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別の絶望

 多濡奇は、そう、とだけ返事をした。

 穢れとか汚れとか濁りと、全く縁のねえマナザシを、手元に戻す。

 柔らかい手でシャツの布をつかみ、破れを縫う。

 こいつが縫ってるってだけで、赤いだけでなんでもねえシャツが、トクベツな光をオビル気がする。

 この部屋も、俺の部屋じゃねえみたいだ。

 奴は何も言わない。

 俺は、こいつが憎い。

 けれど、舎弟に命令する。

 

 こいつを攻撃するんじゃねえ。


 そうだ。

 今は攻撃したって仕方ねえ。

 やるなら、もっと俺が力をつけてからだ。

 そう、必要なのは力だ。


 多濡奇は裁縫を続ける。

 奴は何も言わない。

 ……何も言わない、のか?

 

 言ったら無視してやるのに、言わない、のか?


 そこでやはり俺は俺を殺したくなった。

 俺は、こいつに、言葉を求めている。

 強者の気まぐれにせよ、こいつは俺の命を救ってくれた。

 手当してくれた。

 今は服すら縫ってくれている。

 

 俺はこいつが憎い。

 が、同じ部屋にいることに、正直幸福を感じる。

 そうだ。

 幸福だ。

 それでいいじゃねえか。

 何を求めている? 俺は何も求めない奴だった。それが俺の誇りだった。

 弱くても戦う。

 誰にも媚びねえ。

 

 ……だから、媚びたいわけじゃねえんだ。


 ただ、……話しがしたい。

 沈黙が、多濡奇といる時間が、またまた俺の中の何かを溶かしやがった。


 だが、そう、だが一度くらいなら、俺から話しかけてやっても、いいんじゃねえか。

 潰す、は言い過ぎだった。

 とかよ。

 今晩助けて貰った恩だ、お前は殺さないでやる、安心しろ、とかよお。


 俺は口を開きかけた。

 平然というべきだから、舎弟に心音は抑えさせる。

 抑えておかなければ、俺の心臓は爆発するだろう。

 保育士以外、俺から誰かに話しかけるなんて、なかったからだ。


 俺は、開きかけた口を一度とじて、軽く息をすった。

 それから、決意して、口を開こうとした時だ。


 奴は立ち上がった。

 足元にあったタライを机の上に移して、ペットボトルの水をそそぎ、布を浸して絞る。

 俺の方にきた。

 そして、有無を言わさず、俺の服を脱がしやがった!

 

 こいつ!

 天使みたいな顔して、大胆にも程があるだろっ……!


 舎弟に抑えさせなかったら、俺の顔面は発火していただろう。

 だが、舎弟のおかげで、なんとか堪えれた。


 奴は、布で俺の体を、柔らかい手つきで拭き始めた。

 抵抗? 突き飛ばし? 

 出来るわけねえだろ?

 俺は必死だった。

 

 くそ。思い出すだけで忌々しい。

 そうだ。俺は発情していたんだ。

 俺の、ものは、固くなろうとしていた。

 玉の奥から、何かがもぞもぞと昇ってきて、それに力が集まってきた。

 そうだ。()とうとしていたんだ。

 甲子園決勝の応援団の旗なんかよりひでえ勢いで、物凄く()とうとしていた。

 暴れる心臓の比じゃねえ。

 これは男にしか分かんねえだろう。

 

 正直、俺は死ぬかとおもった。

 この天使野郎、何度俺を殺せば気が済むんだ?


 絶望的な気持ちで、恥ずかしく思ってる俺の事なんか気にしないで、多濡奇は俺に絆創膏をはり、包帯やらなんやらを巻いてくれた。


 俺が、傷に痛くなんないよう、すっげえ丁寧に、真剣に、巻いてくれたぜ。

 こいつは、そうだ。

 人に尽くすのが好きな女なんだな。


 やつはそれから、俺の瞳を、じっと覗き込んだ。

 すっげえ穏やかな顔だ。

 くそ、だからよお、俺を幸福にするのは、やめろ!


