表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):現在まで
31/720

最近の若者

 待ち合わせ時間は午前2時のうしみつ時。

 場所は病院前のロータリーだった。


 車で来るのかなあ、いや、徒歩か。


 と、遊園地で辞表を出してから一度帰宅、普段着のスーツにひよこの被り物といういでたちになって、奈亜ちゃんの病院についてからおよそ5時間という時間を、わたしはひたすら彼を待ちながらすごした。


 この間に、彼女の病室を訪れようとして、でも足が止まってしまい、仕方なくこれから襲撃する守衛室の下見。


 それもすぐ終わってしまって、結局することもなくなったわたしは、バス停のベンチに腰を下ろし、後ろ手をつく。

 ひよこの被り物の奥で、目を閉じる。


 色々な音が鼓膜に飛び込んできた。

 夜の息吹。


 虫の音はもう秋であることを示している。

 奈亜ちゃんが眠ったのは春だったのに。


「多濡奇さんですか」

 振り返ると、茶色のハーフジャケットの男性が立っていた。 

 ぼさぼさと言えるくらいゆるくのばした黒髪の長身。

 髪と同じ色のサングラスが、めちゃくちゃ感じが悪い。

 ロータリーの薄暗さの中で浮き上がる高い頬骨に骸骨を連想。

 血を失った土色の肌。まるでさっきまで墓場で眠っていた死体みたいだ。

 ただ耳だけが形が良く、ふっくらとしている。

 

 その不吉なアンバランスさを、わたしは覗き穴を通して下から眺めた。

 

「九虚君?」

「はい」

「歩いてきたの? 気づかなかった」

「気配を消してきましたから」

 そんな問題ではない。

 どんな微かな足音でも、わたしの鼓膜はひろう。


 『わたしの意識の波に、呼吸に紛れるように気配を消して』彼は歩いてきたのだ。


 達人。

 村でも指折りのレベルかもしれない。


 ……ちょっと頼もしい。

 

 わたしは立ち上がった。

 鈴の音と闇が遠くなる。奈亜ちゃんを癒すという希望。

 それが実現するのだ。


 そのためなら、目の前に立っているのが死体だろうが雪男だろうが構わない。


「じゃあ、行こうか。まずは守衛室を襲わないとね」

「俺は対象を治癒するだけですからね。襲撃は多濡奇さん。貴女がやってください」


 ……感じが悪い、と思った。


 

※※※


 小児病棟に向かう非常階段を九虚君と昇っていた時だ。


「すすみません」

 とつぶやかれた。


 わたしは、すいません、と謝られたのかと思った。


 遊園地のスタッフ控え室での辞表提出が脳裏によみがえる。


 28歳から入った長期休暇の4年間を、わたしは遊園地の職員として過ごした。

 最高に楽しい日々だったが、自分から幕を下ろしたのである。

 

 だからだろうか。

 わたしは、辞表を受理した課長になんとなく、すいません、と漏らした。


 ……この事を思い出していた、ちょうどそのときに九虚君がすすみません、と言ったので、わたしは勘違いをしてしまったのである。


 ―ああ、すすみません、といったのか、この24歳は―



「止まらなければ大丈夫よ。進んでいることになるから」

 視線を足元のヒールに戻す。

 九虚君の後ろ足の(かかと)は2段先を進んでいる。

 彼の言葉と裏腹に、その差も縮まらない。

 このため視線を向ける必要を感じなかった。


「いや、足が進まないんじゃなくて、気が」

「これは正式な案件よ? もちろん、私個人のわがままだけど」

「分かってますよ」

 九虚君の声のトーンは低い。


「村の正式な案件でもなければ、僕はこんなとこに来ません。でも、多濡奇(たぬき)さん。よく平気ですね。薬品臭で鼻も頭もどうにかなりそうです。そのかぶりもの、防毒マスクなんですか? ひよこに見えますけど」

「そりゃ、病院だし。この臭いはクレゾールとか、消毒系でしょ? 有毒ガスじゃないから大丈夫よ。それと、これはただの被り物。つまりはあたしの趣味」

「はあ。……違うんです。僕が言いたいのはつまり、病院に溢れ返る死臭。そういうまがまがしいものに、消毒薬で無理やり蓋をしている。その欺瞞(ぎまん)に不自然さを感じて、ざわざわするんです」

