神々の交渉
エンゾ大陸の西方、ゲートリッヒという地域には正義教会の総本部である大神殿がある。真っ白な石材を用いて建てられた神殿には汚れ一つ見当たらず、周囲を囲む庭園は隅々まで手入れをされていた。
ここは教会の中枢であると同時に『正義の神』アンドリュー・マリウスの住み処でもある。美しい神殿の内部は静謐な空気で満たされ、敬虔な信徒達が跪いて祈りを捧げている。そして他の神殿の聖堂では石像が奉られている祭壇に、大神殿では『正義の神』が座って瞑想していた。
そんな神殿に一台の馬車が近付いていた。その馬車はほとんど装飾されていないが、分厚い装甲で守られている。このまま戦場に持っていっても戦車として使えそうな頑丈さだった。馬車を曳くのは四頭の巨大で脚が八本あり、耳の間辺りからは捻れた角が生えている馬だった。
武骨な馬車は神殿の敷地にズカズカと入ると、入り口の前で停車する。そして中から現れたのは、二人の男性と一人の女性だった。
男の一人は布で局部を隠しただけの大男だった。癖の強い金髪と伸び放題の髭は野蛮人のようだが、どんな芸術家にも表現しきれない完璧な肉体美を惜し気もなく晒すことによって野性味溢れる偉丈夫にしか見えない。自然体で立っているだけであるのに一切の隙はなく、凄まじい威圧感を放っていた。
そんな大男は神殿を見上げながら馬鹿にするように鼻を鳴らす。そして嫌悪感も露に口を開いた。
「ここがあのクソガキの神殿か?意外とデカいじゃねぇか」
「君のところと違って神殿への寄付を推奨してるからねぇ。儲かってるんでしょ」
ケラケラと笑って応えたのは、もう一人の男だった。中肉中背で痩身、顔は美形ではあるがこれと言って特徴はない。腰まで伸ばした髪の毛は闇のように黒いが、逆に肌は病的なまでに白い。長いシルクハットに燕尾服を身に付け、ステッキをクルクルと回して遊んでいた。
二人が短く言葉を交わしていると、最後の一人である女性が二人の後ろで軽く咳払いをする。大男と同じく下着のような布だけを着ている彼女は、亜麻色の豊かな長髪を風に揺らしていた。
肌を露出した扇情的な装いではあるものの、意思の強そうな瞳と堂々とした所作のお陰か欲情の対象にはならない。むしろ人間離れした容姿の美しさと隠し切れない威厳を前にすれば、誰もが思わず平伏して崇拝することだろう。
「コホン。無駄話はそこまで。今日の目的を忘れてはいないだろうな、我が夫よ?」
「当然だろう、我が妻よ。ここでふんぞり返ってやがるイカれたクソガキには俺も腹が立ってるからな」
「話は纏まったね?じゃあ行こっか」
シルクハットの男を先頭に、三人は大神殿の中を我が物顔で悠然と歩いていく。裸に近い美男美女と風変わりな服装という、とてつもなく目立つ風貌の三人だが、何故かすれ違う者達は誰も彼らに目を向けない。それどころか、誰一人として存在に気付いていなかった。
先頭を行くシルクハットの男は鼻歌混じりにステッキを回し、靴の裏にある金具と床を打ち鳴らして軽妙な音楽を奏でながら歩いている。それでも三人に誰も気が付かないのだ。それを見た残りの二人は相変わらず器用なものだ、と感心していた。
「こーんにーちはー!アンドリューくーん!あーそびーましょー!」
大神殿の聖堂に入ったシルクハットの男は、大きな声でそう言った。聖堂の全体に響き渡る大声だったにもかかわらず、やはり祈りを捧げる信者達が気付く様子はない。
しかしながら、呼ばれた本神にはちゃんと届いていた。祭壇上で瞑想していた真っ白な髪の美男子はゆっくりと目蓋を上げ、その奥にある金色の瞳を露にする。彼こそ『正義の神』アンドリュー・マリウスであった。
「ミネアか。ようやく我が妻となるためにやって来たか?」
「その不愉快な口を閉じろ、小僧。私が愛するのは昔も今も、そして未来も我が夫ただ一人だ」
