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黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):カラカス3
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クレトさん

「雫はエネルギッシュね」

「お休みの日は頑張りたくなります」

 ミリアさんの言葉にはため息が混ざっていたが、わたしは笑顔で答えた。

 本当は、『カラカスのご飯の方がエネルギッシュ過ぎます』とか言いたかったけれど、それは控える。

 綿貫雫は食文化を否定するために来た訳ではないのだ。

 

 食生活の改善は、必ずしも習慣の否定を必要としない。いつもに加えて、ちょっとした気遣い、ワンポイントのケアで十分な効果を発揮するのである。


 まあ、それを言ったら、毎晩30kmをランニングして1kg肥えてしまったわたしはどういうことなのだろう。

 

 と、どつぼにはまるのは前向きではない。そもそも体重のプラスマイナスは、エネルギーの摂取と消費の収支なのである。つまり、肥えたなら動けば良いのだ。


 そういう意味も込めての、頑張りたくなります、である。


「確かに雫の顔にはやる気が満ち溢れているわ」

「文化なのだろう。僕らにもそんな時代があったよ」

 納得をしないミリアさんに、セルジオさんが助け船をくれる。

 が、やっぱり似たもの夫婦だけあって、彼も納得をしていない。


 セルジオさんの視線が腕時計に落ちた。

 いつもの送り迎えと、時間は変わらない。

 

 もう少しゆっくりしたら良いのに、休みなのだから、と、言葉にしたらそうなるような感情を、彼の心音は帯びていた。


「帰りはカミロさんが送って下さるのです」

「パーティにそんなかっこうで大丈夫なのかい」

「カジュアルな服で大丈夫と言われました。もしドレスコードから外れすぎている場合は、着替えがあるそうです」

 夜はカミロさんのお宅でパーティだ。彼の実家はカラカスの富裕層、5%の人々のさらに頂点に君臨する部類らしく、昨夜、スポーツクラブ崩落事件の後で連絡があった時、セルジオさんの血色は悪くなった。


 驚愕と畏怖。


 何もマフィアの首領からの連絡ではあるまいし、そこまでかしこまるものでもないと思うけれど、言うなれば財閥のトップのご子息からの電話みたいなものである。

 驚くのも不思議ではない。


 が、カミロさんでこうなのだから、わたしが毎晩中央マフィアのボスに会いに行っていると知ったら……。


 うん、絶対言えない。無理無理。そもそもわたしが恋をしているのは九虚君である。ガブリエルさんは男性として好きなだけだ。優しくて、気配りができて、色気があって、包容力があって、ニカッと笑う顔が印象的なだけの現地人である。


 やけに説明が多いのは、それだけわたしが意識をしているからだろう。まったく、とため息をつきたくなる。


「何かあれば電話をしなさい。ミリアと飛んでいくから」

 ため息まじりに、セルジオさんはそう言ったので、わたしは微笑む。

「大丈夫だと思います。が、すぐに差し上げますね。……わたしがお邪魔虫をせずに済むことを、嬉しく思っています」

「雫ったら! 何て恥ずかしいことを言うの?」

「そうだよ。僕らはそんな時代はとっくに過ぎている」

 イングニスご夫妻はほぼ同時にそう言ったが、ミリアさんが照れを、セルジオさんが照れと喜びを心音に示していたので、わたしはめちゃくちゃ和んだ。


 長い時を共に過ごしても、旦那さんの方が奥さんにぞっこんなご夫婦。


 - 素敵だなあ。-


 カラカスに来て良かったと思う。

 どういう結末がわたしに待ち受けているとしても、この気持ちが変わることはないのだろう。


 イングニス邸に走り去るカブトムシ号を見送ってから、わたしはジャイカのビルに入った。

 受け付けを通ると、チャベス顔の警備員さんはおらず、代わりにドレッドヘアの男性が番をしていた。

 肌がとても黒く、背が高い。バスケットボールの選手みたいながっしりとした体格。

 いかつい感じ。瞳は切れ長で、眼光はかなり鋭い。

 でも団子鼻に愛嬌がある。チビ黒サンボが成長したらこんな男性になるのかもしれない。


「黒人を見たことがないのか? 珍しいのか? お嬢さん」

「あ、いいえ。世界各地でお見受けしますが、いつものお方がいらっしゃらないので」

「あのおっさんha非番da。

今日出たがってたんda。

 美人な東洋人と挨拶するんda

ってのが離婚3年目no哀れなおっさんの最近のトレンドなんdaな。

 まあ、そんなに美人なら一目みてやろうじゃないかってことde、

今日は俺がここを受け持つことにしたのsa」

 へい! よ! せい! ほー!

 とか思わず合いの手を入れたくなる、ラップ歌手っぽい語り口。

 ドミニカ人なのかな、と思う。陽気だ。


「せい、ほっほー」

「ん?」

「いえ、何でもありません。綿貫雫(わたぬきしずく)です。よろしくお願いいたします」

「クレトだ」

 お辞儀をするわたしに、クレトさんは団子鼻をすんと鳴らして、黒光りする手を差し出してきた。

 黒い豹みたいな手だ。格闘技でもしているのだろうか。

 わたしはその手を握った。


「……ふむ。なるほど。あのおっさんはこういう趣味ka。

確かに美人だが10代のガキに見えるga。

色気が足りないna。俺の趣味ではないのが残念da。

 が、あんたはいい奴っぽいna。

基本顔はあわさねえが、よろしく頼むze」

 褒められているのか、けなされているのか分からない。

 けれどクレトさんの心音に嘘は滲んでいない。滲んでいるのは……。


「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」


 わたしは笑顔を作った。


「安原の旦那は駐車場にいるze。ノエミの姉ちゃんは事務所でサトウキビジュースを飲んでいる。どっちに行こうがあんたの自由da」

「では、ノエミさんに挨拶をして駐車場に伺います」

「ああ。分かった。……なあ、雫さん」

「はい?」

「1月は出来るだけ、早く帰れyo。事務所にも寄り付かない方がいい。治安が悪化するからna」


 そう。

 クレトさんは獲物を探している。ちょっとグラシオさんに似ているかもしれない。

 違いは、そう。優しいこと。

 

 値踏みの結果、わたしは獲物として対象から外れたらしい。

 1月にこの人は何かをするのだろう。北か南か、ガブリエルさんの中央(セントロ)か分からないけれど、クレトさんにはマフィアっぽいものを感じる。

 チャベス親分似のいつもの警備員さんからは滲まない気迫。


 多分彼は組織の一員で『仕事の下準備』のために警備会社に乗り込んでいるのだろう。

 状況は違えど、彼はわたしと同じ潜入工作員ということだ。


 でも今は11月だし、その時にわたしがどうするか、について考える時間は十分にある。


 でも。


 例えばクレトさんが仲間を率いて事務所を襲う時、わたしはどうするのだろう。

 どうすれば、良いのだろう?

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