表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/720

ちょっとした優しさ

 マルク・エスタッソの気配は、とても分かりやすい。

 先輩の威圧に、生物学的な恐怖を覚えている。

 具体的に言うと、背中の毛が全て逆立っているし、背を悪寒が走りすぎて、筋肉が痙攣に近い硬直に固まっている。


 僕は、彼の情けない有様(ありさま)に、蛙などの両生類を思い出す。


 彼らは、蠅などの虫たちを、前触れもなく飲み込む。

 が、蛇に睨まれると、固まるのだ。

 彼らを固めるのは、予感である。

 自分が当たり前のようにしてきたことを、される。

 飲み込まれる。

 その予感が、彼らをどうしようもなく、固める。

 それは、石のように。 


 この現象は、ヒトも変わらない。

 特に、マルク・エスタッソのような底の浅い人間は、それが顕著である。

 と、思ってから、ふと疑問を覚えた。


 力なく震える彼のどこが、底が深いのだろうか?

 彼の瞳は潤んでいる。

 先輩に魅了されているようにも見える。

 人間性の深い男が、こんな目をするのだろうか?

 こんな事を思うのは、僕が青二才だからだろうか?


 全然分からない。


 志骸先輩なら分かるのだろうか?


「まあ、大体分かった。そんなに硬くならなくてもいい。……九虚」

「はい」

 先輩は威圧を解いて僕を見た。

 僕は返事をする。


「トルティージャは美味かったか?」

「はい。一生食べたいくらい、美味しかったです」

 素直な感想である。

 先輩は美少女で、爆弾魔で、ルチャリブレを駆使し、料理も絶品なのだ。

 一生食べたいというのは嘘ではない。

 

 けど、先輩は小さく笑った。


「一生は言いすぎだ。まあ、悪い気はしないな」

 深い黒の瞳が、優しく和み、テラスに溢れる朝の光を柔らかく反射する。

 こういう彼女には、誰でも惹き付けられるのではないのだろうか。


 と思ったら、マルク・エスタッソは違った。

 威圧からほどかれて、しばし呆然とし、それからすぐに隣のミゲルを向く。

 

ミゲルはというと、顔面蒼白のマルク・エスタッソの横で、トルティージャの最後の一口を口元に運んでいる。

 その表情には相変わらず、感情という物が無い。

 彼が無感情な分、その横のマルク・エスタッソが激高しているようにも見える。

 蜂蜜色の髪は自由放題、テラスに吹き込む風に乱れて、塊を作り、これが鬼の角のようにも見えなくもない。

 この姿は、中々愛嬌があるというか、意外に微笑ましい。

 外見的にはミゲルよりもよほど、愛嬌のある男である。さもありなん。

 愛嬌というのも才能なのだろうと、僕は何故か感心してしまった。


 けれど、その才能も時と場合によるのだろう。


 マルク・エスタッソの下の額、眼窩、頬、鼻筋、口元、顎の皮膚が、間抜けなほど、斑に紅潮している。

 そして赤の分布は、ネオンランプが点滅するみたいに、次々と位置を変えていく。

 驚愕、憤怒、焦燥、切迫、色々なものが混じり過ぎているのだ。


 マルク・エスタッソは隣のミゲルに凄む。

 上目遣いな白目が血走っている。


「何を考えているんだ?」

「……」

 ミゲルは沈黙をもって応える。

 組織のボスを見ようともしない。

 マルク・エスタッソ眼光はさらに鋭くなる。


「娘がどうなっても良いのか? いつでも殺せるんだぞ?」

「……死んだよ。娘の見張り役ができそうな奴は、皆死んだ。気の荒い奴も、賢いやつも、皆みんな、死んだ」

 ミゲルの口ぶりは、昔話でもするみたいだった。

 彼はエスプレッソを口元に運ぶ。


 隣のマルク・エスタッソから、何かが抜けた感じがした。

 気力とか、気迫とか、魂、そういった、具体的なエネルギーが、彼の細胞一つ一つから、揮発(きはつ)してしまった。そんな錯覚。


 先輩が口を挟む。

「死んだ、てのはちょっと違うな。オレが殺したんだ。ミゲル、お前も見ていただろう?」

「ああ、そうだな」

 ミゲルは頷き、先輩は微笑む。

 

