十三聖教会
十三聖教会の歴史は古い。
この教会の創始者は、イスカリオテのユダである。
なので、新約聖書の記述により、さんざん忌み嫌われてきた、『13人目の使徒』は、始祖として崇められている。
あくまでも、彼が創立した十三聖教会において、だけど、その崇拝ぶりは、妄信と言ってもいいくらいだ。
僕はこれから、この教会について語りたいと思うのだが、この組織について話すには、まずキリスト教という、巨きな宗教について語らねばならない。
そして、これから語るのは、あくまでも、村という共同体の見解である。
真実はわからない。
つまり、聖書に書いてあることは、本当かもしれないし、黙示録的な破滅は、将来地球を包むかもしれない。
天国も地獄も存在するかもしれない。
神も悪魔もいるのかもしれない。
そんなものは分からないし、そもそもどうでもいいのだ。
新約聖書は、一人の男の生誕と死を、複数の視点から綴った読み物である。
この男は、中近東世界の大工の息子だった。
処女から産まれたらしい。
30歳になって、宗教を興した。
布教の方法は、『奇跡』と『言葉』を使ったものだった。
まあ、村ではこれを、『手品』と『キャッチコピー』と解釈している。
彼は弟子を集め、民衆を教化し、神の子として宗教国を築こうとしたが、既得権力であるユダヤ人たちによって、磔にされて死んだ。
この磔を手引きしたのは、イスカリオテのユダ。
13番目に格下げされた、弟子である。
まあ、磔というのは、当時としては、特段変わった処刑方法ではない。
彼の物語は終わったように見えたが、弟子たちが用意した、そっくりさんによって、この男は復活したことになった。
まあ、簡単に言うと、珍妙なことをのたまうカルト教団が摘発を受けてトップが死んだ、というそれだけの話である。
当時の地中海世界の絶対王者である、ローマ帝国は、もっと徹底的に、冷酷に、この教団を潰すべきだった。
しかし、甘く見ていた。
もし、その後に起きた悲惨を、帝国の指導者達が知ったのなら、ちゃんとした粛清を行っただろう。
それこそ、ユダヤ人ごと、この世から消す位の事だってできたはずだ。
でも、対応は後手に回った。
男の残した『キャッチコピー』は斬新で、心に響くものだった。
奴隷や、庶民の精神を、疫病のように侵し続けたそれは、やがて帝国をも飲み込むこととなる。
キリスト教は、その蔓延に数百年の時をかけた。
やがて、この教えはヨーロッパ世界から多神教を駆逐し、文化的な多様性を破壊した。
こうして世界は、暗黒時代を迎えることになる。
さて、十三聖教会である。
この教会の始祖は、イスカリオテのユダである。
カリオテ村出身のこの人は、キリストの12番目の弟子だった。(後で13番目に格下げされたけど)
彼は東方の3博士の縁者であり、おそろしく前から、大工を観察していた。
その一方で、ユダヤ人としての生活基盤も築いており、妻も帯び、子も設けている。
ユダは、ナザレの男が20歳を越えると、密かに接近し、神の真理を説き続けた。
大工の息子が30歳になりユダの反対を押し切って、布教の旅に出たとき、ユダは嘆いた。
何故なら、彼は分かっていたからである。
キリストが不完全だと。
彼では神の国は実現できない。
せいぜいが、摘発されて、処刑の後に偶像化されるくらいだ。
他の弟子たちは、好き勝手な妄想をわめきたてるだろう。
そして、世界は妄想に導かれ、暗黒の時代に回帰するのだ。
ユダは量子論的な視点を持つ人だった。
一つの物事から、世界の行く末を予測できた。
だから、キリストを密告した。
これは大工の息子の迷走が、ユダの愛着を超えたからである。
放置しておけば、迷走は限界を超え、未来世界の歪みは悲惨になる。
だから、手を下した。
これが、十三聖教会で語り継がれている、始祖ユダの真相であり、教義だ。
もちろん僕は、これが本当かどうか分からない。
というより、とてもどうでもいい。
