拳が重いことに驚いているらしい。驚いてももう遅い。私は遠慮も容赦もするつもりがないからな。
私は流れるような動きで今度は左の拳を横から大降りで叩き込もうとする。レムルスはちゃんとそれに反応して、腕を翳して防御してみせた。
「がぁっ!?」
しかし、左の一撃は誘いであった。左を打ち込むと同時に引いていた右の拳を、今度は視界の外である下から顎を打ち上げたのである。綺麗に顎を捉えた拳はレムルスの身体を少し浮かし、奴は背中から床に倒れた。
私としてはこれで終わりでも良いのだが、レムルスは顎を押さえながら立ち上がった。その目は憎悪に燃え、闘気を高めて身体を強化している。これ以上は殺し合いになると思うのだが……誰一人として止める者はいなかった。
複眼の一つで皇帝の様子を窺うと、椅子の上で寛いだまま髭を触っている。やはりこのまま継続ということなのか。
「貴様っ……殺してやる!」
言うが早いか、レムルスは殴り掛かって来た。その動きに技術はなく、怒りのままに拳をブンブンと振り回している。それだけなのだが……恵まれた体格と無尽蔵の体力にものを言わせて暴れ続けていた。
私はアレクサンドルの教えに従って、なるべく回避し、それが厳しい場合は弾いている。防がなければならない場面がない時点で、アレクサンドルよりもレムルスの方が技術的に拙いのは確実だ。私は焦らず、反撃の時を待った。
「うろちょろ!すんじゃ!ねぇっ!」
レムルスはしびれを切らしたのか、姿勢を低くして飛び掛かってきた。捕まってしまうと押し倒されてしまうかもしれない。そうなると流石に危ないので、私は低くなった顔面に目掛けて思い切り蹴った。
だが、これは奴の誘いであったらしい。私は本気で蹴ったのだが、奴は腕を翳して防御しながら更に踏み込んだ。蹴り抜いたことで上半身が横に少し傾いたものの、それだけである。持ち前の頑健さで耐えきったのだ。
レムルスにはきっと片足立ちの私を押し倒す未来が見えていたことだろう。しかし、忘れてはならないことがある。私は奴の言い方を借りればゲテモノ……すなわち、合成獣なのだ。
「げふっ……!?」
私は股下を通す形で尻尾を薙いだのである。外骨格に包まれた尻尾は、それ自体が極太の鞭と言える。尻尾の最も固い先端部分が、蹴りを防いで少し傾いた方の脇腹に激突した。レムルスは予想外の攻撃によって崩れ落ち、片膝を着いてしまった。
私はすかさず低くなった頭を掴むと、その顔面に膝蹴りを叩き込む。外骨格に包まれた膝が鼻の骨を折った感触が伝わって来た。これで鼻っ柱は物理的に折れた。自分に課したノルマは達成したぞ。
レムルスは盛大に鼻血を垂れ流しつつ、眼からも滂沱と涙を流している。あれは痛くて泣いているのではなく、鼻を強く殴られて起きてしまった生理現象だろう。私もアレクサンドルの拳を受けて涙が出たことがあるから知っていた。
私の場合は他の複眼があるから視界に問題はなかったが、レムルスは違う。きっと涙で視界は歪んでいることだろう。それでもレムルスは敗北を認めない。鼻血で染まった拳で私を殴る……と見せ掛けて手を振るって拳の中に握っていた鼻血を私の顔に掛けてみせた。
「死ねえぇぇぇぇっ!」
鼻血を浴びた私は硬直し、それを隙だと思ったレムルスは私の肩に掴み掛かろうとして……私の金的蹴りをもろに受けた。私には複眼が幾つもあるので、完全に視界を奪いたければ頭をスッポリと覆う何かを被せるしかない。ちょっと鼻血が複眼の幾つかに掛かったくらいでは意味がないのだ。
硬直したのは演技であり、油断させるための罠である。見事に引っ掛かったレムルスは、急所に蹴りを受けて再び崩れ落ちた。その顎を今度は金的を蹴ったのとは逆の脚で蹴り上げる。奴はまたもや仰向けに倒れた。
「まだ……だ!まだ、敗けてねぇ……!」
レムルスはまだ起き上がろうとしている。なので私は奴の上に跳ぶと、その顔面を思い切り踏みつける。鼻の骨がまた折れた気がするが、レムルスはまだやる気のようで私の脚を殴ってきた。
床に横たわっている上にこれまでに受けた攻撃が効いているのだろう。腕力だけの打撃でしかなく、あまりにも弱々しい。集中力を乱していて闘気を上手く扱えないようだ。それでは外骨格越しにダメージを与えることは出来ない。これでもまだ戦わせるのだろうか?
