呪悔の歌
他力本願というのは、非常に悪い癖だしとても見苦しい。
主体性のないものほど醜いものはいない。
それは男女に限らず。
こういうことを思っている時のわたしは、特に誰かを責めているわけではない。
単純に自己嫌悪だ。
わたしは頭の中ではああしようとかこうしようとか思う時、本当にするつもりなのだけど、実際は全くできない。
どうでも良い事は過不足なくできる。
なのに何故大切なことに限って出来ないのだろう?
これはどれほど考えても答えのでない疑問だ。
ただ分かっているのは、これは性格上の問題だということだ。
因果は関係ない。
その日、奈崩を歌で屠るつもりだった。
食堂の座席に座る彼の前に仁王立ちした時、彼が少しでも動こうものなら、歌うつもりだった。
対する奈崩はストローをかじりながらでも、わたしのみぞおちに突きを入れたり、喉を手刀で潰したり、膝を蹴って関節を潰したりして、こちらを制圧することが出来たはずだったのに……。
男は動かない。
ただ無感情に、こちらを見上げるだけだった。
心音にも動揺がない。
しいて言えば、憎悪の感情をむき出しにするわたしへの軽蔑が滲んでいた。
わたしはひだる神の無感情さに岩を溶かすような憤怒を覚える。それは憎悪という炎に注がれる高熱の油のようなものだった。
わたしは酷い形相をしていたはずだ。顔面のあらゆる筋肉が、憤怒に歪んでいるのが自分でも分かったからだ。
― 苦痛の中で後悔しろ。……淫崩を潰したことを……! ―
「ひでえ顔だな。多濡奇。全部てめぇのせいだろうが」
一瞬、言葉が出なかった。
盗人猛々しいこと甚だしい。
「っ……!! 淫崩を潰した、のは……!!」
この言葉に奈崩は肩をすくめた。
「そうか? 俺は糞豚と因果でやり合っただけだぜ? あいつは俺に負けた。けどな、即死じゃなかった。いくらでも救えた。……そうだろう? 誰が一番、迷って、ブレて、みっともねえざまさらしたのか? 分かるよなあ?」
その通りである。
全てを早急に諦めて、速やかに屈服、全力で彼女の元に駆ければ、間に合ったかもしれない。
そう思わざるをえないほど、彼女の遺体は温かだった。それは夜の山村の大気の中でも。
彼女の死の際の際でブレまくって、命の境を死に突き放していたのは、わたしだ。
― だとしても……!! ―
「お前が、言う、な……っ!!」
わたしは咆哮するように叫ぶ。
既に鼓膜の内側には呪悔の歌が渦巻いていた。
『その歌は疼く。招いた呪いを悔やむ程に』
駆他の伝承が書かれた書物にこの歌を見つけた幼少の時、わたしの鼓膜の内側に呪悔の旋律が渦巻いたのを覚えている。
それは旋律というよりも、長らく離されていた主人に喜ぶ獣のようだった。
わたしはその旋律に懐かしさと恐怖を覚えた。
一度歌ってしまったら戻ってこれるか不安を覚えるほど力強い旋律で、だからこそとても歌いたいと思った。
脳内には像が浮かぶ。
毒餌を食べて身をよじりくねり縮まる油虫たちみたいによだれをたらし失禁し目を剥きすぎて眼球が眼窩からこぼれている幾多の人間たち。
それらの前で堂々と両手を広げて、オペラ歌手みたいに歌う女性。
……おそらく、遺伝子コードに刻まれた『だれか』の映像なのだろう。
けれど、誰かは分からない。
その『だれか』もこんな気持ちだったのかもしれない、と脳の片隅で思う。
わたしは奈崩の前で歌う衝動に身を委ねようとする。
食堂にいた子供たちのほぼ半分が立ち上がり、出口に駆けだした。
もう半分はテーブルの下に隠れながら両耳を手でふさいだ。
誰かが何かを叫んだ。
無駄な事だ。
直接の歌声。
しかも呪悔の歌である。
耳を塞いで防げるものではない。
頭蓋から三半規管でも引き抜かない限り、確実に届く。
― どれだけ涼しい顔で御託を唱えようが、奈崩、お前は苦痛に後悔するだろう。これは、わたしの。……報復だ。 ―
まだ幼い手のひらが、左手と右手の二つが、わたしの右腕をつかんだ。
須崩が見上げていた。
涙袋のくっきりとした下瞼に透明な液体をためて、潤んだ瞳で、紅潮した頬で、彼女は哀願していた。
わたしの眉毛ははちのじになり、頬に力が入る。
無意識に食いしばられる奥歯。
「でも、すだ、れ。わた、し」
腫れた唇や口腔が、何かに操られたみたいにした発音。
それを遮るみたいに、彼女は、まだ幼い首を横に振って、再びこちらを見上げた。
無力な視線だった。
力なき故の絶対的な哀願。
それに、拍車を加えていたのは彼女の髪だった。
わたしたちでおそろいの、日本人形みたいに黒々としていたおかっぱ頭は一晩で、老婆のような白色となっていた。
その白が意味するもの。
……それを招いたのは。その呪いは、全てわたしのせいである。
わたしは彼女から淫崩を奪った。
そして激情にかられ、ここの子供たち全員を道連れにして、奈崩を屠ろうとしている。
須崩は命を哀願している。
この上わたしは彼女から命さえも奪うのか。
どれだけ醜悪なのだ?
この駆他は……!!
……わたしは両手で口を塞いで、両膝を床についた。
目をぎゅっとつぶって、歌がもれないようにする。
ひだるの男神に屈服したときみたいに、涙を目じりからいくつも流す。
それは頬を伝う。
須崩も泣きだした。
「忘れもんだ」
奈崩が静かな声色で須崩と共に号泣するわたしの頭部にかぶせてきたのは、エレのスカートとカルバンクラインのパンティーだった。
恥辱に肩が震える。
けれど、歌えなかった。
須崩が泣いていたからだ。
そんなわたしを奈崩は見下ろす。
「……つまんねえ奴」
ぼそっとつぶやいたその声も、刻む心音もとても冷めていた。
わたしはその響きによって2つの事実を思い知らされたのだ。
1つは、彼が死を恐れない強者であること。
もう1つは、わたしが喪失を恐れる弱者であること。




