逃げた先は
ティガルは聖騎士の大多数を足止めしているが、全員を引き受けることは物理的に不可能だ。逃げるゼルズラ一行を聖騎士の一部はしつこく追跡していた。
仮に彼らがリーゼロッテの乗る馬車を放棄していれば、逃走は容易だっただろう。重装備の聖騎士よりも彼らの方が身軽なのだから。
だが、リーゼロッテを見捨てることは論外である以上、馬車を放棄することも出来ない。リーゼロッテとヒルダを背負って逃げるよりも、馬車そのものを盾として利用した方が安全だからだ。
「リナルドさん、先回りされてる!」
「わぁってる!あれは雑魚じゃねぇぞ!レオ!」
聖騎士と戦いながら逃げていた一行だったが、先回りして彼らの前に立ち塞がる気配が二つあった。ユリウスは嗅覚で存在を感知し、リナルドはこれまでの経験に基づく勘でその強さを理解していた。
リナルド一人では手に余る。だが、ユリウスでは返り討ちにあう可能性が高い。ならば実力者を当てるしかない。そこでリナルドはレオを呼んだのである。
「レオ、任せる!」
「ユリウスも、頼んだぞ!」
ユリウスはまだ自分がレオに及ばないことを自覚している。任せられない実力しかない自分を不甲斐なく思いながらも、レオに後を託した。
レオはユリウスが何を考えているのか、おおよそ察している。だが、全員が生き残る可能性を少しでも上げるための策なのだ。彼も余計なことを言わず、リーゼロッテ達をユリウスに託して前へ出た。
「シャアァァァ!」
「ガオォォォッ!」
「くっ!?」
「何と言う剛力……ッ!」
リナルドは槍を鋭く突きこみ、レオは大剣を振り下ろして前方を塞ぐ聖騎士を押し込んだ。二人共聖騎士の中では相当な実力者であったが、力勝負で魔人に勝るのは難しい。リナルドとレオは強引に道を切り開いた。
二人が作り出した道を、魔人達は馬車を押しながら駆け抜ける。走りながらの戦闘ということもあり、聖騎士は一人、また一人と追い付けなくなっていった。
だが、ずっと戦い続けているゼルズラ一行は肉体的にも精神的にも疲労が溜まっている。特に疲労が多く溜まっていたのは、ゼルズラ一行に混ざっている魔人ではないヒト種の戦士達だった。
マグナをはじめとする戦士達は、ゼルズラでの厳しい鍛錬によって魔人に匹敵する腕前に達している。しかしながら、単純な筋力や持久力では魔人に及ばない。むしろ戦闘用に合成された魔人を上回る身体能力を持つヒト種はほとんど存在しなかった。
「ガハッ……!」
「クソッタレ!怪我人は内側に退け!」
そしてついにゼルズラ側にも軽傷とは言えない怪我を負う者が現れた。聖騎士も戦士達も互いに疲労しているからこそ、多少の腕前の差は人数と武具の差で埋められてしまうのだ。
ゼルズラの戦士の方が剣を振るう速度は上だったものの、疲労のせいで仕留め切れなかった。その反撃によって深く斬られ、重傷を負ってしまったのである。
重傷者は馬車の屋根の上に放り投げ、空いた穴を他の者達が埋める。聖騎士も脱落していくものの、一人当たりの負担は徐々に、しかし着実に増えていった。
「ハァ……ハァ……霧が出て来た?」
「さっ、寒い!?凍って……ぐあぁ!?」
消耗しながら森を奥へ奥へと進んでいると、ゼルズラ一行と聖騎士達を包み込むように霧が出て来た。最初、誰もが単なる自然現象だと思ったことだろう。誰一人として霊術の発動する兆候などを感じ取れなかったからだ。
だが、すぐにこれが何者かによる……それもゼルズラに味方する誰かによる仕業だと理解することになる。何故なら、全員を霧が包みこんでいるというのに聖騎士に付着した水滴だけが凍り付き始めたからだ。
聖騎士は闘気によって身体能力を向上させているとは言え、重い金属鎧を装備した状態でここまで駆け通しだったのだ。鎧の下では発汗しており、これが冷やされたせいで体温が急激に下がっていく。
無論、聖騎士達も抵抗しようとした。闘気によって身体を活性化させて体温を維持しようとする者もいれば、火の霊術を使って気温を上げようとする者もいる。咄嗟にパフォーマンスを保つための一手を打てるのは精鋭と言われるだけはあると言えよう。
ただし、ゼルズラ一行に聖騎士達の体温が上がるのを待ってやる理由はない。体温を維持しようとする一手の隙を突かれた聖騎士達が何人も討たれてしまった。