シルクハットの男に呼ばれた『正義の神』アンドリューだったが、招かれざる三人の客人の内、瞳に映しているのはその中の女性だけであった。まるで残りの二人は存在しないとでも言いたげな態度に大男は青筋を浮かべ、シルクハットの男が相変わらずケラケラと笑い続けていた。
しかしその女性、ミネアは冷たく拒絶する。そして自分の腰回りをも越える大男の太い腕に、寄り添うように優しく抱きついた。アンドリューは少しだけ不愉快げに眉を寄せ、大男は嬉しそうに鼻の穴を大きくしながら機嫌を直して胸を張った。
「まだわからぬか、『勝利の女神』よ。『正義の神』である我こそ、其方の夫に相応しいということが」
「テメェ、いい加減にしろよ。俺の目の前で妻を口説きやがって……ぶち殺すぞ」
アンドリューは呆れたように首を振る。彼の言う通り、亜麻色の髪の美女の正体は『勝利の女神』サルネーのミネア。そしてその夫である大男の正体は『闘争の神』ユキトスのソルガ。正真正銘の神である。
夫婦である二人は世界に生命が誕生した後、かなり早期に神に至ったヒト種であった。ソルガはこの星で初めて単独で、それも素手だけで成熟した竜を撲殺した英雄。ミネアはソルガと一騎討ちで一度だけだが唯一勝利したことのある武人であった。
尚もミネアを口説こうとするアンドリューだったが、ソルガは彼に凄まじい殺気を向けながらそう言った。そこでようやくアンドリューはソルガの方に目を向ける。しかし、その口から飛び出したのはとんでもない言い分であった。
「貴様もミネアから身を引き、説得せよ。勝利とは常に正義の側にあるべきものなのだから」
「ふざけんじゃねぇ。それにその命令口調は止めろ。俺はテメェの命令を聞く義理はねぇぞ」
「何を言う。闘争とは正義のためにあるもの。正義なき闘争など無意味。ソルガよ、貴様は我に従属するべきである」
ソルガはアンドリューの発言に絶句し、魚のように口をパクパクとさせてしまった。ソルガはアンドリューよりも遥か昔に神へと至っている。神として経験も、有する力も、信者の数も、全てにおいてソルガの方が圧倒的に上である。そんな彼に向かって自分に従属するべきだ、と主張するその不遜さに驚愕していたのである。
ソルガは一度大きくため息を吐いてから首をブンブンと振った。そして殺気と共に闘気と霊力、そして神だけが扱える力である神威を高めていく。完全に戦闘態勢になった彼は、今では神すら一撃で撲殺可能な拳をボキボキと鳴らし始めた。
「闘争ってのは生きている限りずっと付いて回るモンだろうが、馬鹿野郎……なぁ、もうこいつ殺しちまおうぜ」
「それはダメだって。五百年後なら良いけど、今は我慢してよね。神同士の殺し合いって星の負担が大きいんだからさ。つい三千年前にこの大陸で面倒なことが起きたの、覚えてるでしょ?最終的にソルガちゃんが両方ぶっ殺したもんね?」
「そりゃあ、覚えてるけどよぉ……」
シルクハットの男は殺意を漲らせるソルガの肩をポンポンと叩いて諌めた。ソルガは何か言いたげであったが、一度舌打ちをしてから臨戦態勢を解く。それを見たミネアは安堵から胸を撫で下ろした……夫が怒りのままに暴れれば、大神殿だけでなくこの地方一帯が更地になってもおかしくないからだ。
「来ないのか?怖じ気付くとは情けない」
「こっ、このクソガキ……!」
「はーい、そこまで。喧嘩はダメって言ったでしょ。でもさぁ……ちょいと調子に乗りすぎだよね、アンドリューちゃん」
矛を納めたソルガをアンドリューが挑発し、再び爆発しそうになったところをシルクハットの男が抑える。しかし、彼は笑顔を張り付けたままアンドリューを見つめる。笑顔ではあったが、その目は全く笑っていなかった。
「別に古けりゃ偉いって訳じゃないよ?けど、神って信者の模範になるべき存在じゃん?だったらお互いを尊重するのも重要じゃない?」
「黙れ、邪悪の権化め。我は貴様を神とは認めぬ」
