マギーとナイア
クリスは一行を引き連れて診療所の扉を躊躇なく開く。先程の一件もあり、他の者達はおっかなびっくりという調子であった。
恐れる必要などないとクリスは言ったのだが、あの立ち回りを見て警戒するなという方が無理というものだ。説得は無理かと諦めながらも、本人と会話させればきっと分かってくれる。クリスはそのことを疑っていなかった。
「失礼します」
「あん?何だい、ゾロゾロと……ん?その声は聞き覚えがあるね」
「お久しぶりです、マギー婆様」
マギーがいたのは診療所の一室であった。子供連れでやって来たフードの女に、マギーは最初は訝しげな視線を向ける。だがすぐに何かに思い至った様子をみせた。
クリスは微笑みながら被っていた街中では必ず被っているフードを下ろす。その下から現れた美貌を見て、マギーはポンと手を叩いた。
「クリスじゃないか!久し振りだねぇ!」
「ご無沙汰しています」
マギーはその顔に満面の笑みを浮かべてクリスの手を握る。先程の抜身の刃めいた雰囲気は霧散していた。男達を殴り倒していた時とは大きく異なる雰囲気に、クリス以外の全員が困惑せずにはいられなかった。
そんな皆の表情に気付いたのか、今度はマギーの方が不思議そうな表情になっている。その原因を笑いを噛み殺しているクリスが教えると、マギーはバツが悪そうに頭をガリガリと掻いた。
「そりゃ、恥ずかしいところを見られちまった。それにしても……面白いのが揃ってるじゃないか」
『っ!』
恥ずかしがるマギーだったが、クリスの周囲を眺めながらニヤリと笑った。その際、思わずたじろいだのはスイレンである。何故なら、明らかにマギーと目が合ったからだった。
スイレンは妖狐族が歩いていては目立つということで宿舎を出る姿を消していた。母親であるカタバミから教わった幻術であり、その隠形を見破るのは難しい。
それをあっさりと看破されたのだ。警戒するなという方が無理というもの。気付かれたスイレンと、彼女が気付かれたことを察したカタバミは身構えた。
「ありゃりゃ、警戒させちまったかね。昔の癖なんだよ、許しておくれ」
「マギー婆様は私の大先輩なの。隠れた気配を見破るのが得意で、現役の頃の武勇伝がいくつも……」
「勘弁しとくれ!ババアの昔話なんて誰も聞きたくないだろうよ!」
マギーもまた、クリスと同じく『守護の女神』に仕える戦士であった。彼女は護衛のために暗殺者などの気配を探ることが得意であり、その染み付いた技能によってスイレンを看破したのだ。いわゆる昔取った杵柄というモノであった。
主人を守った武勇伝に事欠かない人物なのだが、マギーは自分の功績を誇ることを良しとしない人物である。クリスが語ろうとすると、とても嫌そうな顔付きになって手を振って止めさせた。
「んみゅ……んぅ?だぁれ?」
「おや、起こしちまった……ほう!」
近くで大きな声がしたからか、クリスの腕の中で眠っていたシャウラが目を覚ます。彼女は母親の腕の中から、見たことのないマギーを不思議そうに見上げていた。
マギーは当然クリスの腕の中にいるシャウラに気付いていたが、目蓋の下に隠れていた複眼を見て目を大きく見開く。そしてシャウラの顔をまじまじと見つめてから、視線をその上のクリスに上げた。
「前に言ってたあんたの娘かい?」
「はい。さ、シャウラ。ご挨拶して?」
「あい!シャウラです!」
クリスの腕から飛び降りると、シャウラはペコリと頭を下げる。その様子が可愛らしかったようで、マギーは膝をその場で床に付いて視線を合わせたシャウラの頭を優しく撫でた。
「ハハハ!元気だね!あたしのことはマギー婆とでもお呼び」
「あい!マギーばーちゃ!」
「うんうん、良い子だね。そっちの子は姿を見せてくれないのかい?」
「……スイレン、見せたげなさい」
『はい、母様』
少し考えたカタバミだったが、彼女は娘に隠形を止めて姿を見せるように促す。母の判断に従ったスイレンが隠形を解除すると、診療所には美しい黒い毛並みの妖狐族が姿を現した。
『変化が出来ない未熟者故、念話で失礼致します。アンタレスとカタバミの長女、スイレンと申します』
「賢い子みたいだね。それにしても、長女?」
「シャウラはね、ねーちゃの妹なの!」
「……どういうことだい?クリス、あんたの旦那はスケコマシってことかい?」
『そうじゃないわ。責めるならこっちよ』
先程までの温厚そうな雰囲気から一変して、男達を殴り倒した時以上に剣呑な光をその両目に宿している。それもそのはず、マギーは不義を何よりも嫌うからだ。
このままではアンタレスを殺しに行くと言いかねない。誤解を解くべく、カタバミは自ら変化を解除して自分の真の姿をマギーに晒した。
黄金の毛並みに五本の尾を持つ妖狐。それこそが成長した今のカタバミの姿である。美しい妖狐に見惚れかけたマギーだったが、頭を振ると彼女に鋭い視線を向けた。
