おはよう石髭さん・ノエミさんの予言
「しかし、神話の神の力とは、恐るべきものだな。俺は素直に畏怖の念を覚えるぞ」
シモン・ボリバル空港。発着案内のアナウンスが響く中、黒百合ちゃんは、淡々とそう言った。
畏怖の念という言葉がゲシュタルト崩壊してしまいそうなほど、彼女の面持ちは泰然自若としている。
「ね。黒百合ちゃん」
「何だ? おずおず師匠」
「かっこう、それで良いの? ロシアに行くのに」
そう。これから黒百合ちゃんは、ロシアに飛ぶ。航空会社に預けた彼女のトランクの中には、冬の虫に咲く花の種が眠っている。税関でとがめられないかと、わたしは不安なのだが、その場合は武を駆使して突破する、と黒百合ちゃんは胸を張った。
そんな事態にならないことを、切に願う。いや、他にもっと、願うべきことがあるのだ。
普通のヒト相手に問題を起こしても、黒百合ちゃんなら大丈夫。
ちゃんと切り抜けてくれる。それよりも……。
寒い国に行ってくれるこの子が、風邪をひかないか、とかよりも……。
「大丈夫だ。師匠。この衣服はロシアでは目立つだろうし、奈崩殿の目にも止まりやすい」
メイド服の彼女は、微笑みと共にそう答え、わたしの胸は痛んだ。
一番の心配。それは、黒百合ちゃんが、奈崩に会うこと。
「物凄い乱暴者だからね。攻撃を放ってきたら、全力で避けて、わたしの名前を言って。あ、でもあいつ、体術は得意じゃないから。基本はなんちゃってカンフー。見掛け倒しだから、黒百合ちゃんの方が全然強いと思う。でも因果を発動されると、即死だから、距離を取って。あ、ちがう。距離を取る前に、顔面にわたしの手紙を叩き込んでやれば、多分大人しくなる……と、思う。一般人に危害を加えるような男じゃないはずだけど、とにかく警戒をおこたらないで」
「師匠」
「何? 黒百合ちゃん」
「37回目だ」
「え」
「俺は、あんたに奈崩殿への使いを頼まれてから、実に同じ内容の指示を、37回拝聴した。もう俺は一言一句暗記できるぞ」
……何も言えないわたしに、黒百合ちゃんは言葉を続けた。
「それに、あんたはもう、自由になったのだろう? 戸惑いながらも俺に語り、こう結論づけたではないか。『いい奴かもしれない』と。さらには、『根性のある男かもしれない』とも」
「あ……うん」
意外な出来事を思い出す。それはもう、青天の霹靂。視界だって二重にぶれる。
全部が、本当に何から何まで、わたしが思っていたのと、ちがっていた。
でも、そうなのかもしれない。
先入観通りの真実なんて、本当はどこにもないのかもしれない。
※※※※※※※※
エンゼル・フォールから台地を3つ隔てた平地で、冬の虫に咲く花を発見できたこと。
次に、新聞で知った抗争事件。旧南にきなくさい動きが起きている、ということ。
この原因はガブリエルさん。彼が意識不明の重体におちいったせいで、南にくすぶる不満が噴出した。つまり、今なら叩ける。
そう思った人たちが、旧南に集結。銃を取った。
結局抗争はすぐに終わったらしい。蜂起を試みた者達は鎮圧された。
けれど……。これは始まりに過ぎないのではないか。
指導者の不在が、状況の悪化を招く。
