イヤホン
カンテラの光の端に黒いネズミが一匹現れて、闇の向こうに駆け出した。
下水道の臭いがキツくなった気がしたが、これはオレの勘違いだ。
防毒マスクは臭気を防がないが、臭いっつうのは、視覚的なもんだ。
一匹ネズミが通った位でどうこうなる話じゃない。
チューブみてえにひたすら伸びる空間を、オレとミゲルはひたすら進んでいる。
マルク・エスタッソの野郎のとこからくすねてきた安全メットに、電灯をつけて、視界は確保している。
オレらが進むチューブを輪切りにすると、直径5mの円になる。
この3分1は、流れの止まった下水に埋まっている。
運が良いのは、メンテナンス用の歩行通路があったことだ。
無ければミゲルに肩車でも頼まねえといけねえところだったぜ。
「よくこんな路を知っていたな」
「まあ、な。お役所の記録は大体頭に入っているかんな。下手な担当よりは色々知っている」
ミゲルの口調は賞賛を通り越して、呆れが入っていたが、俺は気にしねえ。
案件で生き残るのに、『知っといて損な事』は無い。
『知っときゃ良かった事』だらけでうんざりするより、遥かにましだ。
「まあ、あんたらしいよ。で、そろそろ出口か? それとも、俺があんたを肩車か?」
ミゲルの視線は先を向いていた。
歩行通路は行き止りだ。
波止場みてえになってやがる。
これがRPGとかなら、イカの化けもんでも出てきそうな雰囲気だが、もちろんそんな事はない。
「出口だな」
と言って、オレは後ろを振り返った。
闇の臭いが水の上に満ちている。
臭いは、野菜の屑、腐った肉、魚、有機洗剤、しょんべんや糞その他がごちゃ混ぜにドロドロになったもんだ。
が、臭いだけだ。
ヒトの気配はねえ。足音もしねえ。
つまり、オレ達はきっちりあいつらを全滅させたって事だ。
……30分前まで、オレとミゲルは、マルク・エスタッソのマンションで、十三聖教会と、くっそつまんねえ追いかけっこをしていた。
可燃性ガスを流し込まれ、火器は封じられた。
しかもこのガスは吸ったらやばい奴だ。
ガスマスクは、オレの分しか手持ちが無かったが、エスタッソんとこで調達できた。
これはかなりラッキーだな。
まあ、案件で、こういう戦闘はわりかしよくある。
信者どもはフロアを1階ずつ、ガスで満たしながら上がって来た。
満たしたら、死体の山の出来上がりだ。
こうなると、人間もゴキブリも変わんねえ。
煙で炊き上げられる。
女も子供も老人も父親も母親も、全員殺されていく。
胸糞悪いが、何度でも言う。
これは村人なら出くわす物事だ。
しかも、それなりに合理的なやり口だったりする。
ガス相手に生きてる奴がいれば、そいつはあいつらの『脅威』だ。
この場合は、可燃性ガスでフロアを丸焼きする。
耐火スーツにすっぽり身を包んだ信者が、隠れたとこから生き残りを蜂の巣だ。
ここまでの手口は読めた。
良いプランだ。
オレのコートは耐火仕様だし、敵が10人でも、がちの体術勝負なら負けねえ。
ナイフ相手なら楽勝だ。
敬虔なる集団に狩られても狩り返す自信はある。
それ位の技量はある。
だが、それだとミゲルは絶対に死ぬ。
こいつは見殺しにするには惜しい男だ。
それに俺も、頭に弾が当たれば殺られちまうからな。
フードは防弾だが、弾の衝撃で、脳はバニラシェイクになっちまう。
まあでも、銃とかは殺気で分かる。近づかなきゃいいんだ。
ブービートラップだって、設置ポイントはお見通しだ。
問題は羽根野郎だ。
こいつがいつどこから襲ってくるか分からねえ。
近接でやり合ってる時に、突っ込まれたらアウトだ。
そういう訳で、オレ達はマンションをひたすら逃げ回った。
回りながら、プラスチック爆弾をセットする。
遠隔操作で起爆するタイプだ。
