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対話

 僕はホセ・ベルグッソの足元に視点を合わせて、ゆっくりと向き直った。

 目を合わせる事はできない。

 アロッソ少年との会話から、彼が十三聖教会の信徒である事は判明している。ただし、彼が高位聖職者ではない、という確証はまだ取れていないのだ。

 PCで確認するまでは、高位聖職者は、彼かもしれないし、彼ではない誰かかもしれない。分かっているのは、この大学が、十三聖教会の巣になっていること、それだけだ。


「おはよう、ホセ」

 僕は口の端をあげた。

 ホセの頑健な顎元、その上のやや厚い唇の端が上がった。

 微笑み。

 彼は、カサ・ミラの方の空を見上げた。


「続いてるね、サイレン」

「ああ、テロかな。最近物騒だから」

「嫌になるね。あ、九朗」

 ホセの堂々とした胸元が、こちらを向いた。

 茶のハーフジャケットが光沢を帯びる。

 秋のバルセロナの若い男たちに愛用されているタイプだ。

 変哲もない。が、ポケットから何が飛び出してくるか、分からない。

 彼は信者なのだ。気配で先を読む事ができないのは、分かった。

 つまり、何を考え、何をするにしても、『覚悟や興奮』を必要としない人種なのだ。


「何だい?」

「分子生物学、第1講義は出るのかい? 出るなら、このまま一緒に行かないか?」

 ホセの申し出に、僕はかぶりを振った。


「いや、パスしとくよ。レポート作成に手間取ってね。出席ポイントを犠牲にして、書き上げるつもり

さ。今日の講義は2講目から出る予定だ」

「ああ、アレクサンデル教授の、かい」

「そうだ」

 僕の肯定に、ホセの口元が、喜色に崩れた。


「彼の講義はお勧めだよ。本当にクールなんだ。九朗は今日が初めてなんだよね。受けるの」

「ああ。……さて、レポートと格闘しないと」

「ああ、引き止めた。九朗、許してくれ」

「いや、気にしないでくれ。レポートが行き詰まってたからね、僕も良い気分転換になった」


 僕らは学び舎まで連れ立って、エントランスで別れた。


 この間に、色々な疑問が僕の脳内を巡る。

 何故、十三聖教会はホセを含む学生たちを『肉の盾』にしない?

 何故、『肉の盾』を昨日から求めた? 十三聖教会は、どこまで壊滅している? 

 羽根の人はどこでどういう風に彼らを襲った? 

 先輩の推測が正しいのなら、ホセたちだってかり出されているはずだ。学生だから、という尊重、容赦をする組織ではない。

 何か、とても根本的な事を、僕と先輩は取り違えている。

 そんな気がする。


 ……悶々としながら、僕は大学第2図書室にたどり着いた。

 昨日は大学図書館。今朝は第2図書室。

 念のため、同じPCの使用は避けておく。

 バックドアは先輩が完成させた。後はどこからでも、見れる。

 今朝の襲撃、今も続いているマンションでの戦闘でも分かるとおり、彼らも殺気だっている。

 できるだけ刺激を与える事は避けたい。


 僕はPCの前に座り、ネットの閲覧をクリック。

 ホームページを開く。


 学部の紹介。

 在任教授一覧。

 各教授の来歴、研究実績とページを進んでいく。

 

 カルロス・フィッツ・サントス(35才)

 バルセロナ大学遺伝子工学部教授。

 ベネズエラ出身。

 

 1969年 出生。

 1989年 バルセロナ大学の生命工学部に留学。

 1996年 大学院生として発表した、『トウモロコシのゲノム解析における数理論的アプローチ』が、学会の脚光を浴び、ネイチャーに載り、同年より、同学部の助教授として採用される。

 1998年 同大学に新設された、遺伝子工学部の新任教授となる。

 2002年 ブルガリア国立大学に客員教授として赴任。同大学のフィルカス教授とゲノム解析酵素について共同研究を行う。


 ……変わっていない?

 やはり、変わっていない。

 先輩は今朝、ここの管理ページに侵入して、


 2002年 ブルガリア国立大学に客員教授として赴任。同大学のフィルカス教授、『サンクトペテルブルク大学のアレクサンデル教授と共に』ゲノム解析酵素について共同研究を行う。


 と書き換えたはずだ。

 この短時間での修正はありえない。

 大学は、そんな、柔軟な組織ではない。しかも、現在は休職中の教授の来歴だ。

 更新の記録も無い。

 先輩は書き換え、更新の記録を残した。

 その記録ごと消されている。

 つまり、最新更新月が今年の5月に戻されていた。

 

 ……僕は、舌の付け根から湧いて来る唾を呑み込む。


 先輩は大学の資料を読み漁っていた。

 そして、あたりをつけた。

 

 十三聖教会が嫌がる情報。

 公表を好まない事実の公開。

 ウクライナで、分子生物学者のアレクサンデル教授と、カルロス教授が接点を持っていた。

 それが、好まない情報なのか?

 どういう事だ?


