貴賓室にて
岩竜が戦士蟹を踏み潰してその肉を食らっている頃、その様子を貴賓席から眺めている者達がいた。彼らはこの闘獣のオーナーである門閥貴族の子供達である。
無論、『新人戦』に出場している全ての闘獣のオーナーがここにいる貴族の子女という訳ではない。大金持ちの商人や研究機関もオーナーとして登録している。しかし、貴賓席に入ることが出来るのは貴族だけであった。
ここハーラシア王国では闘獣を飼うことは貴族の嗜みとされており、貴賓室で集まって戦いを眺めつつ社交パーティーを楽しむのである。これが普段の『闘獣会』ならば貴賓席に若者はほとんどいない。闘獣の維持には貴族にとってもかなりの費用がかかるので、あくまでも大人の遊びと認識されているからだ。
しかし今回は『新人戦』である。この大会には貴族の間では未成年のオーナーしか出場してはならないという不文律があった。すると貴賓席には子供にも闘獣を与えられるほど裕福な貴族ばかりになる。子供ばかりの貴賓室は年に一回、この大会の時だけに見られる珍しい光景であった。
ちなみに貴賓席には他にも付き人や闘獣の調教師などの関係者もいるが、その数は十にも満たない。何故なら闘獣の関係者はもっといるのだが、貴賓席に入ることを許されるのは貴族だけだからだ。関係者であっても貴族でなければ入ることは許されないのである。
下の観客席の騒音は霊術によってシャットアウトされていて、貴賓席では高名な楽団が奏でるゆったりとした音楽が流れている。果物や軽食なども完備と至れり尽くせりであった。
「凄い力でしたわね!」
「大判狂わせは続きませんか。やはり竜種は格が違います」
「どうやって手に入れられたのですか、ウィリバルト様?」
今、彼らの中心にいるのはダンマーレン公エルネスト・ルッツの次男、ウィリバルトだった。サラサラの黒髪と鳶色の瞳を持つ好青年は優勝候補である岩竜のオーナーである。『新人戦』の勝者に最も近いとされる闘獣の持ち主となれば注目されて然るべきだった。
「雇った者達が優秀だったからだよ。それに彼らも運が良かったと言っていたね。偶然眠っていた岩竜を見付けなかったら、子供とは言え竜種を捕らえるのは流石に無理と言うものさ」
「最強種と呼ばれるのは伊達ではない、ということですわ。ね、お兄様?」
ウィリバルトは自分と依頼した相手があくまでも運が良かっただけだと言う。実際にその通りなのだが、虚栄心が強い者が多い貴族にあって彼はとても謙虚であった。これは演技などではなく、彼の生来の気質だった。
そして彼の言葉に続いたのはウィリバルトの妹、アーデルハイトだった。腰まである豊かな髪は燃えるように赤く、兄と同じ鳶色で勝ち気そうな瞳からは強い自信が感じられる。その自信が彼女に少女でありながら大人びた雰囲気を纏わせていた。
「アディの言う通りだね……戦い方はつまらないし、勝ち方は不細工だけど」
ただ、ウィリバルトは自分の闘獣が活躍しているのにあまり楽しいと感じていなかった。朗らかな笑顔で周囲の者達に隠しているが、妹であるアーデルハイトは兄の気持ちを察して苦笑していた。
そんな彼らの環から離れた場所で不機嫌そうに外を眺めていたのはアシュバルド候ウィレム・ハイデッガーの嫡男、フリードリヒである。彼は冥王蠍のオーナーなのだが、彼の機嫌を損ねているのはその冥王蠍のせいだった。
「機嫌を直して下さいよ、フリードリヒ様。勝ったのですから良いじゃないですか」
「手間も時間も費用も掛けたんだから勝つのは当然だ。でも……」
友人である子爵家の子息が窘めようとするが、彼の機嫌が治ることはなかった。フリードリヒが不機嫌なのは自分の冥王蠍よりも他の闘獣の方が目立っているからである。
速度と小回りを活かして敵を少しずつ削って行き、体格差と防御力を覆して勝利する。冥王蠍の戦いは、『闘獣会』が好きな者達や戦いを職業とする者達にとっては見応えのあるものだった。しかし、圧倒的な力で押し潰した岩竜の勝利に比べれば地味なのは確かだった。