オレは爆弾魔だかんな。
ただ逃げ回るってのは、性に合わねえ。
で、マンションを地下まで逃げる。
あいつらが初っ端に、電源を切ってくれたのがラッキーだった。
監視カメラとか、気を使わなくですんだからな。
こういう閉鎖空間は、くたばっちまった早羅さんが達人だって聞いてたけどな。
九虚でもいい。あいつは気配を読む達人だ。
不死身の治癒能力者。
「気」の使い手で、技量は村でも指折りだ。
あれで、メンタルがタフならなあ。
全く、仕方ねえヤツだ。だが悪いヤツじゃない。
地下に逃げ込むまで、戦闘は完璧に回避できた。
遠目に信者を認める度に、引き返して、部屋に押し入り、家主の遺体に挨拶をしてバスルームに向かう。
で、床を砕いて、下に向かう。
バスルームは配管がたくさん通っているから、床が薄い。
そんなこんなで、1階まで降りた。だがここから出るのは馬鹿野郎だ。
まだ羽根野郎は来てねえ。
敬虔な野郎共はここで潰しておく必要がある。
羽根野郎の目もひかなきゃな、九虚を行かせた意味がなくなる。
オレはダクトの入り口を破壊して地下に降りた。
早速、穴っぽこからかなり離れてから、仕掛けた爆薬を全部起爆させる。
この爆破は、『フロアを爆破する』んじゃない。
『フロアを支える東西南北各4柱、合計16柱を爆破する』ためのものだ。
崩落したフロア全体が、下にのしかかり、のしかかられた下は崩れる。
ドミノを縦にしたみてえに、上から順ぐり崩れていく。
敬虔なヤツらが何人いようが、罪のねえ犠牲者が何人いようが、崩落は止まらねえ。
その崩落は、ひでえ音になって、地下の水道まで届いた。
それがどんどんでかくなっていく。
最後は、雷太鼓を千個集めて一斉に鳴らしたみてえな、もの凄え音になった。
それから、粉塵が爆風とか爆煙みてえに水道を駆けていく。
オレとミゲルは両腕で顔をかばった。
ガスマスクで顔は守られているが、念のためってやつだな。
爆風が止むと、地下も下水部分、オレとミゲルの10m先も、埋まっちまってた。
用心して離れてて良かったと心から思ったぜ。
建築工学的には、地下までは崩れねえ造りのはずだったが、工事が手抜きだったからだろうな。
まあ、こういうのは、どこの国も変わんねえ。
そもそも爆破なんて考えてねえからなあ。
羽根野郎がマンションにいたのかどうかは分からねえ。
こっちに来るかどうかは、九虚と分かれた時点では、半々だったからだ。
できれば来てて欲しかったと思う。
崩壊に巻き込まれて、死なないまでも、深いダメージを負って、しばらく行動不能になってくれりゃあ、万々歳だ。
が、敵さんもそこまで甘くないだろう。
一番あり得るのは、……爆破、崩落を耐えて、この地下を追ってくる。
まあ、こうなる場合、オレの取るべき行動は単純だ。
自爆。
体内のナノ爆弾を一気に起爆させりゃあ、この地下水道だって、崩落させられる。
ミゲルには悪いが、背に腹ってヤツだ。
もちろん、さっきの爆破を生き延びて追ってくるような奴なら、それは致命傷にはならない。
だが、九虚の時間稼ぎにはなるだろう。
そんな事を考えながら、オレはミゲルの先を歩き続けた。
結局羽根野郎は来なかった。
オレは波止場の上の梯子にジャンプして、足と手をかける。
ミゲルも引き上げて、そのまま地上に出た。
地上と地下を塞ぐ蓋はって? もちろん爆破したぜ。ガスがたまってないのは確認済だ。
出た先は、水道局近くの、公園だった。
中々でかいし、設備も揃っている。
前もって頭ん中に入れといた地図通りで、ちっとばかしほっとするが、慌てて、羽根野郎の襲撃を警戒する。
慌てるってのは駄目だな。オレも緊張してるってことだ。
落ち着くには、オリーブオイルなんだが、飲みきっちまった。
