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ファナちゃんの出産

 アルメイダさんが声を取り戻した翌日から、わたしはカミロさんによる送迎を受けることになった。

 もちろん、これは帰りだけの話だ。ジャイカでの業務が終了して、事務所の外に出ると、メルセデス・ベンツがビジネス街の路地に控えている。

 申し訳ないからわたしは遠慮したいのだけど、運転席のカミロさんは、わたしの姿を認めると、わざわざ出てきて、後部席のサイドドアを開いてくれる。

 紳士のつとめだそうだ。でも、紳士は恋人のために早退をくり返したりするのだろうか。

 まあ、ソフィア病院も大分落ち着いてきたし、獣の被害に倒れた医師たちのカバーのために、カミロさんがずいぶんと頑張っていたのも事実だし、ベネズエラの各地の医師たちがカラカスに応援に来てくれた現在、あとは任せて早めに退勤というのも、悪くはないのかもしれない。


「今日も大儀だったな。師匠」

 先にベンツに乗り込んで、わたしを待つのが習慣となりつつある黒百合ちゃん。

 当初は、この子も外で待ちたいと言っていたのだが、dama(レディ)を炎天下で立ちっぱなしにしておくのは、やはりラテン紳士として許されないことらしい。ここら辺はカミロさんの性格もからんでいる気がする。


 で、わたしたちはアルメイダさんのお宅に直行。夜遅くまで踊りを練習。

 それから、遠回りのルートを走って帰宅。さすがにカミロさんにイングニス邸にまで送ってもらうのは気が引ける。どれくらいの遠回りかというと、カラカスの街をぐるりと1周するくらい。フルマラソンと同等の距離を、わたしは黒百合ちゃんと一緒に、毎晩走っていることになる。


 ランニングは基礎体力、心肺機能の向上につながるから、武術の鍛錬にもなる。

 詠春拳の一撃は、横隔膜の力を拳に乗せることで威力が増すのだ。

 武術のこともあるけれど、最近のわたしは運動不足だった気がする。

 そもそも体重がすごいことになった原因は、旧中央へのマラソンをやめたことにある。

 理由は諸々があるけれど、一番は冬の虫に咲く花の探索。

 めぼしい成果を出せていない現状だけど、カーニバルが終わったら、探索も再開しなければいけない。つまり、わたしは毎晩プンスカ号のハンドルを握って、ベネズエラの東西を奔走することになる。

 まあ、運転自体は好きだけど、カロリーはまた消費されなくなるのだ。


 その分も見込んで、わたしは走る必要がある。痩せるなら今だし、何よりも、わたしは脂肪のついた肉体のまま、露出度の激しい衣装に身を包んでカーニバルの山車(だし)に乗るわけにはいかない。絶対に、いかない!!!!


 まあ、アルメイダさんは、雫の体型は十分に理想的、とか言ってくれるけれど……。

 甘えては駄目だ。これは未婚女性としての、プライドの戦いなのだ……!!!!


 というわけで、ジャイカに出勤、アルメイダさんのお宅で練習、深夜のフルマラソン、といったスケジュールをこなす日が続き、疲れもたまり、昼食後に襲い来る睡魔に悩まされがちになり、事務所のPCの前で舟をちょっとだけ()いでしまったそんな(うら)らかな午後。


 事務所のドアが()破られた。

 突入してきたのは、フリオ君だった。髪が乱れて、くりっとした瞳が大きく見開かれている。

 わたしはびっくりしつつも、懐かしさを覚えた。

 去年、カラカスにまだ来たての頃、フリオ君とこんな感じで、出会ったのだ。

 あの頃の彼は、立派な強盗少年だった。

 

