呪いとの念話
立派に育った樹木の下敷きとなって無惨な姿を曝すザーヒの頭を私は何度か蹴ってみる。これは散々痛め付けられた腹いせではなく、まだ生きているかもしれないと思ったからだ。
私の直感は既に死んでいると語っているものの、理性の方が可能性を捨てきれなかったのである。どれだけ斬ろうが霊術を受けようがすぐに治していたし、胸から生えた樹木にも最期まで抵抗し続ける生命力の持ち主でもあるのだから疑り深くなっても仕方がないだろう?
私が蹴っても反応を一切示さなかったことを確認して、師匠も胸を撫で下ろしていた。どうやら師匠も同じ気持ちだったらしい。きっとそこでまだ倒れたままのジュードも、起きていたら同じ反応をしていたかもしれないな。
「そうだ、師匠。ジュードは大丈夫でしょうか?」
「おう!小童は闘気を高めて止血したところで気を失っただけのようだ!頑丈でなければ傭兵などやってはおられんと言うことよ!ガッハッハッハッハ!」
師匠が確かめたところ、どうやら死んではいないらしい。私を含めた全員が満身創痍となったものの、我々は圧倒的な力を持つ怪物を相手に誰一人欠けることなく勝利したのだ。奴があまりにも強かったせいで、喜びよりも安堵の気持ちが大きく、快哉を上げるような気分にはならなかったが。
それに我々の力だけで勝ったとは口が割けても言えないのも手放しに喜べない原因だ。実質的にザーヒを追い詰め、トドメを差したのは胸から生えた謎の樹木なのだから。
ただし、私は戦士の矜持などという自己満足と無縁である。それ故に樹木のおかげで勝ったことを恥に感じることはない。むしろ救世主とでも言うべき樹木に心からの感謝を捧げた。
『こちらこそ、ありがとう』
「「!?」」
私が心の中で感謝を述べた直後、私の頭の中に直接声が聞こえて来た。私も使えるからわかる。これは念話だ。それだけならば驚くことはなかったのだが、問題は念話の主である。それはザーヒから生えた樹木だと直感したのだ。
念話は師匠にも届いていたらしく、目を見開いて樹木を凝視している。私は恐る恐る、目の前の樹木に向かって念話を試みた。
『貴方は一体……?』
『私は呪い。かつて存在した者の残した執念、あるいは残り滓です』
呪いという物騒なモノとは思えない透明感のある、しかし抑揚のない女性の声が返ってくる。質問したのは私であるが、念話は師匠にも届けているようで師匠はただでさえ見開いていた目を更に大きく見開いていた。それ以上目を開けると眼球がこぼれ落ちるのではないかと心配になるほどだ。
師匠はともかく、呪いと聞いて私はアスミの話をようやく思い出した。内側から樹木が生える呪いと、それによって滅びた……カン族の神々の話を。
『では貴女は他の大陸の神なのですか?』
『それは違います。あくまでも私は呪いに過ぎません。私という呪いを残した者が何者だったのか、その名前も正体も私にはわかりません』
アスミの話によれば、カン族の神々は自分達が滅ぼした神の呪いで絶滅したと聞く。普通に会話が成立しているのでその呪いは霊魂か何かが取り憑いたものだと思ったのだが……死後にも効力のあるほど強力で、しかも会話が成り立つほど高度な霊術だったらしい。
『私にあるのは己が呪いそのものだという自覚と、呪いの対象を必ず抹殺しなければならないという義務だけ。それを果たす手助けとなった貴方達には感謝しています』
『いえ、我々も自分自身のためにあの男を討つ必要があっただけです。むしろ私の方が助かりました。あの時、内側から攻撃していただけなければ頭を踏み潰されていたでしょう。改めまして、ありがとうございました』
感謝を告げられたものの、私はこの呪いのおかげで命を拾ったのだ。それ故にこちらの方が感謝したいくらいであり、感謝されても困ってしまう。
パキパキ……
私がもう一度感謝の思いを伝えた直後、呪いの樹木から乾いた何かが割れるような音が聞こえた。何事かと呪いの樹木の全体にヒビが入っているではないか。
しかもそのヒビはどんどん大きくなっており、真っ黒だった葉は色を失って真っ白になりながらハラハラと落ちている。一体、何が起きたのだろうか?
