ありえねえキス
多濡奇ってガキは、淫崩って豚と仲良くなった。
隔離棟から移ってきてすぐにだ。
豚野郎は、ひだる神だからな。
ひだる神の因果はそんじょそこらのシロモノとは違う。
菌を使うからな。キタネエ、とか、バッチいとか、全員思ってやがるんだ。
妖怪とか神の子孫だっつったってよお、中身はどいつもこいつもタダの餓鬼だ。
けど、なんだろうな。
多濡奇の奴は、淫崩と仲良くなった。
あいつは気味悪い歌で、保育士を何人もぶっ殺したヤツだ。
肝の据わり方が違うのか、わかんねえ。
全然わかんねえけどよお、あいつはこんな、糞みたいな糞溜まりの中にいる事なんか気にしねえ。
やべえ菌舎弟にして、まき散らす淫崩の横でよお、鼻血たらしながら、ゲロはきながら、へらへら
笑ってやがる。
俺はヤツの笑顔が我慢ならなかった。
ゲロはくやつは、もっと惨めな、媚びるような顔をするんだ。
俺が吐かせたやつはみんなそうだ。
けどよお、あいつは。
どんな顔をしても、綺麗なんだ。
あいつだけ、色彩ってのがあるんだ。
俺は、赤と灰色だけしか感じねえ。
そして、血でも、夕日でも、トマトでも、ああ、赤だな、と思う。
それだけだ。
戦闘の痛みも、俺から流れる血も、ああ、そうだな、と思うだけなんだ。
けどよお。
あいつには、そう思えねえ。
胸が抉られる。
魂を掴まれる。そして、許せねえんだ。
あいつが吐血したり、げろ吐くのも許せねえ。豚野郎をぶっ殺してえ。
だが、俺はかなわねえ。
惨めだ。
誰のせいだ? 多濡奇だ。あいつが悪いんだ。
何もかも、俺は許せねえ。
そして、何よりも許せねえのが……。
6歳の時に、あいつを初めて見てから。
淫崩の豚野郎とつるむようになるんのを見てから。
へらへら笑うのを見るようになってから。
俺は、ほとんどといっていいほど、毎晩、夢を見るようになった。
夢では、俺はあいつとつるんでいる。
あいつを守って戦っている。
あいつの隣にいるのは、淫崩じゃない。俺だ。
あいつが笑いかけるのは、淫崩じゃない。俺だ。
それが当たり前だ。
ずっとそうだったし、これからも、そうなんだ。
世界は輝いている。
赤に、灰色、に、黄金に、そして、多濡奇だ。
俺には感情がある。意志がある。
夢では、俺はあいつに笑いかける。
それだけでいい。それが俺のあるべき姿なんだ。
そうだ。
それが俺の幸福なんだ。
……なんて夢を、俺は毎晩見た。
ひでえ夢だ。くだらねえ。
俺は俺を殺したくなった。
取り込み損ねた舎弟が暴れてんのかって思ってよお、保健室行ったら、何とも無かった。
こんなくだらねえ夢を、毎晩見せられるとか、どういう拷問だ?
毎朝、灰色の世界で、俺は俺を許せなくて、歯噛みをする。
そうだ。
俺は弱い俺を許せないんだ。
なら、強くなればいい。
俺は努力した。
細菌学の本を保育士たちに頼み込んだ。
危ねえ菌だって取り込もうとした。
が、無理だ。苦しむだけで、何も生まれねえ。
舎弟になったのは、食中毒の細菌だけだ。
いじくって、いじくりまわして、こいつをやっと、吐血と嘔吐に使えるようになったのは、
俺が10歳になった頃だった。
でもよお、その頃は他の奴らも強くなってやがんだ。
もう何回も、底辺で殺しあっている。
何回もやり合うとよお、免疫ができちまう。
俺の手が効かねえ。
あれは、そうだなあ。
春頃か。
刀使いの餓鬼と戦ったんだ。
奴とやるのは四回目だった。
真っ直ぐに刀を振りかぶったと思ったら、一気に距離を詰めてきた。
息がかかる間合い、舎弟で悶絶させられる、間合いだ。
が、奴は薄く笑っただけだった。
振り下ろしを半身でかわす。
俺は左手で、刀の柄を掴んで、右手で奴の顎を殴った。
わき腹が熱い。
奴の脇差が、俺の脇にめり込んでいた。
俺は血を吐く。
「ふん。斑転の菌も大した事無いな。慣れれば花粉症の方が余程辛い」
目が、そう言ってやがった。
俺は奴の喉に噛み付いて、そのまま、喉ごと噛み千切った。
こんな感じだ。
ヨーグルトがありゃあ、大抵の傷が回復する。
だから、特攻するしかねえ。
手で押さえ込んで、歯で噛み千切るしかねえんだ。
舎弟は全員使いもんにならなくなっていた。
効かねえんだ。ならしょうがねえ。
弱くても舎弟がゴミでも俺は戦う。
それが俺の誇りだからだ。
……それで、夏までは保った。
底辺の間では俺は狂犬と言われていた。
噛み付きで仕留めるからな。
だがそれも限界がきていた。
ある晩の事だ。
満月が赤くて俺は、ああ、赤だな、て思ったんだ。
木暴ってナイフ野郎が、俺を襲ってきた。
奴は、俺に捕まらないように、血を浴びないように、俺を刻みつづけた。
痛いとかじゃねえ。