「せっかくだから、教えてやれよ。オレが誰を殺して、誰を『まだ殺していないのか』、こちらの善良な社長さんに、さ」

 善良な社長。

 まあ、人好きしそうな顔をした社長である。

 けれど、善良という言葉は皮肉だな、と思った。

 マルク・エスタッソは数々の悪事を重ねてきただろうし、これからもしていく予定だったのだ。

 けれど、僕らは彼の組織をほぼ壊滅させた。

 それはこちらの都合だけど、彼にとっては天災のような出来事だろう。

 

 ミゲルは、カップのエスプレッソを全て飲み干して、一息つく。

 そして、テーブルに両肘をつき、指を組む。

 そうした一連の後で、彼はおもむろに男達の名前を挙げ始めた。


 アーロン、アベラルド、アブラアン、アダン、アウレリオ、バルドメロ、バシリオ、バウティスタ、ベルトラン、ベネディクト、ベニート、カミロ、カルメロ、カジェタノ、セフェリノ、クリストバル、ダミアン、ダニエル、ドロテオ、エドムンド、エリセオ、エメリコ、エミディオ、ファブリシオ、フェリシアノ、フェルナンド、フォンシエ、ガブリエル、ヘルマン、ヘルバシオ、ゴドフレド、エルナンド、イグナシオ、イサーク、ハビエル、ホアキン、ホエル、ラロ、レオ、ロペ、ロレンソ、ルカ、ルシオ、ルイス、マルシオ、マリオ、ナサリオ、ニコデモ、オスワルド、オビディオ、プリニオ、ラミロ、リゴベルト、サロモン、セベ、そしてトニョ。


 以上48人が、先輩の光球の犠牲者だった。

 ミゲルは彼ら一人一人の名前を、淡々とした口調で語った。


 対するマルク・エスタッソは、目の前の裏切り者の顔をじっと睨んでいた。

 聴き入っていたと言っても良い。

 が、カミロ、ロペ、ゴドフレドの名前が出た時に、明らかに集中がきれた。

 動揺したのだろう。

 顔から表情がなくなる。


 おそらくは、カミロ、ロペ、ゴドフレドの3人は、組織の実質的な切り盛り役だったのだろう。

 そう、組織の切り盛りは、部下がしていた。

 だから、マルク・エスタッソは、先輩がたたき起こすまで、寝ていられたのだ。


 ミゲルはそんな彼の様子など気にもせず、死亡者の名前を挙げ連ね切った。

 それから、証拠に、とテーブルの上に、48人分の携帯、財布で山を作る。


 この時、マルク・エスタッソの動揺は頂点に達した。

 目が財布とミゲルを行ったり来たりする。

 それは物凄い速さだ。


 先輩は瓶の口を舐めてから、瞼を薄く落とす。

 残酷なほど、優し気な微笑(ほほえみ)


「ま、でもあれだな。お前さんに最低限の何かがあれば、連絡の1つも来ただろうがな。残念なことに、お前には『何も無かった』。それだけの話だ」

 マルク・エスタッソの(おもて)から、愛嬌が消えた。

 こめかみに太い筋が走り、目をらんらんと剥いて、先輩に、凄む。

 今にも飛び掛かりそうな酷い形相。


 うん。むしろ、こちらの方が微笑ましい。

 まあ、腐っても組織の長である。凶暴でいてくれないと、僕らが弱いものいじめを……いじめ、を?


 この男は死にかけてる、と思った。

 気配、気の循環が異常なのだ。

 詳しく言うと、脳の環状動脈付近の血管が破れかけている。

 元々、梗塞の気があったのだろう。

 激昂(げきこう)によって、血圧が上がり過ぎている。

 これ以上感情が昂ると、絶対やらかす。

 もちろん脳梗塞くらいなら、治療は可能だけれど、可哀想だ。

 狐は慈悲深い。その相手が誰であっても。


 マルク・エスタッソの左の耳たぶに、光の球が生れた。


 それは唐突に生れて、彼の耳の半分を抉る。

 マルク・エスタッソは両手で、その『焼け跡』を抑え、俯き、(うめ)く。

 食いしばった歯の隙間から、漏れ出る苦痛と、恐怖。


 可哀想に、と思いながら、僕は加害者である先輩を見た。


 平然としている。

 バルコニーに押し寄せる、光と風に、黒髪を撫でられるに任せて、頬杖をついている。


「落ち着けよ。マルク・エスタッソ」

「ううう……」

 情けない声だ。

 僕は心配になった。

 先輩はメソメソした人間が嫌いなのだ。

 

