嘘と真実
僕はアロッソ少年に、『本当の祈り方』を知ったのはいつか、を訊きたかったが、止めた。
先輩を迎えるはずのバスが遠くに見えたし、問い詰めても、この子を困らせるだけだと思ったからだ。
逆十字は秘密の祈りである。十三聖教会は秘密の教会なのだ。
ホセ・ベルクッソは、愛する子にだけ、この祈りを教えて、固く口止めをしたはずだ。
つまり、僕が問い詰めても、彼は混乱するだけだろう。
そして、この混乱をどうこうする時間は、僕には無い。
「引き留めて済まなかった。火蛍が回復したら、皆でバルにでも行って、ご飯を食べよう」
アロッソ少年は、はにかみ笑いをして、
「si (はい)」と言った。
それから彼は、ぺこりと頭を下げて、子供たちの群れに戻る。
群れは学校に向って流れている。
子供たちに紛れて消えて行く少年の後ろ姿を、網膜に刻みつけているうちに、バスが到着した。
運転手に先輩の病欠を告げながら、嘘ばっかりだな、と思った。
火蛍は偽名だし、先輩は入院なんかしていない。
今、生きているかどうかも分からない。
分かっているのは、彼女の戦闘の場所で、大規模な爆発があったという事位だ。
僕は先輩の父親ではないし、逆十字を『本当の祈り方』と信じる十三聖教会の敵だ。
アロッソ少年の父のホセ・ベルグッソには、昨日話しかけられただけだし、バルの誘いだって断っている。
だから、友達ではない。
でも、もしかしたら、友達になれたかも知れない。
……こう思うのが、僕の人の部分なのか、狐なのかは、区別がつかない。
つかないけれど、とても残念に思う。
ホセ・ベルグッソは『教化』されている。
彼を含む、少なくとも200人の大学院生たちが、教化済みなのだ。
全ては手遅れで、僕は何もできなかった。
バルセロナ大学の200人と、その家族が、終わろうとしている。
どういう終わり方かは、十三聖教会次第だ。
南東に歩き、グラム・ビア・デ・レズ・カタラネス (カタルーニャ裁判所前大通り)に出る。
そのまま北東に上がり、あっさりと、バルセロナ大学の校門まで、至ってしまった。
この、至ってしまった、という事に、僕は何故か疲労を覚える。
肩透かしと言えば良いのだろうか。
何らかの襲撃を予測していた。
十三聖教会による狙撃、または羽根の人による襲撃。
どちらも無いとは言い切れなかった。
が、実際は無かった。
彼らは先輩が引き付けていた。
今も、戦闘は続いているのだろうか。
カサ・ミラの方角から、サイレンは続いている。
僕は門と通りの境に立ち止まって、構内を見渡した。
中世の城のような、煉瓦作りの学び舎の白が、バルセロナの空を背負っている。
空は透けるような青だ。
晴れ渡る秋の空。冬の予感を孕みつつも、潮風を透かす陽は温かい。
学び舎を囲う梢は、紅葉に彩られている。
学生たちの流れ。
その密度は低く、ほとんどが連れだって歩いている。
方向はもちろん、講堂だ。
平和な景色だと思う。
皆、歩き方に気負いがない。
サイレンにほんのわずかのざわめきを、意識の底にたてながらも、所詮は遠くの他人事だ。
朝の眠気、気だるさを含む気配が、彼らの服を透過して、伝わってくる。
……平和だ。
けれど、違うんだ。
全然、平和じゃないんだ。
真実の学び舎は、白亜の『巣』になっている。
しかし、何故気づかなかったんだろう。
講堂で、学生たちの気配をトレースしていたのに。
ああ、そうか。
心理状態は分かっても、主義主張は読めないから、当たり前か。
日本人同士だって、浄土真宗か曹洞宗かなんて、分からない。
だから、スペイン人達が、カソリックか『教化』されたカルト信者かなんて、やっぱり分かりっこない。
いや、分かると思っていた。
異様な興奮と狂気に溢れた人々が、十三聖教会の信者達だと思っていた。
けれど、違った。彼らは恐ろしいほど、普通だった。
それは、気配でも察知できないほどに。
学生達は、ゆっくりと学び舎に流れていく。
ふと、青空が自然さを喪って、洞窟にいるような錯覚を覚えた。
青い天井の下に、白亜の蟻塚がある。
人ではない。蟻だ。人の形をした蟻たちだ。
朝は眠たげで、ホットチョコにチュロで済ましたりする。
ナイキのスニーカーを履き、ブルーのジーンズに黒のタートルネック、それに赤のジャケットという出で立ちだったりする。
外見も行動もヒトと変わらない、蟻だ。
それが真実だ。
そして、僕は蟻の巣で、何週間もノートをとったりで気を張り巡らしたり、質問に回答して拍手を受けたりしていた。
若い父を救いたいと思った……。
「九朗」
後ろから、声をかけられた。
ホセの声だ。
相変わらず、穏やかな声だった。




