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命の価値

 夜が白み始めるまで、僕らは『赤の酒場』にいた。

 この酒場で継続されたのは殺戮(さつりく)であり、ジャズであり、女たちの恐怖である。

 そう、ここで起きたのは戦闘ではない。

 殺戮だ。

 

 初めは16体だった死体は、最終的に48体にまで増える。

 増加分、死体から漁った携帯を使って、ミゲルが呼び出したものだ。


 彼は、相手に合わせて色々な言い方をした。

 人質に取られている、誰誰が死んだ、助けてくれ、等々。

 その微妙なニュアンスの違いも、彼が呼び出した人物の順番の根拠も、僕は分からない。

 が、ともかくこの白人が最善を尽くしたのだ。


 最善は手際、効率とも言う。

 組織の横のつながり、人間関係をちゃんと把握しないとできない芸当である。

 ミゲルは組織に飼い殺されながらも、そこら辺はちゃんと観察していた。



 志骸先輩が店主を脅した後……まず9人が来た。

 彼らは速やかに死体になる。

 初回と違って組織と部外者を分ける必要がないからだ。

 それから、10体、5体、最後に9体と、死体は追加されていった。

 

 この間、ジャズの旋律は優しく闇を満たし続ける。永遠を思わせる旋律。闇。

 でも殺戮が終った店内は大分様変わりしてしまった。


 奥に向かってL字型の店内。

 右奥のスペースの椅子、テーブルは左奥に寄せられ、積み上げられた。

 空いた右奥の空間に死体が積み上げられる。


 4人ずつ、縦横に交差する形で、6段。

 最終的に山が2つできた。


 積み上げ作業は僕と女達がやった。


 僕は1人で、彼女たちは4人1組で死体を1つ運んでもらう。

 死体の中には直前まで尿意、便意を我慢していたものもあり、運搬中に、色々な物が漏れた。

 脚にかかるし、臭気も酷い。

 が、どうしようもない。


 随分と酷な作業と思う。

 けれど、僕も先輩もフェミニストではない。

 それに何かをしていた方が、不安がなくなるのだ。

 僕らは彼女たちに何もしたくない。

 彼女たちも何もされたくない。

 殺したくないし、殺されたくない。

 

 でも体格の大きな死体が多く、彼女たちにも疲労がたまる。


 特に、一番初めの運搬作業で、屍から便と尿が同時に漏れた時が大変だった。

 スラックスの尻から茶色い液だれが床に落ちた。

 女の1人が、その茶色の溜まりをしげしげと見る。

 それから、床にへたり込んで、泣き始めた。

 号泣は伝染する。

 

 9人の女達は、全員泣き始めた。

 僕は焦る。

 泣くのはいい。それは自然な反応だ。

 けれど今はまずい。

 僕は先輩をちらりと見た。

 ミゲルと何やら話し込んでいる。


 十三聖教会、ソフィへの連絡係だけ、この酒場から遠ざけることは可能だろうか、とかそんな事を話題にしている。

 ミゲルは、タイミングによるが少し考えさせてくれ、と答えた。

 

 白人は暗がりの中で腕を組む。

 その横で先輩はスポットライトに照らされながら、瓶をあおる。

 どちらも、こちらに関心を向けていない。


 まだ彼女たちは『越えて』はいない。生きる余地がある。


 けれど先輩がこちらを向いて、彼女たちが、めそめそと泣いてたら……。

 面倒くさい、と志骸先輩は思うだろう。

 彼女にも慈悲はあるが、それは全てに優先するわけではない。

 遊びじゃないのだ。

 真剣に従順に、作業してもらわなければならない。


 なのに彼女達は泣き続ける。

 死にたいのか?

 死にたくなければ作業を続けて下さい、と言うべきか?

 それが混乱を(あお)ったらどうする?


 全員に勇気を奮われてしまったら、終わりだ。

 現実はポルターガイストではない。勇気と死は同義語だ。

 先輩は迷わず彼女たちを(ほふ)るだろう。


 何とかしないといけない。


 けれど、どうすればいい……?