 ……なんて、懐かしんでいる場合ではない。

 大急ぎで対応を考える必要がある。


 だって、ここはジャイカの事務所だし、警察だって呼ばれたら大変だ。

 チャベスの親分顔の警備員さんは、大丈夫だろうか。

 フリオ君がここにきたということは、あの警備員さんの阻止を突破してきたということだ。

 まあ、近接戦のスペシャリストのフリオ君のことだから、実力は天と地の差だし、だからちゃんと……。


『手加減、ちゃんとした?』

 と、目で問う。ハンドサインも小さく駆使する。新所長にわたしたちの関係が知られたら、面倒くさいどころの騒ぎではない。

 いや、目で問うのも怪しいか。それでも訊かずにはいられない。警備員さんは病み上がりなのだ。


「救急車は呼んでおいた。勝手に倒れたから俺は何もしてない」

 ……もう、あの人は、転職した方が良い気がする。今度、プロビオさんに相談してみよう。

 と、考えてから、しまった、と思った。


 新所長の視線が、わたしとフリオ君の交互に刺さる。明らかに疑っている。困った。

 何かの言い訳をしないといけない。だからわたしは新所長を見て、

「あの、ですね……」

 と言いかけた。が、言葉はそこで止まった。

 フリオ君が、

「多濡奇姉ちゃん!! 頼む!! 来てくれ……!!!!」

 と割り込んできたからだ。


 褐色の手がまっすぐに伸びてきて、わたしの腕をつかむ。 

「え? フリオ君?」

「ファナの奴が昨日から苦しんでるんだ!!!! 昨日から産気づいてんのに、産まれねえんだ!!!!!」

 フリオ君が叫んだ。

 わたしの頭は真っ白になった。


 気がつけば、

「すいません。今日は早退をさせていただきます。早退届は明日書きます」

 と新所長に言っていた。


 彼はしばらくの間、分厚い眼鏡の奥の目を点にして、ぽかんとしていたけれど、すぐに我に返った。 

「前から思ってたんだけど、君は僕が付き合いたくない人種だよね」

 嫌味を言ってくる。口調がねっとりとしている。

 フリオ君が突入してきた直後は、心音は驚愕と危機と恐怖を刻んでいたくせに。

 強く出れるわたしには、ひたすら嫌味を言ってくる。

 尊敬できない人種のヒトだ。


「助けを求められているんです」

「産婦人科を紹介しなさい。保健所でも良い。低所得者用の助産院もあるだろう」

「わたしが行きたいんです」

「こいつをぶっ飛ばせばいいんだな? ファナは、あんたに来て欲しいんだ!!!」

 叫び、新所長に距離を詰めようとするフリオ君。

 ぎょっとして、オフィスの壁に後ずさる新所長。

 2人の間に入るわたし。


「やめて。フリオ君。今、行くから。下で待ってて」

「……分かった」

 くりっとした瞳を血走らせて、新所長を威圧したまま、フリオ君はうなずいた。

 ドアの向こうに消える彼の後ろ姿と、階段を下る足音を確認してから、わたしはあらためて、新所長に向き直る。


「わたしが行きたいんです」

「君がそれを選ぶんだね。なら、さっさと行きなさい」


 ― あれ? ―


 何かが引っ掛かった。でも、その疑問はすぐ、緊急の時間に流されてしまった。

 一礼して、わたしもオフィスを後にする。


「早退扱いにはしない! 直行直帰扱いとする!! 始末書の文面も考えておくように!!」

 後方から、新所長の声が響いてくるが、わたしは振り返らず、階段を足早に降りる。


 1階の守衛室前で倒れている警備員さんの状態を確認。

 脳梗塞の再発。病院に搬送する必要があるけれど、もう救急車のサイレンは響いているので、わたしは立ち上がり、ビルの外に出る。


 ハーモニカみたいな形の白のキャデラックの窓を開けて、ソルバッキオ君が叫んだ。


「多濡奇姉ちゃん!!! はやく乗ってくれ!!!! ファナの奴があんたの名前を呼んでるんだ……!!!!」

 返事をする前に、わたしは後部席に乗り込む。フリオ君はすでに助手席にいる。


「取りに行きたいものがあるの。だから、まずイングニスさんのお宅に戻りたい」

「そんなこと……!!! 一式はあるんだよっ。ただ、ファナはあんたの名前を」

「お願い」

 ソルバッキオ君とわたしの視線が交差。フリオ君が綺麗な爪の先をかむ(かす)かな音が、キャデラックのエンジン音に混ざる。


「……舌を噛むなよ。フリオ。お前もだ」

「俺は噛まねえよ。それより、さっさと飛ばせ」

 今日のフリオ君は口が悪い。凶暴な山猫みたいだ。