 浮き上がるのは、つまり可能性として濃厚なのは、今日の第2講義を担当する、彼、アレクサンデル教授が、高位聖職者だという事だ。

 彼は、ウクライナで、カルロス教授と『何か』をしていた。それは、教会が公にされたくない『何か』だった。


 僕はここまで考えて、空調にうるささを感じた。

 もう少し静かにして欲しい。

 自然の気を人工の気に変える。

 僕はこの気が好きではない。コンマ何秒単位の違いだけど、人工空間と自然空間なら、狐の自動回復も、後者の方が速い。

 窓を開けて、外気を吸いたい。

 でも、この欲求は緊張からの逃避だ。


 僕は次に行うべき操作を躊躇(ためら)っている。

 

 一度、茶色の天井板を見上げて、瞼を閉じた。

 75%の致死率。

 4回のうち3回死ぬ綱渡り。

 今、僕はどこにいるのだろう。

 何がどう分岐しているのだろう。


 僕は瞼を開いて、PCモニターに見入りつつ、バックドアを開く操作をした。

 侵入の形跡を探る。

 僕は痕跡を残さないように、細心の注意を払って、今日までの時間をかけた。

 けれど、『彼』はどうだろうか。

 何らかの手がかりを残していないだろうか。

 その手がかりから、彼らの握る、カルロスの情報にアクセスできないだろうか。


『あなたですか?』


 ログ記録に、唐突に、文字、メッセージが表示された。

 モニターの、電子空間の向こうで、誰かが「あなたですか」と打ち込んでいる。

 PCで侵入の痕跡を探る僕を、誰かが見つけた。

 僕はキーボードを叩く。

 

『キリストは失敗したと思いますか?』


 と返信。

 十三聖教会の教義の核心。

 最も、食いつく話のはずだ。

 

 ……新たなメッセージは現れない。

 その間に、僕は逆探知操作を進める。先輩ほどではないにせよ、PCについての心得は、ある程度はある。

 電子的な彼らの情報を手に入れれたとして、問題は、たどり着いた情報をどう生かすか、だ。

 先輩が生きていたら、渡す必要がある。

 羽根の人に殺されていたら、僕が何とかして、彼らの全てを暴かなければならない。


『はい。ですから私たちが存在しています』

 

 このメッセージの3秒後、モニターがブラックアウトした。

 PCの電源が落ちたのだ。

 再起動を試みるが、出来ない。

 つまり、このPC は破壊された。

 僕が逆探知をしている間に、彼もここを攻撃していた、という事だろう。

 バックドアも破壊されたか、または、アクセスできても、罠が仕掛けられているだろう。

 どういう罠かは分からない。

 けれど、たちの悪い罠である事だけは確かだ。


 僕は、攻撃をしてきた『彼』のアクセス情報を3回復唱した。

 脳裏に刻みつける。

 メモに残しておくことは、危険な気がしたので、控える。


 一呼吸おいて、席を立つ。

 ここのPCが破壊されたという事は、この場所も特定された可能性が高い。

 

 速やかに入り口に向い、警戒を維持しながら、通路をいくつか渡り、休講連絡の掲示板にたどり着く。


 ……アレクサンドル教授の、休講情報は貼り出されていない。

 僕は、掲示板の斜め上、天井付近の壁掛け時計に視線を上げた。


 第2講義の時間が近い。

 もちろん、彼が現れない可能性がある。

 そちらの方が高い。


 先ほどの、モニターの向こうの彼が、アレクサンデル教授であるという確証はない。

 分かっていることは、彼は僕のアクセスを待っていた。

 そして、信仰を表明し、十三聖教会の信徒であることを告げた。


 彼はどこにいるのか。

 アクセス情報を解析しないと分からない。

 もし、教授が現れなかったら、僕は大学の敷地を出て、情報の解析をしよう。

 学生たちは紛れも無い、信徒たちだけど、彼らは核心ではない。

 教会の残滓(ざんし)だ。食べかすと言ってもいい。

 

 

 ……もし、教授が講義に現れたら、それは、何かを意味する。

 その意味は今のところ分からないけれど、僕は、ホセを含む、200人の信徒に囲まれながら、

高位聖職者と対峙することになる。



 ここまで考えて、再び、75%という言葉が脳裏をかすめた。

 何故、先輩はあのマンションで、あんな笑い方をできたのだろう。

 それを訊きたい。

 けど、今はそれを考えるべき時ではない。


 僕は渡り廊下に踵を返し、講堂に向った。

 


 問題なく講堂に到着、そのまま入室する。

 学生たちの醸すポリエステル生地のジャケット、綿のジーンズ、髪の臭い、西欧人独特の体臭、消臭剤、古い机の木の臭い、それらが渾然一体となった生暖かい空気が、僕の鼻孔に侵入する。

 

 いつも以上にきつい。

 多分、僕が敏感になっているのだろう。


 そのまま、窓側、講壇から一番遠くの席に着く。

 空間全体にもつれ絡まりある気配達を確認。

 これらの全部が全部、十三聖教会だと思うと、胃に重たさ、というか、嘔吐感を覚えた。


 ホセが向けてきた視線が、嘔吐感に(うつむ)く僕にふりかかる。

 彼が席をたち、僕の傍に移動しようとする。

 ……丁度その時、アレクサンデル教授が、講壇側から、入室してきた。

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