「卑劣な!正義の鉄槌を下す!」
「どの口でほざいてんだ、この野郎!」
魔人達も消耗しており、短い時間では全員を倒すことは不可能だった。ただ、人数の差はこの霧によって逆転している。今では囲んでいる聖騎士達の方が人数が少ない状況となっていた。
しかしながら、聖騎士達の戦意は衰えない。疲労している上に数的有利も奪われた状況で、誰一人として弱気にならないのだ。
「グルルルル!」
「フシュゥゥ!」
「何だ!?」
「守護者達か!」
さらに霧に紛れて聖騎士の背後に回り込んでいたらしい野生動物達が彼らに襲い掛かる。ゼルズラの者達の言う通り、この動物達は妖狐族と同じ森の守護者達だった。
闘気を使いこなして身体能力を向上させた熊や、霊術を駆使する蛇など様々な動物達の実力は一匹一匹がカタバミやクチナシに匹敵する。前にはゼルズラの戦士、背後には動物達。この状況で勝てるはずがなかった。
「我が正義は不滅なりぃぃぃ!」
「正義!正義!正義ィィィ!」
「こいつら……!」
「気味が悪い……!」
信仰という強固な土台は、目的のためならば己の生死すらも厭わない兵士を作り出していた。決して勝てない状況だというのに、最後の一人が力尽きるまで聖騎士達は戦い続けたのである。
そのせいで死者こそ出なかったものの、多数の負傷者が出ている。特に逃走中に重傷を負った者達は、応急処置すら受けられずに馬車の上に放り投げられた。移動中の激しい振動によって激しく出血しており、中には重篤な状態になった者達もいた。
「……手酷くやられたの」
「ボタン様……」
戦闘が終わった直後、いつものようにボタンが虚空から現れる。彼女は珍しく顔を顰めており、不機嫌を隠そうともしない。彼女が無造作に手を振ると、重傷者達の姿がいきなり消え去った。
仲間が消失したことに驚くゼルズラ一行だったが、馬車の外にいる者達は疲労困憊で何をしたのか聞く余裕すらない。ボタンが何をしたのかは、彼女本人の口から聞かされた。
「安心せい。我らの里へ送っただけよ。それよりも、お主らの治療が先じゃな。そっちの二人も、のう」
「レオ!」
「リナルドさん!」
ボタンの視線の先を追うと、そこにいたのは大きな猿達によって運ばれたレオとリナルドだった。ただ、二人共明らかに重体だった。レオは袈裟斬りによってバッサリと斬られているし、リナルドに至っては背後から刺された上に左腕を切断されているのだ。
幸いにもリナルドを運んできた猿が彼の腕を回収している。切断面もキレイなので、腕の良い治癒術士であれば治すことも可能だろう。
魔人の中でも指折りの実力者である二人が重体で回収されたという事実は、ゼルズラの戦士達に強い衝撃を与えている。そして彼ら個人を慕っている者達にも別の意味で衝撃的であった。
馬車の扉を破壊する勢いで飛び出したのは、レオの家族とリーゼロッテであった。リーゼロッテはここに来るまでの間に目を覚ましていたらしい。彼女の後を追うようにヒルダも慌てて外に出ていた。
「レオ!レオ!」
「落ち着け、と言うても聞かぬか」
レオの家族とリーゼロッテはレオを囲んでパニックになっている。リナルドの周囲も彼から槍術を学ぶ者達が集まっていた。なお、リナルドの妻子はゼルズラにいるので彼の凄惨な姿を見ることはなかった。
リーゼロッテ達の気持ちも理解出来るが、今の二人は身体を動かすのも危ない状態だ。ボタンはやれやれと首を振りながら指をパチンと弾く。するとリーゼロッテの身体からフッと力が抜けてしまった。
「お嬢様!?貴様、何をした!?」
「安心せい。眠らせただけよ」
地面に横たわる前にリーゼロッテを抱き上げたヒルダの怒声を、ボタンは涼しい顔で受け流す。その上で彼女は周囲を見回して状況を把握した。
「治癒が始まっておるか。ならば、レオとやら以外は我らの里で治してやろう。残りは妾がゼルズラまで送ってやる。さ、疾くその馬車に乗るが良い」
レオの傷は母親のシャルによって応急処置が始まっている。今、シャルと離す方が危険であろう。それ故にレオと馬車に乗っていた者達だけをゼルズラへ送ることにしたのだ。
ボタンは有無を言わせずに彼らを馬車に押し込む。次の瞬間、彼女らはゼルズラの地へと帰還していたのだった。
次回は12月6日に投稿予定です。