「石髭さんが起きていれば、なあ」
ため息をつくわたしを、切れ長の瞳で真っすぐに見据えて、黒百合ちゃんは提案をした。
「では、試してみるか」
「え?」
「一週間寝込んだ師匠にしたのと、同じことをする。つまりは気功だ。俺は師匠。あんたを起こした時、何かを悟った気がした。もしかしたら、石髭殿を起こせるかもしれない」
……村落の人々に挨拶をして、わたしと黒百合ちゃんはカラカスに戻った。
そして、黒百合ちゃんは石髭さんに気功をためし、偶然か、彼女の才能か分からないけれど、石髭さんを起こしたのだった。
浦島太郎状態の石髭さんに、時間の経過と、バリオスの統一を話すと、彼は目元から涙を大量に流しながら、大笑いをした。そして、旧南の人々をまとめてくれると、約束をしてくれた。
「コツがあるんだ。あいつらのまとめ方はな。大丈夫だ。多濡奇さん、俺はあんたを裏切らねえ。ドンパチもしたくないしな。せっかく起きたんだ。もう眠りたくはねえ」
「助かります」
わたしは頭を下げた。
そんなわたしに、石髭さんは、ちっちっちっ、と立てた人差し指をメトロノームみたいに左右に動かして、言う。
「それだけじゃねえだろう。ずいぶんと困った顔をしている。あんたは欲しいはずだ。つまり、俺が眠っちまった夜と同じ顔をしている」
迷ったが、結局、訊くことにした。南の本拠地がウルゴさんに爆破されたために、黒い花の情報を握っているのは、石髭さんしかいない。
そのことを話すと、ああ、あれか、と言って、銀行名と7桁の番号を教えてくれた。
「貸金庫の解除番号だ。そこにUSBを隠してある」
「あの」
「ん?」
「南って、金庫がたくさんありますよね。何でわざわざ銀行なんですか?」
「本当にヤバい情報をよ。誰でも思いつく場所に隠しても、それは宣伝してるだけだろうがよ」
石髭さんはそう言って、愉快そうに笑った。
「まあ、そうです、ねえ」
「ま、俺は悪知恵で生きてきたからな。あんたの意表をつけて嬉しいぜ。けどな。多濡奇さん、よお」
石髭さんの目が険しくなる。つい先ほど目覚めたとは思えないくらい、凶悪な瞳。
「HCはヤバいぞ。原料の発見者は全員死んでる。家族もだ。呪い、とかじゃねえ。全員、何かに頭を噛み砕かれている。だから俺は、原産地以外の詳しいことを、知らないようにした。死体から検出されたのは肉食獣の唾液だ。分析すると、ジャガーだった」
ジャガー。嵐の神。フラカン。
……色々なことがつながっていく。
わたしは笑みを作り、石髭さんに、
「分かっています」
と言った。それからお礼を言って、病室をおいとました。
それから、せっかくカラカスに戻ったのだから、そして、オメテオトルの影響も解かれたのだから、という理由をつけて、ガブリエルさんの入院する病院に、お見舞いに行きかけた時……。
わたしは、オメテオトルが、テスカトリポカに興味はない、と言っていたことを、思い出す。
影響が解かれたために、会っても問題のない人物たち。
ファナちゃん。ガブリエルさん。そして……ノエミさん。
暗黒龍の血を最も濃く発現する彼女に、花のことを聴いたら、どうだろう?
