遭遇
「教化、ですか?」
「ま、洗脳だかんな」
バルセロナに着いた夜、僕らはカラブリア通りの賃貸アパートにチェックインして、荷ほどきもそこそこに打ち合わせを始めた。
お互いのPCを起動し、USBメモリを挿し込む。
外部メモリをクリックすると、3つのファイルが表示される。
1つ目には、パスポート、ビザ、決済口座番号、賃貸アパートの番地等の生活情報。
二つ目には、カルロスさんの経歴と個人情報。
個人情報は、好きなアイスクリームも含む。
普通に甘党でバロセロナ名物カタラーナも好きだそうだ。
そして三つ目は、敵の情報。
ヒトの羽根の遺伝子コード。
ちなみに、回収した羽根の色、形状自体は、ケツアルクアトル、という中南米の鳥の物と酷似している。
……羽根のある蛇という神と同じ名前だ。
クトゥルフ神話の神が敵だとしたら、縁起が悪いが、こればっかりは、実際に襲われてみないと分からない。
で、もう一つの敵、十三聖教会。
こちらは実際的な敵だ。
ソビエト連邦の崩壊前、旧KGBの依頼で、僕らの村は一度彼らを壊滅させたことがある。デスクトップに表示されているのは、この時の記録だ。
組織図、資金ルート、使用武器、、教義、そして「教化」。
先輩はPC机から離れて、ツインベッドの片方を、ころころと転がっていた。髪をサダ子にしながら、
「綴じ括弧つけてあんだろ、教化に」
と言ったので、はい、と答える。
「意味わかるか? 九虚、あれはお前にはキツいスキルだ」
会話は冒頭に戻る。
彼女はでんぐり返しをして、ベッドから降り、そのまま窓際に向かった。
窓は水色のカーテンで覆われ、それを開いた先には、バルコニーがある。
先輩は中央の布を少しだけめくり、ガラスをスライドさせる。
隙間から流入する喧騒。
行きかう車輛、祭り囃子のような、通行人たちの笑い声。
潮の匂いの満ちるバルセロナは夜も賑やかだ。
「ま、宗教のお仕事は布教だかんな。教化っつうのは自然な生業でもある。銀座の寿司に京都の舞妓、簡単に言うと、定番って奴だな。このうっせえ街の奴らだって、似たようなことはしている。男は女を口説く。俺に危険はありませんよ、楽しいですよ、頼りがいがありますよ、てな。女だって同じだ。一晩で終わらせるには、あたしはもったいないわよ。軽い女じゃないのよ。実際はわかんねえ。そうかもしれないし、男は危なくてつまんねえ奴で頼りになんねえかもしれねえ。女は、一晩で飽きがくる程度で、しかも尻軽かもしんねえ。……分かるか?」
「はい。信じ込ませる、てことですよね」
「ああ。問題は、あいつらは証明のしようがねえ事を信じ込ませる。で、極端な結論に誘導する」
「カルトですね」
「まあ、ここまではな。で、ここからが面倒くせえんだが、あいつらの教化は、因果レベルなんだわ。前、境間のおっさんが話してたの覚えている。瞬間催眠に近い。解くのも一苦労だ」
「きついですね」
先輩は懐からオリーブオイルの瓶を取り出し、詮を抜いて、縁を舐めた。
「信者が全員因果並みってわけでもねえがな。レポートの通り、高位聖職者12人。あと、筆頭のユダだけだ。ユダつうのは芸名みたいなもんだな。歌舞伎役者の何代目何々みたいなもんだ。とにかく、13人しか、この因果は使えねえ。まあ、それに。体質もあるからなあ。多分俺には効かねえ。そして、お前は十中八九効く」
僕は首を傾げた。因果の回復範囲に精神は含まれていない。けれど……。
「どうしてですか?」
「……そのうち、分かるさ」
先輩はそう言って、オイルを一気にあおった。
照明が彼女ののどを白く照らす。カーテンが揺れて、夜の風が吹き込み、先輩の頬の横の黒髪が揺れる。
不吉を語る時のこの人は、いつもに増して美しい。
