帝国の混乱
皇帝の葬儀が行われた数日後、ヴァシリウスの予想通りに怒れるレムルスが帝都に戻ってきた。彼は完全武装させた『皇剣騎士団』と彼に従う数万の軍団を帝都の外に駐屯させつつ、自分が居ない間に葬儀を執り行ったことを詰問するべく抗議の使者を送った。
その使者に対する返答は、レムルスをただでさえ怒りに震える彼を激昂させる内容だった。要約すると『グナエウス皇子が皇位に就くことは既に内定しており、抗議そのものが無駄な行為である。レムルス皇子は即座に軍団を解散しろ。さもなくば反逆者として討伐する』というものだったのだ。
レムルスは即座に帝都へと進軍しようとしたものの、彼の家臣団がどうにか押し止めた。帝都を攻めれば本当に反逆者になってしまう、と。そしてここは『皇剣騎士団』が皇帝の直属である事実を利用して、このまま帝都の前に布陣し続けるべきだと具申したのである。
『皇剣騎士団』は先帝の直属の騎士団であり、皇帝の勅命意外を聞く道理はない。まだグナエウスが帝位に就いていない今、その命令を聞く必要はないのだ。
その間に帝都を攻める大義名分を作り出せば良い。大義名分など言い掛かりでも良いのだから、作ることなど容易いのだ。
そのための工作を行うべくレムルスの家臣達は知恵を出し合っていた時、皇帝の暗殺以上に帝国を揺るがす大事件が起きた。帝国の南方にある複数の諸侯が、いきなり独立を宣言したとの急報が入ったのである。
独立を宣言した諸侯は、同時に軍事同盟の発足を発表。その盟主は、母親を連れて彼女の実家へといつの間にか辿り着いていたヴァシリウスだった。
そして独立した諸侯は、様々な事情から独立したいと願っていた同志である。彼らは以前からの密かな同盟者であり、彼らの結束は想像以上に強固であった。相当な譲歩をしても凋落することは難しいだろう。
帝国の首脳部にとって、南方諸侯の独立宣言と軍事同盟は完全に青天の霹靂であった。ヴァシリウス達の結束どころか、独立しようとしていることすら把握していなかったのだから当然である。帝国の首脳部が無能であったと言うよりも、ここまで巧妙に隠し通したヴァシリウスの執念を称賛するべきであった。
この独立の動きを受けて、当然ながら帝国の首脳部は激怒した。だが、それ以上に慌てふためいた者達がいる。それは独立した領主達……いや、新興国家と隣接する土地に領地を持つ諸侯だった。
彼らは戦勝パレードに続いて皇帝の葬儀で帝都に集まっていた。領主である自分が居ない状態の領地は代官などに任せていたのだが、隣に独立国が誕生したのに何事もないと思えるほど能天気な者などいる訳がない。それどころか、どの諸侯も間違いなく自分の領地が切り取られていると確信していた。
彼らの予想に根拠はある。程度の差こそあれ、隣接する領主同士のトラブルと言うものは必ず発生するものだ。そして独立した国々は独立したくなるほどに不満を溜め込んでいたのであり、多くの諸侯に不満の原因は自分にあると思ったのである。
今も隣接する地域が奪われているかもしれない。そう思うといてもたってもいられなかった。そして彼らの不満は的中しており、独立の宣言と同時に攻められて彼らの領地は奪われていた。これが、長期に渡る帝国の内戦の始まりである。
伝書鳩や伝言球などでその状況を知った諸侯は、自分の領地へ帰還したいと願い出た。しかしながら、それをグナエウスとその陣営は許可しなかった。彼らが外に出るために内側から門を開けば、好機と見たレムルスが攻めて来ることを危惧したからである。
その対応は多くの諸侯にとって不満であった。皇帝は確かに帝国の象徴であり、絶対的な権力者である。しかしそれは自分達の利益と権利を守護してくれるからこそ、その権力を認め、忠誠を誓って臣従しているのだ。
皇帝の権力を保証する前提条件を疎かにされて、不満を抱くな言う方が無理な話である。しかも疎かにしているのはまだ帝位に就いていない皇子である。諸侯の不満を抑えることなど出来る訳がなかった。
ただ、グナエウス陣営の中核を成す彼の外戚も領地を持つ諸侯である。彼らの不満は理解出来るし、独立によって不利益を被っている点では他人事ではなかった。
そこで彼らは一つの策を練る。それは和睦と言ってレムルスを呼び出し、そのまま処断してしまうという計画であった。
レムルスにある程度譲歩することを条件に、レムルスによって独立を宣言した反逆者達を討伐させる……と言うのが表向きの内容である。そして和睦するべく帝都に入ったところで彼を拘束し、速やかに反逆者として処刑するのだ。
外に駐屯する軍団は、レムルスというリーダーを失えば解散せざるを得ないだろう。後は彼らを吸収し、帝国軍を再編成してヴァシリウスを始めとする反逆者を討伐する。それがグナエウス陣営が画策した陰謀であった。
彼らの陰謀は途中まで上手くいった。レムルスは譲歩という言葉と、反逆者の討伐による功績があれば皇位はまだ狙えると考えて乗ってきたからだ。彼は用心のために精鋭の護衛を引き連れて堂々と帝都に入った。
だがグナエウス陣営にとって不幸だったのは、陣営の主要人物にレムルス達の武力を正確に見極められる者がいなかったことだろう。彼らの部下にも武官はおり、彼らは武官としての視点から拘束するのは難しいと進言してはいた。しかし、その進言は退けられていたのだ。
それにレムルスが最初からこう言う事態も想定していたことも大きい。彼を拘束すべくやって来た兵士を躊躇なく皆殺しにした後、彼と護衛の精鋭は武力によって突破して帝都から脱出したのである。
