崩れる平穏
「ちちーえ!ははーえ!リーゼねーちゃ、いつ来るの!?」
「シャウラは毎日聞いているわね」
私達が王都から帰還して、半年と少しが経過した。神殿関係者や診療所の二人はもう完全にゼルズラに馴染んだと言っても良い。もっと時間がかかると思っていた分、良い方に予想が裏切られた形である。
ただし、それは人間関係のことに限ってだ。健康面では違う。体調を崩す者が何人も現れたのだ。各神殿からは徳の高い神官が来ていたのだが、彼らの多くは高齢者。加齢によって体力が落ちた高齢者に砂漠の環境は厳しかったようだ。
診療所の二人は忙しそうに駆け回った。ジョナサンは薬を調合し、ナイアは的確な治療を行う。神殿関係者には医療の知識がある者がいたが、彼女は専門家である。その指示に逆らうことなく治療を行ったこともあり、死者は出さずにすんだのだ。
だからこそ、診療所の二人が奔走してくれた二人がいなかった時のことを考えるとゾッとする。来たばかりの神殿関係者、それも責任者に死人が出ていたらどうなっていたことか……想像もしたくない。
「まだまだ先になるはずだぞ。ティガル達が向こうに着いたぐらいだろうからな」
そして半年経過したということは、ゼルズラから王都へ向かう一団が出発したということ。ティガルに率いられた一団はゼルズラを出発しており、順調に行けば今頃は王都に到着していることだろう。つまり、行きと帰りの時間を考慮すればリーゼロッテがティガルと共にここへ来るのはまだまだ先のことなのだ。
そのことを毎日のようにシャウラに話しているのだが、まるで昨日話したことを忘れたかのように聞いてくる。リーゼロッテに随分と懐いたようだ。
クリスはと言うとシャウラがリーゼロッテに懐いていることを喜んでいる節がある。クリスはリーゼロッテに強い忠誠心を抱いていたこともあって、反対するどころか歓迎しているようだ。
ただ、私からすると不安でもある。シャウラはゼルズラが大好きだと言っているが、リーゼロッテに傾倒し過ぎると彼女の側で仕えたいと言い出すかもしれないからだ。
私の冷静な部分はそれも良いと言っている。リーゼロッテの側に私の娘が仕えるというのは、彼女とゼルズラの繋がりの強さをアピール出来からだ。
しかしながら、親としての私は絶対に嫌だと言っている。可愛いシャウラを遠くに送る?そんなこと、許せるものか!絶対に嫌だぞ!
ただし、今のシャウラにその心配は必要ない。何故なら、シャウラにはゼルズラを離れたくない強い理由があるからだ。
「あ!ナイアねーちゃ!おはよー!」
「おはよう、シャウラちゃん。クリスさんとアンタレスさんもおはようございます」
私達が向かっていた目的地はジョナサンとシャウラの診療所であった。ローガン殿の薬草園を嬉々として手伝っていたシャウラは今、植物の世話をすることにハマっている。その一環として時折ジョナサンの薬草園を手伝っているのだ。
シャウラは元気よく手を挙げてナイアに挨拶をしている。私達も挨拶をしてから診療所に入ると、中ではジョナサンが湯呑みの中身をすすっているところだった。
「ああ、いらっしゃい。薬草茶、飲みます?」
「いらない!」
「シャウラは苦手だものね。私達には一杯もらえるかしら?」
「はいはい……どうぞ」
ジョナサンが飲んでいたのは、彼が愛飲する薬草茶である。薬草や香草を煮出した汁であり、ローガン殿直伝の配合に自分なりのアレンジを加えた代物だとジョナサンは語っていた。
これを飲むようになってからというもの、ジョナサンは病気にかかったことが一度もないという。本当に薬草茶の効能かどうかは微妙だが、少なくともジョナサンにとっては健康を維持するための飲み物であるようだ。
しかしながら、シャウラは強く拒絶している。その理由は単純明快。不味いのだ。苦く、青臭く、それでいてドロリとした粘性のせいで口や喉に張り付いて臭いが後まで残る。正直、舐めるだけでも辛いほど酷い味なのだ。
