師弟の別れ その二
「し、師匠!そっ、その……お、お話があります!」
「んー、何だい?」
アンタレス達がローガンの薬草園で作業を手伝っている頃、マギーの診療所ではナイアが緊張した面持ちで師匠の前に立っていた。あがり症のナイアだが、マギーを相手にここまで緊張することは珍しいことだった。
彼女の緊張は勇気を振り絞らなければならないことを如実に物語っている。そのことがわかっているだろうに、当のマギーは顔をナイアに向けることすらなく机に向かって何かをしたためていた。
「あ、あのっ!聞いて下さいっ!」
「あぁ、聞いてるよー」
自分が重要な話をしようとしていることを察しているはずだが、マギーはナイアの方を見ようともしない。その態度は師匠といえど、あまりにも礼を欠いていた。
滅多に怒らない彼女だが、ギリギリと音が鳴るほど強く手を握り込んでいる。怒りに震える自分を深呼吸で抑える彼女の機先を制するように、机の上に目を落としたままのマギーが口を開いた。
「行くんだろ?ジョナサン坊やと一緒に」
「……えぇっ!?な、何で知って!?」
マギーの口から飛び出したのは、今まさにナイアが伝えようとしていたことだった。彼女はジョナサンに求婚されて以来、ずっと迷っていた。その理由はゼルズラへ行くことへの不安ではない。自分はジョナサンに相応しくないのではないか、という自己肯定感の低さだった。
ナイアは以前からジョナサンのことを思慕していた。だが、それを伝えられなかったのは偏に自分が彼に相応しくないと思っていたからだ。それ故にジョナサンの求婚を断るという発想は彼女になかった。
また彼女はゼルズラに悪い印象を持っていなかった。彼女が触れ合ったことがある魔人がシャウラとサルガスだけだが、シャウラは王都に住むスラムの子供とは比べ物にならないほど天真爛漫だ。そんな子供に育つ場所が悪い環境だとは思わなかったのだ。
だが、自分に自信が持てないナイアは自分がジョナサンの連れ合いに相応しいとは思えなかった。そして悩みに悩んだ結果、勇気を出して、ほんの少しだけジョナサンの信じた自分を信じてみようと決心したのである。
「はぁ、全く……師匠をナメるんじゃないよ。弟子の考えてることなんてお見通しさ」
「あうあう……」
しかし、誰にも相談せずに自分で決めたというのにマギーには見抜かれていたらしい。読まれていたこと、そしてそんなことも知らずに怒っていたことを知ってナイアは顔から火が出る思いであった。
羞恥に悶える弟子に視線を向けることもせず、マギーはずっと机に視線を下ろして何かを書き続けている。ナイアが我に返ったのは、マギーが書き物を終えてこれで良しと呟いた時だった。
「はい、これ」
「なっ、なんですか、これ?」
マギーはついさっきまでペンを走らせていた羊皮紙をナイアに差し出す。反射的に受け取ったナイアは、まだ乾ききっていないインクの香りが強く漂う羊皮紙に書かれている文字を目で追った。
「これって……!」
「見りゃぁわかるだろ?これでアンタは一人前ってことさ」
羊皮紙に書かれていたのは、師匠であるマギーの認可状であった。この羊皮紙を持っているということは、マギーによって一人前の治癒術士として認められたことを意味するのだ。
認可状を持つか持たないかは治癒術士に限らず、あらゆる職種において大きな違いがある。認可状を持つということは、それをしたためた者が実力を保証するということ。持っているだけで信用を得られるのだ。
だが、本来は師匠の元で修行を終えた者がもらえる代物である。ことあるごとに未熟だと苦言を呈されて来たナイアは、自分が認可状を受け取るに相応しいとは思えなかったのだ。
「前々から言ってただろ?アンタは治癒術に関してはもう一人前だ。認可状を受け取っても何ら問題はないさ」
「で、でも……」
「アタシは自分の弟子に強さも求めるけど、それは普通じゃないからね。治癒術士として一人前になったなら、それを贈るのは何も間違ってないよ」
自衛の武力を得て初めて治癒術士として完成する、と言うのがマギーの持論だ。しかし、一般的な治癒術士に武力は求められない。本来ならばナイアは認可状をずっと前に与えられてしかるべきだったのだ。
理屈は理解したナイアだが、納得出来るかどうかは別問題だった。武力を有して初めて一人前だと教えられ続けたのだから無理からぬことだろう。