「ありがとう。お願い」

 そっとしておこう、と思いつつ、わたしはソルバッキオ君に微笑む。

 2秒後、キャデラックは急加速。背がシートに押し付けられ、慣性が横に働く。

 イングニス邸の方向にターンをしたのだ。

 相変わらずの、素敵な運転技術。いや、変わらず、というのは失礼かもしれない。

 景色の流れ方が以前とはちがう。ソルバッキオ君は速くなっているのだ。技術は向上している。


 と、感心しているうちに、イングニス邸に到着。

 わたしは玄関を通る暇も惜しいので、壁を駆け上がり、窓枠に手をかけて、鍵を破壊。

 あとでちゃんと修理しようと思いながら、客間である自室に到着。

 机の抽斗(ひきだし)から、小さな青い羽根を取り出し、ブラウスのポケットにおさめて、キャデラックに戻る。


 それから15分後。

 わたしはファナちゃんの小屋にいて、彼女の薄く小さな手を、両手で包むように握っていた。

「多濡奇お姉ちゃん……」

「ファナちゃん」

 ファナちゃんの苦痛の心音に、小さく激しい心音が重なる。

 中年の助産師さんの話によると、昨日の時点で破水は終わっていたらしい。

 今、ファナちゃんを襲っているのは、陣痛の苦しみだ。初産のためか、ずいぶんと長く苦しんでいる。通常長くても12時間のはずだけど、16時間以上経過しているとのことだ。

 

 ファナちゃんの美しい瞳が、うるみ、熱を帯びている。頬におでこにたくさんの汗が生き物のように浮かんで、可憐な口元が歪み、眉の間に深いしわが寄る。


 ……日本なら、この場合帝王切開も選択肢に入るけれど、ここは、カラカスだ。

 しかも、どんなに苦しくても、旧中央の人々は、お産に市街地の病院を使わない。

 いや、わたしが無理やり運んでもいいのかもしれない。でも……。


 ― 意識が、飛び、そう、だ。―


 ケツアルカトルの小さな青い羽根を、胸のポケットに入れてきて、良かったと思った。

 やっぱり、ウルゴさんの戦争の影響は、ファナちゃんにも出ていた。

 オメテオトルの気配は強くなり、ファナちゃんを経由して、わたしも攻撃してくる。

 今、わたしの大脳には腫瘍ができているのだろうか。

 脳は、血管は食い破られるのか。分からないけど、人魚は暴れている。

 逃亡を主張する。確かに、わたしはここにいるべきではない。

 でも、気絶するまで、いや、気絶しても、踏みとどまるくらいの覚悟はある。


 わたしは、ベッドに横たえられたファナちゃんに、(まぶた)をできるだけ柔らかく落として、笑いかけた。

 

「大丈夫。大切なのは呼吸。一緒に、しよう」

 浅く速い呼吸のままに、ファナちゃんは無言で頷く。

 わたしは、一緒に息を吸うべく、口を……。


 …………。


 気が付くと、グアイレ川の河川敷に寝かされていた。

 草の匂いが濃く、青空を広くする。乾期のグアイレ川の水面は穏やかで、せせらぎは……。


 うん。正解だった。キャデラックの車内で、段取りを事前にみんなと打ち合わせしておいて、良かった。

『わたしが気を失ったら、ここまで運んで』

 というお願いを、フリオ君たちはちゃんと実行してくれた。ありがたい。


「多濡奇姉さん。あんたは」

「ファナちゃんは?」

「ぐったりしている。まだ生まれてはいない。でも、さっきよりも楽そうだ」

 フトルッチオ君が、ぎょろりとした目で話す。貫禄がついてきている。

 迫力満点。日本の半グレなら絶対避けて通るだろう、目力(めぢから)

 でも、心音は救いを求めている。切迫はしている。けれど、小屋の前でわたしを迎えた時よりも、悲痛ではない。楽そうなのは、陣痛間欠に入っているだけかもしれない。

 でも、あれはすぐに終わる。状態自体が改善したのなら、何よりだけど、わたしは九虚君ではない。

 手を握ってあげることしかできない。


 でもこれはマリオさんの役目だ。ウルゴさんに殺されてしまったけれど。

 フトルッチオ君は……まだ、ちがうということか。歯がゆい。


「ガブリエルさんは?」

「北との打ち合わせから戻ってきてない。クレトの影武者やってた奴がさ。幹部連中の相談役を始めやがってからさ。やりにくくてしょうがないらしいんだ」

 ちょっと笑った。良かった。クレトさんは相談役をしているのか。ガブリエルさんの苦労は増えるけど、でも困らせられるくらいが丁度いい。旧北のうっ憤がたまりすぎても、あまり良いことは起きないし、それに、今、顔を合わせないで済むのはありがたい。


