いざ、仲間のもとへ
私が庭で鍛練を続けていると、アイワスの屋敷で過ごす最後の夜が明けてしまった。記憶の中にある幻影の聖騎士はやはり強く、一晩中戦ったのに有効な一撃を叩き込むことは一度も出来なかった。
しかしながら、私もまた致命傷を負うこともなかった。無傷ではなく、実戦であれば幾つもの裂傷を負っていただろう。だが、まだまだ戦う余裕を残していた。
やはり手足の延長のように使える双剣があると一気に戦い易くなる。まだまだ純粋な武術の腕前では聖騎士や師匠には届かないが、食い下がることくらいは出来るようになったらしい。手に入れた自由を守るためにも、これまで以上に鍛練に励むとしよう。
夜が明けても鍛練を続けていた私の耳に近付いてくる足音が聞こえてきた。その音から推察される歩幅と体重から、姿は見えずともアインであることはわかっていた。
「お早うさん、アンタレス。夜からずっとか?今日は出発だってこと、忘れてんのかよ?」
「……ああ、おはよう。疲労の面なら大丈夫だ。私はそれなりに頑丈なのでな」
「はぁ~、魔人ってのは俺達よりも体力があるんだなぁ」
何気ない朝の挨拶のようだが、私の名前が当然のように使われているのはとても新鮮だった。まだ少し慣れないが、時間が経てばそれが普通になっていくことだろう。
感心したように何度も頷くアインだったが、彼の手には畳まれた布が乗せられている。それが何なのか、私は期待とともに一つの予想を立てていた。
「ほれ、これがお前の服だ」
「やはりこれが……!」
その予想に違わず、アインが持ってきたのはズィーベンが作っていたと聞く私用の服だった。早速、私はアインから手渡されたそれを着ることにした。
「おお、黒一色なんだな」
「ズィーベンがお前には黒が似合いそうだってな。嫌だったか?」
「そんなことはない。まともな服というだけで感激しているところだ。それに随分と動きやすい」
ズィーベンによって作られたという服は私が着ることをよく考えた上で作られたようだった。服は全て黒く染められた布で統一されており、伸縮性があって動きを阻害していない。これまで通りに戦えそうだ。
それに最も考えられていたのは、ズボンに私の尻尾を想定した穴が空いていることだろう。その穴はポッカリと空いているのではなく、横に走るスリットが入っている状態なのだ。
そうすることで尻尾をズボンから出しつつ、隙間から尻が見えないようにしてある。せっかくの服であるのに尻が見えては間抜けであろう。そうならないように仕上げてくれたのは素直に嬉しかった。
「それとこれもあるぜ」
「外套と、こっちは仮面か?」
次にアインが取り出したのは、焦げ茶色の外套と鼻から下を隠す鉄の仮面だった。外套は裾が足首ほどまである丈の長い品で、全身をすっぽりと覆うことが出来る。ゆったりと余裕を持たせたサイズなので、内側に尻尾を隠すことも可能であった。
フードもついているのだが、これを被ってしまうと背後を見ることが出来なくなってしまう。戦闘中は何があっても外すことになるだろう。
仮面には双剣の鞘と同じ蠍の模様が彫られている。仮面そのものよりも顎を覆う外骨格の方が頑丈そうではあるが、ズィーベンの遊び心が見える品であった。
「フードを下ろして仮面つけてりゃ、お前さんが魔人だって分かりにくいだろうってご主人様が作らせたんだ。まあ、顔を見られたら複眼のせいで一発でバレちまうけどよ」
「それでも十分だ。アイワスには本当に世話になりっぱなしだな」
「そんだけ期待されてるってことさ。何、気になるってんなら頼まれたことをキッチリやりゃいいんだよ」
どんどん積み重なっていく恩に恐縮してしまうが、アインは笑いながら私の肩をポンポンと叩いた。こうなったら何がなんでもエンゾ大陸南部を開拓し、何時アイワスが来ても良いようにしておかねばなるまい。
服を着た私はアインに連れられて食堂へ向かう。そこでは既にアイワスが朝食を食べている最中であった。今日も彼一人であり、恐らくヘクティアは昨日の夜に言っていた研究に集中しているのだろう。アイワスも言及していないし、私は気にしないことにした。
「来たかね。ふむ、よく似合っているではないか」
「ありがとう」
服を着た私をアイワスはにこやかに称賛した。礼を言いながら私はアインが引いた椅子に座る。そのすぐ後、私の前にもアイワスと同じ朝食が給仕された。
アインが運んできた朝食は柔らかなパンと温かいスープ、それに半熟のゆで卵と新鮮な野菜と魚を炒め物である。この三日間、毎日似たようなメニューなのだが……結局慣れることはなかった。
蠍の頃の餌はほぼ毒物だったし、魔人になってからも質素な食事しかなかった。ミカや彼に教わった者達によって少しだけ改善されたものの、元々の食材が悪いのでどうしても限界がある。目の前の食事のようには行かなかった。
私に甘味以外の食事については違いはよくわからないが、安住の地を確保したならば普段の食事をより良いものにしたい。簡単な道ではないのは間違いないものの、目標は高く持つべきだろう。
「食べながら聞いて欲しい。こちらは今すぐにでも移動出来るように準備を整えている。何時出発するかね?」
「本当か!食べ終わったら、いや何ならすぐにでも……」
「いやいや。食事は大事だよ、アンタレス。君は少食かつエネルギー効率が良いと聞いているが、食事は身体を作るのにも頭を動かすのにも必要なエネルギーを摂取する行為だ。それを疎かにしてはならない」
「そ、そう言うものか。わかった、ならちゃんと食べておこう」