「はぁ……察しが悪い子だね。それはアタシからの餞別だってのに」
「え?あっ……!」
認可状を与えて師匠が一人前だと太鼓判を押したということは、もう師匠の元から巣立っても良いということ。認可状はナイアが修行を放り出して出奔するのではなく、一人前の治癒術士としてゼルズラへ大手を振って行けるようにする切符でもあったのだ。
師匠から弟子に贈るこれ以上ないほどの餞別。そのことにようやく気が付いたナイアは数秒の間呆然とした後、その目からボロボロと大粒の涙を流さずにはいられなかった。
「しっ、ししょっ……わたし……」
「あーあー、泣くんじゃないよ。せっかくの門出だってのに」
感極まって号泣するナイアをマギーは抱き締める。面倒臭そうな口調とは裏腹に、彼女の抱擁はとても優しく弟子を包み込んだ。
しばらくして落ち着いたナイアの涙をマギーはハンカチで拭う。そして弟子の目を真っ直ぐに見つめながら真剣な表情で口を開いた。
「好きになった人と一緒になろうってのを反対しやしないさ。何やって『守護の女神』様に仕えてたんだからね」
『守護の女神』に関する実話がある。かの女神は生前、一人の男に恋をした。その想いを遂げるために万難を排するべく奔走し、ついに結ばれたという。
そんな情熱的な逸話を持つこともあり、『守護の女神』に仕える者達は恋愛にどこまでも正直だ。それはクリスも例外ではない。彼女がアンタレスと共に在ることを望み、そのためならば何でもすると分かっていたからこそ、リーゼロッテはお目付け役という名目でクリスを送り出したのだ。
「でもね、ナイア。治癒術士が狙われることも事実なのさ。最低限、自分の身を守れるようにはなること。分かったね?」
「うっ……は、はぃぃ……」
「サボろうったってそうは行かないよ。クリスにも頼んでるしね」
ただし、それは自衛出来なくても良いということではなかった。既に根回しは終わっており、ゼルズラではクリスによって扱かれることになるのだ。
感情が落ち着いて来たところで自分に不向きな武芸から逃げられるのでは、と思い至りつつあったナイアはうなだれた。師匠は優しいが、同時に甘くはないことを改めて思い知らされたのだ。
「まあ、何だ。時々は顔を見せな」
「はっ、はい!」
「その時は子供も連れて来な」
「しっ、師匠ぉ〜!」
また泣いてしまいそうになったナイアだが、子供という言葉によって顔を真っ赤に染める。初心な弟子をからかったマギーはケラケラと笑っていた。
弟子の門出が湿っぽいものにしたくなかったのもあるが、同時にマギーは自分の弟子を娘のように思っている。つまり、孫の顔を見せろと言っているのだ。
察しの悪いナイアは自分の言葉の真意を察することは出来ないだろう。だが、彼女は素直なので子供を連れて来いと言えば必ず連れて来る。その時を楽しみに待つだけであった。
「荷造りはしてるんだろうね?」
「は、はい!」
「ん。なら迎えを待とうか……げっ!」
診療所の入り口前で待つべく荷物を持って外に出たちょうどその時、診療所のすぐ目の前に来ていた者達を見てマギーは思わず顔を歪めた。何故なら、彼らはつい先日彼女が箒で張り倒した男達だったからである。
二人共ナイアに横恋慕しているのだが、何もこんな時に出くわすこともないだろう。マギーはため息を吐かずにはいられなかった。
「奇遇だな、ナイアちゃん!」
「よう、ナイア!」
「「あぁ!?」」
「え?え?あの、えぇ?」
男達は同時にナイアに声を掛け、そこで初めて相手に気付いたようでお互いに睨み合っている。当のナイアは困惑しており、またかと言いたげなマギーはさり気なく彼女の前に出た。
ただ、マギーが守る必要はなかった。何故なら、男達は勝手に怒鳴り合い、そしてヒートアップしていたからだ。取り合いになっている本人は、両方を単なる患者としか見ていないのだから始末が悪かった。
「ダメー!」
「グヘッ!?」
「なんっゴホッ!?」
「えぇっ!?」
「あれまあ……」
この混沌とした状況をどう片付けたものかと思案していたマギーだったが、予想だにしない人物が強引な方法で解決させた。猛ダッシュで近付いてきたシャウラが片方の腰へ飛び蹴りを叩き込んだのだ。
さらにもう一人が何かを言う前に、鋭い回し蹴りが彼の顎を捉える。ナイアを取り合って怒鳴り合っていた男達は、シャウラによって力尽くで鎮圧されたのだった。