勝利したと言うのに地味だから気に入らないなど、贅沢にも程がある怒りである。しかし、新人戦に本気で取り組んでいる貴族ならば同じ怒りを抱くことだろう。『新人王』のオーナーになるという名誉のために莫大な費用をかけるほど名誉欲が強いのだから。
フリードリヒは自分の代わりに話題を奪い去ったウィリバルトに噛み付くことはなかったが、その代わりにゲオルグが八つ当たり気味に叱責されている。そのせいで冥王蠍も理不尽な暴力を振るわれたのだから、このことを知れば冥王蠍はフリードリヒに強い殺意を抱いたことだろう。
「はぁ……もっと大きくて派手な闘獣が良かった。それこそ竜種みたいな……」
「そうかな?むしろ僕としては君の冥王蠍の方が欲しいけれど」
フリードリヒの小さな呟きに応えたのは、朗らかな笑みを浮かべている少年だった。プラチナブロンドと金色の瞳が特徴の中性的な美少年で、その美貌は老若男女問わず魅了するだろう。
この少年に話し掛けられたフリードリヒは目を見開いてから慌てて立ち上がる。他の貴族の子女も彼と似たような反応をしていて、慌てていないのはそれこそウィリバルトくらいのものだった。
「でっ、殿下!?玉体をお運びになるとは存じ上げませんでした!無礼な態度を取ったことを……」
「いやいや、謝ることはないさ。驚かせようと思ってわざと伝えていなかったからね。びっくりさせすぎちゃったかな?」
「悪戯が過ぎますわよ、カール殿下」
キッと睨みながら諌めるアーデルハイトに向かって肩を竦めてみせたのは、シュヴェーツ朝ハーラシア王国の第二王子カールだった。聡明で武芸の腕前も達者であり、魅力的な容姿と全てを持っていると言っても過言ではない。国民からの人気も高く、第一王子を差し置いて次期国王にと望む声も多かった。
ただ、唯一の欠点が悪戯好きなところである。流石に公の場では悪戯を控えるものの、宮中に上がっている貴族の中で悪戯をされたことがない者はいないほどに悪戯好きだった。
そんなカール王子とルッツ兄妹は幼馴染みである。王家という最も高貴な身分の友人は、それに匹敵する身分の者でなければ勤まらないのだ。
「やあ、アディ。今日も可愛いね」
「ありがとう存じますわ、殿下。ですが、煽てても悪戯のことをお諌めすることは止めませんわよ」
「ははっ!アディは手厳しいね」
カール王子はアーデルハイトの小言を受け流しつつ、楽しそうに笑いながら自然な動きでフリードリヒの座っていた椅子の隣に座る。そして手で立ち上がったまま動かない彼に座るよう促した。
フリードリヒは緊張した様子で椅子に座る。それを確認したカール王子は、フリードリヒの目を真っ直ぐに見つめながら微笑みを絶やさぬまま口を開いた。
「それでさっきの話だけどね、僕は本気で言ったんだよ。あの岩竜とあの冥王蠍を秤に掛けるのなら、迷わず冥王蠍の方を選ぶ。それだけの価値があれにはあるからさ」
カール王子の意図がわからないのか、貴賓席にいる若者達は困惑している者ばかりであった。力強い戦いぶりで闘技場を沸かせた岩竜と、盛り上がりはしたが地味だった冥王蠍。その両者を比べた時、岩竜の方が優れているとしか思えなかったからだ。
逆にカール王子の意図を理解しているのは岩竜のオーナーでもあるウィリバルトだけである。彼は王子の意見に賛成だと言わんばかりに首を縦に振っていた。
「僕の岩竜はただ力任せに暴れているだけ。でも冥王蠍は違う。自分の力を把握して、勝つために練った戦術を見せてくれた。さて、本当に優秀なのはどちらだろうね?」
「殿下は派手さよりも中身を重視しますものね」
「覚えていてくれて嬉しいよ、アディ。ウィルも言いたいことを言ってくれてありがとう」
ニコニコと微笑みながらカール王子はそう言った。完璧超人のように思われているカール王子だが、実際の彼は努力の人である。将来自分がどんな立場になるとしても祖国をより良い国にするべく努力を怠らないこと。それは彼の教育係だった、今は亡き賢者の口癖だった。
その教えに従って人一倍学業に励み、腕が上がらなくなるまで剣を振ってきた。彼の努力は実を結び、文武両道の王子として成長している。
しかし、聡い彼はまだ自分が未熟であると知っていた。人前では涼しげな様子でいるが、今も陰では学業にも武芸にも精を出しているのだ。