シャウラが断ることは許すクリスだが、私には飲むように強制している。甘党の私からすると拷問のような時間なのだが、クリスが私の健康のために言っているのは知っている。私は我慢して薬草茶を飲んでいた。
「どうぞ」
「ありがとう」
「ぐむっ……ぬぅ。研究はどうだ、ジョナサン。昨日持って来た植物は役に立ったか?」
薬草茶を一口含み、急いで嚥下する。なるべく舌に触れないようにしていたのだが、強い苦味とえぐ味、そして耐え難い臭いが広がった。シャウラが見ていなければ噎せながら涙目になっていたかもしれない。
娘に幻滅されたくない一心で耐え、その上でジョナサンに話を振る。この薬草茶、冷めた方が臭いが収まるので彼が話している間に少しでも冷まそうとする作戦であった。
そんな裏の事情はあったものの、実際に気になっていたことではある。私達は山脈に採集へと向かい、昨日帰って来たところだった。
山脈へ行った目的は岩塩の採集である。ゼルズラで使う分だけではあるが、干物にして王国へ持ち込むこともあって量はそれなりに必要なのだ。
そのついでにジョナサンのために植物も採集している。なるべく色々な種類を持ち帰っていたのだが、果たして彼の琴線に触れる植物はあったのだろうか?
「ええ、とっても!ほら、これ!見て下さい!」
するとジョナサンは顔に喜色を浮かべて一枚の葉を差し出す。彼が喜んでいるからには薬の原料になるのだろう。
状況から察しているだけの私とは裏腹に、シャウラは何かに気付いたらしい。指を差しながらビックリしたように目を見開いた。
「あ!育ててるヤツ!」
「その通り!厳密には見た目が似てるだけの別物なんだけど、性質はとっても似てるんだ!」
シャウラの指摘する通り、薬草園で育てている薬草に酷似した植物だったらしい。性質も似ているということは、王国から持ち込んだ薬草の簡易に育てられる代用品になることを期待しているようだ。
ジョナサンが興奮気味に早口でまくし立てる内容は私達一家にはチンプンカンプンだった。内容がわかる聞き取れた部分から察するに、治験してみないことには薬として使えないという。薬効成分があるのは間違いないらしいが、有害な成分がないとも限らないからだ。
「ということで、ネズミか何かの小動物を確保して下さい」
「わざわざネズミを、か……」
治験を行って人間にとって無害かどうかを確かめる必要性はわかる。だが、穀物を食べたり病気を媒介したりするネズミをわざわざ自分からゼルズラ持ち込むのは忌避感が強かった。
まあ、ジョナサンは自分で管理するらしい。どうやらローガン殿の屋敷でもネズミを育てて薬品の実験に使っていたと言う。ネズミの管理はお手の物ということか。
仮に逃げ出したとしてもゼルズラには砂猫達がいる。子供達の友人であると同時に、自分よりも小さいモノを狩る狩人でもあるのだ。追い回されて増える前に駆除されるのではなかろうか?
そんなことを考えていると、外から走ってくる足音が聞こえてくる。向かっている先はここ、つまり診療所だ。どうやらとても急いでいるらしい。誰かが大怪我でもしたのだろうか?
「先生!って、ボスも!?ちょうど良かった!急いで来てくれ!」
「何があった?」
「レオが!大怪我してるんだ!」
「すぐに行く。ナイア、ジョナサン。二人も急いでくれ」
「わかった」
「はっ、はい!」
「クリス、シャウラを頼む」
「ええ、任せて」
王国にいるはずのレオが、大怪我を負ってここに来ている。正直に言って訳が分からない状況だが、急がなければならないことは確かだ。私は不安そうに見上げるシャウラの頭を一撫でしてから、急いで外へと飛び出すのだった。
次回は11月20日に投稿予定です。




