友達からの借り物
純粋な下心というフレーズに、淫崩は、とても顔を赤くした。
そのつぶらな瞳も大きくなる。
「違うの。純粋な芸術なの」
わたしは、うんうん分かってる、と満面の笑顔を作った。
あまり、取り乱す彼女を見たことがなかったからだ。
けれど、普通のヒトの音楽は全然分からない。
小説とかなら、心の機微に自然と触れるし、知らずに涙ぐむ事もある。
けれど、音楽関係は本当に駄目だ。
だって、わたしの鼓膜に渦巻く歌のことすら、あまりよく分からないのだ。
淫崩は、わたしから、ぷいっ、と視線をそらした。
「いいじゃないっ! 村人が芸術に尽くしたって! そりゃ、ウィーンの子たちが、可愛くて、綺麗できらきらしてて、お人形さんたちみたいな天使さんたちみたいだから、近くで見たいってのは、その通りだけど、本当にあの子たちの歌って、感動するの」
一気にまくし立ててから、付け加える。
「多濡奇だって、聴いたら響くよ」
その声は小さく落ちていて、わたしは音楽どうこうより、そういう彼女がとても微笑ましかったのを、覚えている。
翌日、彼女はわたしにCDアルバムを1枚貸してくれた。
タイトルはウィーン少年合唱団1988 東京公演記念アルバム。
男の子たちの雄姿が、ジャケットの表を飾っている。
彼らは逆三角形の隊列を壇上に成して、そろって大きく口を開いている。
わたしはその開き方に、カッコーを思い出した。
裏には楽曲。
1.沙羅双樹
2.やがて夜が明ければ「歌劇"魔笛"より」
3.ワルツ:春の声
4.シュネルンポルカ:ハンガリー万歳
5.我が愛するウィーン
6.ワルツ:美しく青きドナウ
7.オペレッタ「ヘンゼルとグレーテル」:第1幕「家」
8.第2幕「森」
9.第3幕「お菓子の家」
10.野ばら
などが、綺麗なゴシック体でプリントされている。
そのアルバムをわたしに渡す時の淫崩の面持ちは、まるでキリストの聖杯でも託すかのように神妙なものだった。
なので、わたしは作るべき表情に迷う。
彼女は、貸してあげる、と小さく厳かな声で言ってから、照れ隠しに笑った。
「昨日ね、布団の中で考えたら、下心95%だったわ」
その2日後、お返しにと、自作のパーカーを彼女にあげた。
そのパーカーは、ひよこみたいなレモン色で、フードもひよこの被り物になっていた。
このひよこ好きはいつからだろう。忘れた。
さらに2日後、須崩だけのけ者というのも可哀想だったので、彼女にも作ってあげる。
そして、みんなでシャツの上から羽織って、保育所を闊歩。
わたしたちへの揶揄は『だんご三姉妹』から、ひよこ三姉妹へと変わったが、わたしは構わない。むしろひよこが好きなので、地味に嬉しかったりした。
このウィーン少年合唱団のCDは、借りてからしばらく布団の中でイヤホンをさして聴いていたりして、わたしはこれに毎晩耳を傾けるようになる。
けれど、音階が整然としているなあ、と思うくらいで、少年たちの歌声には、やはり何の感情も抱くことができなかった。
それでもわたしは、保育所を出てからも、このCDを時々聴いたりする。
特に、入眠前の子守音かわりに。
その理由は2つある。
1つは、彼女に返しそびれたからだ。
つまり、淫崩はわたしがCDを返す前に、死んだ。
……死んだという表現には、責任の人任せを感じてしまう。
責任逃れというべきか。
実際は、彼女はわたしが殺したようなものだ。
つまり、彼女はわたしのせいで、14歳にして死亡した。
もう1つは、淫崩は友達だからだ。
わたしは彼女の戦闘を見てばかりだったけれど、それでも彼女はお互いを守りあう戦友であり、親友と言える女の子だった。
だからわたしは親友の大切なものを、大切にし続けている。