アイワスが食事の重要性について思いの外熱く語ったので、その熱量に圧された私は素直に従うことにした。それにせっかくアインが作ってくれた食事を残すのも彼に悪い。残さず全ていただこう。
そうと決まれば手早く食べてしまおう。ただし、ガツガツと食べるような下品な行為をアイワスは好まない。特に私は急ぐ時に頬の小さな鋏を動かすので、その時の音は間違いなく彼を不快にすることだろう。ある程度急ぎつつも、下品にならないように心掛けつつ私は口を動かした。
「ふう……満腹だ。美味かったよ、アイン」
「そいつは良かった」
全てを食べ終えた後、私は皿を片付けているアインに礼を言った。彼は苦笑しながらそれに応える。私が味覚については雑であることを知っているので、誉められているとは思えないのかもしれない。
確かに私は味覚が雑であるが、一方でアインに食事を用意してもらったことには深く感謝している。その気持ちだけは伝わっていると良いのだが。
「食事は終えたかね?なら、ついて来たまえ」
そう言って立ち上がったアイワスの後ろに私とアインは続く。そして連れてこられたのは、私に与えられた寝室に近い小部屋だった。
その部屋は家具が全て取り払われており、代わりに部屋中にビッシリと細かい霊術回路が描かれている。部屋の中央には円が描かれておりアイワスは私にそこへ立つようにと指示をした。
「これは円の内側に立つ者を指定した座標へと転移させるものだ。オルヴォのような特異な才能がなくとも空間転移の霊術が使えるように私が開発したのだよ」
「それは凄く便利そうだ」
「色々と制約はあるがね。あと、これを」
円の内側に立った私にアイワスが手渡したのは、昨日も見た金属の箱だ。一応中身を確認すると、そこには新たな輝晶生命体のアハトが保管されていた。
アハトを預かるという話をした後、てっきりすぐに受け取ると思っていたのだが、アイワスはその箱を閉じて私に渡さなかった。その理由は最終調整が必要だったからだと聞いている。輝晶生命体は人造の生命体であるからこそ、色々と繊細な部分があるようだ。
「アハトはまだ自我が芽生えていない状態だ。まさに乳飲み子に等しい。その前提のもとに接してやってくれたまえ」
「赤子の相手は慣れている。そこは心配いらない」
「フフフ、そうかね。頼もしい限りだ。それでは、転移を開始するよ」
アハトの入った箱の受け渡しが終わると、アイワスは愛用の杖で床を軽く叩く。それが起動の合図だったのか、アイワスから莫大な量の霊力が放出されて霊術回路が励起され始めた。
霊術回路とは霊術の補助や霊力の増幅に用いられるはずだが、転移の霊術はまさかこれほどの霊力を使わなければ起動しないものだとは思わなかった。私の驚きが伝わったらしく、アイワスは難しい顔になっていた。
「制約があると言っただろう?使用するのに膨大な霊力を必要としてしまうのだ。他にも転移先でも大きな霊力の動きがあると座標が安定しなくなる、という致命的な欠陥も抱えている。完璧な術式とは程遠い……やはり空間転移と時間操作は技術だけで再現するのは難しい。研究をより深めねばなるまいよ」
「楽しそうだな」
「ああ。困難な課題を克服するべく研究し、心理を解き明かして知識を深め、より困難な課題に挑戦し続ける。それがこの私、アイワス・エル・レギスの在り方だよ」
知識を深め続けることこそ自分の在り方、か。自分の在り方について堂々と宣言出来るアイワスは、私の複眼には眩しく、そしてとても羨ましく映った。
私も彼のように自分の在り方について確固たる何かを見付けられるのだろうか?いや、必ず見付けてみせよう。
「さて、もうそろそろ霊術が発動する。覚悟は出来たかね?」
「ああ。いつでも問題ない。アイワス、本当に世話になった。必ず依頼は果たしてみせる」
「フフフ、期待しておこう」
私は深く頭を下げてアイワスに改めて礼を言った。そんな私にアイワスは微笑ましいものを見る目を向けている。私は子供ではないのだが……まあ、実年齢を人間のそれに当てはめるならまだ子供なのは間違いない。それにあれだけ世話になったのだから、甘んじて受け入れよう。
次に私はアイワスと同じか、場合によってはそれ以上に世話になったアインの方を向く。彼にもまた、礼を言わなければなるまい。
「アイン。お前にも世話になった。ありがとう」
「気にすんな。礼がしたいってんなら、その中にいるアハトを立派に育ててくれ」
「わかった。約束する」
アインに言われるまでもなくアハトは本気で育てるつもりでいる。だが、アインに言われたことでより責任感が増した。こうなったら兄弟姉妹の中で最も優秀な輝晶生命体に育て上げてみせようではないか。
ああ!兄弟と言えば、あの私達が助けた島民の兄弟のことがある。私が悩んでいる時に助言をくれた彼のお陰で自分のやるべきことを決めることが出来た。アイン越しになるが、私が感謝していたことを伝えてもらおう。
「アイン、お前が治療した島民がいただろう?実は彼の兄弟の言葉に背中を押されたんだ。彼に私が感謝していたと伝えてくれ」
「おん?あいつの兄弟?何の話……」
「むっ!?これは……いかん!」
何故か不思議そうに首を傾げるアインが言葉を続ける前に、アイワスが珍しく切羽詰まった声を張り上げた。ここに来て何か問題が起きたのだろうか?
「転移先の付近でとても大きな霊力の動きが発生している!転移先に指定した帝都から大きく外れることはないが、どんな場所に出るかは不明……」
アイワスが不穏なことを最後まで言い切る前に、私の視界は真っ白に薄れて行く。そして問題なく私は転移を果たした……帝都の遥か上空に。
次回は5月15日に投稿予定です。