スペインは、カソリックの国だ。
ユダからしたら、ひどく滑稽な国に見えるだろう。
祝日も、カソリックの教えにちなんでいる。
サクラダ・ファミリアだって、マリアの夫のヨセフを記念するために建てられている教会だ。
あの茶色の巨大が、ユダの目から見たら、ひどく馬鹿馬鹿しく見えるに違いない。
賛美歌も、教えを記念する祭りで、信者たちが顔を覆う三角帽も、むしろ悪魔的にすら映るかもしれない。
さて、ユダはナザレの大工を売る前に、息子に手紙を書いた。
その手紙は、十三聖教会において、イスカリオテの福音書と呼ばれている。
福音書といっても、特段、道徳的な薀蓄、キャッチコピーを述べるものではない。
むしろ、予言書と指示書のセットと言っていい。
つまりまず息子の父はヨーロッパ世界にこれから起こる事を、曖昧な言葉で予言した。
カソリックがローマを征服すること。
東から来る人々に、ローマが滅ぼされること。
王朝の勃興。
十字軍、教皇庁の栄華と、プロテスタントの勃興。
まあ、ノストラダムスの恐怖の大王みたいなものだろう。
あれは1999年に外れたけれど、それなりに興味深かった。
イスカリオテのユダが残したメッセージには、もう一つの要、指示があった。
完璧なキリストを作る事、である。
父が果たせなかったことを、お前が果たしてくれ。
完璧なマリアから、完璧な神の子を産み出し、この地上を神の国としてくれ。
神の母胎の候補者たちの、居場所を書いておくから、頼む。
このメッセージを受け取った息子が、2代目のユダだ。
息子には、父から受け継いだ能力があった。
それは血脈に由来せず、ただ、信仰によって発現する。
その才能とは、つまり教化である。
現在の僕を困らせている、この能力は、2000年近い由緒がある。
この事実には、シニカルな笑いが浮かぶ。
息子はこの教化を使い教団を組織した。
これが十三聖教会である。
そして彼は、神の母胎の候補者、聖女たちを探し、保護し、世俗に関わらない形にして、『純粋な神の子』を産ませようとした。
なにしろ、ナザレの大工の失敗は、大工という世俗にあると、始祖ユダはみていたからである。
さて、この聖女たちは、十三聖教会で保護されながら、様々な奇蹟を行った。
それは神性の発現である。
そして時が満ちると、つまり20代も半ば、聖女によっては30代に入ってから、死産をする。
聖なる処女から産まれた子供はどれもみな、ヒトの形を持たない肉の塊だった。
肉ならまだいい。
牙の塊だったり、羽根の密集だったりするのだ。
そして聖女は、この失敗作を産んで、もれなく死ぬ。
彼女たちは死ぬ前に、一つの奇蹟を述べる。
次の聖女の出現を予言するのだ。
その出生地と、大まかな容姿を。肌や髪の色を。
……僕は、USBからこの情報を参照したとき、村のシステムを思い出した。
似ているのだ。
村の最高尊厳である、ばば様のシステムに。
だからといって、どうという事はない。
彼らのしてきた事は不思議だけど、僕らの村だって負けないくらいには、不可思議の塊だ。
つまり、十三聖教会の彼らは、聖書という神話の、歪な子孫というわけだ。
そして彼らは、1977年まで、ウクライナの片田舎で、延々と失敗を続けた。
76人の聖女たちが、命のない子を産んで死んだ。
それから、ソビエト連邦の目にとまり弾圧に晒される。
でも弾圧は、つまりソビエト連邦が取った処置は、悪手だった。
おぼろげながら予言書は、国家による弾圧を示唆していたのだ。しかもそれが、予言の最終部分なのだ。
だから十三聖教会の彼らは準備していたし、その反撃は激烈でかつ陰湿だった。
で、村にお呼びがかかったのが、1986年のことである。
僕が生まれた6年後だ。
こうして、十三聖教会の彼らは一度、村によって壊滅した。
けれど、どこかで取りこぼしがあって、そういう事を含んだ色々な因果の果てに、僕と先輩は今、バルセロナにいる。




