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注文はカウンターで

 ジャズは流れ続けている。

 ここまでの戦闘で死者は16人。内15人が男で、1人が女。

 生存者は、カウンター奥のバーテンダーと9人の女達。

 バーテンダーは動かない。いや、動けないのか。


 それは賢いと思う。

 花台の下あたりに32口径銃でも隠してそうだけど、 彼も分かっているはずだ。

 銃を掴んだ瞬間、彼は死ぬ。



 女達は手前のテーブル席に4人、奥のボックス席に5人。

 全員震えている。

 立ったりしゃがんだりはそれぞれだけど、みんな背を壁に擦り付けている。

 手前と奥で2人ずつ、両手の指を組み、何かを必死で呟いている。

 よく聴くとカソリックの祈りの言葉だ。


「主よ、お救い下さい。ああ、我が神、ああ、わが神、ああ、わがかみ、ああ……」


 彼女たちはずっと繰り返している。

 それは祈りだ。

 けれど何の意味があるのだろうか?


 いや、やはり、祈ることが拠り所なのだろうか。

 彼らの後ろにそびえる壁は暗い。

 それは先ほどまではジャズの音色を吸い込む闇っだった。とても穏やかな何か。


 今はただの仕切りだ。


 つまりミゲルのアパートと変わらない。

 この上質な空間は『拷問所モンデュイック』絶望的な場所になっている。


 祈らない女たちは、両手を重ねるようにして口を押さえていた。

 化粧の濃い瞼を大きく開き、震えている。


 かろうじて立っている2人も、腰を抜かしている3人も、重心が定まっていない。


 全員、正常な反応だ。

 ヒトとはそういうものだ。

 訓練されていない状態で大量の死を見ると、精神はロックされる。

 特に志骸先輩のような『手口を見せない殺し』には、非情な恐怖を煽られる。


 恐怖だ。畏怖ではない。

 彼女たちからすると、先輩の行為は悪魔の所業なのだ。

 ふと、ポルタ―ガイストという映画を思い出した。

 このバルの女達は観たことがあるのだろうか。

 無い事を願う。あれは悪魔と『勇敢に戦う』フィクションだ。

 感化されてはいけない。

 酷い何かがきたら、まずやり過ごさないと、死ぬ。

 特に村人の前では。


 ……先輩の目に彼女たちは映らない。

 本当に初めからいないみたいだ。

 ミゲルを振り返る。


「正しいか?」

 こう訊いた彼女の表情は、いつもの散歩と変わらない。

 気負いもないし、興奮もない。とても淡々としている。

 ミゲルは頷く。

「ああ、正しい。ここに『いた』組織(ファミリー)は16人だ」

「だよなあ。まあ、俺も余計な殺しは趣味じゃねえ」

 先輩は微笑む。

 少し自慢気だ。

 そう、彼女は余計な犠牲を好まない。


 だからまず、ミゲルに僕を撃たせ、全員の表情を観た。

 そして恐怖以外を瞳に浮かべた者たちを全員屠(ぜんいんほふ)った。

 でもバルの白人女たちは、先輩の慈悲など分からないのだろうな。

 悪魔としか映らない。


 彼女たちは必死に十字を切っている。


 僕はふと、宗教と迷信の違いが分からなくなった。

 

 先輩はそんな僕を見る。

「女達を楽にしてやれ」

 フロアの彼女たちは、ひっ、と声をあげたり、引きつった頬をして息を飲む。


 また誤解を招く物言いを、と僕は思う。


 けど、もちろん顔には出さない。

 僕は手前の女から順々に、目を合わせていく。

 

 通常、惨劇の現場で強い精神ショックを受け脱力している者を、救助者はまず頬を叩く。

 『戻す』ためだ。

 

 けれど僕には無理だ。因果(せいやく)がある。

 代わりに気功で力を与える。

 視線を合わせ、気の巡りを把握し、力を祈るのだ。


 女たちは回復。

 立てるようになり、等しくあっけに取られる。

 何故か切るのは十字。


 スペインは何かにつけて神様なのだなと、半ばあきれてしまう。

 けれど、もちろん顔には表さない。

 代わりに、

「奥に歩いて下さい。騒がなければ、危害は加えられません」

 と言う。


 彼女たちは漏れなく、潤んだ瞳で頷く。

 アパートでのミゲルを思い出した。

 彼もそんな目をしていた。

 