「まず、体を治して、ね」

 と言って多濡奇は、でこを、ぺしっ、と叩いてきた。

 痛くなかった。

 良く分からない、嬉しさを感じた。

 その手が、やつの声に、親しみがあったからだ。


 それからやつは立ち上がり、お邪魔しました、と柔らかく言って、行っちまった。


 俺はほっとした。

 それから、一呼吸おいて、顔面が火を噴いた。

 体内で心臓が爆発した。

 ものが硬く勃って、拷問みてえに痛くて、俺は悶えた。

 

 辛い、とか、嬉しい、とか、「潰してやる」ってひでえ言葉に返事くれた嬉しさとか、どうせなら、もっと仲良くなれそうな言葉を言えば良かった、くそ、とか。

 ごちゃ混ぜすぎて、俺はもう訳が分かんねえまま、眠れなかった。


 けど。

 そうだなあ。

 幸せだったぜ。

 あの晩が、俺の人生を決める位、幸せ過ぎたから、俺は今の俺を、受け入れる事ができる。



 翌日俺は、普通に講義に向った。ナイフ野郎に刻まれた右のアキレス腱が、まだ回復してなかったけどな。

 問題はねえ。

 問題は、もっと違うことだ。俺は相変わらず、混乱していたんだ。


 多濡奇にどんな顔すりゃあいいのか、わかんねえ。

 

 遠目に多濡奇を見つけた。

 心臓が跳ねかけたが、舎弟に抑えさせる。

 ポーカーフェイスを決め込む。


 そうだ、な。

 あいつが、こっちに来てよお、調子を訊いてきたら、答えてやってもいい。

 礼もしよう。

 赤のシャツが好きなら、やってもいい。

 ライオンのポスターがすきなら、やる。


 俺は色々な事を考えていたが、やつは淫崩(みだれ)の豚どもとと合流して、講堂に入っっちまった。

 落胆?

 したぜ。

 がっかり?

 ああ、そうだ。だが、当たり前だろう?

 あいつを守るのは俺じゃねえ。弱い俺が悪いんだ。あいつにはあいつのセカイがある。

 昨日の晩は、キセキみたいなもんだ。


 そう、俺には、このくそみてえなセカイが似合ってる。


 ……と、整理をつけられたら、なあ。

 

 楽だったんだが。

 

 講義が終わって、別の講堂への移動中だ。

 俺は、多濡奇たちとすれ違う。

 舎弟には命令済だ。


 ポーカーフェイスも決め込む。

 あとは、そうだな。

 昨日の事もある。そうだ。

「おう」とか挨拶して、「世話なったな」

 とか言えばいいんだ。


 あいつは、笑ってくれるだろう。

 けれど、言えなかった。

 俺は、話しかけるとか、できる男じゃなかった。


 くそ。

 

 これは、このくそったれな保育所で生き残るより、ムズカシイ壁だ。

 

 くそ。


 俺は落ち込んだ。


 


 それで、話しは終わるとこの時は思ったんだ。

 たまたまやつは俺を助けた。


 けれど、それだけだ。

 殺しあうやつらは強くなっている。

 がむしゃらじゃあ通じねえ。


 どのみち殺される。

 まあ、保育所ってのはそういうクソダメだ。

 

 けど、違った。


 多濡奇は、俺を助けるようになった。

 

 俺が瀕死の時に限って、寝ぼけマナコで、通路を歩いてきやがるんだ。

 そして、戦闘を止める。歌で脅す。

 それから手当てしてくる。


 俺は何か言いたい。

 いつも悪いな、とか。

 色々、いえることはあるんだ。

 ライオンは好きか、とか。動物はすきか、とか。

 赤好きなのか、とか。

 わっかんねえけどよお。色々言えたはずだ。


 けど、言えなかった。

 弱いからだろう。がむしゃらを止めて、強くなれば、あいつともちゃんと話せるはずだ、と

俺は思った。


 だから、保育士たちに頼んで、『俺に相応な』菌のアンプルを貰って、取り込もうとした。

 慣れねえ菌で、症状も酷くて、死にかけた。


 けど、ヨーグルトをくわねえと、本当に死ぬ。

 食堂に這って行こうとしたら、部屋のドアの前に、トレーが置いてあるじゃねえか。

 ヨーグルトと生理食塩水。

 こんな事するやつは、1人しかいねえ。


 そうだ。

 多濡奇だ。

 俺はあまりのことに立ち上がり、衝動的にトレーを蹴りかけた。

 なんで、そんなに、優しくする? 俺はお前に、何もしてやれねえ!

 こんなのは、逆に残酷だ!!!!!


 けど、やっぱ嬉しかった。

 俺みたいなクソと違って、あいつは優しさでできているんだろう。


 じゃあ、俺ができることは、一つだ。

 ちゃんと強くなって、堂々と、話すことだ。

 そう、話せたらいいんだ。

 それで、幸福なんだ。


 ……と、思っていた時期が、俺にもあったんだがな。

 実は、このセカイはそんなに甘くないらしい。


 きっかけは、講師の言葉だった。


「多濡奇さん、でしたっけ。セイレーンの子孫の女の子。あの子は死にますね。すぐに、あっさり死ぬでしょう」


 俺は、この言葉の意味が、分からなく、わからなすぎて、講師の奴に飛び掛った。

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