「言ってみな」
『妖狐族は気に入った雄の霊力を取り込んで娘を成すの。意識しない内にアンタレスの霊力を取り込んでたみたいで、気が付いたらスイレンが生まれたってわけね。つまり、自分の本能にすら気付けなかった間抜けのせいってこと』
「マギー婆様、誤解しないで下さい。みんな納得していますし、何よりもスイレンは私の娘とも思っているのですから」
「……これじゃ、こっちが悪党みたいじゃないさ。熱くなっちまって悪かったね」
二人の説得は功を奏したらしく、マギーは不貞腐れたかのようにそっぽを向く。ひとまず本人の知らぬところでアンタレスが生命を狙われることが決まるような事態は回避された。
大人達のやり取りがよくわからなかったシャウラだったが、緊迫した空気が弛緩したことだけはわかったらしい。彼女は長兄たるキリクを引っ張り、その腕に抱かれたサルガスをマギーに紹介するべく彼女の下へと近付けた。
「あにーえのキリクと、おとうとのサルガスです!」
「はじめまして、マギー婆様」
「あー?うー!」
「こりゃ賢い子と可愛らしい子だ」
マギーはキリクの外見と年格好から、彼が明らかにクリスの子供でもカタバミの子供でもないことに気付いている。だが、本人達の間にわだかまりなどがない様子だ。数秒前の二の舞いになるのは真っ平だったこともあり、そこに触れることはなかった。
彼女の判断は英断と言っても良い。特にキリクとアンタレスの関係は説明すると長くなるからだ。内心でクリス達は詮索されなかったことに胸を撫で下ろしていた。
「そう言えば、さっき張り倒してた連中は?ここにはいないみたいだけど……」
「あん?ああ、あのアホ共かい。それなら……噂をすればってヤツだね。入りな」
強引に話題を変えたのは、再び変化したカタバミだった。子供の話題をこれ以上引っ張りたくなかったというのも理由ではある。だが、それ以上にカタバミ自身が純粋に気になってもいたのだ。
その答えをマギーが答える前に診療所の扉がノックされる。マギーに促されて部屋へと入って来たのは小柄な女性であった。
「し、失礼し……あっ、おっ?お客様ですか?おっ、お邪魔でし……」
「ああ、ちょうどあんたのことを話してたのさ。紹介するよ。最近弟子にしたナイアさ」
紹介されたナイアは慌てたように一礼する。そんなナイアをクリスは感心したようにしげしげと眺めた。何故なら、マギーの弟子にしてはあまりにも動きが素人であったからだ。
弟子を取る際、マギーは必ず武芸を仕込むことをクリスは知っていた。だからこそ、どう見ても武芸を習っているとは思えないナイアが気になったのである。
「マギー婆様?」
「こんなナリだけどね、腕前だけは確かさ。もう一人前って言ってもいい。治癒術だけは、ね」
「うぅぅ……」
ナイアは治癒術に関しては天才としか言いようがない。だが、それこそ治癒術の方面においてマギーに教えられることが既になくなったほどなのだ。
一方でナイアは運動が得意ではなかった。自然と武芸もなかなか身に付かず、マギーは一人前だと送り出すまでに最も時間がかかることを覚悟するほどだった。
「引っ込み思案だから強く出られないのもダメだね。だからアホが湧くのさ。さっきの連中みたいにね」
「ああ、そういう……」
「起きたら口説かれて厄介だからね。ノビてる間に急いでいる治療を終わらせて、こっちに逃げてきたんだろ?」
「は、はいぃ……」
マギーが弟子に武芸を仕込む理由は二つ。一つは治癒術の腕を買われて戦場に連れて行かれた時に生き延びるため。味方には重宝され、敵には狙われるのが治癒術の使い手である。最低でも味方が来るまで自分を守れる自衛力が必要なのだ。
もう一つは平時に来る患者から身を守るため。与し易いと思われれば無料で治すように脅す者達や、自分の怪我を癒してくれた相手に恋慕の情を抱くいて強引に迫ってくる者達が現れる。そんな者達をまとめて撃退するのに最低限の武力が必要なのだ。
診療所の前で揉めていた二人は後者だった。自分が先に入ってナイアを口説こうとしていたのである。結果的にマギーによって昏倒させられた上、気絶している間に処置が終わっているのだ。目覚めた彼らはきっと悔しがることだろう。
「せっかく来たんだ。ゆっくりして行きな」
「それなのですけど、実はマギー婆様にお聞きしたいことがありまして」
「何だい、改まって?」
「実はローガンという方を探しているのです。薬師らしいのですが、ご存知ですか?」
「ほう、ローガンねぇ」
ローガンという名前を聞いた途端に、マギーの目がキラリと輝く。どこか楽しげな表情になった彼女はそのままナイアの方を見てからニヤリと笑うのだった。
次回は10月15日に投稿予定です。