「……邪悪ねぇ?そう言うこと言っちゃうの?まあいいや。僕達じゃ会話にならないから、本題はミネアちゃんに任せようか」
シルクハットの男は肩を竦めるとソルガの腕を引いて後ろに下がる。代わりに前に出たミネアは彼女達が大神殿を訪れた目的について切り出した。
「承った。では聞け、愚か者。貴様の信徒に我らが貴様に従属していると流布させるのを止めさせろ」
三人がここまでやって来た理由。それは正義教会が広めている嘘にあった。彼らは『正義の神』の教えこそが正しく、他の神は全て間違っていると信じている。信徒が勝手にそう思っているだけならば許容範囲なのだが……それで神罰が下らないことから増長したのか、正義教会は看過出来ない嘘を流布し始めたのである。
その嘘とは、他の神は『正義の神』に従うようになったという内容だった。従属しているつもりなど毛頭ない神々は怒り狂い、その代表者として彼らがやって来たのである。
「何故に?我が信徒は、本来そうあるべきことを広めているだけだ」
「そうあるべきかどうかは問題ではない。嘘を広めさせるな、と言っている。即刻止めさせろ」
「其方が我が妻となれば考えてやっても良い」
「……条件にすらならねぇよ、クソガキ。帰るぞ」
「ああ、そうしよう。後悔するなよ、小僧」
「ありゃりゃ、怒らせちゃった。僕は知らないからねー」
しかし、アンドリューは悪びれる様子すら見せなかった。それどころかミネアを妻にしようとするのを諦めてもいないらしい。本当に話が通じない相手だと見限った彼らは捨て台詞を残して去っていく。神々の交渉は決裂したのだった。
信者達は最初から最後まで、目の前でそんなことが行われていることを認識すらしていない。来た時と同じく誰にも気付かれないままに三柱の神は馬車にたどり着き、気付かれないままに大神殿の敷地の外に出ていった。
「んで?二人はどうするのかな?」
「先ずは世界中の信徒に神託を下して、俺達はあんなクソガキの下に付いちゃいねぇってハッキリ伝える。そっから先は任せるさ」
「戦うか否かは己で決める。そして戦うのならば全力で勝利を我が物とする。それが私達の教えだ」
『闘争の神』と『勝利の女神』はあくまでも信徒達に判断は任せると答えた。二柱は戦神であるが、だからと言って信徒に如何なる状況でも戦うことを要求しない。戦うのか、策を巡らせるのか、それとも逃げるのか。それを決めるのは自分の意思でなければならない。その自由を奪うことはせず、信徒の決断を尊重するのだ。
一見すると放任主義のように思えるかもしれない。だが、二柱の神は信じているのだ。自分達の信徒ならば正しき選択をすると。万が一、どう考えても破滅する方向に向かってしまった時は道理によって諭して導く。それが二柱にとっての神の役割であった。
「それで、そっちはどうするんだ?また星を渡って放浪する旅に出るのかよ?」
「いや、もうちょっと留まるよ。大体……百年くらいかな?」
何の気なしに尋ねたソルガだったが、シルクハットの男の答えを聞いて目を見開いた。それは妻であるミネアも同じこと。二柱の反応が可笑しかったのか、男はケラケラと笑いながら続けた。
「数千年ぶりに気になる子がいるんだよ。色んなところから見守るつもり。だから他の星のお土産とか、他の星の神々への手紙とかは我慢してね」
「ウハハッ!そうかい!見られる方は大変だ!」
「『悪戯の古神』の注目を浴びるとは、運が良いやら悪いやら……同情する」
「んで、そいつはどんな奴だ?俺達も知ってんのかよ?」
「知っているとも。この子だよ」
シルクハットの男……世界を創造した『名も無き全能の無貌神』から直接分かれた六柱の古神の一柱である『悪戯の古神』は悪戯っぽく笑いながら何もない場所から何かを取り出す。それは光沢のある素材で作られた、精巧な蠍のオブジェであった。