体の筋が熱く切られていく。
力が血と一緒に抜けていくんだ。
俺は、すとん、と尻もちをついて通路の壁にもたれた。
力のはいらねえ腕を床にたらし、奴を見上げる。
木暴の野郎は楽しそうだった。
犬をなぶる餓鬼みてえなつらしやがってた。
奴はナイフを振りかぶった。
満月を反射するナイフは、俺の血に染まってて、ああ、赤だな、って思ったんだ。
「通りたいんだけど」
て、綺麗な声がした。
通路のくそったれな闇を、月光を、透くみてえな、透明な声だ。
俺は心臓を抑えつけた。
役にたたねえ舎弟でも、変な命令は聞くんだ。
心臓は跳ねない。
舎弟に押さえ込ませる。
動揺なんてしてやらねえ。
俺はお前なんか見ねえ。
戦って戦って戦い抜いて、噛んで噛んで噛んで、惨めに汚く生きてきた。
この俺が、最期に見るのが、
お前で嬉しい、なんて、思うのが、どれだけ屈辱か、へらへらしたお前には、分かんねえだろう。
多濡奇。
お前は知らない。これは、俺の抵抗だ。
つかよお。もう、動けねえ。
木暴、さっさとやりやがれ。
止まってんじゃねえよ。
だが奴は、振りかぶったままで、壊れたばね仕掛けの玩具みてえに、止まりやがった。
多濡奇はもう一度、通りたいんだけど、と言いやがった。
「多濡奇…分かる、よな?い…」
「わたしはトイレに行きたいの。おしっこ我慢してたら、歌っちゃうから」
淡々と言いやがる。
そうだよな。お前は強い。だから、底辺同士の殺し合いに、こんな簡単に入ってこれる。
知ってるぜ。
お前は、俺も木暴も、全員虫けら以下だと思っているんだろう。
「……聴きたいの? わたしの歌」
平然と、多濡奇は言いやがった。
それはつまり、俺も木暴も殺すってことだ。
この時の気持ちを、俺は上手く言えねえ。
聴きたい、と思ったんだ。
俺は、多濡奇の歌を聴きたい。
誰もが恐れ、忌み嫌う、こいつの歌を聴いてやりたい。
こいつが、歌を我慢しているのは知っている。
だから、聴いてやりたい。どうせ糞とかわらねえ命だ。
俺ぐらいは、お前の歌を聴いてやりたい。
そうだ。それでいいんだ。
その感情は、とんでもなく甘くて、逆に戸惑った。
せんずりを初めてかく餓鬼がよお、気持ちよすぎて怖くなるだろ?
あれみたいなもんだ。
俺は、びっくりしたぜ。世界が灰色と赤しかねえ、そんな俺が、こんなロマンティックなことを
考えている。
まあ、ロマンティックに死ぬのも悪くはねえ。
そう思って笑いかけたら、木暴君の野郎は逃げやがった。
馬鹿野郎。根性がねえな。
と、思ったら、花が咲いた。
いや、錯覚だが、花が舞ったのか。
わかんねえ。
ただ、そう思ったんだ。
多濡奇が、俺の横にしゃがみ込んできやがった。
顔が近い。
こいつ、おしろいでもしてんのか? むずむずするくらい、俺の中の何かがとろけるんだ。
くらくらする。
こいつ、歌以外にも因果があるのか?
だが、何故ほっといても死ぬ俺を、攻撃する?
そう、俺は死ぬんだ。血を流し過ぎた。
「大丈夫?」
奴は訊いてきやがった。
なんだ? 哀れみか? 違う。哀れみの声じゃない。純粋で、冷静な、天使みてえな、心配。
なんだっつんだ。
くそ。畜生。くそ。俺は、今、心配なんかされて、嬉しいのか? ふざけんなっ!
俺の目を覗き込んでくる多濡奇から、視線を逸らす。
ああ、告白するぜ。本当は、永遠に見ていたかった。
すっげえ、信じらんねえくらい、綺麗な黒い瞳だった。
声と同じくらい、混じりけのねえ、純粋な目だった。
多濡奇は立ち上がって、どっかにあるいてった。
返事をしねえ俺に呆れたんだろうな。
違う、やつには俺なんか、関係ねえ。
そうだ。
そういうもんだ。
だが、俺はそれで良かった。
もう死ぬ。
最期に、あんな甘い感情にびっくりした。
多濡奇がしゃがんできたとき、花が舞った。
あいつは、このくっそくだらねえ世界の、花みてえなもんだ。
それが分かった。やっと認めれる。
俺は、あいつが好きなんだ。
寒い。視界が黒くかすむ。
もう、何も見えねえ。
もう、終わり……だ……。
脇が柔らかいものを感じた。
背が、温かさを感じた。
なんだ?
何が起こっている?
服が、ゆるまる。楽になる。
なんだ? 誰かが、俺を手当てしているのか?
俺の唇に、柔らかい、何かが当たった。
それから、暖かく、しょっぱいもの、慣れたあれだ。
ヨーグルト、食塩水。
口が、飲み込む。
回復の因果が発動する。
視界も。
視界。
目の前。
多濡奇が、俺にキスをしていた。
俺に、回復薬を、流し込んでいた。
こいつの口にあったものが、唾液が、俺に入ってきた。
ありえねえ。
ありえねえ事が、起こっている。
ありえねえ、キスだった。