「まあ、あれだ。やつらに出くわしたら、目は合わせるな。いきなり高位聖職者はねえはずだが、用心は、し過ぎるってこたねえ」
僕は妖狐の子孫だ。それが関係しているのだろうか。
「……迷子みてえな顔すんな。ま、お前のためにオレがいるんだ。考えすぎる必要はない。が、感謝はしろよ。お前の分も、戦ってやるんだかんな」
この言葉を聴いた時、酷く申し訳ない気がした。
そして、敵との遭遇を告げられた瞬間も。
……目を伏せる事しかできない。
僕の因果は無条件回復で、呪いは非暴力の戒めだ。こちらから誰かに強い物理的接触をすると、程なくこの体は無力化される。敵からしたら、これほどやりやすい相手はいない。
……靴先だけを見て歩く。
傍から見たら、バケットの籠に顔を埋めるように歩く男に見えるだろう。
いくつもの通りを隔てたランブラス通りの観光地的喧騒が意識から遠くなり、代わりに、先輩の足音に聴覚が集中する。
軽やかな足取りだ。
何の気負いもない。胃袋と呼ばれるボケリア広場を歩いていた時と、本当に何の違いもないリズムだ。
足音が止まった。
彼女の前の足音も、止まる。
敵の行動は視認できない。
けれど、先輩の仕草は何となく伝わる。
いつもと同じように、視線を向け、首を傾げて天使みたいにはにかみながら、日本人的なピースサインをしているのだろう。
スラブ訛りの混じった英語。
女の声だ。
続くシャッター音。
今度は男の声。ラテン訛りの英語。
押し手は僕らの来た方向に歩き出す。
先輩も、進行方向に進む。
僕は止まらない。けれど、敵とのすれ違いに、攻撃を予想する。
銃。ナイフ。拳。蹴り。
頭部、頸、心臓、腎臓、……。
損傷と痛みの覚悟を各臓器がする。
しかし、足取りに表してはならない。
僕はあくまでも、『甲斐九朗』であり、『甲斐火蛍』の父であり、勾配を帯びる道で、足元に注意を払いながら歩く通行人なのだ。それはあくまでも、戦闘の直前まで。
……結局、攻撃は無かった。
僕と先輩は道をそのまま行く。
止まらない。
「お父さん、休まない? 公園あるから」
先輩の声に、バケットの籠から顔を上げる。
いつの間にか、細い路地は公園というより、広場に出会っていた。
日本のようにしきりに覆われているわけではない。
四方を白亜の西洋式建築物に囲まれている。
建物は全て飾り窓のついた三階建てで、陽は遮られている。
とても静かだ。
中央に丈の高い樹が4本。扇のように、枝を四角く区切られた空に伸ばしている。
空は遠くに、眩しい。
「ああ、そうだね」
僕らは、樹のたもとのベンチに腰を下ろした。
尻の皮膚が、ベンチの平面的な圧迫を知覚した途端、全身から汗が吹き出る。公園全体は、穏やかな日陰なのに。
そう、これは冷や汗だ。
「あいつらは下っ端だったよ。大した相手じゃない。が、収穫だな。少なくとも、奴らはこの街にいる、つうことが分かった」
「写真は撮らせたんですか」
「ああ。撒き餌だ。楽しいだろ?」
楽しくはない。けれど、先輩には先輩の考えがあるのだろう。
僕は返事をしようとして、思わず息を吐いてしまった。
これは失礼にあたるから、グーパンチが飛んでくるのだろう。
いや、脇腹の爆破か?筋肉が身構える。
「頑張ったな」
肩に、小さな手が置かれた。
思わず先輩を見る。
彼女は、ほほ笑んでいた。
瞼を薄く落として。
「自然な歩き方だった」
と言ってくれた。
背に張り詰めていた糸が緩む。
そんな錯覚。
「ありがとうございます」
「ただの評価だ。オレは甘えも弱音も嫌いだが、本番で及第点出せる男は嫌いじゃねえ。まあ、とにかく。良くやった」
ー……多濡奇さんー
何故か、とてもあの人と話したくなった。
多分、嬉しかったからだろう。それはとても意外な形で。