 ファナちゃんから溢れる影響で、こうなのだ。

 ガブリエルさんも加わったら、目も当てられなくなるだろう。


 わたしは河川敷の草に手をついて上体を起こす。立ち上がり、ファナちゃんの小屋に向かって歩き出しながら、ついてくるフトルッチオ君に言う。

 

「……気絶したら、またここまで運んでちょうだい」


※※※※※※※


 何回気絶したか分からない。

 だから、どれほどの損耗(ダメージ)を肉体が受けたのか。

 わたしはどれくらい馬鹿なことをしているのか。


 考えようもない。判断材料がない。

 でも、それが終わった時間はちゃんと覚えている。


 ファナちゃんの小屋に到着してから、きっかり2時間後。

 その子は、生まれてきてくれた。女の子だった。

 しわだらけの顔を、もっとしわくちゃにして、大きく口を開くその女の子。

 歯が皆無の口。その奥の喉から、発生して、小屋のあらゆる物体に、まるで命でも与えるみたいに、激しく泣く彼女の声に……わたしは震えた。

 黒百合ちゃんも、こんな風に泣いたのだろうか。

 とても激しい、でもひどく心細いその泣き声に、鼓膜の旋律が打ち消されながら、13年前のあの子に想いをはせる。

 これはイルダさんの美容院に行った日に、豪岩さんのエピソードを聴いたからだろう。

 

 ― うん。確かに……。―


 豪岩さんは、守りたいと思ったはずだ。

 生まれて間もない赤ちゃんという存在は、本当に強烈だし、何より(とうと)い。

 だからだろうか。

 オメテオトルの影響が、ファナちゃんからあふれてこない。

 手を握っていても、渦巻く暗黒の濁流の向こうにいるようだったファナちゃん。

 美しくたおやかな少女が、ベッドに横たわっている。

 聖母マリアよりも神々しい笑みを浮かべて、我が子を抱いている。

 汗で濡れた髪が一筋、形の良いおでこに張り付いていて、光を帯びている。

 双眸は苦痛ではなく、喜びに潤み、わたしはそんな彼女が、ちゃんと、お母さんになったのだと、あらためて知る。


 達成感。湧き上がる愛情。安堵。(すべ)てが混ざりあった心音に、その美しさに聴覚を奪われていると、不意に、ファナちゃんの眉根が寄った。可憐な下唇が噛まれて、彼女の全身に、号泣の感情がさざ波のように広がるのが分かった。


「ああ。ああ……っ!!!!!」

 透き通るような、細い声で泣く、ファナちゃん。

 本当に、ずっと、ずっと、不安だったのだ。この子は。

 マリオさんはいないし、体調も崩しがちだった。

 お産は難産で、通常よりも6時間もかかってしまった。


 それでも、ファナちゃんはちゃんと産んだ。

 赤ちゃんは生まれてきてくれた。

 元気に泣く女の子。


 多分、この子がファナちゃんをもっと強くする。

 わたしは言葉にならない感動に旋律を奪われながら、そう思う。オメテオトルの影響だって、今は途切れている。やっぱり、これは赤ちゃんの力?