 僕の脳裏に、『学級崩壊』という言葉が浮かんだ。

 たまに、案件の休暇で、小学校の教員をする村人たちの話なども耳にする。

 僕は彼らの神経が理解できない。

 集団を引率するとか、面倒くさいことこの上ない。

 でも何かをしないと。

 面倒くさいから、死んでほしいとは、狐の中身は微塵も思っていない。

 とにかく、何とかしない、と……!


「よろしいでしょうか」


 バーテンダーが、志骸先輩に声をかけた。

 その表情には落ち着きがある。


「ん?」

 視線を向けた先輩に、店主ははっきりと言う。

「あちらのお嬢様方が、疲労困憊されております。ソラン・デ・カブラスを差し上げたいのですが」


 ソラン・デ・カブラスは、スペインのミネラルウォーターだ。

 

 店主の声は懇願というよりも、さり気ない報告といった響きを伴っていた。


 先輩は女達を見やる。


 まだらの光が落ちた薄闇の中で、女達は泣いていた。

 皆、両手のひらに顔を埋めている。


「ああ、構わねえよ。オレとしても助かる」

「恐れ入ります」

 穏やかに言う先輩に、バーテンダーは頭を下げた。


 そんな彼に、先輩は黒髪を揺らしながら、首を横に振る。

 浮かべるのは柔らかい微笑みだ。


「あんた、いいバーテンダーだな」

 と言ってから彼女は僕を見た。

「九虚」

「はい」

「店主を手伝ってやれ」

「はい」

 僕は頷く。

 思わず安堵のため息が漏れた。

 

 バーテンダーから、盆を受け取る。

 盆の上にはソラン・デ・カブラスを注いだグラスが5つ。

 店主と手分けで、水を配った。

 配りながら、僕は女達の1人1人にささやく。


「この夜は永遠ではありません。明ければ、朝が来ます」

 彼女たちは潤んだ瞳を上げて、僕を見る。

 視線はもれなく熱を帯びていた。

 感謝ではない。これは、ええと、なんだろう。 

 物凄い勘違いをされている気がする。

 

 まあ、でも、あれだ。

 どういう勘違いにせよ、この殺戮所モンデュイックを生き延びる力になるのなら、願ったりである。

 そう、割り切ることにした。


 ……そんな感じで僕らは死体を運び続けた。

 この作業でよろめき、足をくじいたり、床に散乱した皿、グラスの破片などで、負傷者が続出する。そういう者は、速やかに治療。これは狐の本分だ。

 そもそも、彼女たちは重い物を持たないのだろう。

 せいぜいが酒瓶を両手で持つくらいだ。

 こういう作業に慣れていない。いや、慣れている方がおかしい。

 

 2陣、3陣と死体が増え続ける合間に、僕とバーテンダーはソラン・デ・カブラスを振るまい続けた。

 

 合理的だからだ。

 

 やがて全てが終わり、死体は48体になった。


「これで終わりだ。他はバルセロナにはいないし、今晩始末するには無理がある」

 最後の死体をあさり終えて、ミゲルは静かにそう言った。


「そうか。ま、かなり手際良く減らせた。お前を雇って良かったよ」

 先輩は満足気に言ってから、バーテンダーにも美しい顔を向ける。


「店主、あんたにも苦労かけたな」

 店主の気配が乱れた。

 手を抑えている。そうだろう。

 花台の下に銃がある。

 正当防衛的な反応。


 終わるまでは殺さない、という約束の時間が過ぎてしまったのだ。

 いつ殺されるか分からない。しかも、殺し方は不明。

 けれど距離を取って、銃を放てば……。

 いや、放ってもミゲルも僕もいる。


 ……と、まあこんな感じの思考が、彼の気配から読み取れた。

 

「恐れ入ります」

 バーテンダーは(うやうや)しく首を垂れた。

 僕はほっとする。

 色々助けてくれたのだ。死んでほしくはない。


 先輩は僕を見た。

「お前も、店主には世話になったよな」

「はい」

 事実である。

 僕は頷き、先輩は微笑んだ。

「じゃ、治してやれ。感謝を込めて、な」


 ……良かった。

 本当に良かった。何を考えているか、たまに分からない先輩だけど、とにかく良かった。

 うん、ありったけの感謝を込めて、全力で治療しよう。


 と、僕は思いつつ、マスターと目を合わせた。

 何時間もその店にいたのに、ちゃんと目を合わせるのは、その時が初めてだった。

 

