2月11日(3)
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リンクに着氷してから三十分後――――
「解せない……」
リンクの中央で芽衣は優雅に滑走していた。
栗色の髪が柔らかにたなびかせ、氷の上をまるで妖精が散歩するかのように華麗に移動する。
周囲の人も彼女の美しさに目を奪われていた。
一方の俺は……
「うわっ」
うっかりバランスを崩しそうになり、すぐさま手近の手すりを掴む。
そう、まだ手すりを離すことすらままならなかった。
「なんで……」
ブランクがあるとはいえ、俺も魔導師だ。そんなに彼女との間で運動神経に差があるとも思えない。
しかし、今の彼女と俺とでは月とスッポンくらい差が生じている。
正直、悔しい。
俺と彼女とで何が違うのだろうか、そう、彼女に嫉妬していると、
「彰、まだ滑れないの?」
彼女がリンクの中央から戻ってきた。
彼女の言葉がぐさりと胸に刺さる。
「なんで芽衣はそんなに簡単そうなんだよ……」
悠然と氷の上に立つ彼女に恨めしそうな眼を向ける。
彼女は、人差し指を頬に置き、
「うーん……、わたしが天才だから? というか早く一緒に滑ろ?」
横目で俺を捉えながら、意地悪くそう答えてきた。
その瞬間、頭の中で小さな血管がブチっと切れた気がした。
そういえばそうだった。最近は彼女の可愛い部分しか見てこなかったので忘れていた。
彼女は自信家で、俺にたびたびちょっかいをかけてくるやつだった。
俺は彼女に何回イライラさせられたと思っている。
先ほどの言動が呼び水となって、次から次へと彼女に迷惑を掛けられた日々を思い出す。
しかし、今までの彼女との関係と今の関係とは全く異なる。
「ぷっ、はは……、彰、怒っている……」
怒りが顔に出ていたのだろうか。芽衣は俺の顔を見ると吹き出した。
「ごめん、ごめん……。ちょっとからかいたくなったの。そんな怒らないで」
彼女は笑いをこらえながらこちらを覗き込んでくる。
そして、少し離れたかと思うと徐に両手を差し出した。
「さ、一緒に滑ろ? 大丈夫、わたしが彰を支えてあげるから」
優しく顔を綻ばせる彼女。
今度の笑みには嫌味も意地の悪さもない。
本当に心から一緒に楽しみたい、という素直な彼女の気持ちが全面に表れていた。
「……」
彼女はずるい。惚れている女子からそんな顔を向けられては、俺の中にあった彼女に対する嫉妬や怒りが霧散してしまう。
恋は盲目というがその通りだと思う。彼女に多少嫌なことを言われても、彼女の笑顔を見るだけでさらに彼女を好きになってしまう。
「ねえ、早くわたしの手を掴んで?」
彼女は待ちきれない様子でせがんでくる。
「……、それじゃあ頼む」
ゆっくりと両手を彼女の方へ伸ばす。
そして、彼女に触れると、しっかりとその両手を包み込んだ。
「はい、頼まれました。それじゃあ行くね」
そう言うと、彼女は俺を誘うようにバックで滑り始める。
「うわっと」
動き始めたことでバランスをとるのが一気に難しくなった。
俺がこけると彼女も巻き込んでしまう可能性があるので、なんとかして踏ん張る。
「ブレードを八の字にして、進むときは軸足に重心をずらして……」
彼女の言われるまま足を動かす。すると、ゆっくりと前に進んでいく。
「そうそうそのまま……。うん、いい調子」
彼女にそうやって言われると、よりうまくできるように感じた。
一つ一つ丁寧に、彼女に言われたことを実践していく。
「うん、いい感じ」
補助付ではあるが俺が滑り出したことで彼女も嬉しそうだった。
「それじゃ、次は手を離すね」
「あっ、ちょい、まっ」
「はいっ」
俺の言葉を待たず、彼女はぱっと両手を離す。
「うわっ」
いきなりサポートがなくなり、さっそくバランスを崩しそうになる。
「ほらほら、八の字、八の字」
芽衣の声が聞こえる。
「……」
集中する。
彼女に言われたことを頭の中で反芻し、自分の体に命令を送る。
「……、あっ、できた」
気づけばゆっくりではあるものの前に進んでいた。ちゃんとバランスを崩すこともない。
「やったね。さ、このまま、このまま」
彼女に言われるまま、追いかけるように体を動かす。
すると、どんどん前へ進んでいく。
なんだかコツを掴めた気がした。
足を動かすたびにスイーっと氷の上を滑っていく。
「おー、すげー。俺、ちゃんと滑れている……」
自分でもびっくりした。
彼女に少し手伝ってもらえただけで、こうもいとも簡単に滑れるなんて。
補助なしで滑れるのが嬉しくて、つい体が動いてしまう。
その度にどんどん前へ進んでいく。
「あはは……、いいね、それじゃ、リンクの中央に行ってみようよ」
「ああ」
少しスピードを上げ、彼女の隣に並ぶ。
その瞬間、彼女がにこっと微笑んだ。
ああ、やっぱり俺は彼女に敵わないらしい。
この後、俺たちは一日中、スケートデートを楽しんだ。