 ミゲルはというと、床の死人達の懐をまさぐっている。

 手帳と携帯を集めているのだろう。

 するべき事を暗黙の内にする手際は、さすが元スパイといったところか。

 少し羨ましい。


 でもこういう事を考えるのは女々しい気がする。

 だから白人女たちを奥の暗闇に集める作業に集中。


 ミゲルも入り口付近の死体をあさり終え、こちらに移動してきた。


 先輩はというと、フロアをカウンターに向かって歩いている。

 足取りは軽やかだ。

 雨上がりに子供が水たまりを避けて踏む、あのステップを彷彿とさせられる。


 けど彼女が避けているのは死体たちだ。


 ウォールナット材のカウンターには、ひし形が幾つか集まった紋様が刻まれている。

 彼女は幼げに指先でそれをなぞってから、横の椅子にひらりと飛ぶ。

 先輩の首の高さの座席にすとん、と腰を着地させた。

 

 年老いたバーテンダーと、カウンターをはさんで向き合う形になる。


「良いバーだな」

 先輩は菱形(ひしがた)の集合に両肘をつき、指を組みながら言った。


「恐れ入ります」

 バーテンダーは答える。

 声は静かなものだ。

 けれど右眉と上唇の上に、汗の玉が浮いていた。

 スポットライトの白い光を受けて煌めいている。


 僕は奥州の石清水を思い出した。

 濃い緑の中、佇む岩の割れ目から湧く清水。

 岩の黒い肌には水滴がいくつもついていて、山林の緑を透過する陽に煌めいていた。

 

「荒事の場所にしてすまないと思っている。まあ、精一杯の気は遣ったんだがな。皿が割れてしまった。勘弁してくれ」

「お気になさらず」

 先輩の声は柔らかい。

 バーテンダーの首の振り方は穏やかだ。

 けど彼の内心はとても乱れている。

 岩を割る直前の清水のように、恐怖が胸の内にあるのが、気配から感じ取れた。


「ここのタパスは旨そうだな。パン・オ・トマテが食べたい。出してくれるか?」

 パン・オ・トマテはトマトペーストを塗って焼いたパンにオリーブオイルをかける料理だ。

 スペインでは代表的なつまみであり、オリーブオイルという事で、とても先輩らしい。

 

 バーテンダーは了承した。

 白い小皿に盛って、先輩の前に置く。

「どうぞ」

「ありがとう。感謝している。ちゃんと、パン・オ・トマテを出してくれた」

 先輩はトマテをつまんで、口にほおりこんでから、続ける。

「……銃じゃなくて良かった。花台の下の、な。あれを出されたら、オレはあんたに何かをしないといけなかった」

「恐れ入ります」

 素晴らしい、と僕は思う。

 気配は酷く動揺しているのに、酒場の主人には、乱れがない。

 それは皺の深い額にかかる髪すらも。


 プロとはこうあるべきだ。

 

 死体あさりを終えたミゲルは先輩の元に歩き、携帯や手帳を一つ一つ静かに、カウンターの上に置き始めた。

 タパスの小皿の横が百人一首みたいになっていく。


 元スパイは最後の1つを置いて、

「収穫だ」

 と言った。

 声は表情と同じくらい無感情だ。


 先輩は白人にほほ笑みつつ、頷く。

 それから視線を店主に戻し、笑いかける。


「このトマテ、旨いな」

「恐れ入ります」

「オリーブオイルの質が良い。瓶ごとくれないか」

 バーテンダーは手元の瓶を先輩の前に置く。

 酒瓶を置くみたいだ。


「どうぞ」

「ありがとう。で、大変心苦しいが、もう少しオレらはここで『仕事』をしなければいけない。あんたの常連様たちを呼んで、パーティは続く。悪いが受け入れてくれ」

 先輩は特に悪びれた様子もなく、そう言った。

 つまりこの地獄は続くという事を、さらりと伝えた訳だ。

 バーテンダーは表情を変えなかったが、まばたきを3回して、

「かしこまりました。お構いなく」

 と言ってから、(うやうや)しく頭を垂れた。 


「感謝するよ。かわりといっちゃなんだが、ここの女どもも、あんたも、『パーティが終わるまでは』死なない。約束するぜ。ま、その後は成り行き次第だ」

 先輩は約束という形で念を押す。

 声は幼いけれど、帯びるのはどす黒い迫力。


 彼女は小さく肩をすくめ、手元の瓶をあおった。

 黒い前髪が左右に分かれる。

 透き通った額が、白く照らし出された。


 ジャズの旋律は相変わらず、店内を薄闇に浸している。

 この旋律が予感を孕んでいた。

 それは更なるおびただしい、死の託宣とも言う。

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