知識は嵐の神の襲撃を招くが、オメテオトルすら、ノエミさんの居場所を探すことはできなかった。
そんな考えを脳内で堂々巡りさせながら、わたしは黒百合ちゃんと一緒に銀行に向かい、金庫からUSBを取り出す。
少し迷ったけれど、覚悟を決めて、内容を確認。黒い花の採取地を記憶してから……。
ノエミさんのお宅に向かった。
彼女はもう退院して、安原さんの入院先の近くにアパートを借りて、息子さんのアンヘル君と一緒に住んでいる。
訪問は夕方だったが、呼び鈴を押して出てきた彼女は、開口一番、
「火山が噴火するわ。そうして、全部の花が枯れるの」
と言った。
わたしは驚愕した。
隣で、黒百合ちゃんが、
「流石でござる。明察は神の領域でござるな」
と感心した。
……そう言えば、2代目ディエゴさんも、訪問の時にあらゆることを察していた。
あの人ができたことが、ノエミさんにできないはずはない。
「用件は全部お分かりなんですね」
「入って。せっかく来てくれたんですもの。お茶くらいは出さないと」
招き入れられたアパートの奥、赤ちゃんベッドで眠るアンヘル君。
ずいぶんと髪の生え方がしっかりしている。ちゃんと、育っているのだ。
赤ちゃんがたてる寝息のリズムに、わたしが和んでいると……。
「こっちに来て。座って。貴女たちは私たち家族の恩人なの。だから、望むことを、全部話すから。でも……」
声がしたので振り向くと、ノエミさんは手首の内側をこちらに向けて、果物ナイフの刃をあてていた。
「え?」
「だから、座って。お願い。知りたいことは分かっているの。でも、わたしを連れて行こうとしたら、死ぬ、から」
……考えもしなかった。
震えて涙ぐむノエミさんを、まじまじと見る。
そうなのだ。この人の見た目は東洋人だけど、本質は暗黒龍だ。
そして、龍は強大なのである。もし、黒い花の産地、ニカラグアに同行を願えば、例えば人質を取るなどして、強制的に連行すれば、盾以上の働きをしてくれるかもしれない。
予言の因果は強力だ。危険の察知としての人材として、ノエミさん以上の人間は絶対に存在しない。
ヒトに炭鉱のカナリアを真似できないように、どんなに勘の鋭い人間でも、予言の因果を発揮はできない。
― ああ。そう、かあ。―
わたしはまた、重要な岐路に立っているのだ。
強制的にでも、同行を願う。または、情報だけを得て、そっとしておく。
村人としては、後者が正解。でも……。
― それなら、リベルダさんを、連れ去って、いた。―
「大丈夫ですよ。お話だけを、聴かせてください」
わたしはノエミさんに微笑んだ。
ノエミさんは、ナイフを落とし、膝からへなへなと、アパートのフローリングに崩れ、
「ごめんなさい。ごめんなさい。私は利己的なの」
と言って、号泣を始めた。
その泣き声をかき消すように、赤ちゃん用ベッドの中から、アンヘル君が、けたたましく泣いた。
瞬間、ごとり、と、遠くで何かが傾いた気がする。
それは、生と死の天秤。
※※※※※※※※※※
ノエミさんのお話によると、マヤの神々の里は、ニカラグアの火山地帯にある。
これは石髭さんの資料と一致していたので、わたしはPCをお借りして、USBの内容を見てもらった。イメージがしやすくなるのでは、と思ったからだ。
資料の全部を確認した後、ノエミさんは、PCをインターネットに接続。
世界地図を呼び出して、ニカラグアに照準。拡大して、モニターを指さした。
「ここに最高神の楽園があるの。火山に、こう囲まれているでしょう。だから、道はここをこうたどるしかない。でも、ほら、ここと、ここと、ここがね。村落になっているの。外の者を寄せつけない、聖地。神々の土地だから……」
ノエミさんは口をつぐんだ。言いたいことは分かった。
殺されるのだ。神々の土地の主たちに。または、嵐の神、フラカンに。
「それは、行ってから考えます」
「そう」
ノエミさんは、素っ気なく、でも心音に申し訳なさを滲ませて、返事をした。
それから、火山が噴火する日時を教えてくれた。
……オメテオトルの言う通り、確かに、時間はそんなに残されてはいなかった。
つまり、10日後、火山は噴火する。
