薬草園での一幕
「ローガンじーちゃ!こんにちは!」
「うむ」
アンタレスがリーゼロッテから砂漠に関する展望を聞いていた頃、シャウラはクリスと共にローガンの屋敷を訪れていた。その目的は薬草園の世話の手伝いである。
これはシャウラ自身が言い出したことだった。好奇心旺盛な彼女にとって、薬草園は一日で飽きるには見るべきモノが多過ぎたらしい。帰る時間になっても居座ろうとしたので、ローガンは気が済むまで何度でも来ると良いと許可を出したのだ。
「水をくれるか?」
「あい!」
この際、シャウラが母親から受け継いだ水の霊術の才能は薬草園の世話に役立っていた。ローガンが頼むと同時に彼の持つジョウロに水が溜まっていく。シャウラは無限の貯水タンクと化していた。
シャウラがやっているのは水の霊術が得意な者ならば誰でも出来る簡単なモノ。しかしローガンもジョナサンも水の霊術が苦手なこともあり、シャウラの手伝いはとても役立っていた。
「こっちはちょっと!こっちはいっぱい!」
「うむ」
「あ!虫さん!」
ローガンの薬草園は単なる栽培ではなく、より良い栽培方法を探る実験農場の面も持つ。シャウラは理解していないようだが、水を与える量を変えていることはわかっていた。
特にローガンが助かっているのはシャウラが薬草に付く虫を見つけてくれることだ。シャウラの視力が優れているというよりも、ローガンの視力が加齢によって落ちたのが原因である。
彼のぼやけた視界では小さな虫を見つけるのは容易ではなく、見つけては物怖じせずに指で摘みとっていた。彼女は取った虫を庭にいる小鳥へと放り投げる。小鳥は嬉々として投げられた虫を啄んでいた。
「いやぁ、ほんとに助かるよ。僕も先生も目が悪いからさ。はい、これ。ハーブティーだよ」
「いいにおい!ありがとう!」
一通り世話を終えたところでジョナサンがハーブティーを差し入れする。シャウラは満面の笑みと共に受け取ると、香りを嗅いでから口にふくみ……眉根を寄せて泣きそうな顔になってしまった。
理由は明白。彼女の舌にはハーブティーの苦味は辛かったらしい。ジョナサンは失敗したとばかりに頭を掻いた。
「ごめんよ。大人しかいないから気が利かなかった」
「シャウラちゃんはこっち。ね?」
そう言って別のコップをシャウラに渡したのはナイアだった。クリスとナイアはシャウラと共にローガンの家へ来ている。ナイアを連日連れ回すことになっているが、不思議とマギーは苦言を呈するどころか嬉々として送り出していた。
当の本人であるナイアは師匠の対応を不思議がっていたが、クリスは理由を察している。シャウラは薬草園に行けることを喜ぶだけであった。
ナイアが与えたのは、ほんのりと甘い香りを放つ水である。口直しになったのか、シャウラは再び笑みを浮かべていた。
「おいしい!」
「そう?良かった」
「おー、あがり症のナイアも幼女相手なら流石に平気か」
「む、むぅ……」
ジョナサンに揶揄われたナイアは悔しげに呻く。しかし言い返せないのは彼女の性格もあるが、それ以上にジョナサンの言っていることが正しいからだった。
シャウラは相当に口に合ったのか、与えられた水をあっという間に飲み干した。機嫌が良くなった彼女は薬草園を再び見回り始めた。
「あ、クリスさんは?」
「少し外すからシャウラちゃんをよろしくって」
「ふーん。ま、薬草園がお気に入りみたいだから返ってくるまで見せてあげれば良いさ」
今もシャウラは薬草の葉や花などを興味深そうに見て回る。ローガンから言い含められたやってはならないことは絶対に行わない。活発で好奇心旺盛だが、聞き分けの良い娘であった。
自分のハーブティーをゆっくりと飲むジョナサンをナイアは横目でチラチラと見ている。その仕草がどんな意味を持つのか付き合いの長いジョナサンは知っていた。