残念だ。
で、手洗い場で、色々流し、マスクを外して、ミゲルとベンチに座る。
一息つく。
空を見上げたら、めっちゃ青い。
どこか日本とは違う、青さだ。
そりゃそうだ。空は空気で出来ている。
この空は、荷揚げされるタコやスズキ、タパスに石作りの街並み、地中海の風、そんな色々で出来ているってわけだ。我ながら感傷的な思考だ。こういうのは九虚の方が似合う。
……ここなら、電波も通るな、と思って、コートのポケットから、イヤホンをつまみ出す。
「何を聴いているんだ?」
「盗聴だよ」
首を傾げるミゲルに顔を向ける代わりに、オレは瞼を落とした。
聴覚に集中するためだ。
「九虚のコートにつけておいたんだよ。さっき分かれる前にな」
「なるほど」
ミゲルは何も言ってこない。
空気の読める、いい男だ。
盗聴器が拾った音に集中する。
オレが通学している、バス・ストップに行ったのか。
ガキどもの声が聴こえる。
ま、カタルーニャ語でも日本語でも、ガキどもの声っつうのは元気なもんだ。
……ホセの息子の祈り。
九虚の声色。
なるほど、ホセはもう、敬虔な奴らに仲間入り、か。
つうことは、他の奴らも教化されてるな。
間違いねえ。
車の音。
運転手と話す声。
移動。
大学。樹を渡る風が大学のものだ。
て、オレ、やってることが、歌野郎だな。まあ仕方がない。
専門の機材があれば、位置情報もモニターに上げれるが、そんなもんは、今はねえ。
ホセとの会話。
馬鹿野郎。緊張を声に出しすぎだ。まあ、九虚だ。仕方がねえ。
移動。
PCの作動音。
閲覧か。
指が止まる。入力。また止まる。
読み込み。いきなりのシャットダウン。
……十三聖教会とコンタクトしたのか。
移動。
学生どもの声。講堂か。
来た。
本命だ。アレクサンデル。
九虚が今、こいつの授業に出てるってことは、こいつなりに当たりをつけたって事だ。
気をつけろよ、九虚。
離れても事実は見えねえが、近づき過ぎると火傷する。大切なのは、距離だ。
アレクサンデルの授業。
……て、この男、堂々と語り始めた。
いや、これはもう、教会のミサだ。神父の説教じゃねえか。
十三使徒のルカ、か。自分で言うとは大したタマだな。
まあ当たり前か。
学生どもは、みんな教化済みだ。
て、『お2人』だと?
盗聴がばれているのか?
いや、九虚に気づいた様子はない。気づいたなら、オレになんか言ってくるはずだ。
今、こいつは孤独と戦っている。
そういう息遣いだ。
立ち上がった。
講堂を出る。距離をおいたか? それは九虚の判断だ。
だが、この足取りは何だ?
明らかに、自分を見失っている。
戦場でパニくって自滅する若造の、足取りで息遣いだ。
『お2人』のもう1人がいたのか。
九虚と、もう1人。羽根野郎か。
つまり、羽根野郎と十三使徒は休戦状態にあるってことか?
九虚は招かれざる客ってことか。
なら、何故休戦する? ルカの口ぶりだと、こいつは羽根野郎を取り込んではいねえ。
羽根野郎の気迫にあてられたか?
……立ち止まる。
呼吸。死にそうな息してやがる。
いや、これはあれだ。因果の呪いだ。
九虚の野郎、因果を誤作動させやがった。
くそ、土壇場の土壇場で。
何とかしてやりてえ。
オレがいれば、担いで逃げれる。
くそ、当てが外れた。
くそ。
声。
聞き覚えがある。
学会。
カルロス・フィッツ・サントス。
ここで学者かよ……! 皮肉だな。
花の在りかを訊いたか。上出来だぜ、九虚。
誰がお前を嫌おうと、オレはお前が嫌いじゃねえ。
お前は一生懸命な、いい奴だからだ。
……もう1人。この声は初めてだ。
太ってえ声だな。南米訛りが入っている。
フラカン? ケツァルクアトル? こいつら、クトゥルフ神話の神か?