皇帝の顔を盗み見ると、相変わらず髭を触りながらこちらを見るばかりで何も言わない。他の者達は少しソワソワしている。そろそろ止めたいのだが、皇帝の意向には逆らえないと言ったところか。
ならば私が止めれば良いのだろうか?不必要に痛め付ける趣味はないからもう止めたいのだが……そうも行かない。オルヴォからもっと殴れと命令が来ているからだ。自分の作品である私をゲテモノ扱いされて腹を立てているらしい。しょうがない、まだ続けるか。
私は顔面から足をどけると、仰向けになったレムルスの胸部を両脚で挟んで馬乗りになった。尻尾で脚を縛って身動きをとれなくしたのだが、レムルスは関係ないとばかりに腕力だけで私の顔を殴る。殴られたのは下顎なので痛くはない。だが、私は本気で顔面へと拳を振り下ろした。
闘気で強化しているようだが、集中力が乱れていて強化しきれていない。殴った瞬間に顔の骨にヒビが入ったのを感じた。それでも再びレムルスは殴ってくる。先ほどよりも少し威力が落ちているが、まだ戦うつもりなのか。根性だけは一人前だ。
オルヴォが止めるなと命令するので、私は再び顔面を殴った。するとやはりレムルスは反撃してくる。そのやり取りは二十回以上繰り返し……ようやくレムルスに限界が訪れた。
「ご……じで……や…………」
プルプルと震える手を伸ばしたものの、レムルスの拳は空を切ってから動かなくなった。胸が上下しているので、一応生きてはいるらしい。もう動かないし、十分だろう。
後ろの複眼で皇帝を見ると、表情を動かさずに口を開いて言った。そろそろ良かろう、と。
「それが使えることは十分にわかった。それで汝は何を求める?」
「戦える人材と可能な限り多種類の強力な生物を集めていただきたく存じます。合成するにも相性がございますから、それを無視すると……」
「技術的な問題に興味はない。朕が集めさせると言ったのだから、汝が求めるものは全て揃う。連合軍の国も素材を提供すると申しておるようだからな」
必要な素材は全て集めると皇帝は断言した。大国を支配する絶対的な権力を持つ者だからこそ言える言葉である。私のような合成獣を増やし、戦力として使うことに帝国も賛成と言うことらしい。
私と同じ目に合う者達が増えることは心苦しいものの、私にはオルヴォを止められない。万が一にもオルヴォが怖じ気づいたとしても、連合軍の国々や帝国が支援を約束した以上は中断することは出来ない。国々を巻き込んだ大きな流れを止めることは、誰にも出来ないのだ。
「それよりも重要なのは、ヒト種を用いた合成獣……確か魔人と言ったか?その部隊の結成を秋に予定しておる反攻作戦までに間に合わせることだ」
「間に合います。その方法も既に確立させておりますので」
「良かろう。宰相、この者が自由に使える屋敷を用意せよ。そこで一刻も早く完成させるのだ」
「かしこまりました、陛下」
「うむ。下がって良い」
「望外の待遇に感謝致します、陛下」
オルヴォはそう言いながら私に檻へ戻るように命令する。私は手に着いた血を軽く払ってから、自分の身体を枷に繋いで椅子に座った。皇帝との謁見はこれで終わりということらしい。
檻ごと運ばれながら、私は目蓋を閉じつつ複眼で仰向けに倒れているレムルスを見る。未だに気絶したまま起き上がれない奴だったが、謁見が終わった瞬間に左右の壁に控えていた侍従によって運ばれていった。
それを皇帝は見送ることすらせず、黙って髭を触ったままだった。まるで興味すらないかのようだった。自分のため求めに応じて戦った臣下が半殺しにされたのにその態度とは……何とも薄情なことだ。
檻は布を被せた状態で全く同じ道を通って戻り、オルヴォの馬車に乗せられる。その状態でしばらく待たされてから、馬車はゆっくりと動き始めた。
馬車はまた長く進むのかと思われたが、意外にもすぐに止まった。他の荷物と共に降ろされた私が見たのは、もの凄く大きな屋敷である。若様の……えっと、何たら侯爵家の屋敷よりも一回り大きかった。
十中八九、ここは皇帝からオルヴォに与えられた屋敷だろう。こんな屋敷をポンと与えられるなんて……流石は皇帝だ。これが権力者というものか。
立派な屋敷からは使用人がゾロゾロと現れて、オルヴォに向かって頭を下げる。それを見てオルヴォははしゃぐかと思ったが、憮然とした表情で屋敷に入っていくだけだった。こんなに立派な屋敷を与えられて、しかも支援の約束まで取り付けたのに何か不満なことがあるのだろうか?
何はともあれ、しばらくはこの屋敷にいることになりそうだ。相変わらず自由は全くないものの、戦場に行かずに済んだのはありがたい。少なくとも戦闘で死ぬということはないだろう。私は大人しく運ばれながら、きっと短いであろう平穏な時間に感謝するのだった。