「瘴気が発生するから、防護服を持って行った方が良いわ」
ノエミさんはそう言って、火砕流からの退避の場所を教えてくれた。
小さな洞があり、奥にたまる水をくぐると、清浄な空気の場所に出るらしい。
これはかなり有益な情報だ。絶対に、後続の九虚君たちに残さないといけない。
「フラカンを倒すのは、疫病の神でしょう。連絡は取れるの?」
「今のところ、方法が……」
返事をすると、ノエミさんはため息を1つついて、PCの地図を縮小、ロシアに照準を移して、モスクワの郊外の小さな通りを拡大し、日時をつぶやいた。
3日後。現地時間の14時30分に、奈崩はここを歩くらしい。
それを聞いた時、酷い嫌悪を覚えた。純粋に、わたしは奈崩に会いたくない。身の毛がよだつ。
しかも、である。ロシアで何らかのトラブルに巻き込まれた場合、火山の噴火に、わたしは間に合わない恐れがある。ここは前から考えていた通り、黒百合ちゃんを……。
「待った方が良い、とも言い切れないの。とても曖昧で。多分、フラカンの力が強いからだと思う。間に合うなら、疫病の神と合流するべきと、迷わず言いたい。でも、暴風みたいなものが吹き荒れていてね。ちゃんと視えない。どうやら、わたしの血統は、フラカンが苦手みたい」
力なく述べたノエミさんに、わたしは微笑んだ。
「大丈夫ですよ。もう、教えていただいた情報が、値千金です。あの、わたしの口座、色々あって、日本円で1億5000万しかないんですが。お礼として……」
「そんなものは要らないからっ!!!」
ノエミさんの声が強くなった。
わたしは思わず黙る。
申し訳なさそうに、ノエミさんはわたしから視線をずらし、
「……ちゃんと、生きて戻ってきて。恩人の貴女が死ぬとか、嫌なの。お願い」
わたしは、
「はい」
とか細い声で、頷くしかなかった。
※※※※※※※※
ノエミさんのアパートをおいとましてから、荷造りを開始。
といっても、カラカスに来た時ほど、荷物は多くはない。
トランクケースは半分も埋まらない。
別に、生活をするために向かうのではないのだ。
予想されるのは、戦闘。
だから、早々に準備を終えて、日記の記入に取り掛かろうとして……。
先に、することがある、と思い、黒百合ちゃんをイングニス邸に残して、日付の切り替わりまで2時間の、夜の道をジャイカに歩く。
記録を残すなら、電子媒体にバックアップをしておいた方が良いかもしれない、という判断だった。
フラカンは情報の保持者を襲って回る。なら、イングニス邸にたどり着かないとも限らない。
でも、電子の海なら……。
嵐の神は手の出しようがない。USBを保管していた銀行は襲撃されなかった。
煉瓦で護るよりも、電子媒体は保全に適している、ということになる。
そして、この場合参考にするのは、ノエミさんだ。
彼女はエクセルファイルに、助けを求めるメッセージを残した。
わたしもそうしようと思う。なんせ、ジャイカを紹介してくれたのは、境間さんなのだし、九虚君たちも赴任先については知っている。
USBは黒百合ちゃんに託して、奈崩に流すから大丈夫だとして、問題は九虚君チームだ。
彼らはまず、イングニス邸を調べるだろう。でも、無人のあの家が荒らされないとも限らない。
だから、ノエミさんと同じファイルに、記録を残す。
……ということで、事務所のビルに到着。
夜間警備の担当者さんを専用の薬剤で気絶させ、縛り上げてから、2階にあがる。
そうしてフリオ君が壊して、修理されたばかりのドアノブを引きちぎって、潜入。
PCを起動し、これまでの全部の出来事を、猛然と打ち込み始めること、10時間弱。
朝日が昇って久しい時間に、わたしは全部を書き終えて、
『そういうことで、よろしく』
と付け加え、保存。PCをシャットダウンさせてから、座ったまま両手を天井に伸ばして、一度大きくのびをする。
で、立ち上がり……。
去ろうと思うのを、とどまって。
辞表を一筆、書いている時。
「それが、貴女の選択ですか」
と、背後から声がかかった。
びくりと振り向くと、新所長がクリーム色の壁に背を預けて、腕を組み、こちらを見ていた。




