悪魔のヒビキ
多分、俺はあの時、泣きそうな顔をしていたんだと思う。
俺は泣かねえ。
歯は食いしばる。怒れば殴る。相手が強いとか弱いとか、関係ねえ。
俺の体術はカンフーベースだ。香港映画の見様見真似だ。
そこら辺にあるもんをひっつかんで、殴る。
これは合理的だと思う。
泥臭い戦いでは、俺に合っている。が、それはあくまでも、半端な底辺同士のハナシだ。
例えば、淫崩クラスの達人はもちろん、真面目に愚直に修行をこなす、多濡奇クラスにも敵わねえ。
そりゃあ、そうだ。
あいつらには、因果の才能があった。
生まれ持ったもんだ。
そして、『時間をそうふうに使っていた』。
才能、環境、努力、そういうものを全て含めて、保育所に君臨していたのが、あいつらだった。
俺はそれが続くもんだと思っていた。
淫崩の豚野郎は、忌々しいくらい強くて、多濡奇はへらへらした天使で、須崩って役立たずと三人組で、たてついてくる奴らを殺しまくる。
それでいいと思っていた。
俺は強くなって、多濡奇に、いつもありがとうな、とか言えるようになって、あぶねえ時は、ヤツをかばいたい、そう思っていたんだ。
だがよお……!
「奈崩君。貴方は安心してい良いのですよ。この保育所を出れれば、死ぬ事はないでしょう。貴方には、弱者にしかない、絶望と憎悪がある。それは大きな武器です。弱者は強いのです。そう、弱者の強み、これもまた、キリスト教の根幹と言えるでしょう」
訳が分からなかった。
俺が強い?
そして、あいつが、ここを出たら死ぬ?
馬鹿野郎。ふざけんな!
俺は立ち上がった。
舎弟に命令する。
血を、心臓に集めろ。
筋肉と脳に満たせ。
戦闘だ。
こういう事をいう奴は、殺して良い。
いや、殺すべきだ。
俺は弱くて、あいつは強い。
こいつを殺せば、その事実は変わらない。
「まあ、そう怖い顔をしないでください。これは、神学の授業ですよ」
構わねえ。
俺は、一歩を奴に踏み出した。
悪忌は、笑った。
ダダこねる餓鬼に困る親みてえな、優しい顔をしやがった。
「なるほど。貴方は、多濡奇さんの事が好きなんですね」
瞬間。
心臓に集めていた血が、舎弟の拘束を振り切った。
顔面に吹きあがる。
俺の顔は、真っ赤っかに噴火した。
耳たぶが熱くて溶けそうだ。
毛穴という毛穴から血が吹き出そうだ。
「違う。好き、とかじゃねえ」
吐き捨てるように、俺は斜め下の床にシセンを下げた。
教壇の端に埃が浮いている。
人気のねえ講義は、部屋もぼろいし、管理もおなざりだ。
おなざりの場所で、俺は、酷く重要な事を告げられている。
誰にもばれねえように、俺はポーカーフェイスを貫いてきた。
そう、俺があいつを好きだとか、誰も知らねえ。
だが、この死体喰いは、俺を見抜いた。
真実を鑑る目、か。死体喰いらしい目だぜ。
「まあ、何でも良いです。これは、神学の授業ですからね」
悪忌は口の端を上げた。
「防人の早羅君、ご存知ですか?」
防人。村で一番偉いばばあの護衛だ。
名誉職ってやつだ。
底辺から見たら雲の上だが、知ってはいる。
「座敷わらしだろう」
俺は答えた。
やつは頷く。
「そうです。彼は私よりも年下ですが、何というか、物凄く不真面目な子供でした」
天才ってやつだろう。
そんなもん、珍しくねえ。
「座敷わらしだからですかね。殺しという物をしたがらないんです。遠目にみると、いつもぼうっとして、眠そうでした。周りの子供たちは、みんな彼を馬鹿にしていましたよ」