 彼には麻薬症状は無かった。腰痛、高血圧、眼精疲労、前立腺癌ステージ1、全部治す。

 

 この一連が終わった時、店主は刮目(かつもく)していた。

 とてつもない昔、初めて海を見た時に、彼はこんな顔をしたのかもない。

 圧倒的かつ無垢な驚愕きょうがく


「安心して下さい」

 微笑みながら、背筋と膝を緩めた。

 どういう攻撃が来ても、対応する。

 もう、ミゲルの時みたいに、素直にくらいはしない。

 特に、こういう、情が沸く相手にほど、警戒を(おこた)ってはならない。

 僕は先輩との約束を絶対に守る。



 ……という僕の気合は盛大に空振りした。

 バーテンダーには発砲されなかったし、かえってお礼を言われ、何故か十字を切られた。

 

 先輩が、頃合いを見計らい、店主に声をかける。

「パーティは終わった。あんたのタパスは旨かった。オリーブオイルは特に極上だった。だから、『殺さない』ことにした。でも、あれだよなあ」

 そこで彼女は一度言葉を切り、店奥の暗がりに視線を投げた。

 うず高い死体の山。キャンプファイヤーの組木みたいだ。


「……店を続けるのは、大変だよなあ。ま、警察を呼んでくれてもいいぜ。見ての通り、オレはヤツらを殺したが、『何もしていない』。だから、あんたが洗いざらい話しても、オレは『何もしない』。ま、あんたは『死ぬ事になる』けどな」

 何故この人はいちいち、こういう事を言うのだろう。

 分からない。

 バーテンダーは首を横に振った。


「警察は呼ばないといけませんが、お客様の事は話しません」

「助かる。じゃあ、これは移転費用だ」

 先輩はそう言って、4つのキーをウォールナット材のカウンターに置いた。

 鍵たちは、じゃらりと音をたてる。

 バーテンダーは視線を落とす。


「こちらは」

「貸金庫の鍵だ。ミゲルの見つけた収穫さ。4つも開けば移転代に、倍のお釣りがくるくらいの金は出てくるだろう」

 ミゲルが口を挟む。

「スペイン銀行、カドゥス銀行、イザベル2世銀行、バルセロナ銀行と綺麗に4つに別れている。金庫番をやりながら、せっせと貯めたんだろう。番号はここに書いている」

 元スパイはキーの横に紙片を置く。

 紙片の白と、キーたちの鈍い鉛色は、照明を受けて輝いている。

 僕はどこかの国の墓標を思い出した。

 戦乱に散った戦士達の墓標。


「ありがとうございます」

 バーテンダーは頭を下げ、先輩は口角を上げた。


「ま、あんたのタパスは旨かったからな。それだけでも命の価値はあるってことだ」 

「恐れ入ります」

 バーテンダーの言葉に瞳を優しくしてから、先輩はラウンドチェアから、すたっと降りる。

 ミゲルを見上げた。

「じゃあ行くか。用は済んだからな」

「ああ」

 ミゲルは頷く。

 先輩は、バーテンダーを見上げる。


「新しい店を開いたら、ミゲルに教えてくれ。今度は『ちゃんとした客』として飲みたい」

「かしこまりました。お待ちしております」

 バーテンダーの気配に嘘は無かったし、先輩も分かったのだろう。

 黙って踵を返した。

 僕は彼女の背に声をかける。


「先輩」

「なんだ」

「彼女たちは……」

「……九虚、お前に任せる。担当はお前だからな」

 背を向けたまま、そう言って、彼女はドアの向こうに消えてしまった。

 

 ……。

 …………。

 背に熱を感じる。

 視線の集中。それも、たくさん。


 僕は1度息を吐く。

 気を落ち着けて、振り返った。 

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