 分からない。でも、ありがたい。けれど、いつかはまたあふれる。

 その前にわたしはこの、生命の熱気と匂いに満ちた小屋を、去らねばならない。


 わたしは、ファナちゃんの汗ばみ熱を帯びたおでこを、そっと手のひらで撫でて、微笑みを向けた。


「本当に良かった。おめでとう。ファナ、ちゃ……」


 意識があったのは、ここまで。

 つまり、影響は復活したらしい。


 気が付けば、わたしは河川敷に寝かされていた。

 何回目だろうか。

「ありがとうよ。多濡奇姉ちゃん」

「フトルッチオ君」

 手を差し伸べてくるフトルッチオ君の手を取り、そのまま立ち上がる。

「助かりました。多濡奇姉ちゃんが来てくれなければ、あいつは多分もたなかったっす」

 純粋な感謝の心音のフリオ君。

 そうなのだろうか。ああ、でも……。


 ― 淫崩の気持ちが、分かった。―


 奈崩を屠ると息巻いて、わたしに因果を振るってしまったあの子。

 倒れたわたしを看病してくれて、死地に向かう前に、わたしを寝かしつけてくれた。

 あの時、淫崩はわたしに気功を使っていたのかもしれない。

 そして、今のわたしはあの子レベルではないが、それなりの功夫に達している。

 無自覚に、強い祈りの中で、わたしはファナちゃんに気功を使った。


 でも、まあ。ここら辺は九虚君にきいてみないと分からない。

 彼に再会できたら、気功を習ってみるのも良いかもしれない。

 ちょっと文句を言いながらも、彼ならちゃんと、わたしに教えてくれるだろう。


「助けになれて良かった。手を握ることしかできなかったけれど」

「俺たちはできないですから。ファナの奴は、ずっと多濡奇姉ちゃん。あんたに会いたかったんすよ」

 しみじみと述べるソルバッキオ君。相変わらずのそばかす顔だけど、妙に大人びて見える。


「……とりあえず、わたしは職場に戻る、ね。仕事があるから」

「送るぜ。多濡奇姉ちゃん」

 フトルッチオ君が、無駄にドスのきいた声で言ってくる。眼光が鋭い。

 つまり、例えばファナちゃんについていてあげて、と言っても無駄だと言いたいんだろう。


「一応、言っていい? ファナちゃんに、ついていてあげ……」

「駄目だ。あんたはファナと赤ん坊の恩人だ。だから俺が礼を尽くす」

 

 ― ……ああ。そういうこと、かあ。―


 お産の直後のファナちゃんは動けない。

 だから、わたしに対するお礼は、彼女に一番近しい人が代理で行う。

 そして、フトルッチオ君はそれをすると、主張しているのだ。

 最も近しいのは俺だと、彼はその行動で宣言をしようとしている。

 おても微笑ましく思う。

 一生懸命に眼光を鋭くするフトルッチオ君が、とても可愛らしく見える。

 

 不意に、土手を覆う草の緑が波打って、風が吹き下ろしてきた。

 わたしの前髪は乱れ、空を高く感じた。

 遠くにわくのは立体感のある雲。乾期の終わりが近い。

 ファナちゃんはお母さんになったし、赤ちゃんは生まれてくれた。

 そして、母子を1番近くで支え、守るのは目の前の男の子だ。


「じゃあ。お願い」

 わたしはフトルッチオ君に頷く。


 グアイレ川にかかる橋のそばに止まっていた、キャデラックに乗り込む直前。

 わたしはフリオ君に振り向き、微笑む。


「事務所に迎えに来てくれてありがとう」

 本当は、取り巻きの女の子たちとの乱れた関係について、色々小言を言いたかった。

 が、めでたい日なのでやめておく。

 ソルバッキオ君にも、

「運転してくれてありがとう。腕、上がったね。頼もしいわ」

 とほめてあげながら、ちょっと、わたし自身について安心する。

 どうやら頭蓋骨の内側は無事らしい。

 あれだけ気絶をくり返したにも関わらず、意識ははっきりしているし、言葉もちゃんと話せる。

 これまでのことを考えると、これはとても幸運なことだ。

 

 ……と、思いながら、キャデラックの車内で、小さな青い羽根を取り出す。

 守護の力が宿る羽根。本当はリベルダさんのためのものだけど……。

 オメテオトル対策になるのならば、常に携帯するべきなのかもしれない。


 彼または彼女が仮に徒歩で移動をしているにしても、到着は遠くないからだ。


「怖い顔をしてるな」

「色々あってね」

 ハンドルを握るフトルッチオ君を、わたしは見る。

 彼の二重顎のしわが深くなる。気合いを入れる時、顎を引くのはフトルッチオ君のくせだ。


「色々、か」

「うん。フトルッチオ君」

「何だ」

「ええと……」

 言いかけて、やっぱり迷っているうちに、事務所の前についてしまった。


「わたしは応援している」

 助手席側に回って、ドアを開けてくれたフトルッチオ君に、わたしはそう言った。

 フトルッチオ君の目が大きくなり、まばたきを3回した。

 それから、彼は目をそらした。

 

「……言葉ってのは不便だな。これっぽっちも、言い表せねえ」

「なら、お願いをきいて」

 わたしは彼の腕をつかみ、見上げる。また、この子は身長が伸びた。成長期なのだ。


「何だ」

「ファナちゃんを幸せにして。時間がかかっても。必ず」

「……ああ。時間がかかるが、必ず、俺はファナを幸せにする。マリオの分もな」

 覚悟と決意の心音に、わたしの口角は自然と上がった。

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