『もう一度言いますが、あくまでも私は呪い。その目的の片方が果たされた以上、消えてしまうのは当然です』
『それは……ん?』
彼女、と言って良いのかわからないが、その目的はザーヒを滅ぼすこと。目的が果たされた霊術の効力が切れてしまうのは自然な成り行きである。彼女が消えるのも当然の理であった。
恩義ある相手が今まさに消えつつあることに、私は言葉を失ってしまう。何と言葉をかければ良いのかわからなかったが、彼女の言ったことには一つ気になる点があった。
『片方、ですか?』
『はい。これからもう片方を果たします』
言うが早いか樹木に新たな変化が起きる。樹皮は干からびつつあり、次々と葉が枯れ落ちている中で一本だけ瑞々しさを保っている枝があった。その枝に一輪の白くて可愛らしい花が咲いた……かと思えば即座に枯れてしまう。
だが、それで終わりではなかった。花が枯れた場所には果実がついたのである。果実はみるみる内に大きくなり、数秒後には熟したのか薄桃色になって魅惑的な甘くて芳しい香りを放ち始めた。
『神を滅ぼすこと、そして滅ぼす過程で奪い取った力を用いて種を成すこと。私という呪いの目的です』
『新たな種となって生まれ変わる、と?』
『そうではありません。私という呪いを残した存在は、既に滅びてこの世界に還元されています。この種が成長したところで、呪いを残した存在が復活することは不可能です。生まれ変わるのではなく、あくまでも種を残すという本能に刻まれた欲求を叶えるためです』
植物の本能に従って種を残す。そのための行為だと言いたいのだろう。復活すると言われるよりも感覚的に納得しやすい話だった。
ただし、それよりも気になることがある。それはもちろん、私の食欲を掻き立てて仕方がない甘い香りを放つ果実のことだった。
種を作るために果実をつけただけで、あくまでも目の前の樹木にとっては副産物に過ぎないのだろう。だが、正直に言って今すぐにでもかぶり付きたい衝動に駆られている。甘いモノが唯一の好物と言っても良い私にとって、尋常ではなく魅力的だったのだ。
『……そろそろ、念話も出来なくなりそうです。まだ何か聞いておきたいことはありますか?』
『その、はしたないようで恐縮なのですが……その果実は食べても良いのでしょうか?』
『それは構いませんが、種だけは食べてはなりません。その場合、今度は貴方に呪いがかかるでしょう』
果肉は良いが種を食べれば呪われる果実とは、恐ろしいものもあったものだ。その禁を破ればザーヒと同じ目に遭うと思った方が良いだろう。あんな地獄の苦しみを味わうのも死ぬのも絶対に嫌だ。種は最初に取っておくとしよう。
その念話を言い残して、樹木から念話が届くことは二度となかった。唯一艶を保っていた果実のついた枝にも亀裂が入り、今にも割れてしまいそうだ。
「おっと……っ!」
そんな時、熟した果実がプチッと音を立てて枝から落ちた。私は慌ててキャッチして地面に落ちてしまうのを回避した。
私は手の中にある果実をしげしげと眺める。形状はほぼ完全な球形で、薄桃色の果皮の表面には短く、柔らかい産毛が生えていた。私の手にすっぽりと収まるサイズなのだが、ずっしりとしていて見た目よりもかなり重たい。まるで鉄球のようですらあった。
重さにも驚いたが、私の手に落ちた瞬間にこれまでとは比較にならないほど良い香りが漂ってくる。この甘く、それでいて爽やかな香りを嗅いだ私は、脳に直接刃を突き刺されたかのような衝撃を覚えた。
いかん、これは食欲を増進させる麻薬だ。猛毒を自前で作り出せる私に毒は通用しないはずなのに、私の口は自然と果実に吸い寄せられそうに誘導されている。ここは戦場だと強く言い聞かせる私の理性の力で口を付けてはいないものの、口から唾液が垂れていた。
「ガッハッハ!好物を前に我慢などするでない!気にせずに食え!」
「ですが……」
「お主には珍しく周囲が見えておらんようだな!あの黄金鎧が倒れた途端、あの要塞から敵は逃げ出したぞ!ほれ、要塞を見てみぃ!」
師匠が指を差した先では、壊れた外壁の上で連合軍の兵士がそれぞれの旗を掲げている。そして師匠の言う通り、機鎧兵や自走砲などの一団が北を目指して敗走する様子が見えていた。
神の末裔は強かった。特に別人格が現れてからは別次元の強さだった。我々を終始圧倒し続けた実力から考えて、本気で暴れたなら一人でこの軍団を全滅させることも可能だったと思われる。
それが敗れたことで士気が崩壊したのであろう。逃げ出したくなる気持ちはわかるが、無秩序に逃げるのは悪手でしかない。それは無防備な背後を曝しつつ、孤立してしまうからだ。
今も追撃に向かった騎兵達によって孤立した者から蹂躙されていた。背後から急所を一突きにされる者もいれば、剣で首を刈られる者もいる。追撃する騎兵達には一切の慈悲はない。それは共和国軍がこれまでの戦いで犯した所業のせいであろう。
追撃にも限度があるので、全員を討ち取ることは不可能だ。だが、それまでに多くの機鎧兵が斬られるのは明白である。全体の何割が逃げ切るのだろうか?
「儂らも要塞へ行くぞ!それまでに手早く食べてしまえ!」
「師匠は食べないのですか?」
「いらぬ!儂は戦いが終わった後、最初に口にするのは酒と決めておるからな!ガッハッハッハッハ!」
師匠は首を横に振りながら豪快に笑う。酒か……私は一口で気絶してしまうので、良さどころか味すらもわからない。この点だけは私と師匠の相容れない部分であった。
食べないと言うのであれば遠慮はしない。ゴクリと生唾を飲み込んだ後、私は欲望のままに瑞々しい果実に思い切りかぶり付いた。こっ、これは……!?
「……あ、味がしないだと?」
それしか考えられなくなるほど良い香りであったのに、口に入れてみるとほとんど味がしなかった。口の中で広がる香りはやはり極上であるし、果肉は水分が豊富で喉は潤っていく。
だが、肝心の味がほぼ感じられないのだ。うっすらと甘い気がするものの、甘さならばドライフルーツに遠く及ばない。期待していた分、私の落胆は大きなものだった。
私は釈然としない思いを抱えながら飛び散った白い剣の破片を集めて鞘に放り込みつつ、万が一に備えてザーヒが作った剣を腰に差す。そしてまだ眠っているジュードを背負い、残すのももったいないとばかりにムシャムシャと果実を食べながら師匠と共に要塞を目指すのだった。
次回は1月31日に投稿予定です。