「何だい?何か聞きたいことがあるんだろう?」
「う、うん……あの……あのね。砂漠に行っちゃうの……?」
ジョナサン促すとナイアは幾度か言葉に詰まったようだが、意を決して尋ねた。ジョナサンはまだ砂漠へ行くかどうか、誰にも明言していない。ずっと気になっていたナイアはその答えを聞きたかったのだ。
ハーブティーを飲んでいたジョナサンはコップから口を離すと、まだ残っているハーブティーの水面をじっと見つめる。そしておもむろに口を開いた。
「正直、凄く惹かれてるんだ。砂漠で薬草がどんな風に育つのか、砂漠にも薬効のある植物が自生しているのか。想像するだけでも凄くワクワクするんだよ」
「そう……」
「当然、一筋縄では行かないよ。何度も心が折れそうになることもあるだろう。だからこそ、とてもやり甲斐はあると思っている」
「そっか……」
ジョナサンはずっとコップの中身を見ながら語っている。その様子から、ナイアは彼のゼルズラ行きの意思が既に固まっていることを察した。
仮に自分が引き留めたとしても彼は止まらない。付き合いが長く、相手のことを理解しているのはナイアも同様だったのだ。
もう自分の言葉は届かない。半ば諦めたようにナイアはうつむく。一方で中身を見ながらコップを回していたジョナサンは、ちょうど良い温度となったのかハーブティーを一気に飲み干した。
「でもさ、心が折れそうになった時に支えてくれる人がいて欲しいって思ってる。僕一人じゃきっと立ち上がれなくなるから」
「……ジョナサン?」
コップを近くの台に置いたジョナサンは、ナイアの前で膝を付く。そして彼女の手を取ると、手のひらに何かをそっと乗せた。
ジョナサンが手を離すと、彼女の手には木彫りのブローチが置かれていた。絡み合う植物の中央には小ぶりながらも透明度の高い翠玉が嵌め込まれている。
ナイアはこのブローチがどんな意味を持つのか知っている。知っているからこそ、彼女は手のひらに乗ったブローチを凝視せずにはいられなかった。
「あー、その、ほんとはもっと詩的な言い回しを考えてから言うつもりだったんだ。でも、今しかないじゃないか」
「……」
「ナイア。僕を側で支えて欲しい。これからずっと」
自分で作ったブローチを贈ることは求婚の作法の一つだった。ジョナサンは前髪を上げて真剣な表情でナイアを見つめる。こんなことになると思っていなかったナイアはしばし呆然とした後、顔を真っ赤にして口をパクパクと動かすばかりであった。
「すぐに答えを返して欲しいとは言わない。僕はゼルズラへ行く。きっと生活は楽じゃない。それでも僕についてきてくれるかどうか、じっくり考えて欲しい」
プロポーズしたジョナサンはどこまでもナイアのことを考えていた。自分は自分の知的好奇心のために砂漠へ行く。砂漠での生活について彼は楽観視しておらず、だからこそ彼は最愛のナイアが嫌だと言うのであれば彼女の意思を尊重するつもりだった。
ただし、仮に拒絶されたとしてもジョナサンはナイアを諦めるつもりはなかった。ゼルズラへ行き、生活基盤を整えてからもう一度彼女にプロポーズする。ナイアを諦めるという選択肢は存在しないのだ。
「戻りまし……何かあったかしら?」
「いっ!?いいえ!別に何も!」
「お疲れ様です、クリスさん」
ナイアが答えに窮していると所用で外していたクリスが戻って来た。その瞬間、ナイアはブローチを後ろに回して隠し、ジョナサンは何事もなかったかのように立ち上がった。
クリスは鈍感ではない。二人の間に何かあったことは察している。だが、あえて何も言わずにはしゃぐ愛娘の下へと向かうのだった。
次回は10月31日に投稿予定です。




