2月15日(2)
***
「ふ~、きゅ~け~い~」
とっさと芽衣はクッションに腰を下ろした。
彼女が座った途端、クッションがふにょんっと形を変える。
父さんと別れた後、俺もすぐに家を出た。
行先はもちろん、芽衣の家だ。
彼女の家に着くや否や、漫画を読みながらリビングでくつろいでいた。
芽衣は晩ご飯の下ごしらえをしていたので、すぐ一緒に、というわけにはいかなかったが、こうしてリビングにやってきたところをみると、どうやら下ごしらえは終わったらしい。
ただ、休むのはいいのだが……、
「……って、なんでここに座るんだよっ」
漫画を床に置いて、目線を下げる。
すると、間近に彼女の端正な顔があった。
「え、なんでって、ここがお気に入りの場所だからだよ?」
彼女は見上げたまま小首を傾げる。
そう、彼女が座ったのは俺の両足の間。
それに今は上半身を俺の胸に預けてきている。
彼女の柔らかさ、体温、匂いがこれでもかと伝わってくる。
「他にもクッションはあるだろ?」
近くにあった他のクッションを指さす。
しかし、芽衣は首を横に振った。
「ううん、だって彰が座っているのはこのクッションじゃん」
俺の抗議を全く意に介せず、彼女はテレビの電源を点けた。
テレビの画面が明るくなった途端、今日のニュースが流れてくる。
「はあぁぁ……。つまり、退く気はないってことな」
「うんうん、そういうこと~」
楽しそうにケラケラと笑う。
くっ、正直に言ってとても可愛いが、少し悔しい。
そこで、俺は少し反撃に出ることにした。
さっと彼女のおなかに両手を回す。
「ひゃっ」
手を回した途端、彼女が可愛らしい悲鳴をあげた。
「もぅ、なに~?」
軽く頬を膨らませながら再度見上げてくる。だが、まったくもって怖くない。この顔は全然怒っていないときの顔だ。
「俺の場所を奪ってきた仕返し。このまま我慢してろ」
「はは、なにそれ」
芽衣は顔を綻ばせ、視線をテレビへと戻す。
俺も彼女にならってテレビを見ることにした。
今、報道しているニュースは例の怪事件。
犯行現場をモニターに映しながら、キャスターの男性が原稿を読み上げていく。
『えー、世間を賑わせていたあの一連の事件について、とうとう犯人が逮捕されたとの情報が警察から入りました。それでは、事件の概要をまず振り返ってみましょう。第一の事件現場にいる、山本アナウンサー……』
事件の犯人の逮捕。
実際の犯人は国島武で、そいつはもうこの世にいない。
おそらくニュースで報道されている犯人は魔導師か警察が適当にでっちあげた架空の人物だろう。
屍鬼の存在を公にしないために作られた虚偽の事実だ。
でもこれで世間の目にもこの事件は解決したように映ったはずだ。もう人々は怯えて暮らす必要はない。
「みんな安心してくれたかな……」
胸の中で芽衣が呟く。
「ああ、きっとみんな安心しているさ」
テレビの向こうでは、第一の現場にいる女性のアナウンサーが廃病院をバックに第一の事件について説明している。
『えー、こちら、第一の事件の現場である廃病院です。昨年の十二月二十一日、不動産管理会社の従業員が中で人の心臓とみられる物を見つけたことで事件が発覚しました。なお、現場からはこの人の心臓が複数見つかっており、さらに血痕も発見されています。
――――」
アナウンサーは少しでも事件の概要がテレビの向こう側に伝わるよう必死に言葉を尽くしている。
「……ん?」
そのとき、彼女の言葉が妙に引っかかった。
「ん、どうかした?」
芽衣が不思議そうに顔を上げる。
「い、いや……、なんでもない」
「そう」
再び、彼女は視線をテレビに戻す。
しかし、なんでもないとは言ったが俺は強烈な違和感に襲われていた。
引っかかったアナウンサーの言葉は、人の心臓が複数見つかった、という部分。
第一の事件では心臓が複数見つかった、このこと自体には何ら目新しい点はない。前々から報道されていた情報だ。
屍鬼を生成するときには心臓が不要になる。
大方、この廃病院に生者、死者を問わず素材を複数体集め、一気に心臓をくり抜いて屍鬼を生成した、というところだろう。
だが何か引っかかる。
それにさっきから背中に感じる悪寒。
まるで死神が冷たい吐息とともにまだ終わっていないと囁くような。
目に映る世界がどんどん色を失っていく。
テレビの音も遠ざかっていく。
脳が違和感の正体を強制的に探り当てようとしているのだろうか。
不要な情報がシャットアウトされていく。
なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ……?
何がおかしい……?
見つかった複数の心臓。
そして、同時に想起されるのは、いつか聞いた誰かの発言。
おそらくこの二つが違和感の正体だ。
一体誰の発言だ……?
一体どんな発言だ……?
集中力を最大にし、記憶の海から一つの出来事を見つけ出そうとする。
その声は聞き馴染んだものだった。
いつも朝の学園で聞いていた声だった。
今でもその声を思い出すと胸が締め付けられる。
そう俺が七年ぶりに魔導を使い、屍鬼を倒した日。
あのとき、国島武が口にした言葉だ。
俺が犯人はお前だと言ったとき、武はこう口にした。
――――『ああ、正解だ。俺の目的は屍鬼の生成。人を襲って、その場で心臓をえぐり、そいつを屍鬼にしていた』
「あ……」
その言葉を思い出した瞬間、さっきまで頭の中で這いずり回っていた違和感が消えていく。
「ん?」
芽衣が顔を上げる。
彼女の瞳には完全に動揺している自分がいた。
「えっ、なにかあったの……?」
彼女も俺の異変に気がついたのだろう。心配そうに俺の顔を覗き込む。
しかし、今は時間がない。
この仮説が正しければ、まだこの事件は……
勢いよく立ち上がり、リビングに置いてある愛用の小太刀を携える。
「えっ、えっ?」
芽衣は何が起こっているのか分からず、右往左往していた。
小太刀を携えると、俺は芽衣の方へ振り返る。
そして、徐に口を開いた。
「……この事件の犯人は、武以外にもう一人いる」