 けど、彼女はため息をついただけだった。


「九虚、治してやれ」

「はい」

 僕は立ち上がり、彼の傍らに寄って、下からその瞳を覗き込む。

 このやり取りに、僕は強い既視感を覚えた。

 ミゲルのアパートでもしたことだ。



 ……治療は終わった。

 先輩は治療の終わりを見計らって、お代わりのトルティージャを持ってきてくれていた。

 こういう先輩は、ちょっと優しいと思う。

 そして、僕は確実に餌付けされている、とも思う。


「面白い力だろう?」

「キリストのようですね」

 先輩の問いに、マルク・エスタッソはそう返した。

 キリストは大げさだと思う。

 

 志骸先輩は、口調に笑いを込めて、言う。


「そこまで聖なる感じでもねえがな。まあ、ヘタレに毛が生えた程度の男だ」

 へたれは酷い。が、否定はできない。

 先輩は、傷つく僕なんか気にせずに、続ける。


「とりあえず、大まかな現状は理解してくれたとは思う。お前の組織は48人死んだ。切り盛り役も、金庫番も、ミゲルの娘の見張り役も、全員死んだ。残ってるのは、ちんけな連絡役と、シチリアに出張中の買い付け役。そして、『何もないお前』と、不愛想なミゲルだけだ」

 ミゲルは片眉を上げた。

 けれど先輩は気にせず、続ける。


「組織は骨抜きになった。いや、骨は違うな。どんくせえ脳の一部、あと、ちょっとした指先が残った位だ。どう思う?」

「……年端もいかない子供が組織について、知った口をきく。どういう茶番ですか?」

 マルク・エスタッソの左の眼球、右の小指の先に光の球が生れた。

 彼は椅子から崩れ落ち、体をくの字に曲げる。

 その足はじたばたテーブルを蹴り、左手は抉られた眼窩(がんか)を押さえ、小指の欠けた右手を

上体でくるむように、守っている。

 

 先輩はそんな彼を見下ろす。

 その視線は冷酷を帯びる。


「質問に質問で返すなよ。会話の基本だろう」

 彼女の口調は冷たい。感情の無い、冷たさだ。


 ミゲルがおもむろに立ち上がり、マルク・エスタッソの皿から、生ハムのサンドイッチをつかむ。

 それから、マルク・エスタッソにしゃがみ込み、それを彼の口に、無造作に突っ込んだ。

 組織のボスが、大きく叫ぼうとしたからだ。

 それは苦痛や、何よりも恐怖に。


「悪いな、ミゲル」

「当然の処置だ。叫ばれたら、色々と厄介だろう」

 ミゲルは先輩を見ない。

 マルク・エスタッソを注視している。

 先輩は、再びテーブルに、両肘をついた。

 仏教徒のように、手のひらを合わせる。


「そうだな。で、どうだ? ミゲル。この男は」

 先輩の問いに、ミゲルは顔を上げて、薄い眉をひそめた。


「質問の意味が分からない」

 彼の声はかすれ、バルコニーを渡る風に溶けた。

 志骸先輩の瞳の底に、柔らかい光が宿った。


「お前は、この男を、『底が深いのかもしれん』と言った。それは、全然違う。たったこれだけの、ちょっとした小突きに、みっともねえったらありゃしねえ。お前でもそう思うだろ?」

「まあ、そうだな」

「そうなんだよ。だが、疑問がある。なんで、お前ほどの男が、見立てを間違える? 不思議だろう?」

「それは……」

「ミゲル・ランゲル。お前はこいつに、妻を寝取られ、会社を乗っ取られ、3年監禁されて、娘も質に取られた。おっそろしく長い間、飼い殺しにされてきた。だから、お前はこいつを、『上』だと思っている。認めて、底が深い、かなわねえ、とか思ってやがる。が、オレから見たら、それはアサッテな勘違いだ。お前より上だったのは、嵌めたのは死んだ妻だし、残酷だったのは、お前ら夫婦を振り回した、世界だ。そうだろう? ミゲル」

 ミゲルの瞳が大きくなった。

 鼻の奥に熱さでも感じているのだろうか。

 赤くして、言葉を失っている。

 先輩は凄む。

 いや、凄むところではないと思うけれど、何故か凄む。


「違うと言ったら爆破する。死なない程度に、な」

「……いや、違わないよ」

 ミゲルは、そう言って微笑んだ。

 

 僕は、彼が微笑むところを初めて見た。

 意外に、優しい微笑みだったので、ビックリした。

 本当に柔らかく、自然な微笑みだった。

 僕はふと、、死んだ奥さんは彼のこういう微笑みが好きだったのかも知れないな、と思ったりした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