そんな経緯からカール王子は見た目よりも中身を重視する傾向があった。冥王蠍の練り上げた闘気と狡猾な戦いぶりを見れば、並々ならぬ努力を積んだことは明らかである。見た目の派手さよりも、地味ながらも洗練された戦いを見せた冥王蠍を評価するのは彼にとって当然だった。
「それに最初の予選や第一試合では力で勝っていたじゃないか。それでは不満かい?」
「それは、そうですが……」
「ほら、準決勝の第二試合が始まるよ」
カール王子が言うように、闘技場では準決勝の第二試合が始まろうとしていた。準々決勝で大怪我をしていた陸王鳥だが、戦える状態にまで持っていったようだ。優れた術者が治癒を施したのだろう。
一方の冥王蠍は鋏のひび割れが残っていて痛々しい。こちらは何の処置もしていないらしい。カール王子はほんの少しだけ眉間に皺を寄せていた。
コンディションがどうであれ、闘技場に上がったからには戦わずして逃げることは許されない。支配人は普段通りに試合開始の宣言をする。真っ先に飛び出したのは陸王鳥だった。強靭な脚力による爆発的な加速によって一瞬で間合いを詰め、大きな嘴で冥王蠍を咥えようとした時のことだった。
「は?」
「ほう……」
それに対して冥王蠍は動じることなく尻尾で迎撃した。しかも彼が狙ったのは自分に迫る嘴そのもの。尻尾は嘴を貫いて地面へと釘付けにした。陸王鳥は縛めから逃れようと暴れるが、細い尻尾は千切れることはない。
それだけでなく冥王蠍は尻尾を振り回して陸王鳥を投げ飛ばして地面に凄まじい力で叩き付けた。激突したことで脳が揺れたのか、陸王鳥はビクンビクンと痙攣することしか出来ない。冥王蠍は無抵抗な陸王鳥の首を鋏によって無慈悲に切断した。
貴族好みの圧倒的な力で捩じ伏せる戦い方を見せたことにほとんどの貴族子女達は唖然としてしまう。それはオーナーであるはずのフリードリヒですら同じだった。その中でカール王子とウィリバルトだけが楽しそうに笑っていた。
「ふふふ……あはははは!豪快だけど、ちゃんと嘴を狙って刺していたよね?やっぱりあの冥王蠍の凄いところはその技量だよ!面白いなぁ……このまま優勝しちゃったらもっと愉快だけど、ウィルはどう思う?」
「ううん、どうでしょうね。少なくとも、殿下好みの試合になるのは間違いないと思いますよ?何せ『生まれながらの最強』と『努力で磨きあげた技術』のぶつかり合いになるでしょうから」
「それは良い!どちらが勝つにしても見逃せない戦いになりそうだ!」
カール王子は上機嫌なまま椅子に座って始まるのが待ち遠しいとばかりに闘技場を眺め続ける。ルッツ兄妹が本心からここまで楽しそうにしているカール王子の姿を見たのは久しぶりのことだった。
彼にとって王宮は決して心休まる場所ではない。宮中では彼が努力を怠らないのは次の王位を狙う野心からだ、と邪推する者が何人もいるからだ。
優秀な彼を疎ましく思う者もいれば、逆に御輿として担ごうとする者もいる。自分を下らない政争に巻き込もうとする者達も、利用しようと試みる者達も、彼は心の底から嫌悪していた。
前者からの嫌味をいなしつつ、すり寄ってくる後者を適当にあしらう。そんな生活を続けねばならない場所で一体どうやってくつろげと言うのか。彼の悪戯はストレス発散の方法の一つであった。
王子の苦悩を知っている二人は作り笑いではないカール王子の笑みを見て安心していた。彼が休息を取る必要があると常々考えていたからだ。しかし、アーデルハイトは一つだけ気になっていることがあった。
「そう言えば殿下は今までどこで観戦していらしたのでしょう?さっきまでここには居られませんでしたのに」
「ん?それは勿論、顔を隠して普通の席に混ざってたんだ。『闘獣会』の常連だっておじさんに色々解説してもらって楽しかったよ」
「もう!護衛の騎士を困らせるようなことをしてはなりませんと、あれほど申しましたのに!」
プリプリと怒るアーデルハイトを宥めながらも、彼は闘技場から注意を向け続ける。決勝戦はもうすぐ始まろうとしていた。