「九虚君からしたらそうかもしれないけど、ね」

 わたしは、ひよこのかぶり物の内側で、少し困った顔を作って笑った。


「多くの人はここで、命にすがっているの」

薬品(ふしぜん)に浸かってまで、すがりたい命とか。そんな大層なもんなんですかね」

 九虚君が軽く鼻で笑った。


「人間なんてたくさんいるのに命がそんなに大層なら、重すぎて地球が潰れちゃうじゃないですか」

「命は尊いわよ。普通の人はそう教わって育つし、自分の命が尊いと思うからこそ、人の命にも優しくできるの」

 そう言うと、九虚君は、肩越しに私を振り返った。

 皮肉ですね、と言って笑う。


「多濡奇さんが尊いと思って優しくしたい命を救うために、僕はこんな場所に御呼ばれしているわけですが。多濡奇さん、人殺してきたじゃないですか。それも大量に」



 ぐうの音も出ない。

 けれど不快である。

 事実であれ何であれ、突きつけられるということに、わたしは不快を感じてしまう性質なのだ。

 とりあえず沈黙する。


 

 沈黙のまま階段を上り切ってしまうと、非常扉に突き当たった。


 わたしはひよこを両手で上に押しのけて(はず)す。

 そのまま右わきに抱えた。

 とたんに死臭が頬とおでこを撫でてきたような錯覚を覚える。

 自然と眉間の表情筋がこわばった。

 不快を感じたからだ。


 ― うーん。でも九虚(くこ)君の言葉とどちらが不快かというと、……ちょっとわからないなあ―


すぐに(ほう)けたような顔に戻る。


 扉のノブに触れた。

 冷ややかな感触が手のひら全体を伝わってくる。

 ちゃんと自然だと思った。


 鉄も死も冷たく静かであるべきなのだ。


 そのままノブを握って前に押す。


 非常扉はうめき声のような声をあげて、ゆっくりと前に開いた。


 小児病棟の通路は西に真っすぐ伸びている。

 消灯はとっくに済んだ時間だ。

 薄っすらとした闇が幾重にも重なる通路。

 この天井付近に色々な表示が点々と白く浮き出ている。


 鼻腔にクレゾールと消毒用アルコールが混ざりあった刺激臭を感じた。

 この臭いが病院という空間の日常なのだろう。


 ここに収容されている子供たちは、とても静かに眠りについている。

 まあ大人でも、入院患者なら強がる時以外は静かなものだ。

 子どももしかり。


 それに、夜も静かであるべきだ。

 


 床の照明は手すりを照らしている。光はあいまいに輝いていた。

 何かを待つような静寂と共に。

 

 ちょっと物悲しい。

 不満たらたらの男の子を従えている事にも、ちょっと悲しくなった。


「違和感、あるんだけどね」

 わたしは九虚君を振り返った。

 すらりと背の高い彼を見上げる。


 九虚君は首を傾げた。


「はい?」

「そのサングラス。えっとね、SUNGLASSESって、直訳すると太陽メガネでしょ。太陽のないここでかけている意味ってあるの?」

 青年は肩をすくめるだけだった。


 ちょっといらっとする。


 わたしはなるたけ静かに言葉を強めた。


「それに、怖いでしょう? 真夜中にサングラスの男の人が部屋に入ってきたら」

 

 同じ仕草を返されたわたしは思わずじと目になってしまう。


 彼は少しためいきをついた。

 右手の親指と人差し指の先で、グラスのふちをつまむ。

 彼の指は細く長い。先がたこで膨らんでなければ綺麗と言えるかもしれない。


 九虚君はそのままグラスを外した。

 羽織ったハーフジャケットの胸元にしまい込む。


 一連の動作が優雅というか、きざだったので、最近の若者は、と、思わず声が出そうになった。

 

 ふと、このフレーズに寄る年波を覚える。

 もう32歳なのだ。


「案件だから外したんです」

「え?」

 ぼそっと言う九虚君に、わたしはきょとんとした。


 よく見れば整った顔、とおった鼻とか、うりざね顔なあごのラインとかを順々に見上げる。

 最終的に、切れ長くっきり二重の、微かに茶色がかった瞳を、下から覗き込むかたちとなった。

 とたんに、目を、ぷいっとそらされる。


「治すには、目を合わせないといけないですし。じゃないと、いちいち気を使って外したりしません」


 ―この子、照れ屋なのかな?―

 

 気が付けばわたしの口元は笑いをこらえていた。

 ちょっとだけあわてる。

 

 とりあえず、二十四歳(おとこのこ)から顔をそむけた。



 ― 意外と可愛いかもしれない。九虚君。-


 通路の先に向って、わたしはまた歩き始めた。

 笑いを堪えながら歩くのは苦しかったが、不思議と悪い気はしなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