多濡奇の顔が浮かんだ。
あいつは、無駄に殺さねえ。
そもそも、手を汚すのは淫崩の豚だ。
あいつは、『怖くて強い』ってだけで、殺しはやらねえ。
周りも知っている。あいつは、自分から襲ってくるやつじゃねえ。
「無害、というのは馬鹿にされるんです。貴方の言葉なら、なめられる、ですね。でもね、隠しきれないんですよ。その強さはね。強者にしか分からない強さという物がある。不真面目で、誰も殺そうとしない早羅君に、本気で挑んだのは、当時の保育所最強の狼男でした」
「最強は早羅だったんじゃねえのか」
悪忌は肩をすくめた。
「蓋を開けてみれば、ですね。誰も狼男の勝利を疑いませんでしたし。あ、誰も、というのは、違うな。狼男は、負けを覚悟していたらしいです。親しい上級戦士たちに、『僕が屠られても、卑怯なかたき討ちとかは止めてくれ。僕の死も穢れてしまう』と漏らしていましたからね」
笑いがこみ上げた。
皮肉な笑いだ。
「なんだそりゃ。殺し合いに卑怯もクソもあるかよ。死にたくなきゃあ、だまし討ちしろよ」
講師はクショウした。
「彼も、慈愛、善、光に溢れた戦士でしたからね。分かるでしょう? 強い者は卑怯になれない。献身を自然とする者は、身を守れない。そこに因果は関係ありません」
……その通りだ。
多濡奇どころか、淫崩も、
専守防衛なんて下らねえ美学にトラワレている。
悪忌は、机から腰を上げた。
「さあ、神学の問題です。聖なる強者、邪悪なる弱者、どちらが強いのでしょう? キリストが聖者の代表なら、何故彼は磔にされたのでしょうか?」
死体喰いは、しゃきっとしたスーツの両手を広げた。
指揮者。
いや、この場合は、キリストだ。
キリストの磔。
神の子の十字架。
神の子? 下らねえ。神って奴がそもそも下らねえ。
善とか、美、とか、慈愛とか、下らねえし、俺には縁のねえもんだ。
……違う。
多濡奇は、善で出来ている。
あいつは、この糞だめな世界で、唯一の、善で、美だ。
美しい、慈愛は、俺を溶かす。
俺が、命をかけて、守りたいものだ。
むしろ、俺はやつのために死ねたら、無常の幸福に眠れるだろう。
「あんたはイジワルだ」
俺は顔を歪めた。
「村人ですし、屍鬼の子孫ですからね。否定はしません。で、答えは」
「本当に強いのは、邪悪なる強者だ。次に邪悪なる弱者。その次が、聖なる強者、最後が、聖なる弱者だ」
講師はマンゾクゲに、頷いた。
「その通りです。奈崩君。貴方は察しが良い」
下らねえ。
くそ、下らねえ。
こいつの話は真実だ。
何が神学の授業だ。
こんな物は、……。
聴いて良かった。
この人喰い野郎が、こういう事を言うのは、あれだ。
伝えるべきことがある。
だから、俺にはなしているんだ。
こいつが俺に話しているのは、多濡奇が死ぬってことだ。
それを、回避できるのか?
だろう?
じゃねえと、わざわざ話さねえ。
「もったぶんじゃねえよ」
俺は吐き捨てた。
人喰いは首を傾げる。
「……もったいぶんじゃねえっ!!!!!」
俺は怒鳴った。
殺気を含んだ菌も吐いた。
それは空中を伝わり、死体喰いに届き、奴は鼻から血を流した。
そして、楽しそうに笑った。
「落とせばいいんですよ」
意味が分からない。
死体喰いは、もう一度、囁くように言った。
「多濡奇さんを、堕とせばいいのです。邪悪なる強者に、変えればいいのですよ」
その声は、悪魔みたいなヒビキで、俺の存在、細胞のスベテに反響した。