レムルス達が脱出したのは彼らの武力が優れていたのも理由の一つだが、それ以上にグナエウス陣営が自分達の配下だけで捕らえようとしていたことが大きい。仮に彼らが優れた将軍などに相談した上で行っていれば、いかに強力な武力を有していたとしても捕らえることに成功していたはずだ。
軍団の下へ帰還したレムルスは、これ以上ないほどに激怒していた。再び勢いに任せて帝都を攻め落とそうと言い出したのだが、家臣達は何とか宥めてからこの出来事を大義名分として利用しようと提案したのである。
その後、レムルスは自分の軍団と帝都に向けて以下のような声明を出した。『和睦と言って自分を呼び出しておきながら、騙し討ちのように捕らえようとしたグナエウスは皇帝に相応しくない。そしてこのままでは帝国の威信が損なわれる。そうなる前に帝都に進軍し、正しき帝国の姿を取り戻す。これは正義の戦いである』と。
多くの人というものは、自分が悪であるという事実に耐えられない。自分が悪であると自覚した上で悪行を積み重ねることに躊躇を覚えるものだ。だが、レムルスによって正当化されたことで、彼の軍団は鼓舞され、士気を高めたのだ。
対するグナエウス陣営は冷静だった。彼らもまた、以下のような声明を公表した。『レムルスの言い分は虚言であり、むしろ彼の側がグナエウスを暗殺しようとした。この事実を以てレムルスと帝都の外にいる軍団もまた反逆者だと認定する』、と。
捕らえることに失敗したのは事実だが、外部に協力を要請していなかったことが幸いした形である。もし外部に協力を要請して失敗していれば、レムルスの言い分が事実だと発覚していたかもしれない。まさしく怪我の功名であった。
ちなみに、後世では皇帝暗殺の首謀者は関して三人の皇子全員が容疑者として名前が挙がっている。グナエウスならばレムルスがいない時を狙ったと主張する者もいれば、帝都を攻める口実を作るためにレムルスが行ったと断言する者もいた。
ただ、ヴァシリウスを首謀者とする説は珍説扱いされている。彼が一切の証拠を残さず、また現存する資料が少ないことが原因だ。資料がなければ、真実を突き止めることなど不可能だということが良くわかる事例であった。
閑話休題。そのような経緯で帝都の攻防戦が始まった。ラキル帝国はエンゾ大陸最強の国家であり、その帝都は広すぎて守るのには向いていない。レムルスはそれをよく知っているので、すぐに突破口を開くことが出来ると思っていた。
しかし、実際は突破口を開くどころか苛烈な攻めは容易く追い返されてしまった。その理由は戦勝パレードのために集まった帝国軍の兵士が残っていたからである。広い帝都を守るのに十分な兵力は確保されていたのだ。
レムルスも帝都の兵力は知っていたが、それを考慮した上で突破口は簡単に開くと思っていた。その予想を覆したのは、彼にとって忌々しいことに魔人連隊の功績だった。
海の魔人以外の魔人連隊は、レムルスが到来した時には既に帝都に集まっていた。ここまで大事になるとは思っていなかったが、必ず何かが起きると予測していたマルケルスの慧眼と言えよう。
魔人は他のヒト種に比べて体力も機動力も数段上である。彼らはレムルスの軍団が攻めてくれば、それがどこであっても迅速に駆け付けることが可能だったのだ。
しかも夜目が利く者達も多く、密かに忍び込もうとしても必ず見付かってしまう。レムルスは電撃的に帝都を攻略するという当初の予定を大きく修正し、じっくりと腰を据えて攻略せざるを得なくなった。
上手に守っているように思える帝都だが、その内側は結束とは程遠い状況だった。今のところ優勢だというのも相まって、この内戦が終わった後を見据えて手柄の奪い合いをしたり、他に先んじるための陰謀を張り巡らせたりしていたのである。
実際に戦っている兵士や正確に状況を理解している将校は、この籠城戦は長続きしないとわかっていた。精強なレムルスの軍団との戦いはいつもギリギリであるし、帝都が幾ら広大だと言っても保存されている食料には限界がある。帝都の人口に加えて兵士の腹を満たすには、食料の備蓄が足りなかったからだ。
しかも北方は共和国軍との戦いで荒れ果てているし、南方での独立騒ぎが起きている。これでは援軍は絶望的であろう。帝都周辺はとっくにレムルスの武力に屈している。実は帝都の方が短期決戦を望んでいた。
しかしながら、レムルスの軍団を相手に野戦を挑むのは危険極まりない。それは虎の子の『皇剣騎士団』の力である。選りすぐりの兵士が機鎧によって強化された『皇剣騎士団』の戦闘力は凄まじく、攻城戦に彼らが出てきた場合は必ず大きな被害が出ていた。
城壁に守られていてこれなのだから、野戦となればどうなることか。軽く蹴散らされて帝都へと侵入されるのではないか。『皇剣騎士団』の戦いぶりは、出陣することを躊躇わせるほどのものだったのだ。
戦況が膠着してから数日が経過した頃、その異変が起きたのは本当に唐突であった。帝都にいる魔人達の大半が急に苦しみ始めたかと思えば、理性を失って暴れ始めたのである。
外にいるレムルスは何が起きたのか正確にはわかっていなかった。だが、この好機を見逃すほど愚鈍ではない。彼は全軍に号令を掛け、帝都へと総攻撃を仕掛ける。攻城兵器と防衛兵器が撃ち合い、霊術が飛び交ってお互いに血で血を洗う激しい戦いとなっていた。
これまでで最も激しい戦いが始まった直後、帝都の遥か上空に一人の魔人が唐突に現れた。彼が……アンタレスが来たことを知るものはまだ誰一人いない。
次回は5月27日に投稿予定です。




